自他統合と自他分離|ツインレイの覚醒シリーズ⑥

2023-12-07

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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過去に囚われてはならないと、そのように感じる。過去に悟りを迎えたことも囚われてはならないことのひとつのように思います。

ですが、この経験を『書き残しておくこと』に意味があるのだと思います。過去の先人が書き残してくれたように。

 

ツインレイの彼との出会いは、衝撃的なものだったというのであれば。

彼と私がすれ違った瞬間に『雷のような衝撃』を受けることにより、ツインレイの悟りを迎えていくことになるようです。

ツインレイの覚醒とは『自他統合』にあるため、相手は自分である、自分は相手である——という関係性ゆえに、ふたりがふたりですれ違うことにより、ツインレイは悟りを迎えていく。

ツインレイの彼くんと話していると、雷に打たれたかの大ショックを受けたことが何度かありました。反発するかのような物凄い衝撃を受けて、それが繰り返され、何度も繰り返されていくうちに、最初は『雷』、次は『フライパン』。次は『あんぱん』みたいな感じで衝撃が落ち着いていく。
『大ショックを受けた』感じで、フリーズしていました。ときに心身を貫いた感覚はありませんが、その後、息絶え絶え状態のような感覚が続いたりします。
ほぼ、衝撃でうつ状態って感じしょうか。ものすごいショックなので脳が停止しているような感じ。

引用:第一サイレント期間の覚醒*禅の悟りの境地|ツインレイの覚醒シリーズ①

この雷に打たれたような感覚は『相手と自分を同一化させるための衝撃』なのだと思います。

ゆえに、ここからツインレイのふたりは、相手は自分、自分は相手——。そして、世界中のすべてと繋がっているような感覚を覚えるようになっていく。

これが『ツインレイの出会いと共に起きる覚醒』にあります。

 

しかし、次に私たちは『覚醒したことを知らない』ことがあげられる。

それがサイレント期間を生み出していくことの問題となっています。つまり、雷による刺激で覚醒したことは確かなんだが、覚醒したことを理解しておらず、そもそも覚醒とは何かについてもよくわかっていないような状態でツインレイの話が進んでいく。

覚醒とは何か——というと「相手は自分、自分は相手」という同一化の現象にあります。

同一化を感じることにより世界との一体感を覚えることになる。霊気の臼井先生は『すべてにおいて同一である』ってことから、遠隔でも霊気はできるってことを編み出すことが出来たわけなんですよね。

私たちは、言葉にして同一化を理解します。

私も何度も「彼くんは私」と言っていました。「あれは私なんだよ。」と。私の男の子バージョンみたいな感じでしょうか。そして、世界中の人たちと繋がっている感覚をも覚えます。このときの感覚は異質です。

全てと糸で繋がっている感覚がしました。だから「みんな知っている人」って感じの感覚ですね。一体感とまではいきませんが、みんな繋がっていることをこのとき知りました。

そして、私はエネルギーを持ち、そのエネルギーを他者へ与えることも出来ました。これが霊気の基本だったのかもしれませんが、それをやりすぎるとエネルギー枯渇となるのでよろしくありません。やり方を間違えているのだと思います。

 

しかし、私たちには『欲』がある。同一化時に生じる欲とは「彼くんはなとちゃのなのに(´・ω・`)・・・」という独占欲。これがたまにポツポツと自分の心のなかに生じます。

これが同一化の問題でもあるんです。

私たちはツインレイの相手と『自他統合』しているがゆえに、相手は自分だと思います。相手は自分なので自分のことのようにコントロールしたくなる。しかし、ツインレイの相手は『別の存在』であることも事実です。

別の存在であるがゆえに、私たちはサイレント期間へと進むのです。

図の説明:自他統合と自他分離の学習期間
図の説明:自他統合と自他分離の学習期間

 

