闇の感情によるツインレイの人格構成と幻想の世界と親の因縁について(『恐怖』『不安』『孤独』『無価値観』『存在否定』『不信』『罪悪感』)

2023-09-14

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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これは私自身がツインフレームによる関係性だと思っているものですが、ツインレイの関係性として語っている内容も多くあるため、とりあえず『ツインレイ』っていう枠組みに入れている物でもあります。

ツインレイという話題を追いかけていくと、人格の形成においての基盤として感情が見えてきた。

その感情はおおきく3種類に分類され『恐怖』『不安』『孤独』と感じられた。

図の説明:恐怖・孤独・不安による三つ巴の感情構成

もしかしたら、ツインレイの精神構造を分析するのに、役に立つ可能性があるので、私が認識した範囲で解説を書いておきたいと思う。

 

ツインレイたちは、この感情に支配されたとき、それぞれ人格に異常をきたす可能性もある。また、それが家系が抱えている因縁でもあり、その感情による世界を克服していくことが幻想による世界を抜けていくことのヒントにもなっている。

種類を私は3分類におおまかにわけることにした。

  • 自己愛型—恐怖
  • 妄想型—孤独
  • 依存型—不安

ツインレイたちが抱えている感情的な根源にある問題はこの三つのうち、どれかが代表的に大きく抱えているケースが多い。

図の説明:恐怖・孤独・不安による幻想世界の構成

人は『恐怖』『不安』『孤独』を幻想世界では皆抱えている。その三拍子の感情が闇化し、ツインレイを幻想世界へ閉じ込めていくことになる。これが原色の世界のようなものだ。

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恐怖による家系のツインレイたち

図の説明:自己愛型の無価値観図

恐怖に縛られている家系の人たちは、『恐怖による孤独』『恐怖による不安』を抱えている。自己愛型の性質である。
恐怖を怒りとして発散したり、自分が抱えている恐怖を人に押し付けることが多い。

人のせいにする人が多く、自分良ければそれでよいというカタチに着地するが、多くが『自分に対しての恐怖』が強く感じられている。

何かしらにつけて恐怖心が付きまとい、嫌われる恐怖、好かれる恐怖と対人関係にも問題を起こしやすい。失敗する恐怖等も強い。同じように成功する恐怖も抱えている。

恐怖が強いために、何もできない。ゆえ、他者に恐怖心を与えることにより、自分の恐怖を他者へ具現化させていくことになる。

根底には、無価値観が存在し、自分に価値がないことを受け入れることができない。

しかし、自分には価値がないため、そのギャップに苦しんでいるのである。そのギャップこそが『恐怖』を生み出し、孤独や不安により翻弄されてしまう。

ツインレイの関係性『無価値な自分』


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ツインレイとしては、恐怖からツインレイの相手と深い仲になっていくことを拒む。

恋愛関係になることを拒否し、ツインレイの相手を拒絶していくことになる。

ツインレイの相手に対しては、自分のルールのなかのツインレイ像を押し付ける。相手に対して過度な甘えを持ち出しては怒り心頭となって拒絶する。

ツインレイの相手と自分を比較し、無価値観を感じ、ツインレイの相手からすれば絶対的に無価値である自分と向き合うことができない。

この場合のツインレイの相手は『自分が無価値となる相手』であり、向き合うことができないでいる人たちが多いように感じられた。

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孤独による家系のツインレイたち

図の説明:妄想型の存在の否定図

孤独に縛られている家系の人たちは、『孤独による不安』『孤独による恐怖』を抱えている。妄想型の性質である。
自分にとってのルールを押し付けやすく、自分が抱えている幻想を人に押し付けやすい。

頑固として自分の意見を譲ることがなかなか難しい。

自分にとっての世界が成立しているため、孤独感が強く、自分の存在を認めてもらいたいという強い欲求を抱えている。

しかし、自分自身は自分の存在を否定している為、自分自身と向き合うことがなかなか難しく、自分が抱えている幻想を省みることが難しい。

ツインレイの関係性『自分を否定する存在』

ツインレイの相手は、雲の上の人——というような立場にあらわれるような気がした。

それは自分自身の存在を否定しているがために、ツインレイの相手にとって自分は存在しないという立場をとる為である。

ツインレイの相手に対してファンである立場をとり、関係性はまるで発展しない。自分の存在を否定し、認識しない存在をツインレイだと認識するのである。

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不安による家系のツインレイたち

図の説明:依存型の自己不信図

不安に縛られている家系の人たちは、『不安による恐怖』『不安による孤独』を抱えている。依存型の性質である。
行動する理由のほとんどが不安を根底にするために、自分が抱えている不安を他人に背負ってもらおうとする気質にある。

