傷ついたインナーチャイルドの癒しの理論について

2024-03-02

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私個人のツインレイにより得られる徳は『玉依姫』の為、傷ついたインナーチャイルドについては課題と克服のテーマとして存在している。

玉依のストーリーを終わらせ、自分のなかに子供であるウガヤフキアエズを内包し、傷ついたインナーチャイルドを癒すことは私自身のインナーチャイルドを癒すことにもつながっている。

「タマヨリ」という音を聞きました。機械音のような感じです。文字列は『玉依』であると脳裏に浮かぶ。その意味は『魂の依り代』という意味があることも脳のなかへ知識が入り込む。

引用:【体験談】ツインレイで『神徳』をいただく使命のこと(座敷童・般若・玉依姫命)

玉依の神話のストーリーを終わらせるとは、神から伝えられた名前により「与えられる徳」を断定している。その徳を得ることが私が来世の配属先になるかと思われるので、とても重要な課題になる。

さて、この傷ついたインナーチャイルドの癒しの課題は、私のなかでドでかい課題になるんだが、この課題を終わらせていくには『自分のインナーチャイルドを癒さなければならない』ということでもある。で、私のインナーチャイルドは傷ついている状態にされている。(ここで『傷ついた心は親にされている』わけではなくて、本当にその経験があったのかどうかは明確ではないし、私のインナーチャイルドが傷ついている状態に過去を改ざんされている可能性がある。これについては別記事にまとめる。おもしろいパラレル感覚の思想だと思う。)

以下、インナーチャイルドの構造の理論を書いているが、一番に近い思想がフロイトかなと思っている。

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インナーチャイルドの構造

インナーチャイルドの構造は、私たちの子供時代の経験により構築されている。

図の説明:インナーチャイルドの経験は男性性の元に生じる

私たちのインナーチャイルドによる経験は『男性性』たるアニムスにより生じる。このインナーチャイルドの経験は、すべての人に等しく『男性性』の元に育つ。

これは男性も女性も、インナーチャイルドは男の子ってことだ。

「根源的な性別は皆、男性」ってことになる。

魂の作る前の大元となるお父ちゃんは男性ゆえに、お父ちゃんから生まれれば男の精神となるからである。女の精神を持っている人はいない。この地球では女の精神を培うために生まれてきている。(どこかにこの思想を書いたはずなんだが、探しだせない。)

ゆえに、インナーチャイルドが傷ついている状態のままだと、女性は異性関係による問題が生じ、男性は自分のなかに問題が生じる。イメージ的には女性の場合、結婚相手がDVになったり未熟な人となる。男性の場合、自分がDVになり未熟な人になる。

ここから『性別』を得る段階に差し掛かると、女性は女性性の軸に人格を構成し、男性は男性性の軸に人格を構成する。

インナーチャイルドの経験と大人の経験
男性の大人の経験女性の大人の経験
図の説明:男性による大人の経験
図の説明:女性による大人の経験

つまり、男性は一本足で女性は二本足ってことだな。で、これが『健全』である。

男性は女性性がないので、女性の役割は絶対的に担うことはできないが、女性は男性性をインナーチャイルドにより育てているのもあり、男性の役割を担うこともできる。

これがインナーチャイルドの基本である。

傷ついたインナーチャイルドとアダルトチルドレン


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傷ついたインナーチャイルドの場合、いくばかこの精神構造が狂うことになる。

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ケース1 女性が子供時代の傷を恨むアダルトチルドレン

傷つくことにより、女性性の大人の経験にならず、インナーチャイルドの軸の上に大人の経験が構築される女性のケースである。

エディプスコンプレックスの女性の『母殺し』のケースって感じだな。

インナーチャイルドの経験と大人の経験
健全なインナーチャイルド傷ついたインナーチャイルド
図の説明:健全なインナーチャイルド
図の説明:傷ついたインナーチャイルド

女性は大人になると母を肯定することにより、大人の経験を女性性を軸にして構築する。しかし、男性性を軸にしたまま子供時代の経験のうえに大人の経験が重なる場合、その女性は母を否定しているという意識になる。

女性の肉体を持ち、男性性のみにより構築され、女性性の軸が存在しないことは『男性的な女性』ともなるが、この場合、インナーチャイルドが傷ついている為、暴力や支配という男性性のネガティブな側面が目立つ女性となる。

そして、女性性の軸が存在していない為『自分が女性であることを否定する』というような精神構造をとっている。

ゆえ、男性と性的な関係性に嫌悪する。自分は男性よりも優れている等の考え方がもたらされることになる。

女性性の否定は根源にあるインナーチャイルドが母を否定しているため、女性性の軸が生じないのであるこれが傷ついたインナーチャイルドが女性性を構築でいないことに繋がっている。

