楽園のツインレイによるセトとノーレアの結婚

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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アダムとイブは結婚した後、数人の子供をこさえている。

そのなかでカインとアベルによる兄弟間で起きる神の愛情の取り合いをユングはカインコンプレックスと名付けた。

カインは人類初の殺人者となり、アベルは人類初の被害者である。また動機を『ルルワというめちゃくちゃ美人な女性』の取り合いとし、ルルワは人類初の殺人の動機となった。

この構造は、私が話す『地上のツインレイ』により説明をしているようだ。

私は地上のツインレイの関係性を二十代半ばに迎えた人だが、そのときの私と彼は結ばれることを選ばなかった。

当時の私は「ツインレイ」という言葉を拒否し、運命論に逃げたくないと考えていたのである。

 

私の立場は「アベル」という立場である。潜在意識のなかにくすぶっているものは、姉妹の間で繰り広げた親の愛の取り合いと、そして、どちらかが結婚すればどちらかが結婚できないという精神構造にある。

私のツインレイの経験は、この十年に渡る。この経験こそが私の精神構造を組み替えていくのである。

図の説明:アダムとイブの家系図

引用:ツインレイのアダムとイブとリリスの関係性とツインレイの契約(盟約)と被害者・加害者意識について

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地上のツインレイによる『カインとルルワ』

地上のツインレイの段階でツインレイと結ばれている人たちが多い。その人たちの多くはカインとルルワの関係性にある。

ルルワとは『価値があるもの』である。そして、カインとは『価値があるものを手に入れる』人たちである。

 

カインとルルワとアベルの関係性をもう少し深く説明しよう。

アベルとルルワは婚約者であった。しかしカインはルルワが好きでアベルに嫉妬し、アベルからルルワを奪うことになったのが人類初の殺人と呼ばれている。

これは、私の地上のツインレイによる『アベル』として視点である。

私は、地上のツインレイの相手をルルワとして捉える。彼は地位や名誉のある人だった。私が彼と付き合えることはアイドルと付き合うようなものでもあった。

しかし、私は彼とのサイレント期間に突入するとき、ひとつの『葛藤』を抱える。それを振り切ったのが私である。

地上のツインレイの彼が持つ地位や財力など人生においてのメリットに目がくらむ感覚がしたことだ。だからこそ、私は地上のツインレイへと別れを告げることになる。

私は彼が持つ『それ』を好きになることが、私のなかで正解ではなかったのである。それは人を不幸にするのではないか——と考えた。

ゆえに、私はサイレント期間へと「彼の財力に惹かれる自分を振り切る」ことで突入した。それは私の為である。私がお金に溺れる人間になどなりたくなかったからである。

 

地上のツインレイのサイレント期間に出会った人がいる。

上記の通り「相手の財力に惹かれて結婚した人」である。

その人は周りの人から勝ち組と呼ばれているらしいのと、彼と自分はツインレイなのだと告げられた。私はそれを否定している、運命論に逃げたくないと——。(つまり、運命だからいっしょにいるのであって、彼だからいっしょにいるわけではなさそうだった。)

その彼女とは決別をして終えた。

 

アベルがカインとなるとき、私たちは被害者と加害者の立場を反転させている。

上記の通り、地上のツインレイの期間で出会っているサイレント期間のカインは、アベルがカインとなってしまった存在だったのである。

つまり、地上のツインレイの課題は『カインとしてアベルになるのか』。

被害者と加害者の反転を起こすかどうか、これは復讐心があるのかどうか——でもある。

誰かよりも優れた結婚をしたい。そのように考えたとき、きっと私はカインになっていたのかもしれない。

カインとアベルによるルルワの取り合いの本質

話は続く。今回、楽園のツインレイの段階では『セト』と『ノーレア』の話へ進むが、このときも再び「カインとルルワカップル」に出会うわけである。

それに関してはすんなりと受け入れられた。理由はひとつだと思われる。カインが『自分がしてしまったことに対してのごめんなさいができる』ことである。カインコンプレックスからの解放者がツインレイであることは受け入れられるのである。

