ツインレイの依存の解消がツインレイの再会の鍵になる

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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この記事を書いた日、鍵を拾いました。再会の鍵について書いてて鍵を拾うとか。なかなかウケる。


ツインレイ女性側が共依存であり、ツインレイ男性が回避依存である精神状態で、ツインレイのふたりが出会っているように感じられる。

また地上のツインレイの場合、恋愛依存も追加されている。

私たちの精神のなかに『見捨てられ不安』という構造を持っているとき、共依存、または回避依存という依存的な行動をとることになる。

問題は私たちが『依存的な行動を起こしてしまい苦しむ』ことにあり、共依存や回避依存が悪いと言うわけではない。その共依存と回避依存により苦しんでいる自分たちがいるとき、依存が問題とされる。

ツインレイ女性側は、ツインレイ男性により自分の価値を生み出す傾向があり、これが共依存ともなりえる。

ツインレイ男性側は、ツインレイ女性の愛情(依存)から逃げ出す傾向があり、これが回避依存となる。

そして、もし、身体の関係性が直ぐにはじまったり、恋人がいない時期が一度もないような人の場合は恋愛依存として考えることになる。

この場合、地上のツインレイである。

この『共依存』と『回避依存』、もしくは『恋愛依存』の根源にはすべて『見捨てられ不安』という恐怖が眠っている。

この恐怖と向き合うことがツインレイの最大なる目標にある。

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ツインレイの依存の根源に眠る『恐怖』への気づき

ツインレイ女性はツインレイ男性への過剰な奉仕により、共依存をする。

ツインレイ男性はツインレイ女性と親密になればなるほど恐怖を感じ逃げ出し、回避依存をする。

このどちらもの行動による根源には『見捨てられ不安』が存在している。共依存による『過剰な奉仕』と回避依存による『回避する』という行動は反射になる。意図的ではないってことだな。

根源に存在する見捨てられ不安により、次に行動が生まれ、その行動により『依存』が発覚する。

 

たいてい見捨てられ不安が生じるトリガーは幼少期のことで「母親がいない」ことにある。

後追いの時期に母がいないことでギャン泣きした経験がある人には見捨てられ不安が生じている可能性がある。私の場合は、そのときの記憶があるんだが「いないという事実に泣いている」だけであり、そこに不安という心理は存在しない。

このとき、はじめて『母がいない不安』という精神状況を生み出すことになるのだと思われる。そして、これが『恐怖』という経験に結びつき、私たちは見捨てられ不安を大人になっても抱えている状態になることで、共依存や回避依存というような依存を生み出していく。

恋愛に置いては『恋人(という存在)がいる安心』に身を置き、恋愛依存へと発展する。

共依存や回避依存は潜在的なものというよりも、幼少時代の経験による反射として考えるのが良い。

 

しかし、ツインレイの場合——。

ツインレイの魂が生まれるとき
  1. 神の精神がひとつの魂に入り込む
  2. 神の精神がひとつの魂(女性の魂)のへそを経由し、二つ目の魂を生み出し(男性の魂)二つ目側の魂に精神が宿る
  3. 二つ目側に移行していた精神を分離し、一つ目側の魂へ戻す
  4. へその緒が切れる
  5. ツインレイの魂の完成

引用:ツインレイの魂が生まれる経緯と分離経験の解説

ツインレイのふたつが分離したとき、はじめて『分離不安』というものを抱くようにもなる。

そして見捨てられ不安も同時に生じる。

魂の感情(下へ行くたびに時間が経過する)
母側のツインレイ子側のツインレイ
第一感情大好き大事にする
第二感情大事にする大好き
第三分離感情執着恐怖
第四分離感情悲しみ悲しみ
第五分離感情怒り怒り

