ツインレイ女性が精神担当でツインレイ男性が現実担当になる意味の解説
この時代そのものが、地の時代から風の時代へと切り替わっていくという過度期にあるのだと知った。
山羊座とは『自己犠牲的な部分』と一概に言葉にしてしまえば、私は容易に理解することができる。
私は精神的な自己犠牲が存在し、彼は現実的な自己犠牲が存在しているから。
私がこの水瓶座時代に乗っかるまでに精神的な自己犠牲を組み替え、ツインレイの彼は現実的な自己犠牲を組み替えていく必要性があると言うこと。引用:風の時代(水瓶座時代)とツインレイの関係性—占星術②
この時代の移り変わりの経緯で、私たちは自分のなかにある精神構造や現実構造をアップデートし、時代に適応させていく必要性があるのだと理解する。
私たちの精神は、そっくりそのまま『現実』を構築している。そして、現実が精神をも構築している。
これから地の時代から風の時代へ移行するのであれば、私たち自身の考え方や生き方を変え、風の時代を構成していく必要性がある。
つまり、星の動きが私たちを構築し、また現実を構築しているのではなく、星の動きが私たちの意識を構築し、私たちの意識が現実を構築していっているということだ。
そのためにはまず『人類の意識』を組み替える必要性があり、その率先的な役割を担っているのもツインレイの役割なのかもしれない。
この経緯からは『風の時代』という名目上が存在しているが、風の時代への移行においても、色々な意識改革が必要にあり、また種類も存在している。
私たちがどの担当を持って、どの意識を組み替える必要性があるのか? は、みなみな違えど、仕組みそのものは同じかと感じられる。
ツインレイの男女は無意識を担当
ツインレイの男女たちのうち、ツインレイ男性が現実、ツインレイ女性が精神と棲み分けされているが、ツインレイのカップルそのものは無意識を担当している。
この無意識を『末那識』とも呼び、この無意識に対してのアクションを起こされているのがツインレイである。
ツインレイのふたりは出会うことにより、無意識を意識的に捉えることができるようになっていくため、ツインレイと惹きあうことになる。
ツインレイのふたりは無意識による繋がりにより、ツインレイの相手が持っている意識をダウンロードし合うことにより、お互いの精神と現実を交換することができる。
つまり、ツインレイたちは無意識による担当を担っており、その無意識により生じる精神と現実を男女にわけている。この無意識により生じる精神と現実を意識による精神と現実にて認識する必要性のある人たちも多数存在しているのではないかと思っている。
ツインレイの精神担当と現実担当とは?
ツインレイのうち、男女で精神担当と現実担当にわけているが、どっちがどっちの役割であってもいい。つまり役割が反転しているケースなども存在しているということだ。
精神担当では、自分のなかに存在している精神を組み替えていくことを主軸としている。これがなとりの役割でもある。
従来ある精神構造を自覚し、新しい精神構造へとアップデートしていく経緯にある。
現実担当では、自分のなかに存在している現実を組み替えていくことになる。
従来ある現実構造を自覚し、新しい現実構造へとアップデートしていく経緯だ。
この経緯による従来ある構造を『地の時代』とし、新しい構造を『風の時代』としても定義することができる。
ツインレイの精神担当とは?
ツインレイと出会う前に『地上のツインレイ』という存在がある。
精神 | 現実 | |
---|---|---|
地上のツインレイ | 古い精神 | 新しい現実 |
楽園のツインレイ | 新しい精神 |
地上のツインレイの段階で、地上のツインレイから新しい現実の概念を学ぶ経緯となる。このとき、私たちは古い精神構造を維持している。支配と犠牲の精神から逃れることが出来ていない状態だ。
そして、地上のツインレイの段階で新しい現実を手に入れることができるとも言えるが、新しい現実の能力発揮は半分程度となっている。フルに能力発揮をすることができるようになるには、新しい精神構造を手に入れる必要性がある。
理由は精神のうえに現実が成立する為、精神が成立していなければ現実の循環はうまくまわらない。心が現実に追いつかないような状態なのである。
このときの闇として『現実主義(現金主義?)の同性』がやってくる。
そして、楽園のツインレイの段階で、楽園のツインレイから新しい精神の概念を学ぶ経緯となる。このとき、新しい時代の現実を半分ぐらいは発揮している。私の場合、起業してフリーにやっていたが、まさに新しい時代の在り方だったのだと思われる。
が、ツインレイのサイレント期間で起業を届をひっこめている。
この段階で、楽園のツインレイ側から『新しい精神構造』を学ぶようになる。この新しい精神構造をアップデートしていく経緯が、世明けのツインレイに書かれている概念にある。
新しい精神構造を楽園のツインレイから動悸していく経緯で『現実』が変わっていくようになる。自分が出来る半分しか発揮することが出来なかった現実が心が追い付くようにして現実化させていくことができるようになる。
このときの闇として『精神主義(理想主義?)の同性』がやってくる。
また、もうひとり『現金・理想主義の同性』もやってくる。
ツインレイの現実担当とは?
