ツインレイの『嫉妬の般若』と『執着の貧乏神』の関係性の解説

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイ女性とツインレイの関係性のなかで『般若』と『貧乏神』が関係しているのだなということが分かりました。

その件について書きたく思います。

ツインレイは従来の関係性を持つと『般若』と『貧乏神』が発動し、ツインレイ女性は怒り狂い、ツインレイ男性は貧乏になる——という構造をしています。

しかし、般若と貧乏神には反対側の気質も存在しています。

人の世神の世
般若怒り狂ったヒステリーの鬼慈悲なる存在
(仏の智恵)
座敷童無念に死んだ子供の霊親への愛情
(他者愛)

引用:【体験談】ツインレイで『神徳』をいただく使命のこと(座敷童・般若・玉依姫命)

ツインレイたちは『人の世側』で結ばれるのか、それとも『神の世側』で結ばれるのかにより、背負うものが変わります。

私が『闇』と呼んでいる側が、人の世であり、『光』と呼んでいる側が神の世です。

 

ツインレイたちはツインフレームの段階からツインレイに出会うまでの間に『般若』を背負い、『子供の霊』を背負います。この両方を『神の世』に送り込むことで、般若という仏の智恵と、他者愛(いわゆる玉の輿とか)の気質を持つことが出来ます。

また、このどちらかの気質を克服していくことが『ツインフレーム』であり、両方の気質を克服することが『ツインレイ』でもあります。

どちらかの気質を克服することができている段階のテストとして『般若』または『子供の霊』として課題を挙げられますが、その課題が克服されることにより、もうひとつの課題を克服していくことにもなります。

ツインレイたちの出会いは『ヒステリー女子』と『貧乏男子』が始まり——ですね。

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ツインフレームとツインレイの課題の違い

ツインレイとツインフレームの段階では『課題の段階』が違います。

ツインフレームの段階では『般若の課題』、または『貧乏神の課題』のどちらかがあげられます。

その課題を『現実的にこなす』ことに意味があります。

般若の課題とは『怒りのコントロールができるようになること』です。

貧乏神の課題とは『他人への期待をコントロールできるようになること』です。

このふたつを現実的にこなしていくことになるツインフレームたちは、次の段階の『ツインレイの課題』へと進み、ツインレイと出会います。

ツインレイの課題では『意識(神)』のベクトルで課題を終わらせてることが前段階で存在しています。

 

般若側は『ヒステリーの解離』であり、貧乏神側は『究極なる貧乏生活』に耐えることです。

耐えた先には『神が抜ける』ようになります。

図の説明:ツインレイの般若と貧乏神の進み方
図の説明:ツインレイの般若と貧乏神の進み方

般若と貧乏神が抜けた先にツインレイが存在し、ツインレイたちは『仏の智恵』として神の意識を獲得、または貧乏神を『座敷童』として神の意識を獲得していくことに繋がっていきます。

ツインレイ女性の怒りと嫉妬のヒステリー


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図の説明:サイレント期間によるツインレイの関係性
図の説明:サイレント期間によるツインレイの関係性

ツインレイ女性は『怒りや嫉妬』を克服していくことになります。

さて、ツインレイたちが抱えている怒りや嫉妬の根源とは何が存在しているのか——。それは『悲しみ』です。

 

ツインレイたちは、ツインレイと出会う前段階にあるツインフレームの段階で怒りを覚えます。それは拒絶にあります。

拒絶されることにより、ツインレイ女性の怒りはピークに昇り、執着と共に『般若』ともなっていきます。

しかし、般若になるツインレイ女性もいますが、般若になることもなく悲しみに暮れることになるツインレイ女性もいます。

ツインレイたちは『自らが般若になるのか』それとも『悲しみに暮れ、事実を受け入れることになるのか』のどちらかとなります。

ツインフレームの相手に私たちが覚える慕情とは激しいものです。

その悲しみを受け入れることが出来た人は、自ら般若になることはありません。

 

