ツインレイによる投影と投影同一視のメカニズム

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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投影とは、自分が受け入れられないものを他者のなかに見つけていくことを意味している。

投影とは、ジークムント・フロイトが提唱した防衛機制の1つで、「受け入れられない自分の感情や不快なもの、あるいは自分の悪い部分などを相手に映し出して、相手が持っていると思い込むこと」をいいます。
(中略)
投影同一視とは、「受け入れられない自分の感情や不快なもの、あるいは自分の悪い部分などを相手に映し出して、相手が持っていると思い込み(投影)、そしてさらに相手に投影したものに同一化すること」をいいます。ですので、投影同一化と呼ばれることもあります。

引用:投影と投影同一視 | 大阪・京都こころの発達研究所 葉

私たちは、自分で自分が抱えている問題や感情を受け入れられないケースがある。

「現状に対して受け入れられないケース」など、現実や経験を直視することができないことを精神的防衛の否認という項目に当てはまるかなと思っている。

否認:現実を認識しない為に経験や現実を否定し、認めないこと。(病気なのに病気ではないと思うこと。)

引用:ツインレイと自己防衛から考えるエゴの手放し(自分が自分へどのようにこだわっているのか?)

これは『経験や現実』を認められないこと。投影の場合は、自分が抱えている感情を受け止められていないからこそ起こると考える。

否認しているから投影するということだ。

私がツインレイと第二サイレント期間にはいるまえに先ずはこの投影により始まった。

つまり、第二サイレント期間の間でずっと起こりえていたことは『投影』と『投影同一視』なのである。

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投影と投影同一視とは

まずは、投影と投影同一視について書いていきたいと思っている。

投影とは、自分のなかで抱えられない感情を相手に投影することになるんだが、それは『相手を嫌っている』という感情を自分で受け入れられない時「相手に嫌われている」と認識することにある。

まず考えてみてほしいんだが「相手の気持ちがなぜわかるのか」ということにある。人の気持ちはわからないものなんだが、投影とは「人の気持ちが分かる」という考え方も関係しているように思う。(HSPにあるあるな思想な気がする)

そして、投影同一視は「相手に嫌われている。だから自分も嫌いだ。」というように、自分の感情を相手を通して自分に投影していく感じになっている。

投影と投影同一視
投影投影同一視
図の説明:投影
図の説明:投影同一視(投影対象と同じになる)

こんな感じかなと思う。自分の感情が相手の感情になり、ここまでは投影なんだが、自分軸ではなく他人軸に移動する為、他人軸である『相手の感情により自分の感情が発生する』ようになる。

相手に嫌われている、だから私も相手を嫌いになりますって感じだな。

自分が持っている気質を相手に押し付けることで『安心』したり、『自分を省みない』ことにより、自分には問題がないと思い込むのが投影にある。

また、その投影に呑み込まれてしまう現象が起きるわけだ。自分が持っている感情を受け止められない以上に、その感情に呑まれてしまう状態が投影同一視でもあるんだと思う。これが他人軸の現象にもある。

 

で、投影ぐらいだったら可愛いもんだと思われる。勝手な思い込みとか、妄想程度で済むから。

だけど、攻撃性による投影同一視はもっとヤバい。相手に攻撃されていると思い込み、それを相手に攻撃し返そうとする。でも、自分の思い込みやねん、攻撃されていることは。

攻撃性のある投影同一視が起きたとき、自分も攻撃に出るという状態になるのだ。

『怒り』の感情は、この『自分が抱えている感情を抱えきれないで向き合えないでいる』ときに生まれ、自分が怒っている原因は相手にあると考えているとき、大抵はこの投影同一視にあると考えている。

怒りは、自分の感情であり、自分により生み出されているものなんだが、自分により生み出された(自分軸)的な考え方が出来ずに相手により生み出された(他人軸)、人のせいにするという視点が投影同一視っぽいなァと感じている。

投影による問題が常に起こり続けるツインレイ


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さて。私がツインレイの彼と出会い、そこからの関係性のなかで『投影』と『投影同一視』のオンパレードだったっていう話なんだ。

基本的に寛容ななとりさん。相手が何か「いや、それ問題じゃないかな。」と思うようなことがあったとしても「まァ、そういうこともあるよな。」ぐらいで処理がつく。

つまり、自分が持っている罪をそんなに問題視していない人である。そんな自分が生かされているこの世界に万歳! という無価値観を極めている私にとって私が失敗するのは当たり前であり、だったら相手が失敗するのも当たり前じゃない? っていう考え方をしている。