精神 | 現実 | |
---|---|---|
地上のツインレイ | 新しい精神 | 古い現実 |
楽園のツインレイ | 新しい現実 |
現実担当のツインレイ側では、精神担当側のツインレイと真逆の学習となる。特に変更点もないため、割愛する。
地上のツインレイでは新しい精神を学び、楽園のツインレイでは新しい現実を学ぶ。
ツインレイの精神と現実の問題の浮き彫り
上記の通り、(楽園の)ツインレイは、片方が現実、片方が精神の古い概念のまま出会っている状態となっている。
ツインレイ男性はワーカホリック状態。ツインレイ女性は精神的奴隷状態。
ツインレイの関係性の問題は、ツインレイたちのなかに古い概念が未だにくすぶっていることにある。
ツインレイの出会いから第二サイレント期間までの間に、ツインレイたちはツインレイの相手の問題を認識する。何がいけないのか、何が悪いのか——。それは実際、古い時代の考え方ではツインレイが結ばれないことが原因として取り上げられる。
ツインレイたちがこれから新しい時代の無意識を構築をしている。そのなかに古い概念のままであれば、新しい時代で結ばれようとしているツインレイたちにとっては結ばれない理由となってしまう。
つまり、ツインレイたちが結ばれるために必要なのは『新しい時代の思想を柔軟に取り入れていくこと』。
そしてそれはツインレイの相手が持っている新しい時代の現実、新しい時代の精神なのだと思われる。
しかし、それぞれに古い時代の問題、古い時代の精神を抱えていることがツインレイのふたりの第二サイレント期間を迎える理由となる。
問題を認識するが、問題を手放すことがお互いにできないでいる為だ。
ツインレイが愛するものと第二サイレント期間のトリガー
ツインレイたちが愛しぬくことが、ツインレイの第二サイレント期間前に存在している。
愛するもの (相手の地上のツインレイによる学習内容) |
第二サイレントのトリガー (捨てるべき古い概念) |
|
---|---|---|
精神担当 | 相手の新しい精神 | 相手の古い現実 |
現実担当 | 相手の新しい現実 | 相手の古い精神 |
それぞれ、愛するべきものは持っていない新しい概念にあり、第二サイレント期間のトリガーは相手が持っている古い概念にある。
ツインレイたちはツインレイの相手から『新しい考え方』を吸収し、ツインレイの相手から『古い考え方』を排除するようにしている状態にある。
なぜ、ツインレイたちは新しい精神や現実を愛するのか——だが、新しい在り方は自分のなかに存在していない異物でしかない。異物は愛して受け入れるしかないためだ。
第二サイレント期間のトリガーとなる古い現実と精神に対しては、自分のなかに存在してないものを持っている、または捨ててきたものを持っている存在を排除しようとする意識にあると考えられる。
ゆえに、ツインレイたちが愛したものと排除したものによる闇の刺客が生じるようになる。
受け入れる | 排除する | |
---|---|---|
精神担当 | 相手の新しい精神の闇 | 相手の古い現実の闇 |
現実担当 | 相手の新しい現実の闇 | 相手の古い精神の闇 |
新しいものにも闇は存在し、古いものにも闇は存在している。
新しい精神の闇とは、新しく受け入れることになった精神として『自己中心的に考えること』があげられる。旧来の思想では『合わせること』であったりなど、自分を抑制することが美徳された時代だが、これからは合わせることよりも、自分がやりたいようにやる時代なのだと思われる。
その場合『自己中心的な視点や解釈をしてもいい』となるとき、それが許されるのか許されないのか——というような問いかけも生じるようになるかと思う。
古い現実の闇とは、古く捨て去ることになった現実として『会社勤め』とか『ブラック企業』とか。どこかに従属するような意識なのではないかと思われる。そして時間を縛られ、時間を売るような時代のことでもある。ほかにも倫理によって離婚ができないとか、そういう古い現実のことだ。
