ツインレイによる二つ魂について(ひとつの身体の中にある複数の魂と一霊四魂)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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先日、はーちゃん(私のカイン)とはーちゃんのご主人が夢に出てきて「頭のなかに繋いでみるね。三人いる、お引越ししたら?」と言われた。(三人で寿司を食ってた。)

起きて思った、ひとつの肉体のなかに複数の魂が存在することは可能なのか——。

調べてみたら、実はこれがツインレイの起源なのだと知る。

私たちの魂は、ひとつの肉体のなかで『ひとつだったとき、ふたつに分離すること』ができる。この分離により私たちは『ひとつの肉体の中からふたつの魂を保有すること』ができる。

私たちは前世で一度「二極化」に至っていると言うこと。この二極化により私たちはふたつの魂に分離して生まれてきたのである。(とはいえども、私は父神のなかから生まれてきたので、ちょっと違うのかも・・・? とは思う。)

ほとんどのツインレイが前世で一度、二極化を迎えたあとのツインレイであるために、魂が極端になってしまっている可能性があることを踏まえ、今回はツインレイによる一霊四魂を書いていこうと思う。

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おさらいの一霊四魂とは

一霊四魂とは、ひとつの霊と四つの魂により私たちは構成されているという話だ。

この一霊とは、自分を省みることができる直霊、曲がった方向へ進ませる曲霊の2種類が存在する。これが私たちの人生の先導役であり、たいていは「神さんからもらった精神」がこの役割を担っている。大人になるとは「神さんから貰った精神」ではなく「自分で構築した精神」により、この四つの魂をコントロールしていくことになる。

四魂とは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂のことである。

 

一霊四魂の一覧表
よみがな役割
荒魂あらみたま達成力
和魂にぎみたま調和力
幸魂さちみたま人を愛し育てる力
奇魂くしみたま悟る力

引用:一霊四魂の解説(和魂・荒魂・幸魂・奇魂)

この一霊四魂の四つの魂のうち、和魂をふたつに分離させると幸魂と奇魂が生じるようになっている。

図の説明:一霊四魂による魂の構造

簡単に説明すれば、ひとつの魂を二極化させると『荒魂』と『和魂』が成立する。

その後、和魂による気質を二極化させると『幸魂』と『奇魂』が成立すると言うことだ。

一霊四魂とカインとアベルのお話


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私たちの人類の祖についてをカインとアベルについてのお話では語ってくれている。神道とはまるで関係のないアダムとイブによる息子たちの話である。

アベルとルルワは婚約者であった。しかしカインはルルワが好きでアベルに嫉妬し、アベルからルルワを奪うことになったのが人類初の殺人と呼ばれている。

引用:楽園のツインレイによるセトとノーレアの結婚

この関係を一霊四魂に当てはめてみたところ、かなりしっくりくるのである。

図の説明:一霊四魂にアダムとイブの子を適合させると

アベルとは、人類初の殺人者である。それを荒魂とする。よく働けば達成力、悪く働けば厄災。

カインとは、人類初の被害者である。それを和魂とする。よく働けば平和、悪く働けば停滞。

セトとは、カインの生まれ変わりである。それを幸魂とする。よく働けば人を愛する、悪く働けば過剰な愛情。

ノーレアとは、セトの結婚相手である。それを奇魂とする。よく働けば叡智や追求であり、悪く働けば批判。

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一霊四魂とカインとアベルと地上のツインレイ

地上のツインレイとは『カインとアベルとルルワ』の関係性であり、まるごと被害と加害による相関性を意味している。

カインとアベルによる問題は、欲しいものを得るためにならば奪うカインと、欲しくもないものを頑なに手放すことができないアベルにより構成されている。

これが被害と加害による問題にあり、根源には『自分の本心(環境)に従えないアベル』と『自分が欲しいのであれば殺人さえもするカイン』という気質にある。

被害と加害による問題は「カイン」と「アベル」というカタチで私たちのなかに二極化を生み出していく。

地上のツインレイの段階では、私たちのなかに二極化を生み出し、新しい魂を産みだしていく——という段階なのである。

図の説明:カインとアベル、ルルワの相関性

カイン側の存在であるカインコンプレックスにより兄弟間によるいじめが生じたとき、和魂は『ルルワ』となる。ゆえに、カインとルルワの構成によるツインレイは、この段階で二極化を精神構造に生み出し、カップリングが生じることになる。

 

このときのふたつの魂による分離は『怒りという荒魂』と『平和主義の和魂』による分離ゆえに、ツインレイのサイレント期間の始まりでは『怒り爆発による分離』が起こる。

もともと平和主義者だった人がその人にはなぜか怒りを爆発させてしまうのである。このとき、和魂による比重が強くなりすぎたために、荒魂という存在が生み出されてしまうのだ。

