聖守護天使で構成されているツインレイについて

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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聖守護天使とは、ひとりひとりについて守護している『天使』のことである。

個々人にとって特別な唯一無二の、個人を導く高位の霊的守護者であり、個人の神(a personal God)である

引用:聖守護天使 – Wikipedia

この聖守護天使により構成されているツインレイとは、ツインレイによる双子の構成が『聖守護天使の魂』と『人間の魂』により分離していることである。

この聖守護天使はキリスト教のほうで語られており、私もあまり天使関係には明るくはないのだが、前回の大天使アリエルの一件で少し触れることで理解が出来てきたのかなとは思っている。

大天使アリエルの役割は、聖守護天使と人間を見守ることとされている。大天使はたいていそんな役割を担っている。

そして、聖守護天使は、ひとりの人間につきっきりになってお世話をしている『個人の神』である。

キリスト教ではそんな思想があるわけなんだが、神道ではない。というか、神道のほうだと聖守護天使という概念がないかもしれないのと、そういう存在がいないわけではないんだが、つきっきりというわけではない。

神道のほうで聖守護天使に値する位を持っている人たちは、私の話す『作務衣のおいちゃん』とか『巫女のおねえちゃん』たちである。

人の世話をしているが、一人につきっきりで世話をするわけではない。基本的に「ある一定にまで満たした魂」に対してのお世話とか「固有の魂へのお世話」をすることはあるが「聖守護天使級の魂はみんなをお世話している」ようになっており、固有の人に対しての固定ははない。

たぶん、魂がどこの神から発生したのか? により、どういう立場なのかが変わってくるのだと思われる。

いわゆる、縦社会にも色々あって民主主義国家もあれば、独裁国家もあるって話。魂もそれぞれどこの宗派に属されているのかによって結果が変わってくるのだと思われる。

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聖守護天使と人間の魂によるツインレイ

聖守護天使と人間の魂により構成されたツインレイは、片方が『天使の階級』で、片方が『人間の階級』として魂が構成されている。

どっちが上かといえば、そりゃ天使の魂のほうが上であるため、ツインレイのうちどっちのほうが霊性が高いという話のなかで『天使のほうが上』として認識している人が多いのだと思われる。

しかし、私からすれば、人間の階級と天使の階級には確かに私たちからすれば上下関係は構成されてもいるけれども、役割の話でもある。

総理大臣と民草のわたしたちのどっちのほうが上かといえば、そりゃ総理大臣のほうが偉いわけだが、私たちが民草としての役割をしなければ総理大臣も成立しない。つまり、どっちが上ってわけではなくて『どの役割を担っている魂なのか』であって、役割が上だからと言ってそれが『良い』とも限らない。

一番すごいと思うのは、元々が総理大臣として生まれた魂よりも、人の魂の状態からドンドンと総理大臣にまで至った魂のほうが経験的にはすごいんじゃないかな? っていう話でもある。

ゆえに、聖守護天使と人間の魂のツインレイに対して感じられる『霊性の差』はここで明確に理解ができるわけである。

ツインレイの天使と人の世界の違い


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さて、この聖守護天使と人間の魂により構成されたツインレイたちは、『向こうの世界にいた人たち』と『もともとこっちで生活していた人たち』の2種類に分類されている。

私は向こうの世界にいた聖守護天使レベルなんだろうなとは思う。だけど、この地球にやってきたら、実際、ただのポンコツだよね。だって人間やったことないし、人間のプロである彼くんには負ける落ちぶれた存在である。

この聖守護天使は、聖守護天使としての役割を担っている。とりあえず、こっちの世界に着たからと言って『聖守護天使の役割から逃れられる』わけではない。そもそもそれが魂としての役割なのだから。

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聖守護天使と人の魂のツインレイが出会うこと

聖守護天使の魂は『個人に対しての神』であるため、人の魂側のツインレイは『自分の神に出会った』ようなものである。願いを聞き届けてくれる小さな神である。

聖守護天使からして、人の魂は『自分の子に出会った』とか『守るべきものに出会った』ようなものかもしれない。

聖守護天使の気質そのものは『人の願いをきくこと』にあるため、聞き続けてくれるが、自分の願いを叶えることはない。というか、自分の願いをかなえる方法を知らないかもしれない。

人の魂は『自分の神』という存在を知らないし、『自分の願いを叶えてくれている存在がいる』ことにも気づいていないと思われる。自分の願いは自分で叶えてきたものだという自負が存在している可能性がある。

聖守護天使は、人の魂である相手に触れて「自分の願いを叶えること」を理解し、人の魂は「自分の願いは聞き届けられていること」を理解するのかもしれない。

聖守護天使と人の魂のツインレイのメカニズム

図の説明:聖守護天使と人の魂のツインレイのメカニズム

従来の私たちは、こんな風にカップリングが形成されている。

聖守護天使からして、人の魂は『人間の自分』。
人の魂からして、聖守護天使は『神さまの自分』。

というカップリングである。

しかし、聖守護天使が地上にいる状態は、いくばか状態がおかしくなる。

図の説明:聖守護天使が地上に来ると担当不在になる

地上にツインレイのふたりが存在していると、天界で人の魂にも聖守護天使の魂にも担当者が不在となってしまう。

この状態から、急遽『担当者』がつく。ツインレイの場合は、そうなっていると思われる。魂が成長する過程で親の手がかかるときなんだろうなとは思う。(反抗期もあるし。)

