死ぬ覚悟と生きる覚悟が決まった人間から抜け出していくよ。(日月の統合)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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この「ドラゴンヘッドとドラゴンテイルが結ばれると何が出来るんだろう・・・」と思いながら私は寝ていた(それが気になってたまらないまま寝た)ところ、朝方に「麒麟街道」と直感で教えてもらった。

引用:ウロボロスと四神の関係性(玄武と麒麟)—錬金術⑦大いなる作業

これが今やっていることかなとは思っている。

四神の方位と占星術の解釈
青龍鳳凰玄武白虎麒麟
方位西中央
占星術ASDMCICDEC
意味自己
主観の成立
社会
コミュニティの成立
プライベート
家族の成立
他者
客観の成立
セルフ
個性化成立

引用:ウロボロスと四神の関係性(玄武と麒麟)—錬金術⑦大いなる作業

図の説明:東と西の概念

これがドラゴンヘッドとドラゴンテイルの概念へ追加されていく。

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ドラゴンヘッドとドラゴンテイルとは、『月の軌道である白道』「太陽の軌道である黄道』の2つが交差した場所となる。月が昇っていく交差点を『ドラゴンヘッド』と呼び、月が降りていく交差点を『ドラゴンテイル』と呼ぶ。

引用:ドラゴンヘッドとドラゴンテイルによるツインレイの解釈は『ツインレイの使命』に繋がっている解説—占星術⑥

  • 月が昇っていく交差点を『ドラゴンヘッド』・・・西(mami)
  • 月が降りていく交差点を『ドラゴンテイル』・・・東(はじめ)

私たちは私たちの「人生」へとシフトして東西南北を決めたとき、ドラゴンヘッドを西とし、ドラゴンテイルを東としているのではないか——ということだ。

つまりひっくり返っているのである。西は太陽の降りていく場所、東は太陽の昇っていく場所として考えているが、月という概念からすれば、西は月が昇っていく場所、東は月が降りてくる場所。

概念が真逆なのである。

西
沈む場所
(ドラゴンテイル)
前世
昇る場所
(ドラゴンヘッド)
来世
太陽昇る場所
(ASD)
沈む場所
(DEC)

ものすごく当たり前のことなんだが、これが大事。

太陽と月による概念を統一しようとしているからである。

それぞれを定義してみよう。

西

(輪廻)
前世来世
太陽
(個人)

このように考えてみると、太陽は「今生のみ」を意味していて、月は「輪廻」を意味しているっぽい。

このふたつを合わせてみると、東とは「前世を生きる」、西とは「来世が死ぬ」という意味でもある。これが地獄の概念なのかな? 前世に囚われるという意味なのかな? と思っている。

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では、これを「月が昇る」「太陽が昇る」というカタチで足並みをそろえさせてみよう。

地獄新しい空間

(輪廻)

前世
西
今世、来世
太陽
(個人)
西
死ぬ

生きる

日月の統合が成立するのである。

これが「麒麟街道」である。

前世は死に、今世(来世)に生きる。これが日月の概念にあり、また、このふたつがひっくり返っているのが現状にある。

 

生きている人間が地獄にいて、死んでいる人間がこの世にいる状態である。

そして、はーちゃんの此度のスイッチは「肉体による死の悲しみの経験」をした感じ。太陽で全身火傷して泣いた——ってやつ。それで新しい空間にシフト。辛いよな、苦しみ抜けようぜ。

mamiさんの此度のスイッチは「精神による生の苦しみの経験」をした感じ。イライラMAX——ってやつ。それで新しい空間にシフト。こっちも辛いんだよ、苦しみ抜けようぜ。

で、これが新しい空間にいくためのスイッチだったと思う。理由は生きる苦しみと死ぬ苦しみを味わう必要性があった。それを経験して抜けちゃったんだと思われる。

 

私たちは常に「肉体による死の辛さ」を抱えている。そして「精神による生の苦しみ」をも抱えている。

だからこそ、私たちは生死という概念を持った「人」なのである。

この辛さを経験してようやく麒麟街道にはいる。概念がひっくり返る。

 

ちなみに私は学生の頃から精神が病み、生きる覚悟を決めた人。そこから勉強したりもしている。そして、肉体による死だが、死にかけていることかなと思う。死ぬ覚悟も決めた。

「生きる覚悟」と「死ぬ覚悟」の両軸を人生のなかで決めてきた。それでも尚生きることは決まっている。

如何なる出来事が起きたとしても、私は死なない。死ぬ覚悟が決まるとは「死ぬ」わけではなくて「生きる」に繋がっている。死ぬ覚悟は「生きる」ことに繋がる。

死ぬ気で生きている。言葉のまま、死ぬ気で生きている。だから全力で生きている。

 

なとりがやりたかったこと。

日の概念と月の概念が真逆になってしまっていたものを、正しい位置へ戻すこと。

「前世はもう死んだよ、来世という今生を生きよ。」

それは生きる覚悟と死ぬ覚悟だ。