ツインレイは存在しているし存在していないメカニズムと「ツインレイを創造する」について

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイは存在しているし、ツインレイは存在していない。今、私自身はそのように感じていて、じゃあこれを『立証するためにはどうすればいいのか』は、実は「今だから分かるが」としか言いようがない。

単純に、世の中のメカニズムがよくわかっていないっていう理由があげられるんだが、直感的には「ツインレイは存在しているし、ツインレイは存在していない」ということを理解していながらも、1から10を知れたはいいが、2~9がスッポリ抜け落ちているような感覚にある。

私自身の感覚は、1を知って10を直感的に理解することにあるが、ツインレイの彼の感覚は1から順番に10まで到達することにあるからなんだろうなと思っている。

ツインレイはすべての人に存在しているし、
すべての人に存在していない。

これが今の私の答えです≡⊂( ^-^)⊃
理由なんですが、今の私にはツインレイは存在しているんですが、10年前の私には存在していませんでしたってことです。
10年前はツインレイのデータがダウンロードされていない状態の魂は一人っ子でした。でも今はツインレイのデータがダウンロードされている状態なので、魂の双子の概念を持っている感じ。でも10年前には魂は双子ではなく一人っ子です≡⊂( ^-^)⊃今は双子だけどね( ‘֊’ )( ‘֊’ )
って感じかな。
つまり、過去の改ざんしている。
人間ってタイムラインをひとつしか認識しないから、最初から魂が双子だったと思ってしまう。
でも、途中で魂のデータを改ざんしてしまえば、データは双子になる。
で、ツインレイのデータが入った時、向こうの世界で「伴侶はどいつにするか( ;゚д)ザワ(;゚д゚;)ザワ(д゚; )」っていう話し合いとかしてるぽい。辻褄合わせしないといけない。
真実は簡単に組み替えられる。
どの世界線に乗っかっているのかによって自分の真実は変わります。でも、私たちが認識してしまったら、それは個人の記憶に定着します。
だから、みんな持っている真実は違うんです(*’д’*)
だけど、定着した記憶が事実だから、それが事実になります。
私は私が持っている真実の話はできるんですが、例えばツインレイデータを持っていない人にこの真実は「嘘」とかにも見えるかもしれないし、また別の真実を持っている人がいるかもしれない。
大事なのは「全員おなじツインレイデータ」や「全員同じように魂が発生した」とかではなくて、みんな違う真実があるから自分のオリジナルツインレイでいいんだよ≡⊂( ^-^)⊃ってことですね。
つまり、「真実」。
自分だけの真実があるよ、その真実を探しに来ている。ツインレイもその一貫。現象や事実は皆同じだけど、自分にとっての真実が「魂」を形成する。

つまりね。
ツインレイっていう双子は、人間側が「魂を双子設定にしよう」ってすれば、向こう側が「やべえ、そんな設定なの?組み替えなきゃ」って勝手に辻褄を合わせてくれる。
ツインレイのトリガーは「ツインレイの否定」。
ツインレイっていう運命の人っていう存在に依存しないっていう大前提が人間側で構築されると「運命論の否定」が起きる。
運命論の否定が起きると「否定したものは肯定させないといけない」ことになる。
だからツインレイを急遽、作成しないといけなくなる。

だからツインレイっていう存在は自らが持つ「運命の相手への強い否定」により後天的に発生させられて、データの改ざんという肯定させるための創造により起きている現象なんだ。
運命の相手がやってくるって思ってる人のとことにはやってこない。否定は「依存からの自立」にあって、自立のためにツインレイは急遽の辻褄合わせに発生する。
いわば、ツインレイは「創造物」であって「事実」ではない。だけど「真実」ではあるんだよ(*’д’*)
で、真実を記憶に定着させたとき、それが事実になる。
このとき、ようやく「ツインレイという存在」が生まれる。事実になる。事実になった時、過去は改ざんされたものが「記憶」になる。

だから皆、最初からツインレイの双子だったって思い込んでるだけ。最初は一人っ子だったと思うよ(´・-・`)でも魂の生まれを創造したから双子だけどね( ‘֊’ )( ‘֊’ )

この世界はずっと神の子である人間の魂を、否定→肯定→依存→自立っていう順番でありとあらゆるものから自立させていこうっていう仕組みになってるんだと思う。

引用:ツインレイ男性と女性の心と罪の関係性(4次元統合の構造)

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私たちの世界線と記憶の構造

私たちの世界線は『魂の双子』と『魂の一人っ子』の状態にあるとして考える。

図の説明:世界線と人体の記憶

私たちは世界線を生きているのではなく、世界線をダウンロードしている人体があるとして考える。

つまり記憶=世界線ではなく、記憶は『事実』であり、世界線は『真実』なのである。

この世界で生きている私たちは『人体に経験という記憶を事実として捉えている』状態となっている。これが私たちの経験であり、記憶であり、過去にあたる。

しかし、世界線とは『真実』であり、事実ではない。そこからどの世界線をダウンロードするのか——は個体差が生まれる。

ツインレイで説明すると、一人っ子の魂の世界線もあるし、双子の魂の世界線もあるが、これはどちらも記憶に定着していない限り『事実ではない』のである。

で、事実だと認識されるとき、それは『記憶による保存』が生まれたときである。

たとえば、私が「ツインレイとしての魂が発生したときの記憶を思い出した」わけなんだが、この記憶を思い出し、人体が記憶したから、私はツインレイである事実を理解している。

