鏡の世界(鏡の法則性)があるからツインレイと出会える仕組みを解説
この記事で紹介しているものは男女の異性のツインレイについてであり、同性のツインレイについてではありません。
同性のツインレイについて今後、分かり次第記事にしていこうと思います。
ツインレイの二人は似て非なるものがあります。
ツインレイたちは自身の立ち位置をツインレイの相手とは真逆だと感じているかと思います。
私はそれを『鏡の世界にいる住人』と認識しています。
そして、同様にネガティブツインレイ(闇の刺客)についても鏡の中の住人と認識しています。
この記事はネガティブツインレイ(闇の刺客)とポジティブツインレイのことを基礎知識として載せていますので、別記事に或る『ポジティブ世界とネガティブ世界の分離とツインレイの関係性』を読んでからのほうが読みやすいかと思います。
最初に『ツインレイの二人の空間』についてを理解してもらってから、闇の刺客についての話を進めていきます。
先ずはツインレイの二人が一致しない空間に存在しており、一致していないからこそ対峙している。
また鏡の定義が成立していることを理解してもらいたいからです。
ツインレイが出会うまでの空間の距離
ツインレイのふたりは似て非なるもの——として存在しています。
その傾向性として『人生が真逆である』ことや『立ち位置が真逆である』ことがあげられます。
ツインレイはお互いが出会う場所として、インターネットを使うことがおおいにしてあります。この理由としてお互いがリアルで繋がるには繋がれない場所(空間)に存在しており、インターネットという繋がりでなければお互いを認識することが出来ないからです。
また、本来は絶対に行かないような場所でツインレイと出会うような現象が起こったり、ふとしたときに出会うような現象は、ツインレイのふたりの空間がお互いの空間だけでは繋がれず、他の空間を経由しなければ繋がることが出来ないことが由来しています。
つまり、ツインレイのふたりが繋がるには『ほかの空間』や『ほかの人たち』という膨大なる縁が必要なんですね。
私はツインレイの協力者の数をこのように導き出しています。
ツインレイの協力者の人数の一覧表 人数(合計) ツインレイに出会うまでの協力者 7人(8人) ツインレイを繋げる協力者 14人(16人) ポジティブツインレイを繋げる協力者 30人(32人) 空の国へ到達するポジティブツインレイを繋げる協力者 62人(64人)
しかし、ツインレイの二人が繋がるにはもっともっと多くの人たちが必要であり、繋がりきるために二人は幾人もの人の空間を経由していく必要性があります。
なぜ、ツインレイはSNSで出会うのか
ツインレイの二人は自身の空間を持っており、自身と一致する空間の人たちと共に過ごしています。これはツインレイに限らず、すべての人がそのようになっています。
しかし、ツインレイの相手は対峙する空間に存在しているために『一番遠い場所』に存在しています。
このように空間を跨いでいく必要性があります。
もっとわかりやすく説明してみます。
SNSでは自分自身のフィールドを持っていますね。そのなかで自分のフォロワーさんは自分とフィールド(空間)が少なからず一致している人たちということです。
この一致がなければ『出会い』が生じません。
自分と接触がある人は絶対的にフィールドの一致が1mmであってもあるからこそ繋がっているということです。
しかし、自分の空間と他者の空間が重なることがないとき、私たちは絶対的にその人と関わることはできません。
テレビで誰かを見ても「へェ~」とは思いますが、その人と話したり接触することは不可能な人っていますよね。ですけどテレビにでている人たちにもフィールドは存在しており、接触できる人はいます。
私たちは出会う人とは必ずフィールドの共有をしているということですね。
しかし、ツインレイの相手とは絶対的にフィールドの共有が出来ません。
理由は『真逆に存在している』からこそであり、真逆だからこそ私たちはフィールドの一致が適わない状態です。
現代、インターネットが発達し、私たちはツインレイの相手と『誰かのフィールドを跨いで』関わることが出来るようになりました。
それが図の通りです。
ツインレイの二人が空間を繋げている図 |
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なぜツインレイがSNSで出会いやすいのか——ですが、ツインレイの二人は他者を間に介入させることにより空間を繋げ、相手を見つけやすいようになっています。
たとえば、ツインレイの相手を発見しにいくにも、間に何人もの経由が必要であり、知り合いの知り合いの知り合いの知り合いというような形で相手を探し出すことになります。
ツインレイの二人は空間が一致しないからこそ、SNSという空間の連続性が生み出される人の集団を利用しているということです。
SNSの特性とツインレイの関係性についてをSNS・インターネットとツインレイの鏡の法則性の記事で詳しく説明しています。
