ハイヤーセルフとロウアーセルフの2種類の自己と自我|覚醒シリーズ⑩

2023-12-26

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちは覚醒の段階で『反対側』を理解していくことになる。その段階は最終的には『無意識領域』にも達し、無たるものを自覚するようにもなる。

この経緯で、私たちは無意識たる自己と意識たる自我の2種類が存在していることに気づく。

 

前記事にて、高次の自己(ハイヤーセルフ)と低次の自己(ロウアーセルフ)以外にも、高次の自己と低次の自己の2種類が存在している——という記述をしている。

私たちは『高次の自我』を1種類と思っているかもしれないが、2種類存在しているとして捉えるべきなのかもしれない。
高次の自我と高次の自己である。無意識領域に存在する自己そのものがハイヤーセルフであり、高慢な自我そのものは意識の領域を脱しない。引用:意識の自分と無意識の自分の一体化に至る個性化|覚醒シリーズ⑨

この経緯でもう少し複雑的に理解していく必要性があるのではないか——と感じられた。

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高次の自我と低次の自我

このとき、私たちは『高低』を意識している。

高いほうが優位であり、低い方が劣位にある——と。しかし私たちの中には優劣の両極端に存在する高次の自我と低次の自我の2種類がしっかりと存在している為、私たちは優劣意識から逃れることはない。

この優劣意識の問題として『優位に立つ自分が凄く、支配する』という意識が存在し、『劣位に存在する自分はダメで、支配される』という両極端性の意識が存在している。

このふたつは環境によってどの側面性がでてくるのかによって変わってくる。支配できる存在を支配し、優位なる存在であるときに優位であるが、優位に立てないとき、劣位なる存在となるが自分よりも優位ある存在を虎視眈々と今か今かと潰そうとしている意識である。

この意識が優劣意識により生じている意識だが、この前提においてきっと「ハイヤーセルフ」と「ロウアーセルフ」という言葉からすると、「高次の自己」と「低次の自己」というのがハイヤーセルフとロウアーセルフの意味を持っていることだろう。

高次の自己と低次の自己


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高次の自己と低次の自己は『無意識』のなかに存在し、また意識そのものも内包している存在でもある。

いわば、高次の自己と低次の自己とは『意識である高低の意識を内包している』ということだ。

つまり、劣等感や優越感が『なくなる』わけではない。ここが多くの人の勘違いに繋がっている。

私たちはすべてを許されている。いかなる感情をも許され、いかなる思いをも許されている。しかし、それで『人を殴っていいの?』っていうと、違うんだ。

私たちはこの世界で共存していくために、人を重要視した人生を送らなければならない。ゆえに、他人を殴った分だけ、次の来世では殴らることになる——という法則性がある。(徳がそこそこあれば、今生で回ることになるが。)

この法則性に乗っ取り続けることで私たちの魂は、この世でうまくやっていくためには共存する必要性があるということを学んでいくことになる。

この学んでいる段階では『人をけなす』とか『人を殴ってもいい』とか『人を傷つけてもいい』とか。「人を支配してもいい」という意識が働く。極めてこれが『自我』によるエゴイズムによる働きであるとき、私たちは宇宙から叱られるってことだ。

だけど、高次の自己と低次の自己という存在(ハイヤーセルフとロウアーセルフ)は、それぞれ『宇宙のルールを勉強して理解したから、もう大丈夫』という試験段階を抜けた人たちが到達する意識にある。

図の説明:工事の自己と低次の自己
図の説明:工事の自己と低次の自己

到達した意識は無意識領域に存在している。それまでは意識による『劣等感』と『優劣感』を行き来するようにしながら勉強していく必要性がある。

自分本位であればあるだけ『孤立化』し、他者を支配し続ければし続けるだけ『孤立化』する。だけど、世界は共存してみろといっている。それに乗っ取ることができるまで勉強していく必要性がある。

そのために私たちは、自分本位である低次の自我を抑圧させ、他者を抑圧する高次の自我を抑圧させる必要性がある。

これは『自分の為だったら何をしてもいい』という意識と『人を支配してもいい』という意識にある。この意識を抑圧しきることにより、私たちは『自我の崩壊』を迎えることにもなる。

いわば、アイデンティティが拡散するので、女性は特にニート化する。(意思を持ってニートしている人とか、ニートのなかでも何かしらガツガツやってたり勉強しまくってたり、将来への不安もあるけどそれよりも今やることをやらねばと思ってやっている人は特に、アイデンティティを拡散させながら自己を導こうとしているさなかにあるのだと思われる。)

自我を抑圧しきることにより、自己が導かれるのである。私たちのハイヤーセルフとロウアーセルフの本髄である。

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ハイヤーセルフとロウアーセルフの本髄

私たちは『自然』と『自由』を導くことになる。

図の説明:自然と自由
図の説明:自然と自由

ハイヤーセルフは私たちに『ナチュラルな自然体』を教えてくれ、『自由に生きる楽しさ』をもたらしてくれる。

しかし、このとき『自我』も内包されている。

従来の私たちは、自我に振り舞われ、他人と自己の葛藤に見舞われることになるが、ハイヤーセルフとロウアーセルフの状態では『他人と自分の葛藤』に見舞われることはない。この段階では『共存』を理解しているためだ。

ここには、他人が我慢することも、自分が我慢をすることもない。そもそもそこには『我』がないため、私たちは誰かが我慢する必要性も自分が我慢しなければならない必要性もない。

人を支配し、自分の思い通りにする必要性もない。他人はいつも『自分の思い通り』にあるわけでもない。他者の自由を尊重しているとき、自分の自由を尊重しているためにある。

すべてにおいて『自分の思い通り』になるわけではないが、そこに不満が生まれない精神構造が成立しているから「自分の思い通りの部分」にしか着眼されなくなると言うことだ。