ツインレイたちが男性原理と女性原理を手に入れていく経緯の解説

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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男の魂と女の魂がツインレイには生まれる。片方が男の肉体を持ち、片方が女の肉体を持つと言うことだ。

だけど、私たちの魂は、すべてが男の魂であるとする。私は魂として生まれるとき、父神から生まれたがそこには母神はいなかったたため、私たちの魂は『父のみ』から生まれているとして考えるべきかと思われる。

次に男神から、男の魂がふたつにわけられ、そのうちのひとつが『女性』に当てが割れることになるが、女性側の魂も男の魂である。

図の説明:父神から男の魂が二つ生まれ、肉体が男女にそれぞれはいることがツインレイ
ツインレイの男女の魂の構造
男の魂 男の魂
肉体 女性 男性

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人の魂が地球にやってくる理由

人の魂とは、地球に生まれる魂のことである。それがもし、スターシードだとしても『人の魂』である。

この地球の定義とは、私たちと同じ『肉体』を持つことにある。

人の魂が人の肉体に入るとき、しっかりフィットすれば、肉体の破損なく生まれることができる。(スターシードの人って、地球の魂よりも上なんだよって思っているところがあるみたいなんだが、人の魂よりもデカいもんが肉体に入り込んだら、肉体破損する。スターシードも同じ穴のムジナの人間の魂レベルのちっさい魂であることには違いない。)

私たちは、父神から生まれた『男の子たち』であって、男の子たちは地球にやってくることにより『地球の母神』により、女の子の気質を学ぶことになる。

図の説明:父から生まれた男の魂は地球の母のもとで女を学ぶ

この仕組みによって、私たちは『男の子』ではなく『女の子』の気質を取り込み、両性性へとなる道へ進むことになる。

男性原理と女性原理の違い

まずは、大前提に『男性性』と『女性性』について考えてみたい。私は男性性をアイデンティティとし、女性性をアイデンティティを持たないとして考えるべきかなと思った。男性性は『在る』状態にあり、女性性は『無い』状態にあると言うことだ。

私たちはこの地球で多くのものを『在る』として認識することができる力を持っている。それは心がある、物質がある、ここにある、時間がある——というように、私たちは多くの存在しないものや手に取ることや触れることができないものまでもを『在る』として認識する。

これが男性性の能力であるとする。

女性性は『無い』として認識することができる力のことを指す。そこには『なにもない』と理解することにある。そこには『ないものをない』という風に「わからないことをわからないとして理解する」ことを含め『ないものはない』として認識する冷静さをも意味する。

私たちは段階的に、先ずは男性性を持って、心がそこにあると理解するような視点を持っている。HSPの視点では「そこに心というものが存在しなくても、自分の思い込みで相手はそのように思っているだろうと思い込み、それが真実だと理解する」というような現象が起こる。

これが男性性の仕組みにもあるが、同時にアイデンティティもおなじことである。

アイデンティティが『ある』と思い込んでいるということだ。私たちは『自分を自分としてたらしめるもの』をなにひとつ持っていない。理由として、アイデンティティは常に他者や社会に依存して成立しているということだ。

他者に認識されることによりアイデンティティは確立される為、私たちはひとりだけの存在のなかで『私は私だけで自分を成立させること』が出来ないのである。

男性性とは『社会に依存する』こともあるし、それゆえに成立する『アイデンティティ』を意味する。対局する女性性では『個人に依存する』ことであり『アイデンティティがない』ことを意味する。

男性原理と女性原理の違い
依存先 アイデンティティ
男性原理 社会 ある
女性原理 個人 ない

そして私たちは、先ずは『男性原理』を持った存在として、この地球に生まれ、次に『女性原理』を持つ存在へと切り替わっていくことになる。

簡単に説明をすると「ないものをない」として認識するのが女性性で、「あるものをある」として認識するのが男性性。
だけど、「ないものをある」として認識したり「あるものをない」として認識したりする人もいるわけだ。たとえば、最近のウイルスに関しても『あるものをない』として考える人もいたし、その人たちにとってはウイルスが存在していると思っている人たちを『ないものをあるとして考えているヘンな人たち』と思ってたわけだ。
このように視点の違いが生じるわけなんだけど、それこそこれが『ひっくり返っている』わけで、ないものをない、あるものをあるとしてしっかりと認識が出来るようになると『社会性を尊ぶ存在』『個人性を尊ぶ存在』というようになれる。判断として「ないものをある」「あるものをない」として認識する人は社会性がない(人とよくモメる)し、個人性もない(自分の意見がない)ということ。だけど、そういう人もいないと、私たちは『社会性』が学べないし『自分の意見』を持つこともできない——っていう、なんとも言えない気分になるような事実がそこにある。
でも、どっちに加担するのかはだれでもない自分が決めている。
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男の魂と女の魂の『女性原理』の学習方法の違い

