ツインレイの最後は輪廻を卒業していくこと|ツインレイの覚醒シリーズ⑧

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイの最後は『この世の輪廻を卒業していくこと』なのだと思います。

ツインレイの相手に出会うとは、この世の学習を終えたことになっている段階で出会う。

つまり、この世の学習を終えていく次には、この世の輪廻を卒業していくことに繋がっていきます。

この世の学習を終えていくとは、仏教でいうところの『煩悩を終わらせること』。

煩悩って何か——。それは「この世に未練がないこと」でもあるように思います。

死そのものを受け入れている状態でもありますので「やり残したことがない」状態です。

明日死んでも後悔はないのか? ということでもありますし、来世、この地球に生まれることがなくても後悔はないのか? ということ。

もし「まだ、やりたいことがたくさんある」と思うことがあるならば、それはまだまだ来世が存在しており、それはそれで悪いことではないと思います。

多くの人が輪廻からの卒業をしていくことを目標にしていますが、それは『充分、人間として多くの人生を楽しんできた結果』にあります。それが『経験』なんですね。

ゆえに、まだまだやりたいことがあるのであれば、それはまだ輪廻から卒業していく必要性はないし、まだ地球に残っていてもいいんです。

しかし、結構多くの経験をつんだよね。それに充分この地球を楽しんだ。このように思っている人たちもツインレイたちのなかには多く存在しています。

充分にこの地球を楽しんだならば、そろそろもうお腹いっぱいな状態なわけです。

この状態になったとき、私たちはツインレイと出会い、煩悩を捨て去り『地球とサヨナラ』をするようになります。

 

では、この『煩悩』って何なんだろう? ってこと。

煩悩とは「あれこれと自分のやりたいことが頭のなかに湧いて出てくること」でもあり、そのやりたいことに振り回されているような状態でもあります。

欲求、感情、記憶に振り回されているとき、私たちは「やりたいことがたくさんある」んですね。そのやりたいことをやっていくことが私たちの人生であり、人の生き方です。

煩悩そのものが人生の在り方であり、また、人生を充分に満喫した人たちは、煩悩もどんどん薄れていくということ。

この世に対しての気持ちがドンドンと消えうせ、後ろ髪を引かれることがありません。

神の世には何もない。そのように思ったとき「あれをやっておかなきゃ」とか「あれを食べておかなきゃ」「恋愛しておきたい」とか感じるとき、これが煩悩なんです。

明日何もなくなると考えたとき、やり残したことがあると感じる。来世には、この世に存在するものがなくなると考えたときにどのように感じるのかが煩悩なのだと思います。

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この煩悩に煩わしくされながら生きていくのが『人間』です。

 

この世は、神の世よりかは充分に自由です。神は役割を持って発生します。そもそも『役割』が神そのものでもある。

来世、名前をもらった神さんになる人は数が少ないかもしれません。ツインレイの方々の多くが名前をもらった神さんのひとつ下の私が話す作務衣さんとか、巫女さんたちのベクトルなのかな、と。神さんの下使えですね。(いわゆる天使っていう存在)

しかし、それでもやっぱり『役割』を持って生まれてくるため、地球のように「好きな仕事に就く」ようなことはありません。

好きな仕事に就くのではなく、自分の役割の方向性が決まった先に進みます。そもそも『やりたい仕事に就く』という概念もありません。存在そのものが『職業』なので。

地球では『自分の好きなことを探しに来ている』だけとも言えますね。魂が各々「どういう神さんの役割になりたいかなァ」という方向性を地球で探し、そのとき、人はとても自由なんです。

だからなんでもやってみたらいいんだと思います。なんでもやってみるためには、多くの人の話を聞き、心が動く方へ進めばいいんだろうなァと。

神よりも人は自由ですし、人よりも神は自由です。どちらも自由の意味が違うだけで、私たちはずいぶん『不自由に感じている』かもしれませんが、人は人で人特有の自由をもらって存在しています。

肉体があるがゆえの自由です。そして役割がないがゆえの自由です。なにをやっても人は人。

 

私は『使命とは』の定義で「どのように命(時間)を使うのか」が使命だと書いています。

ツインレイたちの多くが名のある神さんのような使命をもらいたがっているような気もしますが、人に神ほどの役割は与えられません。それを自由と呼びます。

もっと『人であることを楽しむ』ことをしてもいいのだと思います。しかし、役割があれば楽かもしれませんね、だって自分で生きるレールを考えなくてすむのですから。そういう意味では、人は役割がない苦痛を味わっているのかもしれません。

私自身は、今生にて『ニート』を楽しんでおりました。役割がないことを楽しんでいたのですが、多くの人はニートが苦痛のようです。

ニートが苦痛とは役割がないことに苦痛を感じるのかなと思いました。ほかにも色々な理由で「社会に参加できていない」という劣等感を感じたりなどもあるように思います。

神とは『役割を持って生まれる』ことになりますが、それは『地球での役割を失うこと』でもあります。

地球での役割を失うから、神としての役割が発生します。受け入れることができるようになってようやくプロニートかな、と。

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仏教を色々と勉強しておりましたが、ツインレイは菩薩なのかな? と思います。

菩薩は、人を手助けするために如来にならずにいるとも書かれていたような気がしますが、菩薩への道は『自利・利他を兼ね備えて行う悟りへの実践。』とありますので、自力で修行し悟ること、人の幸福を願い、人のために働きかけることにより悟る状態ですね。

ちなみにどうでもいいことなんですけど、私の椅子の座り方が弥勒菩薩とめちゃくちゃそっくりでウケました。瞑想していると言うか、ただボーッと考え事しているとき、あんな感じの格好のことがままあります。

自力で行うことに菩薩には意味があるので、菩薩状態の方々はほとんど『人に聞く』ようなこともなく、ツインレイを終わらせていくんだろうなと思います。自力でやっていかなければならない。

ですが、仏の段階で『菩薩の領域』にまでいく人たちも、同じように来世は神の世の可能性があり、それが神さんの下仕えになる『天使』の領域の人たちです。(あたいがみてきた人たちは天使っぽくないから天使という言葉には憚られる。)

 

で、あなたは、もうこの地球でやりたいことはありませんか。やりのことしたことはありませんか。

やりのことしたことがなくなった人から煩悩が抜けていきます。

やりのこしたことが多い人は、煩悩が多くあります。そしてこれからやりたいことが生まれてくる人にも煩悩があります。

この世に未練を残すことがないような人生を送るのではありません。この世に未練がないほどに人生を堪能した人から煩悩を捨てていくことが出来ます。

煩悩が悪いってわけじゃない、煩悩があることは確かに未熟ではあるんですが、それは「人としてやりたいことがある」ということ。神はそれを楽しんでおいでと地球に送り出してくれている。

人が持ち得ている愛とは『神から受け取る心』です。神に愛されていることを受け取り、人は人としての人生を全うすることの方が大事なんだと思います。

ですが、人としての人生をやり切った、輪廻はもうしないでもいいと思えるほどの充実を覚えている魂は煩悩から抜け出していくことになります。

 

これは『試練』等のことではありませんし『使命』でもありません。

ただ、そのようにこの世が成立しているということ。

人としての人生を楽しみきった人から、この地球を解脱していく。大事なのは『楽をすること』ではなく『楽しむこと』です。