引用:ツインレイの『恐怖(ランナー)』と『執着(チェイサー)』の感情の段階ステージ

いわゆる、ツインレイたちがどうして見捨てられ不安を抱えているのかと言えば、私たちの精神構造にツインレイと分離した記憶がそっくりそのまま引用されることにより「母親がいないことにギャン泣き経験」を産む。

子供時代に無意識を投影した結果である。

ツインレイの魂による記憶が現実でも反映されたということだ。

ツインレイの相手と出会うと、どうしてもあのときの魂の記憶による精神が現実にて投影されることにもなり、依存的な意識を持っていなかったとしても無意識が反応し、依存を生みだす。

それが上記の表のなかにある『第三分離感情』にある。見捨てられ不安は『恐怖』と『執着』を生み出し、このふたつが惹きあうことにより、ツインレイのふたりは出会うのである。

ツインレイの出会いのきっかけは、依存があるからとも言える。

ツインレイの回避依存と共依存の重要な意味


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ツインレイたちは魂による依存関係を持っている。それだけツインレイの魂の分離による恐怖は当人たちにとって大きかったのだ。

この依存関係が浮き彫りになることももちろん重要ではあるが、その内容はツインレイたちの子供時代では親の愛着が依存的という状態になる。

ゆえに、ツインレイたちは親子関係の依存の問題と、魂の依存の問題の2種類を持っているとも言えるのである。

私はツインレイの関係性を『愛と信頼』として定義しているが、多くのツインレイの両親は『不安がある、信頼しない』という関係性を持っている。

両親の関係性が依存的だということだ。

親に習うようにツインレイたちは関係性を『不安(恐怖)と不信』により構成していくことになるが、ここでツインレイたちは本来ある力量である『愛と信頼』をお互いがお互いで克服していく必要性がある。

もし、ツインレイの相手に不安や不信を抱えるとき、それはまだ未熟な魂なのかもしれない。課題は相手を愛し信じ切ることにあるためだ。また、この土台が出来上がっていない時、ツインレイは出会うことがないように感じられる。

ツインレイたちが第二サイレント期間へ突入する理由は『愛を完成させる』『信頼を完成させる』ことが出来た故にある。

ツインレイ女性はツインレイ男性を愛しぬき、ツインレイ男性はツインレイ女性を信じ抜く。それは自分の思い込みである幻想を乗り越えていくことにある。

この愛と信頼が成立したはいいものの、真逆の思想は理解できていない段階のため、ツインレイの男女は経験を反転させ、ツインレイ女性はツインレイ男性が持っている信頼を構築させ、ツインレイ男性はツインレイ女性が持っている愛を構築させていくことになる。

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アニマ・アニムスの依存について

私たちの精神構造には、アニマ(女性原理)とアニムス(男性原理)が存在する。

同性の原理については自分が体現し、異性の原理についてはツインレイの相手が体現している。

図の説明:愛と信頼によるアニマとアニムス
図の説明:愛と信頼によるアニマとアニムス

これは私たちひとりの精神構造にある。アニマが愛を体現し達成したはいいものの、自分のなかに存在するアニムスの回避依存(または共依存)の気質が直ったとは言えない。

つまり、私たちはひとつの性別のみの依存を克服することが出来たとしても、異性性の依存を克服することは出来ていないということに繋がる。

私たちは自らが経験したことしか理解しないためだ。

依存を克服しアニマが愛を体現するのであれば、アニムスは信頼を体現しなければならない。

ゆえに、アニムスのアップデートが必要となる。これがサイレント期間に存在する『ツインレイの相手になる』ことである。

このとき、ツインレイたちは自分たちの経験を反転させ、ツインレイの相手が経験した内容を再び同じように学習するようにセッティングされている。

何度も書くが、これは『私たちひとりの精神構造』にあり、実際のツインレイの相手はあまり関係性がないとして考えたほうがいいと思われる。

理由は「自分が頑張っていればツインレイの相手も頑張っている」とかいう、淡い期待を抱いたりすれば、必ず期待は裏切られるからだ。共依存側の期待は回避依存を助長させる。