 

これが女性による回避依存に相応する。好きな異性が出来たとしても「好き」を認められない。男性との性行為を認めることができない。

ケース2 男性が子供時代の傷を恨むアダルトチルドレン

エディプスコンプレックスの父殺しのように思う。男性の場合は、インナーチャイルドのうえに『大人の経験』をのせることができないゆえに、女性性の軸に大人の経験を構築しようとする。

これは父を否定することにより生じる。

インナーチャイルドの経験と大人の経験
健全なインナーチャイルド傷ついたインナーチャイルド
図の説明:健全なインナーチャイルド
図の説明:傷ついたインナーチャイルド

インナーチャイルドの経験が男性性を否定しているために、男性的な活躍がなかなか見込めなかったりする。そして、ただただ優しいとか、そんな感じのイメージ。

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ケース3 インナーチャイルドの経験の記憶喪失

面白いことに私たちは、インナーチャイルドの記憶喪失状態になることもできる。辛すぎた経験には蓋をするって感じ。

うえのケース1とケース2の場合『誰かを恨む』ことにより、インナーチャイルドの記憶は残っている。しかし、誰かを恨むことができない気質的に優しい性質の人たちは、インナーチャイルドの経験を記憶喪失状態にさせ、大人の経験を構築する。

インナーチャイルドの経験の忘却
男性が忘却する女性が忘却する
図の説明:男性によるインナーチャイルドの経験の忘却
図の説明:女性によるインナーチャイルドの経験の忘却

ちなみに私はこのケースである。忘れている。辛すぎたんだろうなとは思うんだが、忘れているので思い出せない。何を忘れているのかっていうと、子供時代の欲求や感覚を持てない。

これは自分のなかにある子供時代の記憶を分離させ、別保存させて『みない』ようにしておくことにある。(子供に生じる内在性解離かなァ)

この気質によって、子供時代の記憶がない状態で生きている。地に足がつかない状態になるため、大人の経験により構築された人格が主人格となり、子供時代の人格は消される。子供時代の人格は『社会の構造』に影響を及ぼすから、どんなに人格がよくても社会の抑圧に耐えられなかったり、地に足をつけることが苦手となる。

すごくいい人なのに、なんでこんなについてないんだろう? とかの現象も生じる。つまり当人に落ち度はないが、環境に問題が生じまくるバグが起きる。理由は記憶喪失させてしまっている部分のインナーチャイルドが「あたいに気づいてほしい」と言わんばかりに陰で活躍し続けているからである。

ケース1とケース2の場合は、当人の人格にバグがでると思われる。恨みにより構築していくからである。

インナーチャイルドを癒すこと

やらなければならないのは、インナーチャイルドを癒すことにある。

そのまえに少しだけ、インナーチャイルドの役割についてを書いてみよう。

インナーチャイルドは『社会』という役割がある。私たちは子供時代に『社会』という『家庭』をみている。家庭により受けた影響は大人になると社会から受ける影響となる。

インナーチャイルドは社会に影響を及ぼしているが、誰かを恨む状態のケースと、誰も恨まず忘れる状態のケースの2種類が存在することが上記の通りわかる。

誰か恨むインナーチャイルドを持つ人たちは『社会を恨む』状態にあり、誰も恨まないインナーチャイルドを持つ人たちは『社会に参加できない』状態になる。

前者は親への復讐を社会にし、後者は親への復讐を忘れているが社会へ参加できない不安を抱えている感じだろうか。どっちにしたって不幸だなと思うわけだが。

で、この親への復讐をしようと思っているインナーチャイルドを抱えている人たちは社会を遠ざける気質がある。女性の場合は結婚や異性関係を遠ざけ、本当に恋愛をしようとも出来ない状態になる。

男性の場合は会社で暴言吐き続けたり、DVをしたりするようになる。

親への復讐すら忘れているインナーチャイルドは「結婚できない」と女性が悩み、「社会に参加するの怖い」と男性が悩むことになる。

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インナーチャイルドと人格

インナーチャイルドにも人格が存在しているが、これは『経験』である。いわば過去にあたってしまうため、そこに人格は発生しない。

私たちは『今』という概念のもとに人格が存在している。今生きて思考している存在が『人格』として定義し、インナーチャイルドは過去に過ぎた経験に過ぎないわけなんだが、その経験に振り回されているのが私たちである。

また、この経験に振り回されている状態が『幻想に惑わされている』と私は比喩する。目の前の現実と記憶を混濁させてしまい、目の前の現実ではなく記憶が正しいと認識したとき、恨みを抱えているインナーチャイルドは『人を攻撃する』し、忘却しているインナーチャイルドは『フリーズ』って感じだろうか。