まず荒魂の発生の段階では、荒魂のコントロールができないために『怒り』として表現されやすいが、直霊(松果体?)により、怒りではなく『達成力』のようなものを生み出していくことになる。

そして、和魂による「調和とは我慢して怒りを正当化させないこと」を理解していく。調和とは怒りの支配を受けることにより、真実なる調和性を理解するようになる。

これにより『和魂』と『荒魂』が精神構造で成立するようになる。

このふたつの魂による均衡がうまくとれるまでの期間、地上のツインレイのふたりはひきあっては対立するようなことが続く。

この段階のによるツインレイは「やる気満々」なわけだ。

カイン側とアベル側により結論は違い、カイン側は「お金を稼ぐこと」に着眼する。アベル側は「お金ではないこと」を理解する。

 

現実的自立を求められるのは『カイン』であり、精神的自立へ向かうのが『アベル』なのである。

地上のツインレイによる分離・・・・・・荒魂と和魂
出会いからサイレントまで・・・・・・怒りの支配と、無言の従属
サイレントから再会まで・・・・・・達成力と、調和性の獲得

カイン側・・・・・・ツインレイと再会し結ばれる
アベル側・・・・・・ツインレイと再会し決別する

覚醒とは『達成する力』と『調和する力』

ひとりの肉体のなかにひとつの魂が出来上がる

この段階で、地上のツインレイではひとりの肉体のなかにふたつの魂が生じることになる。

ゆえに、当事者は人生の切り替え的な感覚を覚えるようになる。今まで『魂』としての人生が『荒魂』または『和魂』のどちらかに切り替わるため、人生が変わってしまうのである。

ツインレイの多くが人生がツインレイと出会い変わる理由はここにある。そして、ツインレイこそが自分のなかに存在している魂がふたつになるトリガーとしての出会いとなるため、強烈な印象を受けるのである。

荒魂の魂は、人生のなかでの達成感を求め、仕事をバリバリ頑張る気質がでてくるところもあるし、和魂は平和主義ともなるため、人との関係性を重要視するようになる。

このふたつの魂が肉体のなかに同居することになるため、当人の精神的なキャパシティーも二倍あり、活動能力も二倍となる。

ツインレイ女性は荒魂となり、ツインレイ男性は和魂となっている状態にあるため、ツインレイ女性は『動機』となり、ツインレイ男性は『行動』ともなる。

荒魂による行動は破滅的になるが、和魂による行動は平和的である。お互いの役割分担を担っている状態にある。

 

ただ、アベル側の存在は特に活動するというよりも再び分離する段階へ進むため、精神的活動を強く行う(倫理的実存)ようになる。これが宗教的実存へと繋がっていく。

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地上から楽園への移行時のアベル

しかし、アベル側の存在である兄弟間による迫害を受けた場合、和魂は『アベル』となる。アベルとカインによる関係性が精神構造に生まれる為、アベルは自分が死ぬことを受け入れていくことを必要とする。

アベルは「相手に自分が持っているものを与えること」を実行し、カインに奪われていくことを良しとすることになるため、しばらくはずっと被害側の存在でありながらも「被害者ではない存在」へと自己認識を高めていくことになる。

いわば、アベルは『他者愛主義者』にならなければならず、アベル自身の人生は人の人生としては自分が欲しいと思うものは全部手に入れることができない状態となる。それはカインとアベルによる構造が精神構造内に存在しているためにある。

最後の最後には「すべて」を奪われたとき、アベルが成立する。(地上のツインレイから楽園のツインレイへの移行期間は、常に人の為にあり、自分のために生きることが出来ずに、人のものを羨ましいと思うことも出来ない。軽く神がかっていくため、神さんの夢をよく見るようにもなる。)

 

簡単に説明すると、アベルとしての人生(神に仕える存在)を送ると、まともな人間は自分のなかで精神が分離してしまうよって話。

道徳を生きるとはそういうこと。その抑圧させた側の自分をなんとかしてくれようとしているのが『楽園のツインレイ』としてやってくるんだが、それは自分が抑圧した自分。皮肉な話だとは思う。

アベルによる楽園のツインレイによるセトとノーレア

アベルとして成立した存在は『アベルを分離させる』ようになる。

アベルはめちゃくちゃ優しい存在へとなっているため、優しさの裏側には憎しみをも生み出していく。

この状態をセトとノーレアの関係性とする。

図の説明:アベルにより分離するセトとノーレア

楽園のツインレイの関係性は『幸魂』と『奇魂』による関係性である。

ふたりともがアベルの意識を持っている存在ともいえ、どちらともが「この世は最悪だな」というグノーシス主義へとなっている。ゆえに、救済を求め続けている段階とも言え、人は罪人である——と理解していると思われる。

