報告|ツインレイステージの手放し、ツインレイへの別れは惜しみきった。
いくつも色々と過去に手放してきたように思うのですが、この段階で「ツインレイステージの手放し」という形に着地する。
「もう再会しなくていいや」っていうのもあって「もうツインレイはいいかな」っていう感覚もある。
なんかこう、ツインレイの彼くんに対してもほとんど忘れつつあって、記憶のかなたに保存されている感覚だ。
ただ、私の直感だと来年にすべてが終わるっぽいので、来年までは何かしら発展があるんだろうなと思っている。
今のところ、インナーチャイルドの癒しが終わり「父神の思想」と「母神の思想」も私のなかで成立し、これが『社会』ということへの理解が進んだところである。
お父ちゃんがどのように人を導いているのか。お母ちゃんがどのような存在なのか。
今まで「親とはなにか?」を理解していなかった私にとって、父神と母神を理解することは「親になるとはなにか」を理解したように思う。
このツインレイステージの段階のすべては、私にとって、大人になるまでの経緯にあって。そしてモラトリアムという大人になるまでの葛藤の期間でもあった。
この葛藤のなかで「親になる」まで理解に達し、今までは「子供は生まないかな」と思っていたんだが「いや、今ならば産めるかもしれない」と思えているところにある。
親になれないなと思っていた理由は、私自身が「自分はまだ子供の領域だ」ということを理解していて、お父ちゃんとお母ちゃんを理解できていなかったからなんだなと思った。
私にとってツインレイの彼くんとの出会いから別れは『さよならのできない別れ』だったのかなと思っている。
どんなに頑張っても「さよなら」が出来ないのだ。SNSで話しかけても返事はこないし、彼とちゃんと「さよならがしたい」と思ってもさよながらできない関係性。
つまり、さよならができない別れ。それこそ、突然死みたいなものなのかなと思っている。
ある日突然、大事な人がいなくなって、その人とはもうこれから先に別れのあいさつも出来ない。自分のなかで『区切る』という強さが必要だった。
だから「もう戻れない」ってことを受け入れることができなかったのは『死による別れ』のような気がした。だけど、サイレント期間に入るときの感覚は「このままいっしょにいたら彼くんが死んじゃう」だったんだが、うーん。わからない。
さよならができない別れってどうしようもない感じ。そのどうしようもないことが、私の克服課題だったように思います。
同じように彼は「さよならできない別れ」を経験していたから、同じように私の経験しているのかもしれない。そのとき、彼は「どうして皆忘れちゃうの」って言ってたけど、そりゃ生きているからだと言った私が心強い。
私は生きている。だから私は彼を忘れていく。素晴らしいことじゃないかと思う。
忘れたくないと抗った数年間も悪い時間じゃなかったよ。だけど、もう時間は過ぎてしまった。時計はずっと回っている。忘れてもいいんだろうなって思えている。
もしこれがたった2年程度で済んだのであれば、良かったかなって思える。
ツインレイステージの手放しは「別れを受け入れること」で、別れそのものを受け入れてしまえば、ステージは手放される。
どのような別れなのかはみなみな違うように思う。
私の場合、もう彼は死んだ( ’-' )っていうシナリオだったみたいだな。
今やもう色々と泣き尽くしたのもあって、別れが悲しいとかも何もない。
次なる段階のステージ(ではないんだが、新しいカテゴリーとした)については「革命篇」にしているが、正直なんてつければいいのかがわからなかったからである。
この段階でようやく。あともう少しでツインレイの彼への感謝が成立するような気がしている。
それは「彼と出会えてうれしい」という感情だ。私にとって「ツインレイの経験は辛かったし、彼との経験は今の私に生きているからこそ感謝している。」と、自分の辛かった感情に無視をすることは出来ない。
自分の辛い感情に蓋をしている限り『ツインレイの呪い』は続いていくからだ。
だからこそ、私は彼へ感謝できるだけの「彼と出会ったときに嬉しいと思った感情」を思い出したい。初めて出会ったときに感じた高揚感を。
彼に出会えて、私は心底嬉しかったのである。ようやく出会えたと、私は彼との出会いに胸を高鳴らせ喜び、また彼へ感謝もした。
「生まれてきてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう。」
って言葉にした。
それぐらい嬉しかったからだ。まるで自分で産んだ我が子にであったときのような感動である。
あのときの感覚を再び思い出したい。たしかに私は彼へ心の底からの喜びの感謝を抱えていた。
その心を取り戻したい。
辛い出来事に感謝する心じゃなくて、嬉しい出来事に感謝できる心を——。そんな人生を取り戻したい。そのために私はあと何をしたらいいんだろうか。