般若のお話は『男性に裏切られて悲しみに暮れ、恨み続けている女性の姿』です。

ツインフレームたちの学びは『恨むのか、恨まないのか』です。

ツインフレームの関係性で『恨むことがない』ほうへ進むツインレイ達は、あえてツインフレームについてを「もういいかな、いい思い出だよ。」と理想の恋をしたと語ることになります。

 

しかし、悲しみから目をを向けることになったツインフレームの関係性を構築した人たちは『般若』と化していきます。

私たちは自らのなかに存在する悲しみを、いとしい男性の拒絶により学ぶのです。

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ツインレイ男性の貧乏神

図の説明:お金がないことを自覚する男性、ふがいない
図の説明:お金がないことを自覚する男性、ふがいない

ツインフレームの段階で、ツインレイ男性は『未熟であること』や『お金がないこと』。『食べていけないこと』と向き合うことになります。

いわば、ツインレイと出会う前段階で『貧乏であること』を受け入れていかなければなりません。

ゆえに、ツインレイ男性は『貧乏神になるのか』、それとも『自分で頑張って稼いでいくのか』を選んでいきます。

ツインレイ男性たちの課題は『お金』です。

子供のままのツインレイ男性は、ツインフレームの課題の最中に「人のお金を当てにする」というカタチに着地していくことになる可能性と「自分で稼ぎ、がんばって生きていく」という方向性へ向かう人もいます。

ツインフレームの課題では『自分の金』か『他人の金』です。

他人の金をアテにしたツインレイたちは、貧乏神に憑りつかれていきますが、自分でお金を稼いでいくことにしたツインレイたちは貧乏神に憑りつかれることなく、自分で稼いでいくことができるようになっていきます。

ツインレイと闇の刺客『般若と座敷童』

ツインレイと闇の刺客と般若と座敷童

ツインレイたちは『闇の刺客』と対峙することになりますが、その内容は『般若』と『貧乏神』です。

このふたつの存在と、縁が切れない場合、ツインレイたちは『闇のなかにいる』ということになります。

般若とは『怒りに任せて行動や発言をするヒステリー』であり、貧乏神とは『自分が欲しいがままにお金を使い続けている貧乏な人』です。

ツインレイ女性は『自制心』を持っていれば、最終的に般若の存在とはさよならをし、自分のなかに仏の智恵を呼び覚ますことにより、般若がいなくなります。

ツインレイ男性も同様に『自制心』を持っていれば、最終的には貧乏神の存在とはさよならをし、自分のなかに福の神を呼び覚ますことになり、貧乏神がいなくなります。

ツインレイと出会う前には、人の世の神は自らの中から追い出していることになりますが、外部からやってくる存在に再び唆されないか——を試されるのがツインレイの闇の刺客です。

般若はツインレイを怒らせるように動き、仏の智恵を手に入れることを妨げます。般若が残っていたり、怒りに対しての理解や悲しきについてを理解できていないとき、ツインレイは『怒り』を再び手に入れることになります。

貧乏神はツインレイの財布を使わせるように働き、福の神(座敷童)を手に入れることを妨げます。貧乏神が残っていたり、お金に関する執着が残っていれば、ツインレイは『執着』を再び手に入れることになります。

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ツインレイが幸せになる理由

ツインレイが幸せになる理由

ツインレイは、自分のなかに存在している『般若(怒り)』と『金銭欲(執着)』を抜いていくことになります。

私たちは『怒り』を感情と思っていますが、怒りは感情ではありません。第二感情と呼ばれている根源にある悲しみが純粋な感情です。

『執着』を欲求だとも思っていますが、執着は欲求ではありません。これは目的の危ぶみです。何が目的でお金が欲しいのかを理解していないことです。理由があるのであれば、私たちはいつだってそれだけのお金を手に入れることが出来ます。

ツインレイたちは、ツインフレームの段階で『人間ベクトルで理解する怒りと執着』の課題が存在し、ツインレイの段階で『神(意識)ベクトルで理解する怒りと執着』の課題が存在しています。

