ツインレイへ望んだことはすべて自分が叶えるメカニズム

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイたちはほぼ全員が付き合っているとき、絶対的にうまくふたりでやっていきたいという考えがある。

しかし、ツインレイたちはサイレント期間へ突入することで絶対的にうまくいかない。

なぜなのか——。その理由は、ツインレイたち自身が抱えている相手への不満である。

ツインレイの相手へ抱えている不満は、すべて自分がなんとかしていくように切り替わるのである。

その不満は、第二サイレント期間の開始前に理解している。

ツインレイ女性の不満がピークに募っているとき、またはどちらかの不満である。どちらかが一方的に負債を抱え、どちらか一方は負債を感じないため、どちらかが不満をいっぱい抱えている。そして、不満を抱えていない方は不満を抱えている方を見て「何が問題なのか」と考えるようになる。

ツインレイ女性の多くが自分のなかに不満を抱え、ツインレイ男性の多くがツインレイ女性の不満を見て「なにが問題なのか」を考えている。

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ツインレイへの望みとは

私の場合、ツインレイの彼へ「精神的な問題」を見つけた。しかし、ツインレイの彼は「現実的な問題」を見つけたのである。

私は彼へ「いっしょに生きる心がないこと」が問題だと思った。もちろん、それはツインレイの相手へ感じた事であり、私自身のなかにはいっしょに生きていきたいと思う心があった。彼が抱えている問題は、私へ状況を何も伝えないことにあったから。

彼は私へ「そばにいないこと、会えないこと」が問題だと言った。彼は、状況において『問題がある』と解釈したのである。

 

私は『精神的な改革』に乗り出し、ツインレイの彼は『現実的な改革』へと乗り出すことになる。それが第二サイレント期間にある。

 

ツインレイ女性の多くが、精神的な問題を認識し、ツインレイ男性の多くが現実的な問題を認識するように働きかける。

その問題は『自分が抱えている問題』なのである。

ツインレイの相手を自己投影をした存在として見ている為、私たちは自分が抱えている問題をツインレイの相手へ見つけることにより、自分を改革するようになる。

ツインレイの怒りや欲求とは


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ツインレイの相手へとやかく怒ったり、こうしてほしいと思う欲求は、私たち自身のなかにある『自分を変えたい場所』でもある。

相手に対して自分のなかにある問題を認識することで、私たちは私たち自身の変化という欲求を感じるのである。

もし、ツインレイの相手が悪いという二元論的な視点を持っているとき、絶対的に私たちは「自分が悪い」のである。自分が悪いからこそ、自分が悪い部分を変化させていかなければならない。

この変化の内容は、すべて『サイレント期間の前』に自分で自分に言い聞かせている。ちょっと思い出してほしいと思った件である。

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ツインレイの相手は自分の望みを叶えない

ツインレイの相手は自分の望みを叶える存在ではない。ツインレイの相手は自分の望みを浮き彫りにさせる投影的存在にある。

ツインレイの相手へ望むことはすべて自分へと矛先が向いている。

簡単に言うと、ニートのなとりに対して「仕事をしろ」という言葉を投げかけたとき「おまえがな~」ってことになる。仕事で行き詰ることも増えるメカニズム。

これぞブーメラン。自意識過剰の状態だと「相手に問題がある」と考えたり「自分よりも外部」に問題があると考えやすい。

しかし、問題があるは『己の何か』なのである。己の何か——のうち、ツインレイ女性は『自分の精神』に問題を見つけやすく、ツインレイ男性は『自分の状況』に問題を見つけやすいということだ。

ツインレイ男性はもしかしたら『ふたりの関係性』という部分に問題を見つけ、そこからふたりの関係性をよくするために改革を望まれているように思う。

 

まァ、他者とはツインレイであろうがなんだろうが、自分の望みを叶える道具ではないよね。だからこそ、ツインレイの相手は「他者じゃなくて自分でやれ」と甘やかすことを良しとしない。

理由は魂自体が自立の段階に来ているからこそ、他者への欲求は常に自分で欲求を満たすようなメカニズムとなる。

ツインレイの相手と何故、うまくいかなかったのか

ツインレイの相手となぜうまくいかなかったのか。その問題はどこにあったのか。

この回答こそが「自分が変化する場所」である。この変化を生み出してこそがツインレイであり、これこそが私たち自身の自立として考えられる。

ツインレイの相手とうまくいかなかった理由を、ツインレイの相手のなかに見つけ、次には自分がその内容を変えていくことは、私たちは「ずっと個体だった」ともいえる。

ツインレイはツインレイの相手へ影響を及ぼすことができない。それこそが自立であり、ツインレイの相手へ影響を及ぼすことができるという考え方そのものは、自意識過剰的な思想にある。

自分は他者に影響をしていると考えるのは、実際、中学生らへんの考え方なんじゃないかなとは思う。これが親に影響を受けてきた私たちという存在だからでもある。

親が自分に影響を及ぼした量があればあるだけ、自分は他者に影響を及ぼしていると考えるのである。しかし、私たちは親ではないし、相手は子供ではないから影響を及ぼすことはできない。

現実創造においても「他者へ影響を及ぼすことができる」という考え方を持っていると、真逆における「影響を及ぼせない」という視点の世界線へ入る。そもそも影響を及ぼすことができないことを理解しているからこそ、私たちは他者への影響を及ぼすことができるようになるのである。

人を『人として尊重すること』は影響できないことを認めることである。

また、ツインレイに対しても同じことである。サイレント期間が明けたら、自分にとって都合のいい存在になって戻ってくるというのは、実際はまるで違うものだろう。

自分が自分で問題だと思っていたものが自分のなかで革命されているように、ツインレイの相手が問題だと思った内容が革命されているのである。つまり、革命された内容が相手への不満でしかない。だからこそ自分で叶えるように差し向けられる。

 

たぶん、ツインレイって自立のきっかけにもなるんだが、それは他人は自分の道具じゃないってことをダイレクトに理解するための存在なのかもしれない。

自分の思い通りにならない状況、相手に対して癇癪があるとき、私たちはどこかで「相手は自分の想い通りの道具」と思い込んでいる未熟な自分がいるような気もする。

でも、人と人との関係性って思い通りにならないからこそ、面白いんだと思う。人が人として自分の人生を生きているとき、私たちは他者を支配することは絶対的に出来ない。

絶対的に支配できない他者こそがツインレイなのかなと思うときもある。

ツインレイたちは変わりゆくのだと思う。状況とか、相手の性格とか。そういうものは常に変わりゆくことだけれども、根源的にある『相手の存在を愛する意識』があるとき、本質的には何も変わらないんじゃないかなと感じる。

つまり本質的な部分で相手の存在を愛するとき、私たちは変わっていける強さを持てる。私たちは常に変化し続けている。その変化していく姿を見ていきたいとツインレイたちは思っているように思う。

何も変わらないからこそ、すべてが変化していく力を孕むのだ。