ツインレイの再会への執着を手放したときの特徴まとめ

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイステージを手放したりもしたし、ツインレイの再会のステージが『終わった』感覚もしている。

ちょうど、満月から新月へ向かう段階だった。私の中にある浄化しなければならない多くの感情や親との関係性のなかから『私を巣くう悪魔』をもなんとか処理していく必要性もあった。

私のなかにある浄化しなければならない問題の解決は、未だに終わっていない。

だけど、しっかりとズレこんだ生理は新月と共にやってきて、なんとなくスッキリ感がある。私は月の恩恵を受けているのだと知る。まさかのここでかぐや姫効果だろうか。

かくいうこのツインレイの再会のステージが終わりっぽい話の記事は、2024年2月25日に出されている。この日は満月で。そのなかでも少々特別な最も遠い満月なのである。

その日から、私は『再会を望んでしまう自分』を手放し続けていた。そして、再会を望んでしまう自分の根源にある子供時代に記憶などを想起する機会にも何度も恵まれながら、私は母をひとりの存在として認めることができるようになっていくのである。

新月の段階で、私は一昨日にひとつ大きなものを取り戻した。

『自尊心』である。

こんな風にして、私は手放したものの代わりに、多くのものを手に入れつつある。

 

本題は『ツインレイの再会への執着が手放されるとどうなるのか』である。

私はツインレイの再会への執着を手放すと同時に自尊心が戻ったのだ。

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ツインレイの再会を手放すとは

多くの方々が『ツインレイの再会を手放す』という経緯を経験することになるかと思う。理由は、ツインレイの再会を望む原因が執着にあるからとも言える。

ではなぜ執着がいけないのかというと、それは依存だからである。

依存とは何か——というと、私たちがツインレイの相手に何かしらの期待を持って自分の人生を生きていない証拠とも言える。

私たちのなかには『自分の人生を生きる』という目的がある。しかし、私たちは自分の人生を生きることがなかなかできずに自分の人生を変えてくれるんじゃないかという救世主を望んでいる。

それがツインレイというスーパーヒーローである。

依存から抜ければ自立となる。自立すれば、私たちはなんでもかんでも責任を取っていくことになる。人のせいにすることはおろか、自分の人生すべての責任を背負うことが『自立』なのである。

ツインレイに至っては『過去の自分のやらかし』なども含め、なかなか恥ずかしい経験なども含めて黒歴史を彷彿とさせては赤面するしかない。

ツインレイの再会を手放すとは、自分一人で生きていく覚悟を決め、その覚悟は『大人になる』ことへと繋がっていく。

私たちが大人になるとき、ツインレイの相手は依存先ではなく『対等な相手』となる。ツインレイの相手は私たちを救ってくれるスーパーヒーローではなく、たんに『男性』となるだけ。

ツインレイの再会を手放すことは私たちの心が異性への依存を手放し、自立への道を進むと言うことだ。

ツインレイの再会を手放した後の特徴


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ツインレイの再会を手放した後、私たちは私たちのなかに心境の変化が生まれてくる。その心境の変化は、私たちが『ひとつ大人になっている』とも言えるが、そのなかでも少々特徴的なものを上げてみようかなと思っている。

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特徴『ツインレイの相手が心の肥やし』

ツインレイの相手が私の心のなかに肥やしとして存在している。

ツインレイの相手は、アニマ・アニムスという私たちの精神構造のなかに存在している異性性を究極に体現してくれている存在だと思っている。

私たちの中にいる異性性が未熟なとき、私たちの異性関係は依存ともなるため、ツインレイたちの初期は回避依存と共依存の関係性を模すようになる。

しかし、最終的に私自身のなにアニマの自立・アニムスの自立が成立するとき、ツインレイの相手への固有の執着はなくなっていく。

それはツインレイの相手へ思う気持ちがなくなりつつあるようにも感じられる。好きという気持ちがなくなっていき、ツインレイの相手が心のなかに棲んでいる感覚とも言える。が、棲んでいるともまた違うのである。

私の中にいるアニムスは、今やツインレイの相手ではなく私自身として認識し、私自身のなかに『私を基盤として生まれたアニムス』が成立しているのである。そして、そのアニムスはツインレイの相手との経験により構築された成熟したアニムスである。

特徴『何度でも恋に落ちるだろう』

ツインレイの相手に対して『好き』という感覚がもうない。今、ここに彼はいない事実を受け入れていくと、好きではなくなる。

好きとは、そこにいるから実感できる感情にある。そこにいない人を好きになろうとしても無理である。今ここにいない彼は、きっと今はもう私が好き『だった(過去形)』彼ではないはず。もう2年もたっている。少なからず私も思想も変われば人格も変わりつつある。