ツインフレームとツインレイの般若と貧乏神の課題
ツインフレーム(顕在意識のベクトル)ツインレイ(潜在意識のベクトル)
女性般若(怒りの抑制)——執着の抑制仏の智恵(般若)・
座敷童の獲得
男性貧乏神(執着の抑制)——怒りの抑制

ツインレイたちは『怒り』や『執着』の両方の苦しみを抜き差し、その後、ツインレイのふたりのなかで経験をひっくり返しますので、相手の経験を身に着けることが出来ます。

最終的には、ツインフレームの『両方の経験』をこなすことが出来ますので、最終的には『般若の徳』と『座敷童の徳』のふたつを手に入れることが出来ることになりますね。

 

般若は『仏の智恵』ですので、道理をよく理解します。どのようなメカニズムなのかを明確に理解し、それを活用していくことが出来ます。

座敷童は『福の神』ですので、よりよいものを引き寄せていきます。

どうして闇の刺客との対峙が必要なのか?

サイレント期間では、闇の刺客との対峙が必要となってきます。

闇は『人の金をアテにした存在』であり、『怒りにまかせていきている存在』です。根源にあるのは『人特有の弱さ』かと思います。

自分でお金を稼いで生きていく男性の力。
自分が持っている感情を抑制し、人との関係性を大事にしていく女性の力。

私たちツインレイは、男性性として『お金を稼いでいくこと』。女性性として『自分のコントロールをすること』のどちらかを伸ばし合い、ふたりで再会をし、お互いに経験を交換し、二人分の徳をふたりで得ていくようになっています。

私の経験からは『般若』と『座敷童』でしたが、ほかの方は違う神さんをご利用かもしれません。わかりません。

 

ツインフレームの課題をこなすことが出来ず、次にツインレイの課題にそのまま進むことになると、反対側の気質も真逆のものを手に入れることになるようです。

たとえば、怒りを抑制するツインフレームの課題を持っていれば、次に執着の課題に入りますが、お金への無頓着さが手に入ります。お金の使い方が無鉄砲になります。

たとえば、執着を抑制するツインフレームの課題を持っていれば、次に怒りの課題に入ります、感情がなくなっていくかと思います。

最終的に、執着によって手に入れたお金はそのまま出ていくサイクルになりますし、怒りまかせに行動したツケは自分に回ってくるようになります。

 

今までは『光側』が肩代わりをしていたところがありました。その部分を自分で背負っていくようになります。

ツインレイの光側は、ずっと闇側の負債を背負っていたところがあるんですよね。この世の徳は『一律』として捉えるとき、その負債を光側が背負っているが為に、ツインレイの光側が損ばかりしている——というような構造です。

闇側が背負わない故に、光が背負わなければなりません。罪の擦り付け行為です。

この世のお金の量は変動しません。価値の変動が起こります。同じように、徳の量は変動しません。

今まで『人に借金をしてきた人たち』は『感情』であれども『罪』であれども、神の采配により審判がくだるって感じでしょうか。

ひっくり返ってしまったんですね。光側が背負う必要性がないものを背負い、闇側が背負う必要性があるものを背負わない。

 

これが善悪二元論の世界観でもあります。

ツインレイたちは『罪を背負う』『人に押しつける』という領域からも抜けていきます。

人に押し付けたものは戻ってきます。人に押し付けられ、背負ったものは二倍になって幸福と変化し、戻ってきます。

 

その『余分に背負ったもの』が闇の刺客の存在です。

私たちは、闇の刺客が『一人分』にまで成立したとき、その罪をお返しして幸福を返してもらいます。

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ツインレイたちに『怒り』と『執着』、『嫉妬』はなくなるのか

