無価値の種類と課題—無価値化のステージについて

| Ⓒ なとり

sponsor link

ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

kindleの読み放題Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題


自分ではないものを吸収していく経緯が存在し、これが『自己犠牲』にある。そして、自分ではないものを切り捨てていく経緯で『無価値化』が起きる。無価値化の結果、私たちのなかには『愛』だけが残る。

この愛そのものが私たちの本質にある。価値あるものとは愛である。


私たちは人生のなかで無価値へと進むことにより、自分へのこだわりを捨てることになる。自分へのこだわりとは自分には価値があると思っていることであり、自分へのこだわりを捨てることにより、私たちは『無価値』を受け入れていくことができる。

私自身が導き出した無価値の種類は、四神の視点により理解することができるが、同時に占星術の思想も役に立った。

引用:四神と占星術の関係性(ドラゴンヘッドとテイル、バーテックス、ASDなど黄道の接点の解釈)—占星術⑦

この結論に対しての導き出しは四神と占星術の関係性の記事に説明を預ける。

sponsor link

四神と無価値の種類

統合の種類を四神にて導き出しているが、そのためにはまず「一方を成立させる」ことが必要になる。一方を成立させるためには、一方を放棄しなければならない。

ゆえに私たちは自己犠牲のなかに『自分を捨て、真逆のもう一方性を成立させる』ようなことを行っていく。

そのとき、私たちは自らを無価値化させ、無価値なる自分を愛することにより『自分を無』として定義させ、もう一方を『相手を有』として成立させていくことになる。

 

人生のなかで私たちが無価値化させたものはどれだけあるのか——である。

  • 青龍・・・・・・結婚相手(他者)
  • 鳳凰・・・・・・社会
  • 白虎・・・・・・無意識
  • 玄武・・・・・・異性

引用:四神と占星術の関係性(ドラゴンヘッドとテイル、バーテックス、ASDなど黄道の接点の解釈)—占星術⑦

青龍の課題では、自分を無価値化させること。
鳳凰の課題では、自分の社会性を無価値化させること。
白虎の課題では、自分の無意識を無価値化させること。
玄武の課題では、自分の性別を無価値化させること。(結婚しないこと)

ツインレイの課題は玄武にあるのではないかと思っているが、変更して他にも三点の無価値化できる点が存在している。

すべての無価値化させていると、

  • 自分には価値がないことを受け入れている
  • 自分の社会性を捨てている(ニート)
  • 自分の無意識の意見を受け取らない
  • 結婚しないこと

という状態になる。

青龍の無価値化


有料版の記事
ツインレイステージまとめを読む

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


青龍による無価値化では、自分に価値がないことを受け入れていくため、周囲の意見を受け取り、周囲の意見を大事にしていく必要性がある。ここで自分の意見をいわない、相手の意見を尊重するようにもなる。

最終段階では、他者へ嫌悪感がない、愚痴がでない、嫌いな人がいない——というような状態にまでなる。エゴイズムの喪失ゆえに、私たちは私たちであることを捨て『他人のいいなり』になるが、この他人のいいなりになった結果を受け取ることができるのか? ってこと。

人に言われてこうした、だけど実行したのは自分である。つまり人のいいなりなんてありえないわけなんだけれども、失敗を人のせいにしたり、失敗を自分で責任をとることができないでいる限りは『青龍の課題が終わらない』わけである。

とりあえず、青龍の無価値化の課題は「人の話を聞け」でもあり「自分の意見を正しいと思うな、常に他者を正当化させろ」にあるのだと思われる。

sponsor link

鳳凰の無価値化

鳳凰による無価値化では、社会的に自分が価値がないことを受け入れていくためにニートになる。つまり社会的な立場を失っても尚、そんな自分をどう感じるのか——である。

ニートになることで私たちは葛藤を生み出すことになるだろう。

「自分はちゃんとできる」とか「自分は社会的に価値がないわけじゃない」と。だけど現実的にニートで社会的には何もやっていないわけだ。そんな価値がない自分を受け入れることができるかどうか——である。