ツインレイたちは、出会いからサイレント期間までの間に『自他統合』を果たし、次にサンレント期間から再会(出会い)までの期間に『自他分離』を果たしていくのです。

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自他統合とは

自他統合とは『事実』『空』にある

自他統合とは『ツインレイの相手と一つである感覚』を知ることにあり、自分と他者には境目がないことを知ることにあります。

きっかけは、ツインレイの相手とのすれ違い時に大きな衝撃の雷で撃たれたような感覚から始まります。

  • 自分と他者の境目がなくなる
  • 自分と他者が糸で繋がっているような感覚
  • 動物の気持ちが分かる
  • 他者の状態や感覚がわかる

このように、相手は自分であり、自分は相手となっていきます。このとき『自分』という意識は『他者』という意識と同一化しているような状態となります。

また、他者と常に繋がっているような感覚も数か月に渡り感覚を持つようになります。

ツインレイの相手とはもっと深く『パイプのようなもの』で胸と胸が繋がっているような感覚がありますが、その感覚をふたりで伝え合うことができます。

そして、その胸のパイプのようなものは『他者を信じる』『自分の殻に閉じこもらない』というような感覚が必要であり、信じられない、殻に閉じこもるようなことがあると断絶された感覚となり、絶望を感じます。

このようなパイプがツインレイの相手は最大に太く、遠い人たちにとっては細いというような感覚はありますが、すべての人と繋がっているような感覚です。

 

動物に対しての感覚ですが、よくクマが人里に下りてきてしまい、クマが射殺された等の報道に胸を痛めていました。

クマも人を傷つけたり殺したりすることで射殺されることになる必要性も、理解しているつもりです。ですが、クマが人里に下りてきては人に追いかけられてパニックを起こして人を傷つけてしまう様子を見ては、とても辛かった記憶があります。

クマがとても怖がっている。そのように見えていたのです。怖がっているから人を攻撃している、と。怖がらせずに山に返してはあげられないのか、とも思っていました。

これは、ひとつの事例ではありますが、このときから動物の距離がとても近くなりました。

自分が思っていることは相手が思っていること


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このときから、自分が思っていることは相手が思っていることと同じことである——。このようなときが増えていきます。

「自分が相手に対してこのように思っている」と思っている内容があると、そっくりそのまま相手も「なとりに対してこのように思っている」という内容が一致していくのです。

この『相手』と『自分』の感覚が一致しているがゆえに、問題が起こりつづけます。

相手が悪いと思う内容も、相手は私が悪いと思っているのです。

「この人は女性を見下しているんだなァ」と思ったら、その人は私に「おまえは男を見下している」と思っていました。

どちらも自覚はありませんが、その人は『人を見下すことが悪いこと』でしたので、私を切り捨てるようにして縁を切りました。

私は『人を見下すことが悪いこと』とは思っていませんでした。自分よりも技量が低いものを『低い』として判断することが何故悪いことなのかがわかりません。ですが、問題は当人の『劣等感』にあるんだと思います。

見下したら見下した分だけ、その人に教えてあげればいいだけのこと。人に優劣が存在するのは当たり前のことです。出来ることがあるならば教えればよく、出来ないことがあるならば教えてもらえればいい。ただ、それだけのことですが、そこに『優位が善』『自分は見上げられる存在である』という慢心が存在すれば、人は見下されることに腹を立てるもの。

劣等感がある人は『人を見下げる』ところがあります。ゆえに、見下されたと思うと腹が立つのです。

いわば、人を見下げるときに『悪意』がある人なのだと思います。私の場合、人を見下すときは『許す』『寛容であること』『与えること』が当たり前でした。

ここで『考え方』の相違が生まれます。

私にとって人を見下すことは悪いことではありませんでしたが、その人にとっては優劣意識が存在しているがゆえに、私という存在が『問題である』と感じたのだと思います。

 