男は『男の魂—男の肉体』、女は『男の魂—女の肉体』という構造をとっている。男は肉体と魂が男性性へ偏るため、基本的に神へとも繋がりやすく、また神に近しい存在であるとも言える。

女は逆に男の魂を持ちながら女性の肉体を持っている為、地球にある母に近づきやすく、母からの恩恵をも受けやすい。

男性は『あるものをある』として認識することができる。女性は『ないものをある』として認識することができる。

これが従来である。

あるとないと女性原理と男性原理
男性原理 女性原理
男性 あるものをある ないものをない
女性 あるものがない ないものがある

男性と女性がすれ違う理由だが、もともと私たちは『あるもの』に対して、男性は『ある』として認識し、女性は『ない』として認識していくゆえ、お互いがお互いのことを理解し合うことができない——というか、よくわからない話をしているとして捉えることになる。

そして、徐々に魂が成長していく段階で女性原理を学んでいくと、男性は『ないものはない』と理解し、女性は『ないものがある』として理解するようになる。

霊感的な解釈は、女性原理の女性にあり『ないものがある』としての理解を持っているかどうか——である。また、この意識を魂(霊性)が理解しているとき、私たちには霊感が生まれることにもなるが、表裏一体として妄想や統合失調という問題も生じることになる。

この表のうち、男性原理の学習が済んだ状態で、私たちは『ツインフレーム地上のツインレイ)』と出会う。いわば、この地上そのものでの学習の最終段階は『男性原理の学習がOKライン』にまで達することで、その後、自ずと女性原理は反転させればいいだけ(とはいえども、それはそれで大変ではあるが。)でもある。

つまり、男性原理が学習できれば、女性原理も同等のもので気質が違うだけのことを学習できるのは当たり前ということ。ツインフレーム(地上のツインレイ)の学習が終わったならば、それはツインレイの学習も終わったも同じこと(女性原理の学習)——という意味にもなる。

男性原理の学習とは

男性原理の学習とは『あるものをある』『あるものがない』としてのふたつを理解することにある。

あるとないと女性原理と男性原理の学習
男性原理 学習
男性 あるものをある
(物質主義者)
あるものがない
(喪失者)
女性 あるものがない
(喪失者)
あるものをある
(物質主義者)

地上のツインレイ男性は『物質主義者』とし、地上のツインレイ女性は『喪失者』のような状態である。

あるものをあるとして認識していく力は、物質を受け取り続けることができる。ゆえに物質主義者となる。だから地上のツインレイ男性は社会でバリバリ働く人が多いと言うことだ。そして、地上のツインレイ女性側は「持つべきものを持っていない人(ニート)」となる。

学習段階で、地上のツインレイ男性は『喪失』を学習する。物質主義として手に入れているものをすべて喪失するゆえに、地上のツインレイの段階ではツインレイ男性側は『多くのものを失う』のである。それは地上のツインレイ女性が持っていなければ持っていないだけ喪失するということ。

で、究極のマイナスが『ニート』である。男性性は社会にあるため、社会的に何も持たないことが地上のツインレイ女性の定義にある。そしてその状態を受け入れている存在が地上のツインレイ女性ということだ。

ツインレイ女性は『喪失している』状態にあるため、肩書きもないし、やることもないし、ぶっちゃけ何も持っていない状態で生きている。社会性は基本的に持たないわけである。

しかし、地上のツインレイと交わりあっていくことにより『あるものをある』としての認識が持てるようになる。つまり『物質的な視点を持つ』ということだ。「あるものをあるとして認識する」ことができるということ。

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女性原理の学習とは

あるとないと女性原理と男性原理の学習
学習 女性原理
男性 ないものがない
(心が無い・空)
ないものがある
(霊感)
女性 ないものがある
(霊感)
ないものがない
(心が無い・空)

ツインレイたちは『ないものがない』状態と『ないものがある』状態によって出会う。

ないものがないとは『空の思想』である。そこには心という概念は存在しているが、心は実在しない。心があると思っているから私たちは相手を傷つけないように過ごすことになるが、そこには実は『実在しない虚像』があるというだけの事実に気づくことになる。

ツインレイ男性は『空っぽ』になるのがサイレント期間の始まりにあり、ツインレイ女性は『霊感』が生まれ始めていく。ツインレイ女性はないものを認識できるようになるため、ある種、妄想の世界とも言える「霊的世界」「魔境」と呼ばれる世界へ引きずり込まれていくと言うことだ。

ツインレイ男性が「空の思想」を学習するとき、ツインレイ女性は「霊感」を学習する。これが女性原理の学習にある。その後の女性原理へは『到達』することにある。

そもそもそこにあったものを受け取るだけとなるため、それは到達にある。

 