ツインレイたちに『怒り』と『執着』、『嫉妬』はなくなるのか

実は、怒り・執着・嫉妬ですが、このなかに『闇エネルギー』が介入しているからこそ、怒り、執着、嫉妬という構造になっています。

怒りは根源に悲しみがあり、その悲しみを受け取ることができないと悲しみが怒りになります。

執着は根源に好意があり、その好意を受け取ることがでいないでいると好意が執着になります。

嫉妬は、悲しみと好意を受け取ることができないでいることにより、構成されていきます。

闇エネルギーとは何か——というと『自分を受け取れない』『他人を受け取れない』という受容性の低さでもあります。これが人としての弱さです。

自分に起きている悲しい出来事に対して『悲しい』と素直になることができない人は、相手に対して怒ります。

自分が受け取るべき行為や愛を素直に受け取ることができない人は、相手に対して執着をします。

このふたつが自分のなかで成立していない人たちは『嫉妬』となり、素直に交友関係を結ぶことが出来ません。

 

怒ってばっかりの人は、自分の欲求に気づくことなく、悲しみを理解することができない為、人を悲しませ続けます。人の心の痛みがわからないのですが、本質的には自分の心の悲しみが理解できていないのです。

そんな人は人の悲しみを理解しませんし、人の涙に共感することがないから、自分の心の悲しみを受け取ることが出来ず、怒ってばかりなのです。そして人を見下し続けるしかない。

お金や他人に執着ばかりしている人は、他人から与えられたものを『感謝して受け取る』ことができないため、人の愛情を理解することが出来ません。相手の愛情を受け取れないので、人に執着をし、お金にも執着をします。そこにある愛を受け取っていないからです。

そして恩を仇で返すことばかりをします。

 

最終的に、人の悲しみに気づけず、人の苦しみにも気づかない。そして、人から与えられている愛情に気づけない人たちは、最後の最後に『うらめしや~』の羨ましいとばかり心のなかで思い続けている人たちとなっていきます。

つまり『幽霊』です。

「うらめしい」のが般若と貧乏神です。いいな、奪ってやりたい、その幸福。

「うらやましい」のがツインレイたちです。いいな、自分もわけてもらいたい、その幸福。

大きな違いがあります。その心の在り方です。

 

ツインレイ達は『怒り』も『執着』も『嫉妬』もあります。しかし、本質が違います。

人の悲しみのために怒りを覚えます。人を愛するために執着をします。人の幸福を喜ぶために羨ましいと思います。

ツインレイたちは、自分の悲しみのために怒らず、自分を愛するために執着をせず、幸福を分け与えていきます。

 

私は、心の在り方ひとつだと思います。

誰かのために泣いたことがある人の怒りは優しさを帯びている。自分の悲しみを糧としているからです。

人を愛しぬいた人の執着は愛情を感じることができる。人を一途に思う心がどれだけ素敵なことかと思う。

人へ幸福をわけあたえようとする、その心こそが『徳』となる。

 

私は過去に一度、神さんに『貧しい心』と言われたことがあります。(つまり、神さんは単語しかいわないから何言っているのか、よくわからないんですよ。w)

ちなみに教えてくれた神さんも誰なのかはわかりません。タマヨリさんではない。基本的に向こう側の情報を持ち帰るとき、情報の量と質の問題になるんですが『神さんの名前』っていう固有名詞などは『情報量がバカみたいにでかいもの』です。

固有名詞っていうと『ひとつの単語』だと思うかもしれませんが『固有する』というのは、ひとりを特定するってことです。それはものすごい量の情報なんです。無理ですね、当時の魂はまだ下賤だったので、魂のポケットに神さんが『大事な物だけ』いれてくれていました。

 

ツインレイの彼と出会う少し前のことですね。言葉の意味は、やっぱりよくわかりませんでした。

「なるほど!?」でした。あと、ちょっと笑いました。貧しいか~、やっぱりそうか~、ぐらいな感じでしょうか。(出来ないもんは出来ないっていう身の丈の自分の低さをよく理解しているので、落ち込みはしません。)

今ならば意味がわかります。

貧しい心とは『人に与えることができない心』です。だけど、それは前提に『自分に心があること』です。そこに『ある』がなければ、与えることが出来ません。

当時の私は、何が与えられるのかすらわかっていない状態でした。自覚がない——といいますか。

今は、少しは『豊かな心』になれてきたかな? と思います。少しは私が得た知識を通して、人に『心(徳)を与える』ことが出来ているんじゃないかと思う。