ウロボロスと四神の関係性(玄武と麒麟)—錬金術⑦大いなる作業
しばらくウロボロスってなんだろうって思っていた。錬金術の挿絵などにも多くウロボロスが描かれているためにある。
哲学者の薔薇園にもウロボロスの上に立つ賢者が描かれている。(のだと思われる。)
ウロボロス単体の意味では『破壊と再生』を意味し、尾を破壊し続けながら再生させ続けている図案にある。ゆえに『死と再生』や『不老不死』『永遠』『無限』といったような循環サイクルを意味する。
錬金術でのウロボロスでは、
錬金術においてのウロボロスは『相反するものの統一』を象徴するもの。
中世の錬金術師たちはウロボロスのシンボルを多くの「真理」の印、『循環』『完全』を意味する紋章として用いています。
卑金属から金への錬成を可能にする、賢者の石を作り出すための元素の変化を象徴する重要な要素、「死と転生」の循環。
尾を噛んだ蛇は、4大元素の変化と転換を具象化したものとして考えられていました。引用:ウロボロスとは、錬金術・宗教・心理学・神話に存在するその意味
として説明されている。
他者破壊と自己破壊のウロボロス
錬金術の過程において、私は先ず『他者破壊によるウロボロス』と『自己破壊によるウロボロス』が存在しているとして考えている。
他者破壊によるウロボロス | 自己破壊によるウロボロス |
---|---|
地上のツインレイ | 楽園のツインレイ |
他者概念の破壊 | 自己概念の破壊 |
他者による尻尾をむさぼりあう段階は、ツインレイで『地上のツインレイ』として考え、自己による尻尾をむさぼる段階をツインレイで『楽園のツインレイ』として考えている。
他者の尻尾をむさぼる段階の地上のツインレイでは、相手を追いかけまわす状態でありながらも、お互いに破壊し合い続けていくため『他者の概念を潰す』ことでもある。いわゆる、他者と自分は同じではないことを理解するということだ。
私たち人間の多くが『他者は自分と同じ』だと思い込んでいる。つまり自分の人生から感じられたことと同じように相手は感じているだろうという思い込みだ。
人をねたむ人は、他者も自分をねたんでいると思い込むってこと。(実際はそうではないとしても。)
その思い込みを形成しているのが他者破壊によるウロボロスである。最終的には『相手は自分の思い通りにならないこと』を理解していく過程で、最終段階では『他者ではなく自己破壊』を始めていくことになる。
前者は他者概念の破壊にあり、後者は自己概念の破壊にある。
ゆえに、前者の地上のツインレイは『ツインレイの相手を追い回すこと』になり、後者の楽園のツインレイでは『自分を追い回すこと』にも繋がっている。
最終的にはすべての破壊をし尽くした後、再生を迎えることになる。新しい自分である。
つまりなんだが、人はずっと『過去を追いかけまわしているだけ』ってことでもある。人の過去を追いかけて、今度は自分の過去を追いかけているだけ。ずっとぐるぐるぐるぐるしていて、ここに生産性はない。人の人生はそんなもんで、そのなかでも『すべてを破壊尽くしたとき』にしかわからないものもあるってことだ。
この破壊が終わったら、次なる尾がやってきて、その尾をむさぼるような人生を送るようになる。人はずっとこれの繰り返しをしているわけであって、人類共通なる『人のケツを追いかけまわしている』のか『自分のケツを追いかけまわしているのか』の違いがある程度はあるってことなのだと思われる。
だけど、けっきょく、人のケツを追いかけまわすことも自分のケツを追いかけまわすこともどちらも同じことである——とも言える。これに意味があるのか? ってことなんだが、最終的には、鉄くずみたいな人の魂が黄金にまで輝くようになるよってこと。
これが錬金術の極意なのだと思われる。
ウロボロスとドラゴンヘッドとドラゴンテイル
どうしても、このドラゴンヘッドとドラゴンテイルがウロボロスに見えてならない為、その件についても検証している。
最終的には、ドラゴンヘッドは『自分の使命』であり、ドラゴンテイルは『ツインレイ』として占星術上に表現されているところまで理解している。
自分の使命とは、魂ではなく、この人生そのものの目的とあり方。何をしたいのか——の人生の理由にある。
ドラゴンテイルでは、ツインレイの相手を体現しているが、それは己の尾っぽにあり、自分の過去生という前世を意味している。
前世を受け入れることにより、私たちは自分の使命をよりよく強く強固に体現することができるようになる——という話をしている。
そして、このふたつを繋ぐことが『ウロボロス』として表現されているのではないか——ということだ。
四神とは?