他者によって世界が構築されているため、自分の世界を構築することが出来ず、他者を過剰に受容する気質にある。

自己不信に陥っている為、自分のことを信じられず、他人のことを過剰に信じるのである。

人の言うとおりに行動し、人の思うとおりに行動しようとし、自分自身を重要視することがなかなかできない。人のためによく働くが、根底には『自分を信じることができない』といった感情があるため、人に感謝されることで自尊心を維持しようとする。

人に信じてもらえないことが許せず、人に信じられる自分になろうとし、過剰に人の信用を勝ち取ろうとするところもある。

ツインレイとの関係性『自分を信じてくれない人』

ツインレイの相手は自己不信に陥る相手となる。信じられない相手となる。

また、信じてはならない相手でもある。

たとえば、既婚者であるツインレイの相手など、信用してはならない等もある。

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『無価値観』『存在否定』『不信』とツインフレームテーマ

私はこの記事をツインフレームだとして書いている。ゆえ、このツインフレームについても触れていくが、最終的にはツインレイへも繋がっている。

 

ツインフレームのテーマは『自分の感情』『自分と向き合う』である。

図の説明:ツインフレームのテーマ

それぞれ『無価値観』『存在否定』『不信』というテーマのうち、どれかひとつがツインフレームにより克服されるようになっている。

私の場合、不安型の家系だったために『不信』がテーマであり、ツインフレームの相手を最後まで信じることができるのか——ということがツインフレームのテーマにあった。

恐怖型の家系であれば『無価値観』がテーマであり、ツインフレームの相手に価値があることを認めることができるのか——がツインフレームのテーマである。

孤独型の家系であれば『存在否定』がテーマであり、ツインフレームの相手の存在を肯定することができるのか——がツインフレームのテーマである。

 

最終的に、自分を信じる・自分の価値を手に入れる・自分の存在を手に入れる——というようなまわりまわって手に入れることができるものとなっている。

ツインレイテーマと感情

ツインレイのテーマは『他人と向き合う』かのように思われる。そのなかで『自分と向き合う』方向性へ向かう。

図の説明:他人と向きあい、自分を認めていく——ツインレイテーマ

『無価値観』『存在否定』『不信』を抱えている人たちと向き合うこと。

彼らと向きあい、私自身のなかにある無価値観、自分の存在に対しての否定、自分への不信感を受け入れていく必要性がある。

『無価値観』を実感し、泣いたのがつい先月のように思う。

『存在否定』を実感し、なぜか爆発的に自己肯定感があがってきて「あたいは存在している!」みたいな感覚を覚えたのはもっと前のような気がする。

最後に『自己不信』が存在している。まだ終わっていない。

私は不安と恐怖、孤独と向き合っている。不安を克服すること、恐怖を克服すること、最後に来たのは孤独を克服すること。

今はこの『孤独の克服』へ乗りかかっており、この孤独を克服するためには自己不信を払しょくせねばならないような状態となっている。

図の説明:覚醒前と覚醒後の感情形成

このような構造の変更を行っているような気がする。

覚醒前覚醒後
希望に恐怖する(自己愛性)希望
安心に依存する(依存性)安心
孤独に逆らう(妄想性)共存
自分の存在を消す存在感
自分の価値観をなくす価値観
自分を信じない信心

自己愛性は自己不信に陥っている。(自分を信じてもらえない状態へ陥る)

依存性は存在否定に陥っている。(自分の存在が消える)

妄想性は、無価値に陥っている。(自分の価値観が消える)

つまりなんだが、自己愛性(恐怖)による信心は消える。
依存性(不安)による存在感は消える。
妄想性(孤独)による価値観は消える。

今の世界って、恐怖があるから信心があるんだと思われる。
不安があるから、自分の存在を誇示しようとしているのだと思われる。
孤独があるから、価値観という存在があるのだと思われる。

恐怖による宗教はいらないし、不安がある神はいらないし、孤独による価値観により生まれた道徳性はいらない。

恐怖がある人は信じてもらいたいし、不安がある人は存在を認めてもらいたいし、孤独がある人は価値観を受け入れてもらいたい。

で、私は自分の中へ恐怖がある人を信じないし、不安がある人を認めないし、孤独がある人の価値観を受け入れることはない。

従来は、恐怖がある人を信じていたし、不安がある人を認め、孤独がある人のルールを受け入れていた。だけど、それもおかしいんだなっていう精神的自立による判断力が備わってきた。

自分を信じ、自分を認め、自分のルールでいいんだな、と。

そして私は、罪悪感を抱えている人間だったんだが、最終的には『空』となってしまった。

最近知ったことなんだが、信じてはいけない人がいて、認めてはいけない人がして、価値観を受け入れてはいけない人がいるんだなということだ。

私は多くを肯定してきた。だけど、そのなかから自分にとって不必要なものは『空』に返すことにする。きっとそれもひとつの道理なんだなァと思いました。