新しい現実の闇や古い精神の闇については知らない。たぶん、新しい現実の闇では、ブームがされば風のように散ることかもしれない。古い精神の闇は自己犠牲精神による問題かと思われる。
それぞれが持つ闇が引き寄せられることになる理由は、自分のなかに新しい概念が組み込まれた結果である。新しい精神、新しい現実を受け取るとき、私たちはどのような精神であり、どのような現実なのかを詳細に組み上げていかなければならない。
そしてそれを自覚する必要性もある。もちろんそれが無意識的に行われているわけだから、ほとんどの人がどのように詳細を組み上げているのかを知覚することはないのかもしれない。
ツインレイの現実と精神の両性性について
アニマとアニムスの統合により、ツインレイたちは両性性へ向かう。
自分の性 | 両性性 | |
---|---|---|
精神担当のツインレイ | 現実 | 両性性による精神 |
現実担当のツインレイ | 精神 | 両性性による現実 |
アニマとアニムスの統合により、私たちは、ツインレイ女性が精神性を両性させ、ツインレイ男性が現実を両性とするのではないかと考えている。もしくは反転している可能性もあるが、どちらかが担当しているように感じられる。
そこに成立しているのがツインレイにより生じる両性性というアニマとアニムスの結合なのだと思われる。このとき、精神担当のツインレイ側は、精神領域で『一であり、全である』という意識を持つ。
現実担当のツインレイ側は現実領域で『一であり、全である』という意識を持つことになる。
この一であり全であるとは、集合した全体性を理解することと、集合した全体のなかに存在する自分という個を認識することにある。
全体を理解しなければ、自分の個性になど気づけない状態にある。自分ひとりであり続けても他者が存在しなければ違いが認識されない。個性とは違いにより生じている為、違いを認識するためには全体性である全の意識が必要なのである。
精神担当のツインレイは『精神構造による全体性』を理解し、そのなかで『個』を理解する。
現実担当のツインレイは『現実構造による全体性』を理解し、そのなかで『個』を理解する。
差別はいけないって言われているが、差別化しないとその人の個性は無と帰すってことだな。つまり比べられているうちが花かもしれないね。
自分は出来ていない認識するとき、誰かが出来ていることを私たちは知っている。逆も然り。ここに優劣が存在しない状態になるためには、自分にできることと出来ないことを認識する必要性があるってこと。(つまり、自分は出来る! 出来る! とか言ってても、出来ていない自分を認識しなければ『できている自分』も評価されないし、誰も『この人は出来ている』とは認識しないって話。しかも周囲からは「いや、できてねえから。」って言われて終わる。)
だけれども、精神担当側のツインレイは、ひとつの性による『現実』しかもたない。現実担当側のツインレイもひとつの性による『精神』しかもたない。
このひとつの性である——とは肉体に依存する。私たちは肉体にひとつの性しかもっていない。その性別による現実と精神は、地上のツインレイ(ツインフレーム)による関係性を模す。
ツインレイのふたりの関係性はツインフレームの関係性へとなる話に繋がっていく。このとき、ツインレイの男女の役割が反転することになる。(ツインレイ女性がバリバリ働いたり起業したりもするし、ツインレイ男性はツインレイ女性のいいなりになったりとかもあるカモ。)
たぶん、ツインレイたちが『両性性』を構築することに成功した場合(たぶん、あんまり成功例がないのと、まだ時代的にでてこないのかも。)、両性性によるツインレイによる循環が生じるのだと思われる。
このとき、ツインレイの男女は対等にあり、循環的にある。
ツインレイ女性が欲しいのは現実で、ツインレイ男性が欲しいのは精神。ツインレイの相手が持っている。それを受け取るには自分の性別的な現実、または精神があること。
詳細 | |