実は、このウロボロスがどうしても四神の玄武に見えてならないのだが、前述しているドラゴンヘッドとドラゴンテイルにより解明された。
四神の玄武では『蛇』と『亀』が絡み合っている様子により描かれている聖獣だが、どうにもしっくりこないように感じられないだろうか。ほかの四神の鳳凰や青龍などは案外しっくりくる。しかし、このなかで玄武だけが意味の分からない構造をしている。
ふと、蛇がドラゴンテイルであり、亀がドラゴンヘッドを意味しているんだろうなと気づく。玄武とはドラゴンヘッドとドラゴンテイルの統合により生じている。いわば、これがツインレイで語られているツインレイの使命への気づきなのかもしれないが、この人生で何をするのかを理解することにある。
そういえば、この鳳凰・青龍・玄武・白虎などはキトラ古墳に天体といっしょに描かれている。つまり方位なども関係しているし、天体も関係しているとして考えられる。
また中央には『麒麟』が存在している。
占星術に合わせてキーワードを設定してみる。
青龍 | 鳳凰 | 玄武 | 白虎 | 麒麟 | |
---|---|---|---|---|---|
方位 | 東 | 南 | 北 | 西 | 中央 |
占星術 | ASD | MC | IC | DEC | |
意味 | 自己 主観の成立 |
社会 コミュニティの成立 |
プライベート 家族の成立 |
他者 客観の成立 |
セルフ 個性化成立 |
四神の本来の意味合いはすっ飛ばしていくことにする。理由だが、あんまり役に立たんなと自己判断した。必要あらば引用するかな。
つまり、青龍は『自己』を意味している。そういえば、私が『無意識はみんな龍なんじゃないか』って話を書いている。
鳳凰については、夢でツインレイの第二サイレント期間が始まる当たりで鳳凰をみているのと、不死鳥の夢を最近ではみている。個人的な感覚だが、鳳凰と不死鳥は別の存在ではないか——と思っている。鳳凰は『社会』にある。
そして、白虎だが、私は虎の夢を見たことがない。過去一度もないので白虎がわからない。が、白い馬の夢を見ているので、それが白虎に当てはまるのかな? と思っている。いわゆるこれが『他者』にある。
最後は玄武である。ドラゴンヘッドとドラゴンテイルの統合により玄武が生じることになる。
実は、この「ドラゴンヘッドとドラゴンテイルが結ばれると何が出来るんだろう・・・」と思いながら私は寝ていた(それが気になってたまらないまま寝た)ところ、朝方に「麒麟街道」と直感で教えてもらった。
街道とは主要ラインってことだな。
つまり、ドラゴンヘッドとドラゴンテイルが繋がることにより、中央の『麒麟』が成立するとのことである。[
麒麟とは何か?
麒麟については過去何度か話に聞いたことがあるんだが、私の師匠の師匠がみたことがあると言っていたのが麒麟だと思われる。
あと、私が「こいつは神さんが天下りした人だ」って思った人も「たまに、道ばたにいるよね。」と言っていた。
ちなみに私は視たことがない。夢見もしたことがないから、私は『麒麟』が何かを言葉にすることは出来ないんだが、馬と龍を合体させたやつってことだけは知っている。
それから、かなり上位の聖獣ってことも知っているが、どれぐらい上なのかは知らない。ユニコーンとかは見ているけど、麒麟の劣化的な存在って捉えればいいかもしれない。次元的に繋がる先が『白い馬』にしか見えないのか『ユニコーン』として見えるのか。そのうえに存在する『麒麟』に見えるのかは、霊能者の霊格に依存する。
つまりなとりはレベル低いから麒麟を見ることはないってこと。そして、その麒麟が現れることは『聖人』として認定されたってことでもある。つまり「人の世界にいるけど、こいつは神だぜ」ってことだな。
そのとき私たちはセルフ(個性化)が成立していることだ。
この麒麟の状態は『青龍』『鳳凰』『白虎』『玄武』の成立により導き出される状態にあるのだと思われる。聖人はこの四つの気質を使いこなすことができるとも言える。
それが『主観的視点』『客観的視点』『社会的視点』『家庭的視点』の四つってことだな。
それぞれ、主観的視点とは「自分の目線で物事を捉えること」でもあって、実際これは客観的視点という他者の視点を内包していかなければならない。他者により自己が成立するってこと。つまり客観的視点と主観的視点は両立すると言うことだ。
次に社会的視点と家庭的視点も上と同じ理由にて両立していくことになる。
玄武とは?