そもそも、カインがルルワを好きだった理由は「めちゃくちゃ美人だったから」ではないのだと思われる。

つまりアベルがどうしてカインにルルワとの結婚を交代できなかったのか。その理由は「めちゃくちゃ美人だったから」なのである。

カインはルルワの心を好きだったのかもしれない。だけど、アベルはルルワの上っ面の美人なところが好きだったからカインへ明け渡したくなかったのだ。

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地上のツインレイによるアベルコースとカインコース

地上のツインレイによるアベル側は『地上のツインレイと別れること』であり、カイン側は『地上のツインレイと結婚すること』にある。

地上のツインレイを好きだった理由がアベル側は『お金』であり、カイン側は『本心』だったのである。

アベルは地上のツインレイによる離別を迎えることでお金への執着を手放し、楽園のツインレイの次なるステージへ進む。

カインは地上のツインレイにより『本心』を取り戻すことで、地上のツインレイと結ばれるのである。

楽園のツインレイによる『セトとノーレア』の結婚

地上のツインレイの段階でアベルとしての存在は、次にセトの段階へと進む。

図の説明:セトとノーレア

まず地上のツインレイの段階から楽園のツインレイまでの期間、少しの時間が必要である。それは『アベルが死ぬ』必要性があるためにある。

そうしなければセトが生まれない為である。

アベルがするべきことは「多くの人の被害者側にたち、死ぬこと」である。カインに命を奪われることになるが、ルルワをも奪われ、ほかにも色々と持っているものを一切合切奪われる必要性がある。

また、地上のツインレイの間で私は死にかけている。アナフィラキシーショックと診断は出ているがテトロドトキシンだと思われる。(古来から使われてきた暗殺の神経毒である)

この経緯で私はアベルとしての死を迎え、そして、セトを生み出すまでの期間に私は『出産の準備』をし続ける。

アベルの生まれ変わりがセトだと伝えられている。

 

私自身のなかに孤独が生まれるまで私は孤独であり続ける。

イブがどうしてセトを産んだのか。それは子供であるカインは追放されてしまい、アベルが死んでしまったことによる孤独なのではないか——と思われる。

このとき、私は『被害者』と『加害者』という概念が実際にはほとんどなかった。

抑圧しきれていたというか、姉に関しても親に関しても、怒りはすべて抑圧しきり、その爆発による解離も「誰も悪くない」の気合い人格の崩壊を抑制したのち、ヒステリーは治ってしまった。

私にヒステリーが出てきたのは、地上のツインレイのあとから楽園のツインレイの間であり、元々の私はヒステリー持ちではなかった。

持っていたのは姉であり、姉に接触するとなぜか私にヒステリーがでる——ということが頻発していたのだが、姉が持つ加害者と被害者による意識が私のなかに吸収していったのだと思われる。(姉が持つ加害者意識もあたいが背負うことで、相殺させたのだと思われる。私が姉にヒステリーを起こすだけのトラウマを抱えていることに気づき、姉には言わずに墓まで背負う覚悟した。)

 

そして、その後、ツインレイと出会い、初めて私は私のなかに『ノーレア』を自覚するようになる。私が持つ女性性とはノーレアなのである。

私のなかには『セト』がいたが『ノーレア』はツインレイにより生み出されれるのである。(セトでしかない地上のツインレイから楽園のツインレイに出会うまでの期間は恋愛のレの字ひとつ見つからない理由は、私のなかにノーレアという概念がないためなんだろう。)

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セトとノーレアとは

グノーシス主義にて語られている存在でもあるのがノーレアである。

グノーシス主義を調べてみるところ、私がツインレイと出会った当時に語った「この世は地獄、ひとりで生きていくには心許ない」っていう世界観のことだと思われる。(つまり、私が話す内容はグノーシス主義に近いのだと思われる。)

アベルとしての人生を全うすることは悲惨だったぜって話。

 

セトとはアベルの代わりに授けられた男性性である。そしてノーレアとはセトのために生み出された女性性である。

ノーレア(Norea)は、グノーシス主義におけるアダムとイヴの娘、セトの妹かつ妻であり、邪悪の縮図とも神の子の配偶者ともされている女性。

引用:ノーレア – Wikipedia

ノーレアが生まれる原因であるセトがどのような存在か——により、ノーレアの人格が邪悪にもなるし神の子の配偶者にもなるのだと思われる。

 

人類は、セトによる系譜とカインによる系譜が存在し、ノアの箱舟による物語はセトの九代目である。

そして、セトの系譜の存在とカインの系譜の存在が地上で交じり合っていく経緯で、地上には悪がはびこった——とされている。ゆえに水攻めが起きてノアは助けるものは助けると箱舟を創ったのである。

 

セトはアベルの代わりであり、神に愛されし子である。単純に言えばキリスト的な立ち位置でヨシ。

ノーレアはソフィア(女性性が繋がる叡智)と繋がる女性として定義してしまえばいいかなとは思うが、ノーレア自身はキリストの花嫁的な立場かなと思われる。

このふたりによる結婚は『楽園のツインレイ』として私が定義しているようである。

上記、地上のツインレイでのサイレント期間でカインとルルワに出会ったと書いている。そして、楽園のツインレイによるサイレント期間にも出会っている。

今回、楽園のツインレイの段階では『セト』と『ノーレア』の話へ進むが、このときも再び「カインとルルワカップル」に出会うわけである。

それに関してはすんなりと受け入れられた。理由はひとつだと思われる。カインが『自分がしてしまったことに対してのごめんなさいができる』ことである。カインコンプレックスからの解放者がツインレイであることは受け入れられるのである。

