ツインレイ男性がすべてツインレイ女性へ着地すること。(2nd
はーちゃんからの情報を合わせて。
ツインレイ男性にとって「すべての行動動機」がツインレイ女性になるから、その行動を全て実行すると「あ、行動理由や動機は彼女だった」と気づくっぽい。でも、その彼女はそこにいない。
ツインレイ男性にとって「重要だ」と思うすべての行動理由はツインレイ女性にあって、その重要だと思うものがすべてツインレイ女性に繋がっていくとき、思い出していく。
思い出していって、最後の最後にいたるとき「すべてやりつくした」ってなると、何もなくなるっぽい。これが絶望。
何すればいいのかわからなくなる。そもそもツインレイ女性の行動動機に従って動いていただけだから、最終的にそれが終わると「ツインレイ女性」を思い出しては絶望する。
カメラマン、無自覚にツインレイ女性に従っている。
「他者が自分のすべて」と腹くくるって、それなりの覚悟が必要なことのようである。けっきょく、ツインレイ女性がいなければ何もできないのがツインレイ男性だってことに気づいてしまって「自分だ」と思っていたものは「彼女」だったわけで。
まァ、たしかに自分だと思ってたら、全部、他人だったら、なんかこう辛いよな。
私は「自分はすべて他人により構成されている構造主義」とか分析的に書いているけれども、たぶん、ツインレイ男性の段階をおいながら全体的に「ツインレイ男性の理解」と「私の理解」を並走させていると思われる。
ちなみに私は自分が「すべて他人により構成されていること」に対して絶望はなかった。これが女性なんだと思う。なるほど! って思って終わった。
ツインレイ男性は特に「自分」を欲する生き物なのかもしれない。
そして「ツインレイ女性に出会い、ツインレイ女性に影響を受けている」ことにより自分の人生が構成されていることにはデカいショックがあるかもしれない。
自分を欲すれば欲するほど、それはツインレイ女性を欲することに繋がっている。
影響を受けているつもりもないし、影響を受けたいなんて思ってもいないし「自分は自分だ~!」とか言いながら突っ走って言ったら、一番に影響を受けたくないと思っている人物の影響を受けている。
なんなら「自分にとって重要なこと」はすべてツインレイ女性が繋がっている。
「これが自分だ!」と思ったら「彼女やん(絶望)」になっているのかも。
ツインレイ男性は「自分」と「彼女」は別の存在であってほしいんだと思うよ。
女性でありたくないというか、だけど、男は女なんだよ。だからさ、男性って「自分がない生きもの」なんだと思うよ。
だけど、女は男だからさ「自分がある生きもの」。
特に男性は、女である自分を認めたくないから、その部分で抗いが生まれているような気もする。
ツインレイ男性が「男性性」を求めれば求めるほど、その先にはツインレイ女性がいる。自分を求めれば求めるほど、ツインレイ女性がいる。
DISH// (北村匠海) – 猫 / THE FIRST TAKE – YouTube
さすがに猫にはなっていないし、彼くんがこげにロマンスを感じているとは思わないが。
男は失わなきゃ視えてこないものがあるのかもしれない、自分の依存性に。
女は失ったら、ようやく自立するんだろう。