ツインレイのなかに生まれる光と影『防御意識』と『排除意識』の仕組み

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちは私たちの人生のなかで『防御意識(自己防衛)』と『排除意識』によるテーマを抱えているように思う。

防御意識はアニムス(男性原理)におる強者と弱者による問題により生まれ、排除意識はアニマ(女性原理)による好きと嫌いによる問題により生まれている。

防衛意識は弱者の自分を守る意識により生まれ、排除意識は好きな自分を守る意識により生まれる。このとき、自分を守るために、どのような行動に出たのかによる結果が「防衛」なのか「排除」なのか——である。

アニムスによる防衛意識は、社会的な強者と弱者のなかで強者ばかりが上に立つ意識により生まれる。

アニマによる排除意識は、小さなコミュニティーで嫌われることがない意識により生まれる。

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アニムスによる防衛意識

アニムスによる防衛意識は、強者という光と弱者という闇を自らのなかに生み出していく。身を守るためには強者となる必要性がある。

ゆえにアニムスの意識が『強者』へたどり着いたとき、アニムスは確かに自信に満ち溢れた存在となる。

私たちの理想は『強者』にある。ゆえに、ツインレイたちの多くの精神的な分離は『強者(光)』と『弱者(闇)』により分離され、私たちのなかに光と影を生み出す。

理想により突き進む道のなかで『強者』へと理想の道を進むことにもなるが、傍らには『弱者の自分』も潜むことにもなる。しかし、強者となる理想への道を完成させたときの私たちは、たしかに弱者となっている。

防衛意識とは、弱者と強者の葛藤にある。

自分自身のなかに存在している社会的に認められるはずもない弱者の自分を認めることにある。ツインレイ男性の多くが、この社会的に認められるはずもない弱者の自分を認めていく必要性にある。

たとえば、試験に受からないとか。たとえば、ニートになるとか。

常に強者と弱者に分岐している中での『弱者』に組み込まれ、弱者である自分を認めていく必要性にある。

 

ゆえに、ツインレイ男性の闇とは自らが闇そのものとなるため、弱者になることを意味している。

アニマによる排除意識


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アニマによる排除意識は、好きな自分という光と嫌いな自分という闇が自らのなかに生まれることにある。嫌われたくない意識を持つアニマは『好かれる自分』を構築していくことにある。

そして嫌いな自分を排除し、私たち自身は『好きな自分になっていく』ことによりアニマが成立していく。

アニマにとっての理想は「好きな自分になること」である。

理想的な自分になるために、アニマは嫌いな自分を排除していくことになる。

排除意識とは、好きと嫌いにより生まれる葛藤であり、嫌いな自分を排除することに意味がある。

 

アニマにとっての闇の刺客とは「嫌いな自分」にある。それは外に現れる。

アニムスの場合は、自らそのものが闇となり、環境が光となるのとは打って変わり、アニマにとっての闇は環境が闇となり、自らが光となるのである。

アニマは嫌いな人を排除していくことになる。しかし、排除しきれない嫌いな人——。それそのものが『闇の刺客』なのである。

しかし、好きと嫌いのうち『嫌いな自分』を抑圧し認識できない状態にまでいたっているために、嫌いな人が自覚できないため、闇のなかにいながらも闇を理解することができないのである。

 

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排除と防御とツインレイの相関性

ツインレイは光として出会い、また闇として別れる。

光の状態で出会うために、ツインレイの相手は『好感が持てる相手』であり『強者である相手』なのである。

しかし、徐々に闇の部分が浮き彫りになる作業により、第二サイレント期間では闇へと落ちることになる。

図の説明:ツインレイの出会い
図の説明:ツインレイの出会い

好かれる環境のなかに存在しているツインレイ女性は弱者として存在し、嫌われる環境のなかに存在しているツインレイ男性は強者として存在する。

ツインレイ女性は「光の中にある闇」であり、ツインレイ男性は「闇の中にある光」なのである。

図の説明:光と闇の反転が起きる
図の説明:光と闇の反転が起きる

ツインレイの出会いの段階から、お互いは反転へと向かわせ、第二サイレント期間へと投入をする。

そのとき、ツインレイ女性は嫌われる環境のなかで強者となり、ツインレイ男性は好かれる環境のなかで弱者となる。

このなかでのツインレイの女性の課題は「嫌われてもいい」ことにあり、ツインレイ男性の課題は「弱者である自分を受け入れる」ことにある。

この相関性から、ツインレイ女性は「嫌われる環境」にあるためにツインレイ男性に強者である強気な自分が嫌われる(と感じているとも言えるのか? 人の気持ちはようわからんからな。)。

ツインレイ男性は「好かれる環境」にあるためにツインレイ女性に弱者の自分が好かれる。ツインレイ男性にとって弱者である自分はコンプレックスそのものかと思われる。

この構造からランナーとチェイサーの関係性が想像できる。

防御と排除と第二サイレント期間の始まり

ツインレイ女性はツインレイ男性に嫌われる覚悟で第二サイレント期間へ入る。

ツインレイ男性はツインレイ女性に弱者であることを認められた時点で第二サイレント期間へ入る。

ツインレイ男性が第二サイレント期間に逃げ続けているのは「弱者である自分を認められて恥ずかしい」みたいなやつかもしれない。好きな女の子にみっともないとこ見られてめちゃくちゃ恥ずかしい感じ。

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防御と排除と第二サイレント期間の終わり

ツインレイ女性は「嫌われることを受け入れること」で第二サイレント期間が終わる。嫌われてもいいやってことであるし、嫌いで排除した自分を認識し、再び内包することで第二サイレント期間は終わる。

ツインレイ男性は「弱者である自分を受け入れること」で第二サイレント期間が終わる。みっともない自分でもいいやってことだし、弱い自分を認識し、受け入れることで第二サイレント期間は終わる。

終わった段階では『闇として定義されたものを内包している』状態にある。

 

ありのままとは光でもない闇でもない。そこにある『存在』そのものである。

防衛と排除の理由『理想の体現性』

お互いがお互いで抑圧した自分が存在していて、その抑圧している自分は『防衛』または『排除』により抑圧されている状態にある。

防衛した理由は『自分が弱いから』であり、排除した理由は『自分が嫌いだから』である。

弱いからと言って人を防衛という名の攻撃をしてはならないし、嫌いだからと言って人を排除していい理由はない。ここの道理を理解しているが為に『弱い自分を受け入れる』『嫌いな自分を受け入れる』へと到達させていくことができる。

つまり、段階的に『弱い自分じゃダメだから理想的な強い自分になろう!』とし、『嫌われないように理想的な好かれる自分になろう!』としたときに『理想』が生まれ。この理想を目指して生きていく段階が、キルケゴールの倫理的実在の道にある。

最終的に、理想を体現し『強い自分』となり『嫌われない自分』にまで至ったわけなんだが、「あれ、これ、倫理に不備がある」って状態に気づくことにある。

よって第二サイレント期間へ突入し、倫理的実在を終える必要性があり、次にある宗教的実在へと進む必要性があるのである。