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女性的な現実 | プライベートや家庭(ツインレイ女性がツインレイ男性から与えられたいもの) |
男性的な現実 | 仕事や社会 |
女性的な精神 | 愛する・受容する |
男性的な精神 | 信頼(ツインレイ男性がツインレイ女性から与えられたいもの) |
ツインレイ女性が欲しいものはツインレイ男性の時間だと思われる。そしてプライベートや家庭という『一』というもの。
ツインレイ男性が欲しいものはツインレイ女性の信頼だと思われる。全幅の信頼が欲しいため『全』というもの。
ツインレイ男性は『男性的な現実(仕事や社会)』を持っていたはず。ツインレイ女性は『女性的な精神(愛する)』を持っていた。だけど欲しいものはそれじゃない。
ゆえに、それぞれ開拓する結果、このようになる。
だけど、女性的な精神として『愛する』を実行できないツインレイ女性と、男性的な現実として『仕事だけになる』ことが実行できないツインレイ男性の場合、ツインレイ女性が『仕事』を担当し、ツインレイ男性が『愛する』を担当することになる。
そうするとバランスがとれるため役割を反転させることになる。欲しいものは手に入っている状態にはなる。だから、ツインレイ女性はメロメロに愛されるっていう話になって、起業するとか、独立するとか、そういう話にもなってしまうんだと思う。
で、これがツインフレーム(地上のツインレイ)の構造でもあるんだよな。面白い、着地がここになる。
で、ツインレイ女性は本当に起業したいのか。本当にツインレイ男性は愛したいのか——だと思われる。また、この気質のどちらもが能動にあり、これはちょっと息苦しいような気もしている。
やりたいのかやりたくないのか——だと思われる。。。
女性的な現実と男性的な精神について
それぞれ、出会いからサイレント期間までの間に、どれだけツインレイ女性が『愛する』を実行し、ツインレイ男性が『仕事や現実』を実行したのかにより、サイレント期間中の内包が違うように感じられる。
ツインレイ男性は、ツインレイ女性が欲しがっているプライベートを導くためにはツインレイ女性に与えられた『愛する』という精神が必要である
現実+愛=プライベート
ツインレイ女性は、ツインレイ男性が欲しがっている信頼を導くためにはツインレイ男性に与えられた『社会・仕事』という現実が必要である。
精神+社会性=信頼
最終的にはお互いが欲しているものを手に入れることができる算段が立つ。
しかし、愛することと仕事が成立していないときは反転するのみになる。
特にこれでも気質上問題はないかと思う。ただ、とても受動性はあるように感じられる。
自分が与えるのではなく『与えられたい』という感覚が強い関係性に思う。
私たちは自分が何をするのか——に着眼が必要だ。理由は私たちは自分以外のコントロールは出来ないから。
ツインレイ女性はツインレイ男性に愛されたいのではなく、ツインレイ男性を愛する必要性にある。
ツインレイ男性はツインレイ女性に稼いでほしいのではなく、ツインレイ女性へお金を渡す必要性にある。
いわゆる既存の思想はここにあるんだが、次に『情報のアップデート』をしたとき。役割を反転させるのか、はたまた、役割の気質をアップデートさせるのかの違いが生じる。
男女の役割を反転させること。それはアップデートではない。反転させて理解しただけ。そもそもその反転する理由は『相手の気持ちを考えよ』にある。つまりこれは、従来の既存データをアップしたわけではない。
男女の役割をアップデートするとき、ツインレイ女性は『愛』と『信頼』たる精神を得、ツインレイ男性は『仕事』と『プライベート』たる現実を得る。
このうちの信頼とプライベートによりツインレイたちは循環させることが可能にある。
なとりの言い分はこうである。
愛されていることは重々理解している。しかしだな、いっしょにいる時間が無ければ未来もクソもないんだよ。今という時間が未来を構築している。未来のために今を犠牲にしていたら未来だってすべてがなくなるんだよ。