回避依存と共依存の役割

回避依存は『分離』の役割を持ち、共依存は『統合』の役割を持っている。

どちらも重要な役割ゆえに、ツインレイたちは『回避依存』も『共依存』も大事にしていかなければならない。

分離が悪で統合が善とするのであれば、それは回避依存が悪で共依存が善として唱えられているようなものである。ツインレイの情報の中の多くがツインレイ女性——いわば、共依存側に沿って書かれているため、分離という回避依存が悪として書かれてしまうのはいたしかないのかもしれないが。

図の説明:愛は統合し、信頼は分離する
図の説明:愛は統合し、信頼は分離する

冒頭に書いたが依存がなぜ問題なのか——というと、そこに苦しみがあるからである。

愛と共依存は表裏一体性にあり、信頼と回避依存も表裏一体性にある。問題は依存のほうは『苦しい』けど、愛と信頼のほうは『苦しくない』という状態にある。

共依存のなかにある苦しみを抜けば『愛』が生まれ、回避依存のなかにある苦しみを抜けば『信頼』が生まれる。ツインレイが第二サイレント期間に至るまでの経緯では各々苦しみ続け、その苦しみを乗り越えることで純粋な愛、純粋な信頼を生み出すことができる。

共依存=愛+見捨てられ不安
回避依存=信頼+見捨てられ不安

見捨てられ不安をマイナスすれば依存は終わる。これが第二サイレント期間までの間の話で、片方は愛しきる、片方は信頼しきることにある。

また、サイレント期間では真逆の性質による依存することになるため、ツインレイの相手の気持ちを理解できるようになる。

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依存の克服とツインレイの再会について

依存の克服は、ツインレイの課題のなかでも主要的な課題のように感じられる。

地上のツインレイの場合『恋愛依存の克服』を行い、楽園のツインレイの場合『共依存・回避依存の克服』を行う。

恋愛依存の克服は、恋愛依存の状態ではツインレイの相手が見極められないことがあげられる。どの人物も同じ恋人という駒に違いがないためである。

恋愛依存とは『恋人という概念』への依存であって、別に恋人は誰でもいいという感じだ。

共依存の克服は、愛を成立させること。回避依存の克服は、信頼を成立させること。どちらも見捨てられ不安と分離不安を克服していくことが重要となる。

 

ツインレイの関係性のみならず、依存的な関係性は特に当人を不幸へと陥れる。そして、相手をも不幸へも陥れるのである。

共依存の克服をすることにより、ツインレイたちは『親密な関係性』を構築することができるし、回避依存を克服することにより、『自立的な関係性』をも構築することができる。

ツインレイ男性は自立志向にあり、自立はしているものの他者を受け入れることができない。

ツインレイ女性は自立することが出来ず、他者を受け入れ続けている。それぞれの問題をそれぞれが抱えている状態にあるが、問題を抱えている相手こそが『己の精神構造の一部』として存在している事実がある。

 

なとり自身も『自立したくないでござる主義』だったのだが、今は少しずつ自立をし始めており、お金を稼ぐことについてもアニムスが担当しているらしく、自立する方向性へ話が進んでいる。

私のアニムスは『自立が出来ていないアニムス』だったために、ツインレイの相手を通して『自立』の道に進み、ツインレイのアニマは『共存できないアニマ』だったために、ツインレイの相手を通して『共存』の道に進む。

 

ツインレイたちの再会は、ツインレイ男性が「共存」、ツインレイ女性が「自立」の段階を終えたあとに迎えられる。

ゆえにツインレイ女性は、ツインレイ男性の再会を手放していかなければならない。それは『自分の人生を生きること』でもある。

ツインレイ女性の再会のトリガー『自立』

ツインレイ女性が抱えている問題は『アニマが自立していない』ことに多い気がしている。それは精神構造のなかに『母親の意見』というものなどが多く含まれやすく、自分の意見を確立させられていない、人の意見に振り回されている状態にある。

