次元上昇の解説—3次元から4次元へ、4次元から5次元へいく次元上昇の解説

2024-01-07

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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恋と愛というものを次元的に解釈をしてみる。つまり『愛とは何か』『恋とは何か』の定義と証明——中学三年でやる証明のこと——をしてみようってこと。

愛とは何か、恋とは何か。恋が悪いわけでもなく、愛が悪いわけでもない。でも、善悪二元論に縛られているうちは『恋または愛』のどちらかしか選ぶことができない。

恋を選ぶとき、私たちはとてつもなく主観的にあり、愛を選ぶとき、私たちはとてつもなく客観的である。

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次元的解釈の基盤

まずは次元的な解釈を述べる。

次元空間名称表
次元空間名称図形説明
0次元空間——
1次元空間線分2個の点で囲まれる図形
2次元空間正方形4個の線分で囲まれる図形
3次元空間立方体6個の正方形で囲まれる図形
4次元空間超立方体8個の立方体で囲まれる図形
5次元空間超々立方体10個の超立方体で囲まれる図形

引用:ツインレイの為の3次元・4次元・5次元の解説(立方体の説明)

今回は立方体ではなく、円錐で説明していく。

三角錐による次元的図形
0次元1次元2次元
図の説明:1次元は点
図の説明:2次元は線
図の説明:線で囲む
3次元4次元5次元
図の説明:3次元は立体
図の説明:4次元は立体が動く
図の説明:5次元は立方体が消える

0次元から1次元まではすべてにおいて同じである。

2次元になり『線により囲うことができる』ことにより、2次元となる。つまり2次元の最小的な図形は三角形となる。

3次元では円錐としたが、斜めにした角度にしてようやく、奥行きを観察することができる。

4次元では動きが導入される。灰色の線を導線としてぬるぬると動くことが出来るのが4次元にある。

5次元では、4次元により生じたぬるぬると動く図が『ある』『ない』として表現される——という感覚が一番にわかりやすいのではないかと思っている。

また、この図における構造はセフィロトの樹の次元と同じような次元解釈にある。

 

次元の図形の解釈から、私たちの精神世界についてを理解することができる。

次元による精神世界の解釈
意識精神世界の解釈
3次元
(立体)
意識・肉体今・現在
4次元
(時間)
意識と無意識時間を生きる生命的感覚
5次元
(無有)
いる・いない自分が存在しない世界

これは、私たち側の意識からみたアクションにある。

4次元の意識と無意識の次元的解釈


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5次元へ到達した時点で私たちは『意識の私』『無意識の私』が存在していることを理解する。

図の説明:4次元における流動図
図の説明:4次元における流動図

4次元の段階で私たちは肉体を2つ持っている。三角錐が2つ存在し、その三角錐が流動していることから、4次元の理解を手に入れる私たちは『無意識のエネルギー体』と『意識の肉体』の2つを行き来するようになる。

図の説明:無意識の私と意識の私は同じこと
図の説明:無意識の私と意識の私は同じこと

無意識の私と意識の私は少なからずイコールてきに同じ姿をしているとは限らないが、ふたつは流動し、結合している為、同じなのである。これが自他という概念にも繋がっていく。意識は私、無意識はあなた。然りて無意識は私、意識はあなた。

ここから、地上のツインレイの最終的な段階では『今ここに存在している』という感覚を手に入れることである。これが煩悩が手放されている段階で、過去のことや他人のことで頭を悩ますことが本当に少なくなる。

楽園のツインレイの段階では『無意識の自分』と『時間の概念』を手に入れることになる。つまり、私たちは過去にも未来にも『生きている』という感覚を覚えることもでもある。