玄武とは上記の通り、ドラゴンヘッドとドラゴンテイルによる統合による象意だと考えられる。
占星術に置き換えると『IC』というプライベートや家庭、ほかにも無意識化による影響や休息や癒しを意味している。
私にとって楽園のツインレイの相手は『家族』なわけなんだが、これはつまり『IC』を意味しているとも考えられる。家族を成立させていくことは、ICを成立させていくことに繋がっており、私のなかに存在する『ドラゴンヘッドとドラゴンテイル』の関係性は、地上のツインレイによる『他者破壊からの再生』と楽園のツインレイによる『自己破壊からの再生』により、最終的には『家族の概念』が成立することになる。
玄武の図柄は亀と蛇が互いにもつれ合った形をしており、亀と蛇はそれぞれ雌と雄を象徴している。 中国の神話や伝説によれば、亀は雄がいないため、身ごもるためには自らと頭の形が似ている蛇とつがいにならなければならないとされている。
引用:東北亜歴史ネット
玄武の象徴は『夫婦』にあるということだ。ツインレイは玄武の概念の元に成立している。
玄武の概念は、三段階存在し、
- 二匹のウロボロスー他者破壊からの再生(結婚の成立)
- 一匹のウロボロスー自己破壊からの再生(家族の成立)
- 亀と蛇による玄武ー異種におけるオスとメスが成立する
男女のなかの気質における『相手を迫害する』『自分を迫害する』という意識を終わらせていくことにより、玄武の概念が成立するということだ。
このとき、私たちは『今生において何をするのかの使命』を理解することになり、ツインレイたちが使命へ進むと言うのはこのことなのかなと考えることができる。
鳳凰とは?
鳳凰の夢はツインレイの第二サイレント期間の始まりに見ており、ふわふわと河川を飛んでいたという夢だ。(四匹飛んでいた。)
いわゆるこれが『MC』となる社会についての概念の成立とも言えるのかもしれない。いわゆる、自分にとっての天職・目的や方向性などが明確に理解できることにある。
私は鳳凰の夢を見た後から、ツインレイに関するサイト運営をし始めているが、心理分析やツインレイの分析、神秘哲学などが私的にはかなり好きっていうのもあって、鳳凰は私たちがどこでだったら輝くことができるのか——の方向性を示唆してくれていると考えることができる。
いわゆる『社会に対して自分がどうあるべきか』でもあり、これも、もちろんツインレイの使命とも繋がっているドラゴンヘッドへの気づきの流れに乗っているようにも感じられる。
四神と錬金術と大いなる作業の経緯の解明
四神では色があてがわれている。
青龍 | 鳳凰 | 玄武 | 白虎 | 麒麟 | |
---|---|---|---|---|---|
色 | 青 | 赤 | 黒 | 白 | 黄 |
錬金術にも多くのプロセスが書かれ、そのなかで一番に有名なのは、
- 黒化(死・腐敗・黒くなる・墓場のような悪臭)
- 白化(浄化)
- 黄化(黄金化)
- 赤化
というプロセスです。
錬金術でも、この四つのカラーが同じであり、またもうひとつ『青(翠化)』というものも存在している。
黒化とは玄武のことを意味し、死そのものを意味しているが、玄武も同じように『死』を意味している。いわゆる魔境の世界へ足を入れることもそうだし、ツインレイの概念も基本的にはこの『死』という概念の元にしてあると考える。
白化では浄化とあるが、これが白虎にあたる。浄化し続けていく経緯にて『自分のなかに存在する他者』を浮き彫りにさせていく経緯とも言える。
そして、黄金化とされているのは麒麟だと思われる。中央にある麒麟は『聖人』を意味するが、もちろん錬金術における『金』とは最上級の魂である証拠にある。
赤化では最終段階とされるが、これが鳳凰にある。自分のなかにある不純物を浄化し、最終的には『社会に適応する自分』を構築していくことになる。これはもちろん自分の天職に繋がっていき、自分がやりたいことができるようになる。もはやただの気づきともいえるんじゃないかと思う。
赤化がなぜ最終段階化といえば、私たちは『社会で適応できる自分を実行する』ことにより、ほかの魂たちをも錬金していくことが出来る——という役割を担うことができると言う意味合いを持って、最終段階は『赤化』として考えられているのではないかと考える。