従来の女性原理では男性は『ないものがない』ことが女性性であり、女性は『ないものがある』ことが女性性にある。

この段階の学習において、私たちは、男性が「ないものがある」、女性が「ないものがない」ことを女性性へと切り替えることができるようになる。

女性原理と男性原理の学習をまとめる

男性原理 学習 学習 女性原理
男性 物質主義 喪失者 空の思想 霊感
女性 喪失者 物質主義 霊感 空の思想

というような男性原理から女性原理への学習を進めていくようになっている。

男性原理も女性原理もそこに存在している。

男性には『物質主義思想』と『霊感』が備わっている。

女性には『喪失者』と『空の思想』が備わっている。しかし、私たちは地球にいる限り『物質主義』と『喪失者』という搾取と犠牲の構造をとってしまう。男性原理を持った男性と女性は『善悪思想』に着地し、女性性は常に『搾取される側』にあるということだ。

しかし、学習段階を進めていくことにより、男性は物質主義とは相反する霊感思想を手に入れることができる。これが女性性の受容でもあるが、間には『喪失』『空の思想』と2ステップが必要にある。

女性は喪失者とは相反する空の思想を手に入れることができる。これにより、私たちは何も失っていないことに気づくと言うこと。そこには何もないから何も失わないのである。そのためには間に『物質主義』『霊感』の学習をしなければならない。

これは私たちのなかに存在している『意識』の組み換えでもある。

 

男性原理は『物質主義』と『喪失』の善悪二元論が成立し、女性原理は『霊感』と『空の思想』の善悪二元論が成立する。

図の説明:善悪二元論にて納まっている

しかし、横のつながりにて思想が切り替わっていく。

図の説明:二元性が成立する
図の説明:女性と男性が自己のなかに存在しているのかどうかにより二元性と善悪の違いが生じる

私たちは、自分のなかに『女性原理』が組み込まれていない。この組み込まれていない段階で『異性と関わる』ことにより、そこでは搾取される側と搾取する側の善悪による犠牲を生み出す構造を持っている。

しかし、自分のなかに『女性原理』を混みこむことにより『循環』が生じるようになる。自分のなかで二元性が成立するようなり、相手の異性性を受け入れ理解することも出来るようになる。

私たちは最終的に『両性性』を目指している。それはこの男性原理として生まれた『男性』と『女性』でしか、次に『女性原理を手に入れる』ことが出来ないような構造にもなっている。

女性原理と男性原理のシャドウ(闇)の作成

私たちには『自己の抑制』が存在し、自己を抑制することにより、社会性を持つことになる。たとえば、社会のルールにそぐ合わない犯罪行為を肯定的に捉えることは出来ないということだ。ゆえに私たちは自分のなかに存在する衝動を抑制する。

でなければ、自分がお縄にかかってしまうためでもあるが、人間的にそれってどうなの? ってことを私たちは抑制し続けていく。これが道徳性にある。(私たちはおさるさんじゃないよね? ってこと。)

その抑制された自我が影として生じることになる。

男性 喪失者 空っぽの人 霊感がある人
女性 物質主義者 霊感がある人 空っぽの人

いわば、これが『私たち』でもある。

私たちが物質主義になれば支配者という影が生じる。
喪失者になれば犠牲者という影が生じる。
空の思想を手に入れれば、アイデンティティがない影が生じる。
霊感を手に入れれば、傲慢の影が生じる。

私たちは、自らが正義となればなるだけ、反対側に悪となる存在を生み出してしまう。これが善悪思想の段階による私たちの未熟な精神構造にある。

しかし、ツインレイと出会っていくことにより、私たちは影を統合していくことで二元性へと切り替えていくことが出来る。

自らのなかには今まで『支配者』という自分が存在していた過去がある。
『犠牲者』という自分も存在していた過去がある。アイデンティティが何もない空っぽの自分がいた過去もあるし、傲慢だった過去もある。

影とはいつぞやかの自分に過ぎないが、それは『抑圧し捨てたもの』でもあり、それを再統合させたとき、私たちは『支配者』にも『犠牲者』にも『傲慢』にも『空っぽ』にもならないだろう。

この統合過程をなくして、私たちは二元性へと切り替わっていくことは出来ない。影とは自らのなかに存在する『抑圧した自我』である。その自我を再統合することで、私たちは善悪を抜けていく。

影側の存在たちはひっくり返って女性原理を手に入れている人たちって感じかもしれない。

喪失者となる女性が物質主義に傾倒し、搾取をし続けているとき『霊感』を手に入れる。でも、その霊感に振り回されるような人生になる。視えることで自分は『特別』かもしれないけど、たぶん幽霊が視えるってのは、霊感のなかでは何の役にも立たない、ないほうがマシの能力だと思う。

このとき、女性は心が男性になると思う。これが男殺しってやつ。

物質主義となる男性が他人を犠牲にし続けて自分の私腹を肥やし続けているとき『空の思想』を手に入れる。何もない空っぽの空虚感が続き、そこには『何もない』感覚のなかで生きるようになる。永遠の孤独感のなかで生きるようなものだと思う。男性は特に孤独に弱いしな。

このとき、男性は心が女性になると思う。これが女難ってやつ。