しかし、ツインレイとして魂が発生したときの記憶を思い出していない人たちは「自分はツインレイなんだろうか?」という疑問が生じることになる。理由は「記憶がないから」であり、「ツインレイである事実がない」に通じるためにある。

このとき、ツインレイではないのである。記憶がないし、自分のなかではツインレイである事実がないためにある。

ツインレイは存在しているし存在していないとは


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私たちは魂は先ず『ひとり』だと認識した人生を送っている。ツインレイとして魂が双子だ——という運命論を知ったとき、はじめて「魂は双子になって生れてくる」という知識が備わる。しかしこれは知識であって事実ではない。

事実ではないものを『事実だ』と思い込んでいるだけっていう話。だって経験したことがない、記憶がないものに対して『事実だ』という証拠を経験則から導き出すことができない。

経験がないのに事実だと思うのは、単純に頭でっかちって話になる。それは「他人の経験を見聞きし、理解した」ってだけで、それは『理解』や『知識』にはなるかもしれないが「自分が経験した」という人の足元にも及ばない。し、真実にはならない。

自分が経験したことにより導き出された智恵と、他人が経験した内容を鵜呑みにした未経験の知識じゃ前者に叶わないのである。(なんかソクラテスみたいな感じになってきた。)

ツインレイだ、と思っても、それが知識の段階では『ツインレイという存在はいない』として考えて然るべきにある。

しかし、ツインレイであるという経験と魂が双子になった起源を思い出したとき、そのとき『ツインレイは存在する』として考えるのである。誰しもが否定しようが真実にある。

私たちは、この地球で「いかなる否定を受けようが、自分が経験し理解した真実を持って生きていく覚悟」が必要なのである。

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ツインレイの世界線とは創造にある

さて、ここから『ツインレイという世界線の創造』についてを書いていく。

上記の通り、私たちは『人体の記憶』により、経験を培っている。そのなかに『どの世界線の記憶をダウンロードするのか』は、それぞれ違うわけで、そもそも記憶をダウンロードしていなかったら、それは『ただの知識』に過ぎない。

経験が伴いようやく私たちは『ツインレイ』なのである。

では、この『ツインレイという世界線』だが、これは『創造』にある。私たちは無限に経験をすることができる。無限に経験できることを『この世』としているが、そのなかに『ツインレイという世界線を創造すること』が出来る。

で、この世界線の創造をしたとき、私たちはようやく『ツインレイのデータ』を受け取ることができる。

 

つまりなんだが、自分のなかに『ツインレイを創造する力量』がなければ、ツインレイは創造されないし、なんならツインレイという存在は発生しない。

この世の人体側の私たちの意識が「ツインレイの経験をしよう」と判断したとき、向こう側の世界では「ツインレイという世界線を創造せよ!」とツインレイを生み出していくことになる。

ツインレイを生み出していくことにより、ツインレイが創造される。

いわば、ツインレイの経験をしようと人間側が感じたときに、はじめて『ツインレイが発生』するのであって、私たちは産まれた時からツインレイという存在と出会う約束をしていたわけではない。

出会う約束をしていたわけでもないし、ツインレイだったわけでもないし、途中で『ツインレイという関係性を結ぶ』ことにより、ツインレイという「生まれる前からの約束をしていた設定したりする」のである。

私はこれを『過去の改ざん』とも感じているし、なんなら、私たちは「わからないこと」の領域についてを「わからないまま」にしておくことはとても大事なことだと思っている。

 

ツインレイそのものは『経験』であり、また『経験してようやく事実』にあり、「(改ざんされた)記憶を思い出してツインレイの魂の機嫌を知る」のであり、私たちは元々、魂は一人っ子なのである。

で、事実なんて後付けでいいんだよってことでもあるんだ。というか、事実は後付けでしかない。記憶が定着して経験を成し、ようやく『事実』となる。

ツインレイを創造するにはある一定の『自立』が必要な件

ツインレイとは『運命の相手』であり『魂の双子』である。

これって「すごく依存的な言葉」のように感じられないだろうか。

運命の相手が自分に入るんだ! その人に出会いたいな!