それはやっぱり、私が無価値だからなんだと思う。

さて、ここで自分が思っていることは相手も思っているという事態が起こりえるわけだ。

たとえば「この人、なんか人のこと見下しているな。」と思っても、私の場合は見下したんだったらその分だけ可愛がればいいと思っている人で、出来ないならばできない分だけ教えればいいんだって考えている人だ。見下すってそういうことだから。

私にとって『見下し』というワードはグレーゾーンで、その見下しによってへりくだってコキつかったり、人の失敗や出来ないことを愚痴という名目で吐き出さなければいいと思っている。

しかし、この見下しが『悪いことだ』と思っている人もいる。でも、そういう人って人を見下している。ここが『投影』にあたる。

次に「自分は見下されている、だから相手を見下す」という判断をする。これが投影同一視になる。

したらば、これは『関係性の破壊』になっていく。相手を見下し、ふたりの関係性を破壊する状態になる。

 

さて、ツインレイの出会いから第二サイレント期間の間、このようなことが何度も起こった。いや、たぶん、数回だとは思うけれど。

ずっと私は『投影』をし、相手には『投影同一視』をされ続けることになる。

このなかでも、健全な投影をしあうような関係性の相手とは今でも良好な関係性を築ている点、自分のなかにある問題と向き合うことができる人とは仲良くやっていられるみたい。

お互いに『悪』の投影をしたとしても、その悪の部分を受け入れていたりする人が多い。

 

ちなみに、悪の部分で受け入れられていない部分は相手に対して『嫌悪感』とか感じていて、その嫌悪感は『自分への嫌悪感』だから、ちゃんと観察をしてみれば同じ穴の狢感ハンパなくなる。

自分が嫌いなんだなと理解が出来る。この同じ穴の狢の相手を冷静に判断することができ、自分と向き合った分だけ私たちは『自分を好きになる』ことができる。

たぶん、投影同一視により他者を攻撃してしまうタイプは、湾曲的に自分が嫌いなのだと思われる。多くが「不道徳な自分」とか「失敗する自分」とかなのかなと思っている。

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ツインレイへの投影と投影同一視

環境の中でも投影や投影同一視が起こり続けるわけなんだが、そのなかでもツインレイの相手にも投影と投影同一視を起こす。

この投影により嫌悪感を募らせる人もいるだろうし、投影同一視により「攻撃性」がでてきたりする人たちもいるんだとは思う。

私の場合は、最初は『善の投影』が置きていたが、最後は『悪の投影』により落ち着いた。そして、私はその悪の投影により相手を破壊したくないという思いから自己破壊をした人。

自己破壊をすれば、投影内容はすべて自分——という認知が出来るようになる。

たとえば、誰かに対して行ったアドバイスは、ほとんど『未来の自分へのアドバイス』になっていたりもするし、『過去の自分』を相手のなかに見つけたりすれば「今ならば過去の自分になんて言ってあげられる?」とかの問いになっていたりもする。

つまり、相手が常に『自分』なのである。まわりまわってずっと『自分』。他人はずっと『自分』・・・・みたいな、ある種最悪的な知覚状態に陥っている。

他者の概念の良さって何か? っていえば、他力本願でいられたり、人のせいに出来たりすることなんだ。人のせいにすることができるのは『他人は自分とは別の存在である』という感覚があるから。

だけど、ひたすら他人のなかに『自分』が存在し続けているから、自分には優しくするじゃないですか? だから自分にひたすら優しくするように世間に対しても優しくしなければならないある種のきつい縛りを受けている状態になる。

これが『ワンネスになった人』なんだと思う。

投影を乗り越えワンネス感覚へ——

さて、ではどんな感じのサイクルになっているのかについてだが、投影したものはすべて『自分』になる。

つまり投影同一視が常に起こり続けている状態になっている。『自分軸』と『他人軸』が常にイコールで結ばれ続けている。あと時間的概念もあまりない。

過去の自分かもしれないし、未来の自分かもしれない。わからない。

  • 相手に罵倒したら罵倒した内容はすべて『自分』と『相手』のなかにある問題である
  • 相手にアドバイスをしたら、アドバイスした内容はすべて『自分』と『相手』へ必要なアドバイスである
  • 相手に与えたものは自分に与えたものである、逆然り
  • 相手を許したら自分が許される
  • 相手を好きになったら自分を好きになれる
  • 相手を受け入れたら自分を受け入れられる
  • 相手に感謝したら自分に感謝している
  • etc….