こんな風にして『人と自分が同じように思う』ことに対しても色々な反応が違います。

その反応の違いが『人柄』でもあるんだとは思いますが、私がそこから徐々に『他者と自分は同一である』という感覚について学び続けることになるのです。

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自他同一化とツインレイのサイレント突入

自他同一化による問題とは、他者と自分が同じであるがゆえに問題が生じます。

ツインレイの相手を『自分』だと思うがゆえに愛します。いかなることをも含めて愛しぬいていきます。これが『自他同一化』へと進む道でもあるんです。

ツインレイは出会いの段階で雷のような刺激により、相手は自分である感覚を持ち、相手を愛します。そして愛しぬくことが『別れ』であったとしても、それが彼の為にならないのであれば、それは決断をしていかなければならないと。そのような感覚をも持っています。

ツインレイのサイレント期間は「相手の為にならないのであるならば、自分はいっしょにいてはいけない」と思うことにより生じることでもあります。

 

極めて主観的な話でもありますが、ツインレイの関係性は『同一化』にあります。

ツインレイの相手が思っていることは自分が思っていること。自分が思っていることはツインレイの相手が思っていること。

サイレント期間に突入した私の意見は「彼にエネルギーを吸われている感覚がする」ことや「話し合いがちゃんとできていない」ことなど、色々とありました。

最後の最後に、とてつもなく悲しい感覚もありましたし、そして同時に「とてつもなく愛している」という感覚もあります。

そして「このままじゃいけない、いっしょにいてはいけない。」とも思いました。

すべて、ツインレイの彼も同じように感じていたことなのだと思います。

ふたりがふたりで『同じように感じていた』のです。そして、サイレント期間は『ふたりで決めたこと』でもありました。

 

私は彼でした。そして彼は私でした。

自他分離とは

自他分離とは『記憶』『感情』『欲求』である。

自他統合意識では『相手が思っていることは自分が思っていること』というような精神の意識は、いつも統合的である、いつもひとつである——というような不二の感覚です。ふたつはひとつであるということですね。

しかし、私たちは『ふたつ』ではありませんか?

ツインレイの相手と自分。別々の存在です。この別々の存在を『別の存在である』と認識する必要性があります。

 

サイレント期間に『いろんな人がツインレイの相手に見える』というような話をする方が、実際多くいますが、これが『自他統合的意識』でもあります。

すべてにおいてが『彼』として統合してしまうんですね。

 

さて、このような状態から、自他分離へといざなわるのは、サイレント期間が始まってから約1年半あたりのときでした。

夢のなかで頭のなかへバリバリバリと電撃を流されるような感覚がありました。行っていたのは女性です。

その後、私は『自他統合意識』から抜け出していくことになります。

 

ツインレイの相手ではない相手を『ツインレイの相手』のように感じ、自分ではない存在を『自分』のように感じています。しかし、それは『ツインレイ』でもないし『自分』でもありません。

とてつもなく当たり前ではありませんか?

ものすごく当たり前のことなのに、なぜかツインレイではない存在をツインレイだと誤解し、自分ではない存在を自分だと誤解しているような状態が一年ほど続いていたのです。

そして、それが『異常なる状態である』と気づくのは、自他分離の感覚を覚えてからです。

ツインレイの彼ではない存在を、ツインレイの彼だと誤認していたことに気づき「彼くんだったらこんな風にはならないのに。」と比較をしました。

私は、ツインレイの彼のように思い、人といっしょに過ごしていたらしいのです。

ですが、それは彼ではない事実を受け入れたとき、私は『同一化していた存在』を捨てていくことになります。これが闇の刺客たちと離れていく理由です。

 

