ツインレイに無視される件について

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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闇とは何か——ではあるが、今回は『自分が闇だと思ったもの』が闇として定義する。

「自分は絶対的に受け入れたくないもの」だったり、自分勝手に「これは悪だ」として定義したものを、自分のなかに認めていく経緯で、私たちは『自分のなかに善悪が存在し、自分が善ではない』という事実に気づいていくことになる。

それはツインレイの間でも起こり得るし、もしくは闇の刺客としてやってくることもある。

少なからず「自分は絶対的にこんなことはしない」と思っていることを闇の刺客は体現してくるが、実際のところはツインレイの相手にやったことが闇の刺客を通して自分にかえってくる——という仕組みを使っている状態でもある。

 

つまり、闇の刺客とは「いつかの自分」でもあり、また、腹が立つ場所がおおまかに『自分』であり、みえていない自分の側面性である。

その部分を受け入れ、認めていくことにより、私たちは自分自身のなかに存在する闇は悪を受け入れることとなった。

最終的には、自分自身のなかに闇が存在しているので、他者から闇がやってくることはない。

その闇として克服した内容が何か——により、やってくる闇が消えるのである。

 

私の場合、無視する人の心を無視する——というような感じだった。ほかにもあるが、ツインレイにとってわかりやすい事例をひとつあげるとしたら、無視する人の心を無視しているということ。

私はツインレイの彼に話しかけても無視されているわけなんだが、その無視する心を無視しているから話しかけて私が「傷つく」というような構造が生まれているのである。

同じように、私も闇の刺客をガン無視するわけなんだが、無視している私の心(関わり合いたくない)を無視されては話しかけてくるような存在だった。

つまりなんだが、無視するには無視するだけの理由や動機がある。その動機を無視して「無視しないでほしい」というのは違うのだということ。その「無視する動機」を無視している限り、私は無視されるということだ。

 

そして、無視されるだけの動機の部分が『闇の刺客』である。ただ、ぶっちゃけたところ「・・・・・・?」というのがかなり多かった。他人がどう感じ、どう思い、どう捉えるのかは自由だが、それにしたって人って勝手に思い込んでは勝手に相手をビジョン化させるんだなァと思った。こと、ネットだけの関係性はかなり自由にビジョン化される。

いわゆる闇の刺客の成立とはツインレイの相手が私自身に差し向けた「私」なのである。あたいは鬼女かね。爆

闇の刺客に対して感じた嫌悪とは、自分自身に感じた嫌悪である。いわゆる、他者へ向けた嫌悪はすべて自己嫌悪ということ。

この仕組みがよくわかるのが、このサイレント期間だったということだ。

 

私にとって『無視は悪いこと』ということ。しかし、今のところ、私にとって無視は正義である。なんなら快適な世界にいざなってくれる最高空間を生み出してくれるような素晴らしい生き方だと思っている。

視たくないものは視なくていいし、無視したいものは無視してもいい。もし、無視が悪いことだと思っている人にとって、私が何かを無視している限り、私のなかに悪を見つけてくるだろうが、私は無視を肯定しているから、無視しなければならない存在はやってこないということだ。

もしやってきたとしても、無視してスルーするってところだろうか。

ただ、これは元々『無視しないことが善』から、闇として無視することが悪として生じたのである。

向き合いたくないものでも向き合ってきた人だからこそ、悪として無視が存在するのである。そもそも向き合いたくないものから目を背けてきた人にとって悪とは『向き合いたくないもの』である。

向き合いたくないものから追いかけられることになるので、これがランナーの仕組みともなるのかな、と。

 

また、向き合いたくないものがやってきたとしても受け入れるというのも、ひとつの徳の在り方のように思う。

「向き合いたくない」という自分の意識を抑制し、向き合うへ切り替えることは低次の自我の抑制となる。

 

ツインレイ女性側が『無視することを肯定的に捉え内包する』というような視点が捉えられるとき、ツインレイ男性側は『向き合いたくないと思っていたものに向き合わざるを得なくなる』ような状態へとなる。

こうやってメカニズムを理解していくのもツインレイの課題なのかな? と思っている。

 

ほかにも「向き合いたくないけど向き合うが存在する」ならば、「向き合ってほしいけど距離を置く」というカタチも存在する。(これが低次の自我の抑制にあたる自律)

けっきょく、私たちは『自分の欲求をいかに抑制するのか』も重要だし、『相手の欲求にいかに応えるのか』も重要なんだろうな。

自分の欲求を満たせない(向き合ってほしいのに向き合ってくれない)という状態から、相手の欲求に気づくこと(相手が向き合いたくないと思っている)によって随分と視点が変わってくる。

そして相手の欲求を受け入れることで人生が楽になる。けど、相手の欲求を受け入れたくないのも人なのだと思われる。

相手の欲求を受け入れたら『自分』がないがしろにされたような気分になってしまうからである。(これが低次の自我そのもの)

相手の欲求にこたえられないのがツインレイ男性ならば、ツインレイ女性は自分の欲求に相手が答えてくれない悩みを抱えているともいえる。

真逆に、ツインレイ女性は「相手の欲求に気づく」ことが重要であり、ツインレイ男性は「相手の欲求に応える」ことが重要。

だけど、ツインレイ女性が相手の欲求に気づかない限り、ツインレイ男性も相手の欲求に応えない——ということなのだと思われる。

また、これが『相手の欲求が向き合いたくない』という静的なものだから分かりにくくはさせているところがあるが、相手の要望に気づいていくだけで世界観も切り替わっていくのだと思われる。

 

ツインレイ女性は自分を大事にする・自己愛を大事にする――という目標もあるようなんだが、この『相手の欲求に気づく』ときに、相手がほっといてほしいとなったとき、その視点が自分にいつだって向けられるようにしておく準備が必要だということでもある。

ツインレイ男性は相手を大事にする・他者愛を大事にするということになるが、『相手の欲求に応える』とき、自分のことを少し置いておくほどの心の余裕を持たねばならないのだ——ということになる。

 

私自身はずっと『男女の二元性として循環する』という思想を考え、いかにしたら男女が幸福に生きていくことが出来るのか——を考えてみたが、根源にあるのは、他者愛性の高い存在こそが自己愛を重要視せねば関係性が成立せず、自己愛性の高い存在こそが他者愛を重要視せねば関係性が成立しないのだと思われる。

自分の気質をよく見極めて、真逆側の気質をうまく乗りこなすことができるようになると『男女の関係性』はかなり落ち着くのだと思われる。

または『女性と男性の関係性が上下関係』になることにより、関係性が落ち着くということ。(どちらかが犠牲になると言うこと)