全部一切合切自分へ戻ってくる仕組みである。相手に与えたものは全部自分に与えられたも同然という認識になっている。

ただ、これ『もともとそういう仕組み』なのだと思われる。

いわば、そういうサイクルに入った——というわけではなく、その仕組みをダイレクトに知覚して認知し、そのなかで生きるというカタチの世界観を理解している状態になる。

だから、実際、上記の内容は『この世界がそもそもそういう仕組み』であって、その仕組みを理解しているのか、理解できない状態で生きているのか——の違いにある。

このサイクルの理解の為には『相手を愛しぬくことにより自己破壊すること』にあるっぽい。

もっと優しい言葉にすれば「あなたの悲しみは私の悲しみです」ってことなんだと思う。そして「私の愛はあなたの愛です」ってこと。

 

私がツインレイの彼へ、最後の最後に「あなたは私と一緒に生きていない」と言った。あなたにとって私は敵であると。私にとっても彼は敵だったのである。しかしそれと向き合えなかった私が彼へ同一視したのだと思う。

ようやく、私は誰かといっしょに生きていける感覚を身に着けることが出来たんだなと思っている。

問題は「自分の中にある問題と向き合えないでいる自分」で、最後に「自分のなかにある問題と向き合えないでいる自分を受け入れる」ことにもなった。

それは問題と向き合えていない人を受け入れたからなんだと思う。

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よく『自分軸』の話で、自分を満たしましょうって話があるけれど、他人軸と自分軸をひとつの軸として理解してしまうと、他人を満たそうが自分を満たそうがそうたいして変わらねえなって思っている。

私はやっぱり人を満たしているとき、自分が満たされている感覚が好きなんだ。そこにある循環のなかに人とのつながりを感じているから。だから私は『自分を満たす』のではなく『他人を満たす』ほうへ重きを置いて生きていこうと思う。

自立とはひとりでは出来るものではない、多くの支えあってこそのこと。ひとりよがりの自立よりも、人と共に立つことができる勇気を得ていくことも自立なのだと思う。

 

このサイクルを理解するとなかなか面白いなと思うのは、プレゼントとかかな。

相手の為を思って一生懸命考えて相手に贈り物をしたとしよう。このときは「相手にあげたい」と思って買っているんだが、実は「自分が欲しいもの」を選んでいる。これが無意識だから気づけないことが多い。

同じように「人に何かしてあげた」のであれば、それは「自分で自分にしてあげたいこと」なのである。

自分軸で自分を満たすことが苦手な人は「人に何をしてあげたのか」の自分の功績を、そっくりそのまま自分に与えてあげればいいだけ。

自分が不満なのは「人にばっかり与えている自分」であって「自分が一番欲しいものを人にあげちゃっている」っていう現象が起きつづけていることなんだ。

だから、人に与えたのであれば同じものを自分に与えてあげることが大事ってこと。これが私たちが持つ健全な投影であって、とてもいいサイクルなんじゃないかと思っている。

ただワンネスの感覚を得るには『自分には与えられていなくても満足できること』にあって、それにはやっぱり自己犠牲しまくり、自分をゼロにまで到達させていくことにあるんだと思う。

人が持っているものに指くわえるのではなく、自分が持っているものを与え続けること。最後の最後にはすべてを失うことになる。

そうすると「まわりまわっているよ」ってことを神さんが教えてくれる。だから「これでよかったんだな」って思えるんだ。

私たちは循環のなかに生きている。

 

ツインレイに関して言えるのであれば、ツインレイの相手がもし他のだれかと結ばれたとしてもそれに喜ぶことがあれば、きっとあなたにも同じだけの喜びが舞い込むよ。

誰かと誰かの縁を結んだのであれば、その縁は自分にも同じように誰かが結んでくれる。

自分以外の誰かがツインレイと結ばれているのであれば、その結ばれているツインレイを見て羨まずに心から喜べ。同じように結ばれることになるんだから。

自分ばかりが再会しようと躍起になっても致し方なし。再会しているツインレイの再会を参考にするんじゃなくて、再会しているツインレイたちへ祝福を。いつかは自分が祝福される番ならば、そうやって自分の未来を整えていく必要性があるんだよ。

でもやっぱり当初はなかなか難しい。だからこそ人の幸福を祈っておこう。

祈り続けていると自分の中にある『祈れない部分』が浮き彫りになってくる。だからこそ祈るのである。私たちの悪魔がそこにいるから。

 

芥川龍之介の蜘蛛の糸。私たちは地獄の住民。我ばかりが極楽にいこう蜘蛛の糸を掴んだカンダダは、そのまま地獄に落ちた。

忘れたか。私たちはライバルではない、同胞なのである。