そして、闇の刺客たちには、同じではないからこそ「自分はこう思っている」と伝える必要性がありました。

また、相手の失敗は相手の失敗。私の失敗は私の失敗。それぞれ違うものなのである、ということ。

それは『事実』についてです。

心は同じかもしれません。しかし、その心に対して『どのように行動したのか』『どのような現象を起こしたのか』の事実は、みなそれぞれ違うのです。

私たちは『自分の心』が同じであれど、その心に対してどのような反応を示すのかは「また別もの」であり、その反応それそのものが『自分』なのです。

人は『欲求』⇒『感情』⇒『記憶』⇒『事実』となっています。

引用:鬼の抑制と虫持ち|ツインレイの覚醒シリーズ④

人はこのようにして『事実』を捻じ曲げていきます。

傍ら人には『空』という心が『事実』の裏側に存在しているのだと思いました。

空が無なのであれば、事実は有である表裏一体性が存在し、私たちは『心は存在しない』が『事実は存在する』という世界に存在しています。

つまり、この空とは『欲求』『感情』『記憶』の三つにより構成されているということ。

欲求がない、感情がない、記憶がない存在には、心が存在しません。事実だけが存在します。

欲求・感情・記憶により、私たちは行動しており、この三つが『私たち』の心でもあるのです。

そして、私たちは欲求も、感情も、記憶も。すべてが違います。これが『自他分離』です。

 

私たちは欲求・感情・記憶をすべて消すことにより、事実へ到達し『今に生きる』ことが出来るようになりますが、これが『自他統合』感覚であり、自他統合感覚のなかで『事実だけを受け取る』ことが出来るようになります。

事実だけを受け取ることが出来れば、裏側に存在する『空』を理解します。

空が理解できれば『欲求』『感情』『記憶』の三つが、私たちの個性を生み出していることに気づきます。

欲求は人それぞれ違います、感情も人それぞれ違います、記憶もそれぞれ違います。事実という現象そのものに対して、個体が別であれば、記憶の保存の仕方、感情の覚え方、欲求の感じ方が違います。

現象はひとつであれど、記憶・感情・欲求は、みな違った捉え方をしているのです。そしてそれが『人を知る』ということでもあり、自他分離感覚なのです。

 

自分を知りたければ『自分の欲求を知る』『自分の感情を知る』『自分の記憶を知る』ことに意味があります。

この三つが『他者により与えられたもの』でない限り、私たちは常に自分軸を生きることが出来ます。

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ツインレイの覚醒を終わらせると『空の思想』へ

ツインレイの覚醒を終わらせると

ツインレイの覚醒が出会いの段階から『自他統合』から『空(事実)』『自他分離』へと進むとき、ツインレイの覚醒が完了します。

この段階では『自分と他人は同じ存在である』こと『自分と他人は別の存在である』ことを理解します。

事実と心は同じです。
しかし、欲求・感情・記憶は人それぞれ違います。

この欲求・感情・記憶のなかで『記憶』が奥深くに存在しており、悪さをしているからこそ、感情や欲求が「ブレる」ことがあるんですね。

事実とは欲求や感情、記憶により構成されているように思うかもしれませんが、そこには『何もありません』。

実は、事実などないんです。

私たちが多くの記憶を持っているからこそ、そこに『事実』が発生します。その事実をいかなるものにするのかは、そこにいるすべての人の『記憶頼り』でもあるんです。

 

いわば、自他統合も自他分離も含め『空っぽ』なんです。

私たちは、空の思想へ到達してくのです。

ツインレイは1つであり2つ

私はツインレイの第二サイレント期間の始まりで『1個なれるよ』と言っていました。

そして、第二サイレント期間の中腹で『(o^―^o)ニコできるよ』と言っていました。

(o^―^o)ニコと笑えるよと言う意味だと思っていたのですが、どうやら『二個にできるよ』という意味だったように思います。

第二サイレントの始まりのとき、自他統合が成立したため『ひとつになる』ことができるようになる。

第二サイレントの最中に自他分離が成立した後からは『ふたつになる』ことができるようになる。

ふたつになり、自他分離を受け入れることが出来ている状態でようやく『ニコッと笑える』のだと思います。相手と自分の違いを受け入れることができるようになるためです。