なとりの場合の自立できていない状態は離人状態にあり、

  • うまいか、まずいかがわからない
  • 美醜の観念がない

というリアリズム的な部分での主観が欠落していたことにある。しかし、知的な部分での主観は欠落していない。

どのように考えるのかの視点的な部分の多くは、私の意見にある。

知的な主観と、五感的な主観は別物にあるらしく、私の場合は知的主観を先に構築させ、その後、五感的な主観を取り戻す経緯となっているらしく、五感的な主観はかなり後にて認識しているが、実際これは離人症なので危ない状態かなと思う。

離人症とは『自分が自分である感覚がない』ことにある、マズイとかも自分の感覚があるからこそのもの。

私の場合、知的な主観の確立。他者が何をいおうが私は私の意見を構築している。これが『知的な自立』にある。
そして五感的な主観の確立では、味覚などの個人的な感覚を構築すること。これが『五感の自立』にある。

人の受け売りの意見を自分の意見と捉えている場合は、この人がこう言っていたからそうだと考え、自分で自分の意見を考えない。暗記的な学習や否定と肯定はするが自分の意見はない状態が『知的な自立をしていない』として考える。

人の受け売り的な感性を自分の五感だと感じている場合は、親が持つ『うまい、まずい』を代弁し、大衆的に「この人はイケメンだ」と言われているから「この人はカッコイイ」と認識するなど、他者の主観を自分の主観として捉えているケースが『五感的な自立をしていない』として考える。

ちなみに未だに私は人の顔断ちの美醜についてはあんまりよくわからない。たぶん、あんまり興味がないのだと思われるが、そのうち戻ってくるかもしれない。

このなかでも『味覚』は、幼少の時に発達するものであり、この味覚的感覚の主観が戻ってきた段階でオールオッケーかなと思っている。

モノを買うとき、人の意見を必要としないこと。自分の持つモノに対しての価値基準が定まっていることなどに自立が存在しているように思われる。

共依存側のツインレイ女性が『自立できていない』状態にあるとき、

  • 食事に興味がわかない
  • ひとりで外出しない
  • 自分の趣味が見つからない(見つけようとしない)
  • ファッションがあいまい
  • イケメンにキュンキュンしない

という問題があげられるかなと感じている。

回避依存側のツインレイ女性の場合は、上記を実行しているが、内面的に『負の自分から逃避している』結果、上記を楽しむリアリズムとなるのだと思われる。(回避依存の人ってお化粧バッチリしている人が多い。)

このなかに『知的な自立』を入れていない理由だが、自分の意見を構築するまで私は延べ10年近くを社会生活を放棄し、図書館に捧げることによって構築している。やる人はやるし、やらん人はやらないと思われる。

地上のツインレイは知的な自立をしていない状態かと思われる。楽園のツインレイは知的な自立をしている(求められている)状態で出会うとも定義する。

どちらにせよ、知的な自立を促される楽園のツインレイの期間では『主観的な自立』を放棄させられ、知的な自立へ没頭する為、五感は壊滅的に死を迎えることになる。(これが錬金術的にも重要でもあるんだろう。)

 

自立と言えば『経済的に稼ぐこと』に多く意識が向かうことになるが、実際のツインレイ女性の自立は『精神的に他者に介入されないこと』を意味していると考えている。

単純に自分軸ってやつだな。

それは、自分の意見と思いながら他人の意見を話しているとき。
自分の感覚だと思いながら、他人の感覚を実感しているときにある。

で、それは本当に『美味しいと思っているのか——』。あんがい、難しかったりする。その五感の自立とは比較にあるのだが、その比較をしてこなかった私にとってはなかなか難しいものだった。

共依存の母を持つ私にとって「違うことは悪」だったため、比較のなかにある違うことを楽しむことがなかなか難しかったのである。