無意識の中には『前世の記憶』など、多くの私たちの記憶のない記憶が多く含まれる。それは『私たちの魂に依存する』領域を超えることはない。

いつかの自分の記憶ということだ。

図の説明:無意識のなとりと意識のなとり
図の説明:無意識のなとりと意識のなとり

ここに『私』という概念をどこの軸に置くかどうかによるが、3次元における『自分(意識または無意識のみ)』の存在が生まれる。

無意識のなとりと意識のなとりが2人存在しているけど、それが『なとり』を構成しているし、どちらも『なとり』だよって感じだろうか。

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5次元の『存在』の次元的解釈

4次元的図5次元的図
図の説明:4次元的図
図の説明:4次元的図
図の説明:5次元的図
図の説明:5次元的図

4次元における図がふたつ存在し、そのふたつが流動的に動きを持つことにより私たちは5次元を理解する。

私たちは4次元に存在している無意識と意識による存在である。(3次元ではない、3次元では『死と生』という概念すら生じない。だって時間がないから。)

そして、その私たちが『存在している』『存在していない』という感覚を持つことにある。それは私たちの魂が『存在している』『存在していない』という感覚だ。

 

ここで『存在がある』を自分とするとき、他者を『存在しない』として定義する。

つまり、私たちの肉体のなかに『自分が存在する』とき『他者は存在しない』である。同時に『他者が存在する』とき『自分が存在する』というような、自分が『存在する』『消滅している』というふたつの二極的な解釈を持つことができる。

この段階で私たちは『自分が消失させる』ことが出来るようになる。

しかし、3次元的な私たちが消えたわけではない。3次元が存在しているから4次元、5次元が成立する。

図の説明:なとりさんが2人も存在している5次元世界
図の説明:なとりさんが2人も存在している5次元世界

このように、私たちたちは3次元レベルにまで意識を落とすと自分が4人いることになる。

自分を『意識のなとり その1』に身を置くとき、『無意識のなとり その2』『意識のなとり その1』『意識のなとり その2』と影が三つ生じる。

ツインレイの出会いは、この5次元への到達により生じる。4次元における『自分』と出会うことがツインレイの出会いである。

ゆえにツインレイたちは『5次元』へ到達している段階にあり、また『6次元』へ進む存在である。下の次元は理解が出来るが、今の自分が生きている次元は認識が甘いゆえに、6次元がどのようなことになっているのかはまだ少し解明が必要。(自分を自覚することなんだが、自分を自覚しきれていない領域はわからない。)

雷のような衝撃と次元上昇

前にこのような『雷に打たれるような感覚』の経験を書いた。

ツインレイの彼くんと話していると、雷に打たれたかの大ショックを受けたことが何度かありました。反発するかのような物凄い衝撃を受けて、それが繰り返され、何度も繰り返されていくうちに、最初は『雷』、次は『フライパン』。次は『あんぱん』みたいな感じで衝撃が落ち着いていく。
『大ショックを受けた』感じで、フリーズしていました。ときに心身を貫いた感覚はありませんが、その後、息絶え絶え状態のような感覚が続いたりします。
ほぼ、衝撃でうつ状態って感じしょうか。ものすごいショックなので脳が停止しているような感じ。

引用:第一サイレント期間の覚醒*禅の悟りの境地|ツインレイの覚醒シリーズ①

この経験は4次元から5次元への上昇による衝撃にある。

いわば、自分が持つ『死角』がそこに存在しているとき、私たちは衝撃を受けるということだ。そして次元が生じれば生じるだけ、そこには『多面的な自分』が存在することになる。

多面的な自分を理解することにより、自己領域を広げていくことが精神領域の次元上昇にある。

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3次元から4次元への次元上昇

図の説明:地上のツインレイの段階の3次元結合は1回
図の説明:地上のツインレイの段階の3次元結合は1回

3次元から4次元への次元上昇がするとき、レベル2とする雷のような衝撃を受ける。

 

4次元へ到達することにより、煩わしいことについて考えることがなくなる。未来のことで不安になったり、過去に自分がしたことに対して自己正当化する意識を生み出してみたり、過去に自分の思い通りにならなかった人に対して恨み辛みを思い続けたりすることもなくなる。