これがまず依存に繋がってしまうのである。

私たちは、この地球で常に『依存から自立させよ』と、魂の父母からの自立を促されている。

そのなかで『運命の相手に依存する』ことにより、私たちの人生の支柱にしてしまうことが度々ある。

ツインレイがいなければ人生が先ゆかないだなんてことがあれば、それは私たちの『依存』にあり、キルケゴールよろしく、そこは『絶望』しなければならない世界線に乗っかるのである。

つまり、ツインレイとは『運命の超克』にあり『運命からの自立』とも言える。

『夫婦』や『結婚』、『運命の相手』という異性に対しての依存からの自立がツインレイなのである。

なので、ツインレイに出会うと『異性への依存が爆発的にでてくる』のである。

 

では、ツインレイを創造するためにはまず『異性への依存』を断ち切っていかなければならない。異性がいなくても生きていける状態へ先ずは大前提に成立させている状態でようやく『異性から自立したい』という意思が伺える。

「運命論の否定」も必死にある。

ツインレイという概念に対しての依存である。依存とは現実からの逃避にある。

私的な言葉にすれば「運命論は好きじゃない、運命だからと言って現実から逃げていい理由はない。」わけである。これが『ツインレイのトリガー』みたいなものである。

異性から自立し一人で生きていく覚悟と事実は『ツインレイ』という存在を創造していかなければならなくなる。

理由は、異性から自立しているからこそ、真逆の存在である『依存』が成立するのである。依存と自立の両天秤となり、このふたつが成立するとき、私たちはツインレイを目の前にして『依存』のほうへ舵を切るようになる。

回避依存か共依存を発揮し、私たちは元々自立していた状態から依存した状態へ貶められる。

つまり『自立が善』だと思って貫いていたら『依存物がやってきた』のである。この依存物が『ツインレイ』である。

そして、運命論の否定では、私は「運命だからと言って現実から逃げていい理由はない。」と考えていたが、私自身は「なぜ現実から逃げてしまうのか」を叩き込まれるわけである、、とほほ。つまり、否定すれば肯定させられるし、経験させられる。

私はツインレイのなかで「現実から逃げていた」のである。

その道理がわかんない・・・ってなると、経験をつむように創造が向かうのである。

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ツインレイは後天的に生まれるけど先天的だよ

タイトルの通り、ツインレイは後天的に発生するけれども、先天的な世界線の記憶をダウンロードすることにより、人体側はそれを『事実』として捉えることになるから『先天的』な存在になる。

ツインレイはすべての人に存在していると自覚する感覚は『人体的な記憶に依存した感覚』にある。(次元的に言えば4次元かな、4次元は時間的概念を主体的に捉えられるから。)

ツインレイはすべての人に存在していないと自覚する感覚は『世界線の理解・人体の記憶の理解・相関的な理解により生まれる感覚』により生まれる。(次元的には5次元かな、世界線の理解は5次元あたりかも。そうすると3次元の『停止的な理解』も出来るようになる、3次元的理解はなかなか難しい『死の先』にあるから。)

いわば、私たちは『どの真実(経験)を知りたいのか』というだけで、人それぞれが経験したい内容が違う状態にあるから「いかなる経験であろうが、それが真実だと思えば真実である」ということである。

その真実への追求を行うことが主体性の構築に繋がっていき、またキルケゴールによる『実存主義』でもある。

ツインレイという運命を『信じる』危険性

信じるは、かなり危険なことで。信じた代わりに、その信じたものを全て『責任を取るのは自分』である。信じた対象ではない。

たとえば、ツインレイという運命を信じた人は、絶対的にツインレイとは出会わない。

否定したものはすべて肯定するような方向性へ向けられるし、依存したものはすべて自立するように向かわされる。

信じるとは依存したも同然なので、自立の方向性へ向かわせるために、裏切りにあうことになる。

いわば、盲目的な信仰は「依存」にある。

つまり、なとりさんに対して「盲目的な信仰をして依存した」場合、なとりに裏切られることになる。裏切られてショックを受け、もし「なとりは悪い奴だ!」になった場合、自分自身が相手へつけたラベリングや評価を背負うことにもなるので「自分が悪いヤツ」になる。

だからあんまり依存はするもんじゃないんだけれども、この世の中には多くの依存物がたくさんあるわけである。その依存をすべて断っているのが仙人なわけである。

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真実なる自立という共存

ずっと私たちは『自立する』方向性へ向かっており、ツインレイという運命からも『自立する』方向性へ向かわされることになる。

自立→創造→依存→自立による共存

このような感じでステージはあがっていく。

ツインレイ的に説明をすると、

  • 自立(孤独)・・・異性に依存して生きない覚悟
  • 創造・・・覚悟により依存物(ツインレイ)を創造する
  • 依存・・・自分の自立が不完全なために依存物(ツインレイ)へ依存する
  • 自立による共存・・・自立とは共存(ツインレイ)にあると知る

こんな感じだろうか。

つまり、私たちは「自立だー!自立だー!」と言って、自立していくわけなんだけれども『異性を断つ』ことが自立ではないのだよという話である。

自立とは、自立して依存的な関係性を構築せずに、共存的な関係性を構築することが『ツインレイ』なのである。

真実なる自立とは『共存のなかにしかない』わけで、従来の私たちは共存ではなく『孤独』なだけということだ。

孤独により自立したものは依存が提供される。孤独による自立は依存だからである。

そして『孤独による自立』と『依存』がかけ合わさることにより『共存というツインレイ』が成立する。