白虎の無価値化

白虎による無価値化では、無意識と意識による分断を行うことになるため、無意識の自分を遮断することになる。たとえば「無意識の声を聴こうよ」という話なんかがスピリチュアルにはあるわけなんだけれども、実際この道は真逆にある。

無意識の声はガン無視、自分の意見を成立させよ、いかにいきるかを自分で決めよ、自分の意思を持って意見を成立させていくことが求められている。

たとえば、無意識の声を聴いてその声を盲目的に信じているとき、たいてい悪い方へ悪い方へ進むようにもなっている。理由はひとつ「妄想の声を聴いている」のと「無意識の声を聴いている」のとでは大分違うからでもある。

そして「幻覚を見ている」のと「無意識のビジョンをみている」のとでも大分違うからである。

無意識さんっていう存在が妄想なのか、それとも本当に無意識なのかの区別がつくだけの私たちが成立していないとき、私たちは妄想のなかにいることを忘れてはならない。いわば、無意識さんは『自分の意見を持っている人と対等に関わる』ことができるようになって『無意識を使いこなすことができる』のだが、無意識に対して従うようなカタチの上下関係があるとき、無意識に踊らされて悪い結果を呼び出すってことなんだ。

スピリチュアルに足を入れるとき『みえない存在に踊らされている』のか。それとも『みえない存在と対等にやっているのか』は重要な項目のようにある。

sponsor link

玄武の無価値化

玄武による無価値化では、自分自身の性別を捨てることにもある。自分が持つ性別のなかで生きていると、自分の性別を活かすためには『異性』が必要になる。異性が必要になることと言えば『結婚』があげられる。

この玄武の無価値化では『自分が性別を持っていない』状態にまでなっている人たちは結婚が出来ない状態になる。

ツインレイの課題の中でも既婚者などもいるが、基本的にこの玄武の無価値化が終わっていないのだと思われる。

今、なんの無価値と向き合っているのかを考えること

私は並行してこの四つの課題をほぼ同時に無価値化させていったのもあってエゴイズムの喪失等の話でまとめ書きをしているわけなんだが、実際の詳細はこんな感じで四つに分類される無価値が存在している状態にある。

たとえば、今『他者に対しての嫌悪感がまさっている』とか『闇の刺客とのことで頭を悩ませている』とか『他者への悪口がある』という場合、青龍の課題中でもあるんだ。

青龍の課題のなかでは『自分には価値がある』という思い込みがある。だけど、相手からすると価値がないを言われ続けていることに腹が立っているのである。だけど現に自分には価値がない事実を受け入れられないであるがゆえに『自分には価値があるんだ』というアピールをしたいと感じる。

ゆえに悪口が始まったり、愚痴がはじまったり、嫌悪感を感じたりする。

鳳凰の課題のなかでは『自分には社会的に価値がある』という思い込みがある。だけど現実それが出来ていない状態であるニート状態になりながら「社会的には自分は価値がないことを受け入れる」必要性がある。

白虎の課題では『自分の無意識には価値がある』という思い込みがある。いわゆるこれが霊能的なものなのかもしれない。そういった直感や霊感みたいなものをほとんどの人が持っているんだが、そういった『特別』に依存し、特別そのものが自分であると言う思い込みから打破していかなければならない。

玄武の課題は『恋愛依存』とか『共依存』『回避依存』の課題だと思われる。

sponsor link

無価値化の課題が終わると次に『価値化』の課題

人生のなかで私たちが無価値化と直面することになるのは子供のときのみにあり、このとき私たちがどれだけ自分を無価値化させるのか——により、その後にやってくる価値化が変わってくる。

だけれども、この無価値である事実と向き合えないとき、私たちは『無価値化の課題の延長』を余儀なくされ、課題そのものを大人になってもこなさなければならなくなる。

この大人になってもこなさなければならなくなる理由は子供時代になんらかの心理的な事故が起きている可能性もあるが、同時にこれが「徳が高い人」なのかもしれない。課題を抱えて生まれてきているから。

ただ、この課題が「前世にやらかしているから現世でやり返されている」可能性もあって、その場合、霊性がひねくれるのもあって「課題をこなすのに困難な性格をしている」場合がある。(生まれ持った性格が悪く働くこと)