無意識に考え続けてしまうことなどを『やめる』ことが出来るようにもなる。他者に時間を取られ続けるよなこともなくなる。

無意識を『意識』で管理することができるようになるためだ。

意識で管理できる範囲は『起きている範囲』で、自分で意識を持って『無意識を制止する』ことができるということ。

4次元から5次元への次元上昇

図の説明:地上のツインレイの段階の3次元結合は3回
図の説明:地上のツインレイの段階の3次元結合は3回

赤を最大のレベル3とする『雷のような衝撃』を受けることとする。

4次元による青が次に起きる。レベル2とする地上のツインレイの段階で生じる『フライパンで殴られるぐらいの衝撃』を受ける。

3次元レベルにても4つの結合が生じることになるが、これはそれぞれ『あんぱんで殴られた程度の衝撃』である。

 

結合する次元で、より遠い結合をすればするだけ脳が連結する意識が大きくなる。その衝撃が雷で撃たれたような感覚であり、死角である。

 

この領域に来ると『意識のない無意識』を認識することが可能になってくる。夢のなかをコントロールしたり、自意識を持つようなこともできるようになる。

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次元上昇と向き合うべき影(シャドウ)

上記の通り、私たちには『意識することがない自分』がそこに存在していることがわかった。それは『次元をあげれば自覚が出来る』が、次元があがらなければ自覚ができない意識であるということ。

たとえば「あなたは人を殺したいと思っています」と言っても、自覚がない人が多いと思う。多くの人がこのように『自覚のない自分』が必ず存在し、そしてそれを『受け入れていく』ことにより次元をあげているということである。

その領域を上げればあげるだけ、私たちの視野の広さと理解力が上昇する。たとえば、並列思考(巷で語られている並列思考は並列ではなく、直列の亜種でしかない)が可能になる。思考回路の数が増えるということだ。

 

影とは4次元の段階で『ひとつ』存在し、5次元の段階で『みっつ』存在する。これは、私たちのなかで連結された意識がどれだけの量を持っているのか——である。

世明けのツインレイで語っている内容は5次元による次元上昇によるツインレイである。

図の説明:3次元レベルの意識と無意識
図の説明:3次元レベルの意識と無意識

同性の意識が『私』だとしたならば、その影は『同性の無意識』にある。同じくして、異性の『意識』と『無意識』がツインレイにより吸収され、意識下にまで持ち上げられる。

影が過去の自分を模す理由

新しい回路が精製されるたびに、私たちには『影』が生じることが分かった。そして、その影は『過去の自分』や『過去の経験』を必ず模している。

その理由は、私たちは『私たちの記憶』でしかないためにある。私たちは私たちが知っている限りでしか、私たちを知らない。

つまり、知らないことは知らないのである。知っていることは知っているが、知らないことは知らない。凄く当たり前のことだが、影も同じように『知っているからこそ生じる影』なのである。

それは私たちの記憶に依存するということ。影とは『自分の記憶』にあり、それが『幻想』ということだ。

新しい回路を精製したところで、私たちは『私たちの記憶』から抜け出すことはない。経験とは命であり過去であり、私たちのなかに収容されているものである。

そして、それを具現化する人生を送り続けているのが人間の輪廻であり、私たちが持つ記憶を常に『何度も同じ経験をし続けている』状態にある。

しかし、私たちは学習をする。これをしたらいけない、これをしたらこうなる——等の学習をする。やったらやり返される。当たり前のことなんだが、それをすることにより『そもそも最初にやらない』ことを学び次に『やり返さない』ことで輪廻を繰り返さないようにしていくことが望まれる。

私たちにとって影とは『善悪』により分離した『過去の経験による幻想』である。しかしそれはいつかの自分がした行いであり、またいつかの自分がされた行いなのである。これをずっと繰り返している中、最終的に『影』と対峙したとき、私たちは影を自己統合させていくことになる。

自己統合では『自らのなかに存在ているはずのもの』を排除し、抑圧しきったことによる霊性により生じる。

つまり、影が生じ、その存在を恥じるとき、私たちはひとつ学んでいるのである。しかし、その影こそが自らこそであると気づいたとき、私たちは自己嫌悪に苛まれ、人を受け入れる瞬間がやってくる。人を受け入れるとき、必ず私たちは私たち自身を受け入れているのである。