それが私の場合は『高皇産霊神のお父ちゃん』であり、彼くんの場合は『アリエルのお母ちゃん』なのではないか——と考察している。

図の説明:聖守護天使は実父と、人は義母と。

私と彼くんは高皇産霊神のお父ちゃんから生まれた双子である。しかし、この地上においての学習や経験は『私は実父から経験をもらう』ことになり、『彼は義母から経験をもらう』ことで『異種』として成立させることができる。

ちなみに私は男性的だが、彼くんは女性的にみえる理由はここにあるように思う。

この段階に差し掛かるには、人の魂側が『聖守護天使を必要としないこと』が大前提の条件である。ツインレイとは「天界の力を必要としない状態」となっており、その状態でこの地上で生きていく力を身に着けている人たちなんだとは思う。(この地獄で自分一人で生きていける力が身についている。)

聖守護天使がなぜ地球にやってくるのかというと『天界にいる必要性がないから』とも言える。向こう側から人の魂を守護する必要性がなくなり、こちらの世界へやってくることができる状態になっているのである。

聖守護天使を必要としない段階となったとき、私たちの魂は思春期や青年期に差し掛かっている。そのとき、私たちの魂は反抗期を覚え「自立」へと向かうようになる。

それは、聖守護天使と人の魂のふたりを揃って見守っていた『父』からの自立のために、お互いがお互いにとって別々の経験をオリジナルとして受け継ぐタイミング。

私の場合は『父』から経験を引き継ぎ、彼くんは『母(義母)』からの経験を引き継ぐことで真逆の経験性が父と母により構成される。

父からの経験とは『神道』にある。神道とは『ワンネス』に近い感覚であり、『全』の意識のように思う。すべてと繋がっているありのままの私たちだ。

母からの経験とは『キリスト教』にある。キリストさんは教えなのもあって人が霊能によって神へと導かれていく道にある。すべてと断絶され『一』の意識を形成していく道にある。

このふたつが結びつくことにより『全と一』の意識が成立する状態へ結びつかれていく。

 

ここで、
母と父という神の異質性の統合。
神道とキリスト教の統合。
天界と地上の統合。
とか、色々な視点での二極的な部分が発見される。


キリストさんってなんの神さんなんだろ? って思ったら、この方『罪悪感』の神さんなんだなと思った。

何かしら悪いことをしてしまったときにお救いくださる神さんなのだな、と。

無罪の人を十字架に貼り付け、最後の最後に死んだ後にも脇腹を刺すような愚行をするような人たちが抱えている罪悪感をも受け入れるよってことなんだとは思う。

キリストさんの系譜の魂は『罪悪感』が人生テーマになるかもしれない。キリストのポストに座る人も『罪悪感』がテーマになってくるから、罪悪感を抱えまくったり、罪悪感を押し付けられまくったりとかの『悪』による学習がありそうだなと思った。

そういった罪の意識を抱えて生きていくってかなりしんどいモンなんだが、その罪の意識を背負い、その罪こそが己である境地に至るんかもしれない。

「私はあなたを許します」という意識は「私は私を許します」にも通じている。このI amの部分が『イエス・キリスト』だと思われる。

ちなみに私も黒歴史はある。

今回、未熟だった時の自分の黒歴史がものすごく恥ずかしくなってしまったんだが「そんな自分が許されて存在していること」が理解できて、もし、このとき『赦し』を与えてくれた神がいたのだとしたならば、それはキリストさんなんだと思う。

そういう私たちの心のなかに、ひとりひとりの神さんたちがおるんだわ。

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聖守護天使の使命の手放し『守護しないこと』

聖守護天使の役割は『守護』にある。いわゆる、役目がこれ。守護そのものが役割。これを手放していかなければならない。

もちろん、人の魂も『守護されないこと』が大事で、ツインレイの相手が守ってくれなくても大丈夫にならなければならない。

聖守護天使と人の魂の関係性は癒着的な関係性である種『共依存と回避依存』の構造を模している。もちろん、小さな私たちの魂のときは、依存関係が必要にあった。

しかし、もう青年期に差し掛かった魂なのであれば『守護』は必要がないのである。

 

多くのツインレイたちが『使命』を探している。

そもそも、聖守護天使たちは、ずっと『人の守護』をし続け『人の願いを叶える』ことをし続けてきた。それこそが私たちの使命だった。

しかし、自立を人の魂側がし始めてしまったら、聖守護天使たちは『聖天使』へとなっていく。私たちは誰のことも守護しない、誰のことも守らないでも大丈夫になっていかなければならないのである。

役割に依存することはこのことにある。私たちの聖守護天使という『守護する役割』への依存を手放していく必要性があるのだ。

 

守護するという依存関係の役割を魂が終えることにより、次は自立した関係の役割を魂が背負うことになる。

そのとき、私たちは新しい使命を知ることになる。

魂のことなので、表的にはあんまり関係がないかと思う。息をするようにしながら使命は実行していると思われるよ。使命をする——ではなく、使命は時すでに生きているだけで使命となっている状態のことである。

ツインレイの使命とは『命の使い方』と今まで説明をしてきた。

もうちょっと突き進んで説明すれば「生きているだけで常に使命は全うされている」。だから『使命に気づく』の意味は「生きる」ということである。

で、ほとんどの人の「魂が死んでいる」っていう事実をあげておく。