 

この無価値化を進めていくことにより、私たちは『究極に無価値』であることを受け入れていく。その経緯で気づくことは『愛』にある。

無価値であるからこそ愛されていることに気づき、私たちは愛そのものとなっていく。だって無価値=愛ゆえに、無価値なる存在になれば愛そのものになるということ。

 

ここまで出来るようになると、次に『価値化』の課題がやってくる。

つまり『自分には価値があることを受け入れよ』って話でもある。自分には価値があるんだってことがそれまで思ってもいなかったことを受けれていくことになる。

その種類が『他者にとって自分は価値がある』『社会にとって自分は価値がある』『無意識にとって自分は価値がある』『異性にとって自分は価値がある』である。

そのすべてが自分のなかで自分を無価値化させるかわりに相手を価値化していった内容にある。

 

ここいらで私が『自分』を取り戻し『社会』を取り戻し『無意識の自分』を認識し『結婚』を取り戻すって感じである。どれもこれも、自分を無価値化させたがゆえなのだな~と思う。

どれも失ったものだけれども、今度は価値あるものとなって戻ってくる感じだ。

そしてそれが『己』となるとき、私たちは個性化となるように思う。

無価値化したものとは『何』なのか

過去の哲学者達も言葉に残してくれているけれども「自分だと思っていたものは自分ではない」ということ。

この個性化の過程でほとんどの人が「自分ではないものを自分だと思い込んでいる」わけである。

つまり「これは自分だ!」と思い、その自分に対してこだわりがあるとき。他人に否定されて傷つくときとか、傷ついている限りは『それは自分ではない』のである。

自分とは傷つかないものであり、自分ではないからこそ傷つくという心理が働く。

「傷つけられた」という心理そのものは傷つきやすいティーンの精神にあるわけなんだが、HSPなども傷つきやすいと言うが、それこそが『自分ではない自分を纏っている証拠』でもある。

だからこそ「傷つき続けること」により、自分ではない自分を捨てていく経緯が必要なのである。

これが無価値化の経緯にあり、私たちは傷かないだけの存在であるという傲慢さを捨てていく過程にあり、その先には『オリジナルの自分』が存在している。

無価値化したものとは『自分ではないもの』である。自分ではないものを無価値化させていくためには、先ずは自分ではないものを吸収していかなければならない。

 

自分ではないものを吸収していく経緯が存在し、これが『自己犠牲』にある。そして、自分ではないものを切り捨てていく経緯で『無価値化』が起きる。無価値化の結果、私たちのなかには『愛』だけが残る。

この愛そのものが私たちの本質にある。価値あるものとは愛である。

sponsor link

無価値化したものが戻ってくる

私たちが第二サイレント期間中に『無価値化したもの』が戻ってくる。また、自分自身が無価値であることを受け入れていった内容である。

ツインレイの場合、ツインレイの相手に『無価値である』とされたがために、第二サイレント期間を迎え、遠く離れている事実を受け入れていく経緯が必要なのだと感じられる。

つまり、自分を自分で無価値として認識していくことで、次には価値があるものが戻ってくるという算段だ。

自分を無価値化させる経緯では闇が生じ「無価値は嫌だ」という足掻きも存在している。そのあがきそのものを闇の刺客が体現してくるが、それでもなお無価値を受け入れていくことにより、最終的には価値がなされていくことになる。

自分のなかに存在するマイナス面を受け入れることにより、次にプラスの面が戻ってくるということだ。しかし、マイナス面を受け入れることがなければ、プラス面が戻ってこない。

 

四神による無価値化では、青龍により自己喪失からアイデンティティが戻る。
鳳凰による社会性が失われるが社会性が戻る。
白虎による無意識が失われるが、自分の直感性が戻る。
玄武による性別が失われるが、性別が戻る。

それぞれ、自分自身を取り戻す経緯にある。自分だと思い込んでいたもののなかでも自分ではなかったものが取り除かれていくことで生まれたままの自分が戻ってくるのである。