他人とは自分である。自分とは他人である。

魂を練り続けていく経緯で、影は必ず発生し、その影を発生させた張本人が『汚れていた事実』に気づいたとき、私たちはとてつもなく醜い自分を愛することになる。

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3次元の低次元でも別に構わない話

3次元の低次元でも別に構わない話

少なからず、3次元を切り離して4次元へ進むとかいう話はしなくなると思うのと、次元に見合った視点で話をすることができるようになると思われる。

シナプスの連結量が多いのと、発想力や嗜好の転換力などもあがると考えている。自ずとIQ(論理性)があがる。

自分に対して客観的に捉える癖がついていれば、次元の数字——敢えて数字と書くのは、次元が低いのが悪いってわけでもないから——を多く取り込むことができるけど、低次元においても『ちゃんと生きる方法』を知っていればうまくやれる。

それは『自分の良心』に従うことにある。

3次元だけの意識状態が『悪い』わけじゃない。たとえば『次元上昇がしたい』という人の多くが『低次元が悪』だと思い込んでいるところがある。同時にそこに劣等感が存在してる時点で、低次元に縛られてしまうような意識が存在している。

3次元では『主観』が主軸にある。

おいしいものをおいしいと思うこと。やりたいことをやること。

3次元の意識では主観が軸にあるから、美味しいものを食べ、やりたいことをやりなさい。楽しいこといっぱいあるのがこの世なんだから、いっぱい楽しいことを探して遊んできたらいいよって神さんはいってくれている。

3次元の意識はそのようにして『使うもの』である。

だけど、ぶっちゃけ4次元、5次元への意識をあげていくとき、少なからず『自分の主観がない自分』という3次元の自分や『自分の主観しかない自分』という3次元の自分などもそこに生まれる。

今の生き方を『どの自分』にシフトするのかは自分で決めていいんだが「自分の主観で人を殴り続ける」ようなことをし続けてしまうこともあるわけ。

つまり、3次元の自分を『いかに使いまわすか』の問題であって、別に次元上昇をしなくても、3次元レベルの人たちでも幸せな人たちもたくさんいる。

3次元のレベルの自分を『どの自分にするのか』のチョイスがあるだけ。そのチョイスを自分で選べるかどうか——、そのためにはどうしたらいいのか——を考えれなければいけない。(これが世界線の選択)

私にとっては「美味しいものを食べること」「美味しいものを美味しいと思うこと」がもっとも一番身近な意識ではないかと思っている。だけど「人に美味しいものを押し付ける」ことも必要ないし、「自分の意見を必ず通さなければならない」わけでもないんだ。

つまり、3次元意識の中でも良識を弁えている人は弁えているし、良識を弁えていない人は弁えていないのね。これが『知』に依存し、恨み辛みによって左右されてきてしまう。

ゆえに、波動は『人をいじめている人でも高い人は高い』わけ。道徳性と波動は比例しないのである。

 

そもそも論なんだが、私たちは意識レベルを次元上昇させることはできるが、この地球そのものはずっと『物質世界』なのである。ずっと4次元に依存し、時間的概念が揺らぐ世界を認識することはほとんどない。

自分の脳のなかの認識量を増やすことはできるが、3次元層も含めて4次元、5次元が存在している。

3次元層を切り離してしまう考え方をすれば、4次元も5次元も存在しないし、世界消滅の思想(自己破滅思想)だと言うこと。

下があるから上がある。ゆえに私たちは『この地獄に存在していることを受け入れること』が大前提にあり、わざわざ次元上昇をしようと思う人こそが低次元に縛られている状態にある。

この低次元にある世界を愛し、慈しみ、その良さを享受しながら過ごしている人こそが次元上昇していく意識を獲得していくことにある。

 

別にいいんだよってこと。楽しみながら生きることに罪悪感を覚える必要性はない。次元上昇しなくても楽しいことをしてもいいんだよってこと(o^―^o)ニコ

次元上昇して意識の次元があがっても波動が同一であれば、いっしょの空間にいられるよ。