 

さて、私たちは経験に対して反射を起こす。で、この経験に対して反射を起こしているのが『人格』であり、私たちの本体だと思っていい。

いわば偏桃体の過剰反応に対して、人たらしめている前頭前野の働きとも言える。

人格とは「どのような反射を起こすのか」でもあり、「反射を止める」でもあり、「明確に状況を判断する」等のことでもある。

私たちは選ぶことができる。記憶に対して反射するのか、今の現実に対して反射するのか。それとも何もしないのか——。

でインナーチャイルドが傷ついている人たちは『記憶に対して反射する』わけである。根源にあるのが傷ついた子供の経験にある。

 

つまり、インナーチャイルドは明確な判断能力が備われば治るんだよって話でもある。それは『社会を信じること』でもあるし『他人を信じること』により構築されていく。

それってインナーチャイルドが傷ついている人たちにとって、とてつもなく難しいことなのだとは思う。だって子供の時から大人が信用ならない敵であったのだから、そもそも傷ついているインナーチャイルドは『信じられない』からこそ生じているともいえる。

インナーチャイルドが傷ついている人たちは、どんなにいい人に巡り合っても、その人に咬みつき、その人を排除し、また関わらないようにしていく癖みたいなものも備わってしまったりもする。

インナーチャイルドが抱える『恨み』の正体

そもそも『恨み』という嫉妬の概念を私たちは本質的には持ち合わせていない。

理由だが、人を恨む感覚は二次感情(三次的)でもあり、また記憶に付属しているものに過ぎない。

たとえば、現象が起きたとする。それに対して同時に湧き上がる感情は『悲しみ』であり、その次に過去を反芻することにより『恨み』へと切り替わっていく。

つまり、この恨みは『自分の思考回路により生じている』ものであり、そのときに生じた感情は基本的に『悲しみ』だったりする。

悲しい⇒怒り⇒恨み

こんな感じの順序で時間差が必要である。

瞬発的に生じるのは『悲しみ』なんだが、その悲しみに向き合うことができないし、悲しみに耐えられないから『怒り』へ変換する。怒りへ変換されて相手を罵倒することにより、自分の悲しみに向き合わないで済むようににある。

次に、怒りが収まってくると、何度も何度も記憶の反芻をする。この記憶の反芻は既に『過去の怒りを何度もほうふつとさせる』行為にあって、この怒りを何度も繰り返していくと、ネチネチした『恨み』へと切り替えられる。

恨みとなるまでには『時間』が必要であり、根源的には「自分が悲しんでいる事実と向き合えない」という感情的な問題が存在している。

 

重要なのは、ここ。

子供時代に自分の悲しみに向き合ってくれる人が誰もいなかったという事実なんだ。自分が悲しい時に「辛かったね」と言ってくれたり「悲しいね」と共感してくれたママがいない。

恨む人はずっと「ママ」をさがしている。そして怒っている人もずっと「ママ」に怒っている。

恨む人が幼いと感じられる理由はここにある。

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インナーチャイルドの根源『悲しみ』と向き合うために

インナーチャイルドの根源には『悲しみ』があるわけなんだが、その前に『悲しみ』⇒『怒り』⇒『恨み』という状態にまで自分が抱えている感情が変化してしまっているのがまず問題になる。

つまり、恨みを抱えたまま大人になる人もいれば、怒りを抱えたまま大人になる人もいる。悲しみを抱えたまま大人になる人もいれば、なにも感情的な問題を抱えず大人になる人もいる。

重傷は『恨み』にまで発展してしまったこと。だけど、根源にある『悲しみ』の状態ならば、擦り傷だと思われる。

怒りの記憶(恨み)を解消すると、次には怒りの感情がやってきて、最後に根っことなる悲しみの感情と向き合う。これがインナーチャイルドの癒しの経緯になる。

インナーチャイルドへの忘却と恨みの精神構造の組み換え

図の説明:インナーチャイルドの精神構造

恨みと怒りは顕在意識(自分の意識)によって汲み取れるんだが、潜在意識(無意識)に悲しみという根っこが存在しているから、解消するためにはまずは『恨みという記憶』と『怒りの感情』を解消する必要性がある。

で、顕在意識の怒りの大きさと、潜在意識の悲しみの大きさはイコールで結ばれると思っていい。

だけど、怒りが恨みの記憶に変換されてしまうと『恨み辛みの復讐人生』へとなっていく。その記憶を抱えたまま、社会を構造していくため、何をとっても、すごくいい人に巡り合えたとしても怒りが湧いてくるんだ。それは悲しみを感じたときに、どうしても『怒り』『恨み』のメカニズムが反応しちゃうから。