楽園のツインレイによる出会いは『被害者であることを受け入れ、加害者にならないこと』を重要視されている。ゆえに、人に加害することを好まないとも言える段階である。

楽園のツインレイは『人を愛する力』と『悟る力』による分離が生じるが、サイレント期間に突入する段階では、人を過剰に愛しすぎる状態(受け入れすぎている)になること、知識に傾倒し批判的になってしまう意識が生じることになる。

片方は「愛する」ことはできるが「批判」を抱えている。

片方は「悟っている」ことはできるが「愛せない」を抱えている。

サイレント期間では、批判となっている奇魂を悟りへと変換し、愛せない状態になっている幸魂を愛する状態へと切り替えていくことになる。

 

楽園のツインレイによる分離・・・・・・幸魂と奇魂
出会いからサイレントまで・・・・・・愛しすぎるのと、批判心
サイレントから再会まで・・・・・・愛の成立と、悟りの成立

覚醒とは『愛』と『悟り』

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三つの魂がひとつの肉体に同居すること

このとき、私たちの魂には三つの魂が同居する。

図の説明:三つの魂が同居すること

荒魂のカインと、幸魂のセト。そして奇魂のノーレアが一つの魂のなかには存在している。なんとなく、人の肉体に入ることができる魂は四つまでではないか——と直感しているので、和魂も手に入れようとすれば手に入ると思われるが、今の段階ではまだよくわからない。

または荒魂が存在せず、調和の和魂が存在している可能性もある。(あたい、あんまり活動的ではないからね。)

この段階においては『何かを達成する動機』が存在し、『人を愛する力』と『直感とか悟りとか、追求する気持ち』が存在している。

ノーレアとセトが結ばれるとき、セトはノーレアを愛し、ノーレアはセトを理解しようと努める。

カインとルルワが結ばれるとき、カインによる動機とルルワの調和による行動により繋がっていく。ので、ノーレアとセトのカップルとはまた違ったツインレイなのだと思われる。

この三つによる魂のうち、セトとノーレアによる統合が『和魂』を生み出すことになるから、これが統合なのだと思われる。

カインとルルワによる統合が『魂』を生み出すことになるから、これが統合だと思われる。

これが統合により魂を産み落とすことにもつながっているのかなとは思っていて、カインとルルワは「一つの魂」を生み出すのと違い、セトとノーレアは「和魂」という調和と平和による魂を産みだすのである。

魂の量として、ひとつの魂が和魂によるエネルギーの影響を受けると、平和による思想が成立していく。未来に必要な魂をこうやって増やしていくのかなとは思っている。

 

三つの魂があるとどうなるのか——だが。

この世明けのツインレイの内容はほとんど『奇魂』により書かれている状態にあるが、力量的に三人分ぐらいの論理性が得られるって感じ。魂のなかで独立した意識を持った魂が私の中にいるってこと。

悟りとは、調和しようとすれば差別愛が邪魔して悟りきれない。そして怒りなどの感情なども邪魔して悟りを遮るようになる。

魂を分離させていくとは、私たち自身のなかにある気質を独立的にさせて生き乍ら本領を発揮させる能力がある。

愛もまた悟りや調和や怒りが邪魔すると、愛が体現できない。

ツインレイがなぜサイレント期間にはいるのかといえば、それぞれがそれぞれの役割をひとりでこなすことができるようになるための手段でもある。そして、最終的にはお互いがお互いを支え合うことができるように、魂を独立的にしていく必要性がある。

ちなみに、私は世明けのツインレイのなかに書きあげてしまった情報は翌日には全部忘れている。これもまた魂が独立している証拠なのかもしれない。

三つの魂による共存のこと

それぞれの魂がそれぞれの魂を自覚していない状態が長く続く状態になると「人格がひっくり返ったりする人」になったりする。

荒魂と和魂による分離では、荒魂による記憶喪失が起きて「なにに激怒したんか、そもそも激怒していたことすら忘れる」だなんて事案も生じる。

幸魂と奇魂による関係性も、幸魂による記憶喪失が起きれば「愛した経験は忘れる」のである。私の場合、彼との約束の内容を『幸魂』により行っている為、幸魂による記憶は抜け落ちてしまったりしている部分があったりした。