いわゆる、ツインレイがツインレイの使命の道へ進むことにより、多くの人たちに愛を振りまく(?)みたいなことに繋がっているが、存在しているだけで叡智な存在なんだろうから、そりゃ多くの魂に影響を与えるだろうなと思う。でも、愛はふりまかないと思う。爆
翠化の経緯は以下にある。
【Nigred】黒化(ニグレド):腐敗の段階。個性化、浄化、不純物の燃焼
【Viriditas】翠化(ヴィリディタス):活性化。結晶化とエネルギーの抽出。あまりメジャーにはならず白化(アルベド)へと統合される
【Albedo】白化(アルベド):浄化、再生の段階。再結晶、精神的浄化、啓発
【Citrinitas】黄化(キトリニタス):変容と完成、黄金化。金が精製される段階であり錬金術哲学では「太陽の夜明け」を意味する重要な工程だが、15世紀以降しだいに赤化(ルベド)へ統合されるようになった
【Rubedo】赤化(ルベド):完成。神人合一、全と一、有限と無限の合一
翠化の経緯は、白化に統合されたとされている。
翠化とは『自己』を意味し、先ずは『自分を抽出する』必要性もあり、自分そのものを『翠化』として分岐させる。その分岐したものを再び統合させていく経緯が白化にあり、白とは『他者』にあり、翠は『自己』にある手前、他者と自己の棲み分けを行っている経緯とも考えられる。
つまり、私たちは自己ではないものを自分だと思い込んでいる部分は捨て去り、自分であるものだけ取り出される経緯を経ている為『他人は他人』『自分は自分』として定義が出来ていくということ。
この黒化から白化へ変化する過程では他者と自己における分離と、また統合を繰り返しもしている。
最終的には、すべての方位における『色』が成立するとき、私たちは『白』『赤』『黒』が集まる。
錬金術の絵では、この三つの色が描かれているケースが多い。そしてウロボロスである。
この図から『白という他者の概念』『赤という社会の概念』『黒という死後の世界の概念』がすべてセットされたとき、黄金化(セルフ化)していることがわかる。
そして、その下にはウロボロスが控えている。ウロボロスの上には月が存在し、月は太陽となるセルフ化された私たちを受け取るかのような受け皿的な役割を模している。
私たちは『他者』『社会』『死後』という概念から『私たち』を形成していくが、そのときの私たちはもはや翠ではないということだ。
当初の私たちの魂は『翠』だったとされているが、これは多分サビのことではないかと思われる。
銅などはサビると青緑になる。これが『自我』。サビている状態が自我なのである。その影響性が他者・社会・死という概念の中にあり、「他者に嫌われたくない」「社会から外れたくない」「死にたくない」という欲求にある。これが『サビている原因』にある。
いわば、エゴのことだと思われる。(エゴを持っている人はサビだらけってことだな~)
この状態を他者や社会や死によって何度も何度も研磨していくことにより、私たちは『他者・社会・死』により自己を構成するようになる瞬間がやってくる。
それは「自分をすべて放棄すること」なのだと思われる。そうすると、サビていない本来ある自分が見えてくることになる。また、この状態から何度も何度も練り上げていくことで『金』にまでなっていく経緯が存在している。
たぶん、ほとんどの地球の魂がサビてるってことを揶揄しているんだったらなかなか面白いなとは思う。ユニーク。
最終的に魂はどうなるのか——。
「自分の人生を生きる」。
実はこれだけなのだと思う。それ以外にも何でもなくて、自分の人生を全うすることだけを求められていることに気づいていくことになる。
何かしなくちゃいけないとかもないし、使命を全うしなくちゃとかもいない。正直、生きているだけで使命を実行しているし、生きているだけで意味がある。これはツインレイの彼くんがよく言っていたことだ。
何かをしなくても「私たちは自分の人生を生きている」のである。しかし、その反面、サビているので社会からの抑圧(鳳凰)、男女の関係性や死の概念(玄武)、自分へのこだわり(青龍)、他者からの影響(白虎)という私たちを煩わせるような悩みが生じるわけなんだ。
だけど、それが『辛い』とか思うのは、すべてにおいて自分の魂がサビてるからなんだよって話なのだと思われる。サビてるから影響によってサビをとっているってこと。サビとりが辛いっていっても、サビてるから辛いだけであって、サビてなきゃ全然辛くもないんだよって話なんだな~。
だって「生きているだけでいい」から。それにこそ意味があり、価値がある。