なんかもう反射機能がこれで定まってしまって、それ以外の反射を知らないって感じ。だから『勉強』するしかないのね。多くの精神的な問題を抱えている人が心理学科を目指すのもここにある。

無意識に自分を分析してなんとかやり直したいっていう思いが大学生ぐらいに生じてきて、それゆえに心理に興味を持って、無自覚にも心理学科に進むんじゃないかと思う。

 

で。ここで構造を書いているけれども『恨み』と『怒り』をまずは解消していくと、根源における『悲しみ』にアクセスすることができるのもあって、先ずは「脳のなかで誰かを恨み始めても思考を停止する」「怒りがわきあがってもその怒りをおさめる」っていうことが出来るようになっていくと、根源の悲しみに触れることができる。

この『恨み』と『怒り』を抑制しきることができるようになると、実はインナーチャイルドの記憶喪失になる。

図の説明:記憶喪失のインナーチャイルド

怒らないし、恨まない。これが出来るようになると『記憶喪失』になる。私が自分のなかにある『怒り』による般若人格はこの『インナーチャイルドの怒り』なのである。

この怒りが解消されると、潜在意識へのアクセスが出来るようになる。『悲しみ』がでてくるわけなんだが、これが私のツインレイの経験に相応することになる。

私にとってツインレイの経験は『悲しみを思い出すこと』であり『子供時代にどのような悲しみがあり、どのような欲求を抱えていたのかの思い出し』でもあるんだ。

だけど、ツインレイの相手には何度も『怒り』を触発されるが、それが『悲しみ』として認識し、涙を流し続けるなとり。これにより、どんどんと悲しみがツインレイの相手の触発によって解消されていくことになる。(ありがてぇが過去の辛い記憶を何度も掘り起こされるようなことが続くから過酷でもある)

そして、そのすべてが解消されるためには『誰も悪くない』ことを理解することでもある。

親は悪くないし、社会に出会う人たちのすべても悪くない。この『怒り』は不当であることを自分のなかで証明していかなければならない。

悲しみがすべて解消されると、これが『愛』となる。これが第二サイレント期間に相応する。

図の説明:潜在意識が愛に組み変わる

記憶喪失部分は、抑圧した顕在意識だから闇の刺客として生じることになる。この闇の刺客とバイバイすることで、私は『顕在意識がなにもなくなる』というような状態なのと、過去の記憶が戻ってくるって現象が起きる。

この記憶喪失部分は『主観』とかも含めて、自分が知覚するべき『自分』という概念にある。この自分が戻ってくる経緯でも色々あるんだが、戻ってくると「これが自分だわ。」って思えるようになる。

 

つまり、潜在意識による愛であるべき親の部分が『悲しい』という『哀』になってしまっている人たちがインナーチャイルドとも言える。

悲しみに触れ、その悲しみを癒す人が「愛がある人」でもあるんだろうね。

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子供は親を愛しているってこと

インナーチャイルドの問題だが、子供は親を愛している。その愛はとてつもなくでかいものなんだが、愛により見返りがないとき、私たちは恨みを抱えることになる。

しかし、愛を実行するとき、親を恨めないし、怒ることも出来ない。

私は自分のインナーチャイルドがここまで『癒し』の過程を得ることが出来た理由として『親を愛しぬいた』ってことにあるんだと思う。

正直なところ、我が親ながらそんなによくできた親でもないんだが、私は愛していた。その事実を肯定するためにはやっぱり愛するしかなかったから、愛していた。

ただ、親からも見返りはないのよ。マジで見返りがない状態でずっと親を愛し続けてきたんだよね。

私はずっと『無条件の愛』の体現者だったと思う。そうしたら、最後の最後に自分のインナーチャイルドは自分の愛に癒され、自分の悲しみはすべて愛に組み変わったってことなんだろうな。

 

単純に、無意識層の悲しみに触れることが出来れば、怒りと恨みも解消されていくと思う。

だけど、その悲しみに誰かの手を借りてなんとかしたわけではなくて、私は自分の力によって愛を組み替えたって感じだと思われる。職人技みたいなやつ。

 

私は「私の親になる」と考えていた。満たされていないことはわかっていた。だからこそ、自分を育てるのは自分である。

親がいない状態で育った私と、親になったことがない人格の私を構築し、このふたつの人格が共存しているのが『わたし』である。これが玉依姫の徳って感じ。

子育てしたことがない玉依姫がウガヤフキアエズの母となり『母とは何か』を追求しながら『子供の自分を育てる』ことにある。

親を親にしたのは私。私のなかに確かに玉依の意識があると思う。

未熟な母であり、未熟な子(インナーチャイルド)による統合は、たしかに私が実行した玉依の徳である。