ツインレイの再会が起きる原理と法則

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちはツインレイと出会い、精神構造そのものを組み替えている。そして精神構造そのものを組み替えている過程のなかで一番に大きな課題としてあげられているものが『統合』にある。

私たちはどれだけツインレイの統合についてを理解しているんだろうか。

ちなみに私は、この再会時期に入り、錬金術についてを理解するまでは、ほとんど統合については理解が出来ていなかったと言っても過言ではないように感じられる。

さて、ツインレイの統合とは『要素の結合』ともいえる。

錬金術のなかでは『水銀』と『硫黄』の結合が、ツインレイの結合における大きなヒントともなっている。

3原理とは『硫黄』『水銀』『塩』にあたります。

硫黄の象徴図水銀の象徴図塩の象徴図
硫黄水銀
激しい火の象徴両性具有の象徴物質の固定の象徴

引用:錬金術と錬金のプロセス│ツインレイと錬金術②

私たちは、地上のツインレイ(ツインフレームや偽ツインレイとして定義している)の段階にて、水銀たる両性具有を成立させる。まずに必要なものが私たちのなかに両性具有状態を成立させる必要性があるのである。

この段階においてのツインレイたちの多くが『異性性を吸収』することになるため、自分とはまったく異なった『性別による性差』で悩むことになる。

そして、地上のツインレイたちは『対立』をするようになり、その後『分離』をする。

この法則性は、錬金術のなかに認められる内容である。

対立⇒分離⇒分子の結合

この過程をすっぽかしてツインレイの統合を成すことはできず、また、当初の地上のツインレイの段階では『男女の統合』をまずは大前提に行う必要性があり、この段階でツインレイたちは『異性性』を理解する。(また、私はこの段階で、股間に海だまりができ、たまたまがついているような感じになってしまった。。。)

これが精神領域におけるツインレイたちが行っている『作業』にあたる内容である。

同様に、私たちは現実世界でも同じように現象を起こすのである。

しかし、地上のツインレイの段階ではツインレイの相手——もとい、異性に対しての執着や思い込みを払しょくしていく段階にもあるため、ふたりの関係性は泥沼にまで陥りやすい。

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対立⇒分離⇒分子の結合

この工程のうち、対立が『サイレント期間の始まり』にあたり、分離が『サイレント期間』であり、分子の結合が『サイレント期間の終わり』にあたる。

精神構造のなかでどれだけの量を統合させるのかにより、ツインレイたちのサイレント期間の長さも変更されてくるだろう。

サイレント期間と錬金術
内容
対立サイレント期間の始まり
分離(浄化)サイレント期間中
分子の結合サイレント期間の終わり

精神構造のなかで、ツインレイたちは再会までの間に『ツインレイの相手との間に生じた衝突した内容を全て結合化させる必要性』がある。

それは、ツインレイの相手が持っている一極に傾き、自分自身もまた、もうひとつの一極性へ傾いた内容を結合化させていくことにある。

ゆえに、これを徐々にツインレイのふたりで——。否、自分自身のなかで二元性化させていくことで、ツインレイたちは統合を迎えていくことになる。

ツインレイの統合とは『男女の統合』を始めとし『神と人の統合』なども存在する為、どれだけの幅広の自分自身のなかに存在している分離素材が成立しているのかにより、ツインレイの統合の量はかわってくるのである。

ほとんどのツインレイが持つ共通点


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ツインレイが持つほとんどの共通点は『自分とは対局した存在』にある。

自分自身が一極に存在しているのであれば、もうひとつの一極に存在している存在が『ツインレイ』である。

それは、いかなる内容にあれども、対局した存在をツインレイと認識していることにある。

しかし、このツインレイたちにもそれぞれの『レベル』が存在している事にもみなみな気づき始めている事ではないかと感じている。

ツインレイたちのなかでも『好き』と『嫌い』という嗜好のベクトルの対局をもつ人たちもいれば、『意識』と『無意識』と無有たる世界の統合をはかる人たちもいる。

個人的な部分から、大きな世界規模にいたるまでの感覚をツインレイたちは徐々にレベルアップをさせながら統合させていくのである。

また、私たちはツインレイを『外部の存在』として認めているが、各々私たちは自らのなかに『ツインレイ』をかっているからこそ、外部にツインレイが発生するのである。

いわば、私たち自身が「ツインレイとの対極性座す必要性」が大前提に存在し、その座席に座るとき、私たちは『ツインレイ』と思われる存在出会うのである。

その存在は私たちにとって無自覚であり、認識のできない領域に存在し、知覚ができないであるがゆえに死角に立つ存在がツインレイである。

ツインレイとの関係性においてのほとんどが緊張状態にあるのは、この死角たる存在がツインレイであるがゆえにある。

また、私たちは知覚していないからこそ『ツインレイ』という存在が発生することも忘れてはならない。

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ツインレイの再会の根源『対立』

ツインレイのふたりがまず『何について対立したのか』についてを考えなければならない。それが『性差による問題』なのか、それとも『自分のなかに存在する抑圧している何か』なのか。

色々な視点はあるが、ツインレイのサイレント期間に入ることで『自分のなかに生じる葛藤』のようなものに着眼してみる必要性がある。

対立した内容が、何に起因しているのかにより、最終的には結合にいたるまでの経緯をかなり短縮化させることは可能かもしれない。

自ら、何が問題であり、何が弊害であり、何が壁となっているのかを明確に理解することで、対立そのものを『愛による受容』をすることでうまく回るためにある。

その場合、ツインレイの相手が『なにの象徴』なのかについてを考えねばならない。

私の場合、ツインレイの相手は『無意識の象徴』を持っているが、無意識と意識の統合までの経緯に『自らのなかに存在する潜在的なコンプレックスを排除する』『自らのなかに存在する潜在的な無自覚な意識を自覚する』というようなことを行ってきた。