今の彼は私の知っている彼ではないことを理解してみると、とくにそれを『好きか?』と考えてみても「よくわからない。だって、今の彼を知らないし。」という答えしか返ってこない。

過去の彼に対しての執着が落ちてしまうと「今の彼はどんな彼だかわからないから、好きかどうかもわからない」へ到達するようなのである。

これがもし普通の恋愛ならば、ほかの異性へと目を向けるとかの方へ進むのかなとは思っている。

だけど、ひとつだけ明確に私が理解していることがある。

それはツインレイの相手に再び出会うことがあれば、恋に落ちるだろうという予感だ。

きっとそれは彼がいかなる人間になっているようが。彼がいかなる人格になっていようが。それがもし、ニートになってクズ感ハンパないヤバいやつになっていたとしてもだ。そう、いかなる彼とは『善い彼』だけではない。『私にとって都合がめちゃくちゃ悪い彼』になっているかもしれないよ。

だけど、そんな彼になっていたとしても、私はきっと彼へ再び恋に落ちることだろう。

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特徴『ひとりで生きる』

ひとりで生きていくことに、なにもためらいがなくなっている状態である。ツインレイの相手と再会しない場合、もしかしたら私はこのまま独り身で朽ちていくかもしれないが、そんなんでもきっと大丈夫なんだろうなと思っている。

独りで生きていく覚悟が決まったのは、自立が強く関係しているように思う。

特徴『覚悟を受け取る』

私はよく自分で自分に覚悟を決めてきた人である。それはツインレイに限っても同じである。

ツインレイの彼と結婚しようと思ったとき。彼を待つと決めたとき。私はいくつかの覚悟を決めた。その覚悟は「結婚する覚悟」もそうだし「結婚できるまで時間がかかる覚悟」だった。

正直、結婚できるまでにまだ時間がかかるのは、未だに三十代半ばで未婚な私にとっては大打撃もいいとこ。だからこそ、私にとってツインレイの彼は覚悟して挑まなければならない人だった。

 

だけど私だけじゃない。相手も私と結婚するには覚悟が必要なのである。

私は覚悟を決めることは出来た。だけど、その覚悟を受け取ってもらったことがない。待たせるには待たせるにも覚悟があるのかもしれない。

私は、人が私に対して抱えている覚悟を受け取ったことがなかったのかもしれない。人が覚悟を決め、その覚悟を受け取れていないから、私も人に覚悟を決めても覚悟は受け取られないのである。

 

こたび『覚悟を受け取る』ことが出来るようにもなったし、それは人を信頼することなのだと思う。

人を信頼するとき、人が持つ覚悟を受け取ることができる。

自分で自分に覚悟を決めるとき、私たちは『自己信頼』がある。人の覚悟を受け取るとき、私たちのなかには『他者信頼』が成立しているときのようだ。

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特徴『胸(ハートのチャクラ)が軽い』

ツインレイの第二サイレント期間の始まりのとき、多くの執着から解き放たれた感覚がした。

そして、その後、どんどんと私のハートのチャクラは重くなっていったようなんだけど、胸が軽くなるまでは自分のチャクラが重かったことに気づきもしなかった。

ハートのチャクラが重かったんだと理解するには、軽く無からなければ重かったことも理解できない。

今は、胸に多くの傷や思いなどが詰まっていたものが、それこそ本当に詰まっていたらしく、どんどんと涙として流していく経緯で軽くなっていった。

ツインレイへの執着がなくなって、今。

ツインレイの彼への執着がなくなり、ツインレイの彼との記憶もほとんど思い出せなくはなったが、その記憶により生まれた『心』が私の心を形成している。

ツインレイの彼は、私のなかに存在している未熟なアニムスを画期的に成長させ、覚悟が決められないアニムスから覚悟が決められるアニムスに育ち、覚悟を受け止めることができるアニムスにもなったようである。

信頼関係を構築することができるアニムス人格が私のなかに存在している。

かつてはそれがツインレイの彼の本来の姿だったのだと思われる。しかし、私のアニムスがとてつもなく未熟だったために、私のアニムスとツインレイの彼のアニムスにより成長を迎えていくことが出来たように思う。

 

ツインレイの彼への執着は今はない。再会したいとか再会したくないかといえば、再会はしたい。会いたいと思う。

会いたいとは思うけど、自ら率先して『会おう』とは思わない。連絡したいとも思わない。

ときに胸がはちきれそうになるぐらいに辛いことがある。そんなときに『想いだす』だなんてことはある。まだすがりたい気持ちがあるんだと思う。

だから会いたくない。私にとってはツインレイの彼は救世主ではない。ひとりの男性なのである。私が彼に助けを求めてしまう限りは会いたくない。

自分の心を自分で背負いきれるまでは会いたくない。

これが私の『自尊心』。