報告|ようやく4人のツインレイが揃った件について

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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一晩中眠れなくて、ずっと考え事をしていた。頭痛かった。。全部書き終わったら頭痛ひいてる。。理論が詰まってただけかもしれない。w

今「あ、ツインレイの四人がそろってんじゃねえか」ってことに気づいて、最高の気分である。何度も繰り返して構築してきた四人である。

今までたたなかった四人の理論が完成した瞬間の私の高揚と共に、私の寝不足による意味の分からないかもしれない文章にてお届けしよう。(寝不足だけど、朝の五時からいてもたっていられなくなってパソコン前に座る私を、六時間後の肌を気にする私に許されたい思いでいっぱいである。)

 

私は、このような順序で出会っている。

わたし⇒えみさん⇒なおさん⇒はーちゃん

実はこれ全員の共通要項により繋がっている件が確認されたので、それについて書きたいのである。おいおい「これはちょっと情報としてヤバいから控えてほしい」とのことだったら消すので教えてほしい。

まず、えみさんとはブログの相談窓口を開いているときに出会い、メールでお話をした。

次に、なおさんが「占星術させてほしい」とコメントくれて、メールでお話。

「もうひとりがくるよ」と直感の翌日あたりに、はーちゃんがコメントして「この子だ!」と思った。そして、その日にえみさんと通話の約束。なおさんとはーちゃんに同日にインスタのアカウントを教えてもらって、私がインスタをつくり繋がることになる。

このような経緯である。全員共通要項がある件についてを図にする。

図の説明:ツインレイの四人の構造

実は共通点、ほかにもいっぱいあるんだけど、これぐらいにしておく。相関的な部分は精神と社会にはわけたんだけれども、それぞれ色々と相関性は在るから曖昧な部分も多い、、けど、一応定義しておく。

で、えみさんに確認はしていないが、、全員辰年の可能性がある。えみさんは一回り上の辰年・・・・?

辰年が全員で、これ『ウロボロス』の構造をしている。

はーちゃんは龍の尾だと思った。私は龍の頭で、はーちゃんの尾を追いかけているのである。

はーちゃんの結婚は、実は私の理想として定義した地上のツインレイの構造そのものである。しかし、私は地上のツインレイを「最後の恋」として終わらせた。ゆえに、はーちゃんを追いかけなくなった瞬間である。つまり、わたしは「はーちゃんになりたかったけど、全然、なりたくなかったのに追いかけていた人」になっている。

 

私はこのブログで「ニートの哲学者」なわけなんだが、順番に「えみさんがくる」「なおさんがくる」「はーちゃんがくる」というカタチでやってきた。

最後にやってきたはーちゃんは「もうひとりがくるよ」なわけだけれども、もうひとりっていうのは四人の最後がくるって意味だったのだと思われる。もうそもそもふたりが揃っている段階だった。

なおさんはツインレイと出会っている——としていいのか悪いのか。。元ご主人がツインレイとして定義できる可能性がある。理由は私の地上のツインレイによる結婚の体現性をしているように感じられるから。

えみさんは楽園のツインレイによる関係性を同じく体現している人だった。

たぶんなんだが、私は全員を集めるためにずっとブログやっていたんだと思う。

 

実はえみさんと私はシンクロ性がある。構造主義的な視点を持っているのもあって、特につつがなくつながったようだ。

次になおさんがやってきたんだが、なおさんの実存主義を受け入れることが私は必要だった。そして、なおさんも、私の構造主義を受け入れる必要性があった。(実にお互い、この辺がかなり大変だったように思う)

 

で、最後の最後に、はーちゃんがやってきた。同時に向かい側に存在するえみさんとも通話することになった。

はーちゃんは、ツインレイともう再会し終わって結婚まで終わらせている『尾』である。私ははーちゃんの尾を追いかけていないからこそ、尾を私がかめるのである。つかまえることができる、繋がることができるというような感じだろうか。

それぞれ、お互いにはないものがある。ないものがあって、それはそれで気質上、悪いわけじゃないんだけれども、なんでかうまく出来ないものがそこにある。

でも、出来ないことを認めて受け入れ、尚、それが『自分である』と認めたとき、私たちは完成するという感じ。

 

私ははーちゃんの実存主義を受け入れる必要性があった。ちなみにはーちゃんが実存主義だって気づくまで、私は自分が構造主義だってことにすら気づかなかった。比較からしかわからないことってあるんだと思う。