その過程で最終的に『ツインレイは無意識の象徴である——』とまで、最終的な結論を出すことができたが、この3年間の間に再会のこの時期まで「彼くんは、あたいの無意識の象徴だよ」だなんて思いもよらないことでもあった。

なぜならば、私は私のなかに存在している『無』を自覚することができない為にある。少なからず、無意識と意識の結合における段階でなければ——。地上のツインレイのように、意識で捉えられる範囲の『象徴』を相手に投影している限りならば、客観性を駆使し、なんとか処理することは可能になるんだろうと踏んでいる。

ツインレイの再会の根源となる『なにが対立しているのか』についてを、意識による状態で『意識』の内容にとりかかっていくのであれば、それは『記憶』を探るのが一番に手っ取り早いことではないかと感じている。

また、記憶を探ることもがなくとも『二極化』となれば、再会へと持ち込むことができる為、「なにがなんでもすべてを受け入れる(本当の意味で)」ことができれば、終わる話でもある。

が、それがなかなかできないから、対立のまま時間が過ぎてしまうのである。

この二極化における『ツインレイ』VS『自分』の意識が結合したとき——。それは、ツインレイの相手が持っている意識が自らのなかに存在し、また、その意識により傷ついた事実や、嫌悪したこと、ツインレイの相手に対しての『悪意ある自己意識』そのものにも着眼する必要性がある。

多くのツインレイが恋の病にかかり40度の高熱のなかにある。そのなかで、相手への好意ではなく、自らのなかに存在する悪意を手に取り、その悪意を処理していく必要性にあるが、なかなか40度の高熱のなかで正常な判断をすることは難しいことでもある。

そして、それをやるのが『ツインレイという病』である。病にかかったままであれば、再会が訪れることはない。

分離していることに気づいていないのが病にある。

結合したいと言う欲求にかられ、今現在『分離している自覚』が持つことが出来ていない原因に着眼することができないのである。

ツインレイの再会と統合は同時にある理由

ツインレイの再会は、ほとんど同時にある。統合後であることは『確実』ではある。

そもそも、ツインレイの再会そのものは一極だけしか保有していない自己意識のなかに、もうひとつの一極にある自己意識を自覚し、受け入れていく経緯にある。

その受け入れていく経緯で『ツインレイの相手を受け入れる』ことに繋がっている。

ツインレイの再会が現実で起きるのであれば、同様にツインレイの精神構造の中でも『結合』という再会が起きているのが道理である。

しかし、精神で起きていないことが現実で起きることはない。ゆえに、先ずは『統合』を先に終わらせ、次に『ツインレイの再会』へと進んでいくことになる。

ツインレイの再会を望むのであれば、先ずは統合をする。それは自らのなかに存在する嫌悪と向き合うことにある。その嫌悪そのものが自らであることを認め、またそれを受け入れていく経緯で、結果的には『統合』されていく。

私たちはツインレイの再会までに精神の拡張をしているに過ぎない。

いわば、自覚する範囲を拡張していくのである。無自覚である範囲を広げていくために、私たちは考える必要性がある。悩み、葛藤し、自らの結論を導き出す必要性があるのである。

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ツインレイの再会のトリガー

ツインレイの再会のタイミングは、先ず、ツインレイのふたりが持つ統合するべき内容が、統合し終わることにより再会が見込まれる。

地上のツインレイの場合、男性の場合は『自らのなかに女性性を認めること』でもあり、女性の場合は『自らのなかに男性性を認めること』でもある。

ツインレイの再会のタイミングそのものは『自分とツインレイが統合するべきものが統合された意識』へと変革された段階にあり、また、それは自らが一極性へと傾いているものが二極を理解することを踏まえ、そのふたつが愛による結合をしたとき、再会がやってくることになる。

いわば、ツインレイの相手の不幸を願うことは『二極化をさせない』ことである。

私たちは不幸を統合させることは出来ない。ツインレイの相手そのものに対しての意識が『不幸』『嫌悪』等の意識があるとき、それらを払しょくし、また根源にある『幸福を心から願える段階』にまで浄化させていく経緯が必要にある。

錬金術において白化の経緯では浄化を何度も行っていくことにあるが、ツインレイたち自身が、どうして他者の幸福を心から願えないのかの原因そのものも『白化』ができていかないために、ツインレイたちの再会が先延ばしになっているような気がしてならない。

他者への幸福を願うことが、自らの不幸に繋がっているような感覚が『ツインレイ』には感じられるだろう。

少なからず、多くのツインレイたちが『ツインレイの相手の幸福を願うとき、自分が不幸』という構造に苦しめられている。

しかし、そのなかでも「どちらも幸福である視点」を得ることができないか、苦し紛れでも探してみるとき、私たちはひとつの活路を見出すことができる。

それは過去の思想においては『不幸』ではあるが、本質的には不幸のなかに幸福が存在していることに気づくこと。

この視点の変換がうまくいかないでい続けることがツインレイの再会を先延ばしている原因にあるのではないかと感じられた。

少なからず、視点を切り替えていく『愛の視点』というものを重んじる時、私たちは身を裂くような感覚を覚えるかもしれないが、私たちが身を裂かれる『身』とは、ただのエゴ、またはプライドという存在しているようで存在していない幻想にある。

この幻想そのものを打ち砕くには『我が身可愛いを捨てること』が一番に正解を叩き出していくための手段に当たるため、自分が可愛い限りはお話にならないのである。

これが『エゴを捨てろ』という本質にある。エゴを捨てることで再会に繋がっている理由は『幻想を打ち砕く手段』のトリガーにあるためだ。