忘れたことすら忘れているから、これは世話がないような気がする。

この魂による記憶を思い出すことにより、ほかの魂による記憶がちゃんと結びつくようにもなる。

ほかの魂による記憶が結びつかないでいると、他の人とサイレント期間中に恋愛をしたりもする。理由は忘れちゃうから。

記憶って他の魂とのつながりを意味している。ほかの魂が『別々の存在』となっている限り、魂による記憶はバラバラになってしまう。魂による記憶がバラバラになると、人生もバラバラになってしまうのと一途さとかもなくなってしまう。

この辺を『ひとつに繋げること』には確実に意味がある。それが『記憶』である。

記憶がそれぞれの魂により偏ると、私たちの人生も偏ってしまう。記憶とは人生なのである。

 

ツインレイの期間で「ツインレイの相手の記憶がおかしい」ってことは頻繁に起きるのではないかと思っている。

もしかしたら、魂による交代が起きていて、過去による約束なんかも全部、分離しているほかの魂がしたことなのかもしれない。

大事なのは、ツインレイの相手のなかの魂が別の魂になってしまって、とにかく別人になったとしても、その存在を愛することができるのか——ってことなのかもしれない。

これは『ツインレイの相手がいかなる存在であっても愛する』ことでもあり『ツインレイの相手という存在を愛する』でもあるし、『相手の人生を全て肯定すること』でもある。

途中で魂の交代が起きてしまったら、人生がまるで変わり、まるで人が変わったようになってしまうってことなんだ。そんな『存在』を愛することは、ある種、博愛的なものなのかもしれない。

 

私のツインレイの彼は私のなかに「何人かいる」ことに気づいていた。だけど私は気づいているようで気づいていなかった。

それを踏まえて「どれも、なとちゃだよ、全部受け入れるよ」と言っていたから、彼の博愛っぷりはすごいものだったんだろうなァとは思う。それが『セトによる愛』なのかもしれない。

私はノーレア側の奇から攻め、理解するようにしているからこそ『理解する』に到達していき、納得をし、受け入れていく。そのとき、幸魂であるツインレイへと繋がっていく。

どっちにしたって『調和しようとしている』のである。

 

それにしたって、たしかにサイレント期間にはいるとき「彼くんがいなくなった」とは感じて泣きはしたが、まさかの本当に「魂の主導権が入れ替わっていた」とは思わなんだ。

最終的には記憶による連続性が生まれ、お互いの存在を自覚するとき記憶がよみがえることになる。

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セトのテーマの2種類

これは私のツインレイの彼が持つテーマであって、私からはよく視えていない。

私はセトによる『兄弟によるカインコンプレックス』による被害者と加害者というテーマにあったが、ツインレイの彼のセトのテーマは『期待されること』による等身大の自分を明確に捉えることができないというテーマにある。

つまり他者からの過剰な期待は自分を抑圧していくから、自分の本心がわからなくなってしまうようなモノかなとは思っている。

曲霊と闇の刺客とは

曲霊とは、闇の刺客だよという記事を書いている。

今回、私は魂による分離を起こしていることによりツインレイという引き合いを生み出していることを書いている。

私たちの心の闇が闇の刺客なのだ——と書いていることもあるが、当事者ってなんでそんな嫌な役割を担っているのかがマジで謎だった。

それは『曲霊』だからともいえるが、もっと奥深く説明してみようかなとは思う。

 

闇の刺客とは魂の分離が耐えられずに暴走している人たちなんだなと最近は理解している。

私は、闇の刺客と思しき人たちと会話しているとき、相手が「ツインレイと入れ替わる」ような感覚がするときがあった。そして人格が分離しているのと、その人格を当人が自覚しておらず、真逆の発言をしている等のことが大いにしてよくあるのである。

この状態は何かというと、魂が分離していることにより、ツインレイという存在が自分のなかに発生しているんだが、自分のなかにあるもうひとつの魂に気づいていないから、その魂があるときの暴走のスイッチとして働いたり、その魂が持つ気質が内面的に分離してしまうことがあるってこと。

この現象をほぼ全員が闇の刺客が起こしていた。そして問題が起きても「なぜ問題が起きるのかの原因を自分のなかに認めない」という気質がある。

自分のなかに存在している別の魂を自覚できない。自覚が出来ないから自分のせいではない——に至ってしまう。

これが『直霊』の役割であって、直霊とは常に自分のなかに別の魂が発生したときに自覚する役割を持っている。

直霊が一番のうえにたつ存在のはずが、魂が上に立ってしまい、魂の暴走が起きている状態になる。

この状態のとき曲霊なのである。単純に霊がもつ能力不足とも言える。霊は私たちがこの地上で育て上げていくものでもある。つまり自分を全く育ててこなかった人たちは、曲霊となり自分の魂の暴走に気づけないのと、それが当たり前だし、なんなら『周囲がおかしい』という自己正当化に走ってしまう。