実存主義には2種類あって、後天的に生じる実存主義は構造主義化してしまう。反転するから。

で、私のなかで「構造主義」と「実存主義」が両立しきれたのが昨日。

そして、昨日トリプルの辰の日。ぱぱーん!!! で、辰年生まれが集合しては龍によるウロボロスが完成した。

図の説明:理想を追いかけている

私たち、たぶん、前の理想を追いかけていなかっただろうか。どうなりたかったのかの理想——である。

前は「共依存したくなるもの」、後ろは「回避依存したくなるもの」の可能性がある。

向かい側の存在は「気になるけれども、苦手」だと思う。

で、前のものを追いかけないようになると後ろのものに追いかけられても気にならなくなる可能性がある。

だけど、求めていたものは「本当に求めていたものではなかった」んじゃないかなって思った。この理想と自分の現実のギャップに気づいている人たち。

で、ツインレイの相手に「自分の理想を押し付けることはしなかった」ような気がする。

なりたい自分になるために、ツインレイの相手を利用しちゃダメだって感じ。なんかそれが分かったから、私たちは「自分になった」ような気がするんだ。今の自分を受け入れた——というか。

だから、ウロボロスの尾をおいかけくなった人たちが四人そろったのである。

ウロボロスの尾を追いかけるとは「破壊」にある。

そうすると、どうなるのかっていうと「尾からエネルギーが流れ込む」んだと思う。破壊するんじゃなくて「創造」が始まるんじゃないかなと思うんだ。

 

私は二番やねん。はーちゃんは「はじめちゃん」、つまりはじまり。私は二番なの。タカミムスビのお父ちゃんも二番なんだよね。そしてそれを良しとしている。

つまり『尾』がはじまりなんだと思う。『頭』がはじまりではない。なんなら、尾と頭がくっついている部分が始まりなのである。だけど私たちは「頭がはじまり」って思いこんでいる。

実存主義と構造主義って心理と社会。心理をくわえているのが社会ってことなんだろう。

最後と始まりは『同じ』なんだと思う。つまり心理と社会は同じ、イコールで結ばれる。

はじまりのときにどのような出会いだったのか。その出会いは同じように「終わり」を形成する。

はじまりとおわりをひとつにすること。これになにが意味があるのかはわからない。

 

「理想」を追いかけてしまってうまくいかなった理由は、心理にあるんじゃないかなと思う。そもそもなんで理想が必要なのか——である。

それは自分に自信が無かったり希望がなかったりするし、今ある幸福を大事にすることが出来なかったこともあるのかな? とも感じられる。

たぶん、理想を追いかけなくなって、自分の立ち位置に存在しているから『四神』みたいになっているような気がするよ。

図の説明:四神の意味について

つまり、結婚相手(他者)は自分である。社会は自分である。無意識は自分である。異性は自分である。

引用:四神と占星術の関係性(ドラゴンヘッドとテイル、バーテックス、ASDなど黄道の接点の解釈)—占星術⑦

なとりは鳳凰。なとりは社会と自分の統合なので『無価値』を社会により行ったって感じ。だから「社会」という存在そのものになった。

はーちゃんは青龍。だから結婚している、他者との統合。他者は自分である意識がある。

なおさんが玄武。男女の統合。異性と統合することが目的になる。だからあたいの彼くんのことがわかるんだよな。

えみさんが白虎。無意識の統合。えみさんはあたいが数回にわたり雷の刺激を受けているのを一回で雷の刺激受けてワンネス意識(構造主義)にまで行ったがゆえに気絶にしたらしいぜ・・・・・・・。

 

たぶん、私ははーちゃんに共依存しないことがテーマにあって、はーちゃんは私に回避依存しないこともテーマにあったような気がする。ここが『頭』と『尾』だから。

 

とりま、鬼門の辰の日。突破した気がするよ・・・・!

 

なんて言葉にしたらいいのかわからないんだけれども、近々はーちゃんは、なとりに誘われて龍の口に誘われる。江の島って龍の口やねん・・・・・。汗 あたいやないか。

最初に話したときから「江の島」とか言ってた。干支の話もしていたな。

 

ようやく眠れる。頭痛が治ったぜ。

あたいにとって理論を書くって息をするようなもんなんだろうな~。酸欠起こしていた気分だよ。