そして、私はカインコンプレックスがどうでもよくなっていることをも伝えられる。

「ヤギは孫を殺されて悪魔になった、だけどもうそんなんでもうでもいいよ」
(中略)
つまりヤギとはヤハウェである。そして、そのヤギはカインに殺された孫の恨みから悪魔となったと言う。

引用:報告|カインコンプレックスのアベル側の解消

これはノーレアによる女性性がソフィアに繋がっているともいえる。私自身がもつ霊能的なものが得ている情報である。

 

地上のツインレイの段階でのカインとの出会いは、私が持つ霊能的なものを欲しがっている人だった。

そして楽園のツインレイの段階でのカインとの出会いは、特にそういうわけでもなさそう。推し活らしい。

カインとセトによる共存状態が生まれたとき、私の世界観もずいぶんと変わってくるように思う。

セトとカインによる違いについて

地上のツインレイの段階で、カインとアベルによる問題は『ルルワを何として定義するのか』である。

ルルワを本心から望むカインと、ルルワの上っ面だけ見た美女を望むアベル。

私は後者のアベルである。そして、そんな自分は「違う」わけで、地上のツインレイとのサイレント期間からは多くの直感と別れのあとからは神の夢やビジョンを多く見たものである。

そして、カインは自分の本心と向き合う必要性がある。

 

楽園のツインレイの段階で、セトとノーレアによる問題は『生まれて間もない未熟さ』にあるのかもしれない。

楽園のツインレイの段階では、自立が出来ていないことなどを含め、直感などを得ていく必要性がある。(おかげさまで世明けのツインレイのデータ基盤は私が持つセトとノーレアによる直感により生まれている)

まずは『セトの覚醒』であり、次には『ノーレアの覚醒』である。

このふたつの覚醒についてだが、当初ずっと書き続けてきた覚醒はセトの覚醒(男性性の覚醒)についてではないか——と考えている。

考えてみれば、なんでこんなに覚醒がテーマだったのかが謎すぎる。すごい量で覚醒について考え続けている。たぶん、覚醒の記事は探せばほかにもいっぱいでてくると思われる。

そりゃ私のなかでセトそのものが神さんにお使えるする羊飼い(人を導くお役目)なわけだから、覚醒は確実にセトのテーマである。

そして、もうひとつの覚醒はノーレアの覚醒(女性性の覚醒)である。

こちらの覚醒は、後からやってきた。お兄ちゃんであるセトが先であり、妹であるノーレアが覚醒するのである。

ツインレイの出会いの段階でセトは存在しているが、ノーレアが女性として生まれ始めるのは第二サイレント期間の始まる少し前なのである。

女性性によるツインレイの覚醒はこちらである。

あなたの声から、あなたの言葉から、あなたの文章から。
すべてにおいてを感じることで、私は「あなた」を感じていくことができる。
私は、あなたに溺れることでしょう。私は私の形を失うほどに、あなたに没することになる。
私は私にはなりません。私はあなたを感じているときばかりは、あなたになりたいと思うのです。

引用:散文|悲しみは愛に変わる日がやってくるだろう。

これが女性性の覚醒のタイミングである。

ルルワとは『本心』である。しかしノーレアの『本心』はここにある。カタチがないのである、どこにもない。それが無形であり、水であると言う。

ツインレイによる現実面と精神面の違い

ツインレイによるカップリングが『地上のツインレイというカインとルルワカップル』と、『楽園のツインレイというセトとのノーレアカップル』の2種類に分類された。

このとき、地上のツインレイは現実面を担当し、楽園のツインレイは精神面を担当しているとも定義づけられる。

少なからず、楽園のツインレイ側のほうがしっくりくる私自身に「お金を稼げよ」と言われても、ぶっちゃけ、そんなにそういうの得意じゃないんだよねとしか言いようがない。

残念ながら昨今の哲学者は金が儲かると思えない。

つまり、担当が別々なのだと思われる。しかし、このふたつが結びつくとき、そして、このふたつが私のなかで経験として結びつくときに、私は『現実的』になるような気がしている。

私は、長らくツインレイを定義し続けてきた存在である。しかしこれは机上の空論に過ぎず、すべてにおいて定義に過ぎない。もし、これが本当になるのであれば、それは『現実』と紐づかれたときである。

その現実を担当するツインレイたちと出会うとき、私はきっと『精神』という世界から『現実』という世界へ向かうんだろう。そして、真逆もあるんじゃないか——と思っている。

 

そして、地上のツインレイカップルのほうが先に成立し、楽園のツインレイカップルのほうが後に成立する理由も、セトとカインの世代による問題が関係しているように思う。