テレビで見つける芸能人が相手のツインレイ
度々、芸能人がツインレイだ! という方もいらっしゃいます。
これは私たちがSNSでツインレイの相手を見つけやすくなった構造と少々似たり寄ったりしているところがあります。
ツインレイの相手は真逆に座していますが、それでもツインレイの相手がテレビという液晶に映っていることを確認できるようなったことにより、ツインレイの相手を認識することができるようになりました。
空間が違う存在だからこそ、相手がテレビ等の液晶越しになってしまうのも無理はない現象かとは思います。
また、それが有名な方のみならずであり、脇役だとしてもツインレイだ! と思う人がいらしても然るべきかと思います。
情報社会だからこそツインレイが見つかる
ツインレイは情報社会だからこそ見つけられる世界となりました。
情報がありふれているなか、人と人のつながりが自分の持っている空間をインターネットに身を投じることにより、インターネット越しに繋げることができるようになったということです。
インターネットの発達とツインレイの出会いを離して考えることはできませんし、現代にSNSが発達し、SNSに自分の籍を置いている人たちが多いことにも意味があるかと思います。
SNSは人と人とを繋げるツールであり、自己アピールの場です。その場に多くの人が夢中になり、また生活の中にも浸透してきています。
婚活の場でツインレイは出会えない
SNSといえば婚活アプリなどもSNSと呼ばれますが、婚活の場ではツインレイの二人は出会うことが出来ません。その理由についてを説明しようと思います。
婚活とはどのような形になっているのかですが、多くの人たちのなかでただ一人を見つけるということが行われています。
その間に『誰かが介入する』ということがありません。
つまり、自分で選ぶようなことが婚活アプリでは行われているんですね。
ツインレイの相手は『自分で選んで決める』ということではありません。そもそも決まっていますのでツインレイの相手を選ぶことはできないために、結婚相手を見つけるように婚活アプリでツインレイの相手を見つけることが出来ません。
空間の不一致が生じているが為に『誰かを介して』『誰かを間に挟んで』『誰かの空間を突破して』いく必要性があります。
婚活アプリなどでは空間が一致している人としか関われないということですね。
ツインレイのなかでも、同性ツインレイの場合は同性である一致が生まれるために婚活アプリなど他人の空間を経由せずとも出会うことができます。
同性ツインレイの原理は魂の角度から見たツインレイステージを同性ツインレイを含めて解説の記事で説明しています。
ツイッターなどは情報がオープンであり、人を介してその先にいるツインレイを見つけやすい環境となっています。
また、SNSとしても膨大な人数であることから空間を超えることが容易く行われやすいということも事実です。
いわばSNSは膨大な大きな空間が、多種多様な人たちによって構成されており、コミュニティーとして存在する理由を限定している空間(婚活・趣味など・・・)の人たちよりも空間を超えていきやすいことになります。
ツインレイが『いろんな人たちがいる場所で出会う』とは、空間の一致が必要だったからということです。
ここで空間への理解が出来たかな? と思います。
これからもう少し突っ込んで、どのように鏡が成立しているのかのメカニズムを説明していこうと思います。
ツインレイの相手と鏡の法則性とメカニズム
さきほど、空間が対峙しているから他者を介入しないとツインレイの相手とは出会えないという話をしました。
ここでツインレイの相手と自身が鏡の存在になっていく経緯について説明しようと思います。
私たちは輪廻転生を何度も繰り返しており、ツインレイの相手とも何度も繰り返してこの世に生まれてきています。
出会ったこともあったり、出会っていなかったりもするようですが、大抵は『どっかに』いるような気がします。
関わりのある人——というような形で最初の輪廻では接触があったりしますが、だんだん『出会えなくなっていく』のがツインレイなのではないでしょうか。
ツインレイの輪廻と鏡の法則の成立まで
私たちはツインレイの相手を探しています。
しかし、正しくはツインレイの相手と出会える立ち位置に立つべく移動し続けているというのが正解だと思います。理由はこの世で探そうとしても探せません。
探し出すには、魂的にツインレイの相手と対峙した立場に立たねばなりません。
そこに立ち、ようやくツインレイとの縁が生じるようなメカニズムになっているんですね。
図にして説明しようと思います。
当初、ツインレイの二人はこのようにしてお互いが対峙している関係性にあるかと思います。
このときツインレイの二人は『神話』を模している状態であり、多くの人たちが自身が持つ神話や物語を思い出しているかと思いますが、この二人の関係性はこのようにして対峙した関係性であるからこそ、関係性は破綻します。
実はツインレイは最初に出会ったとき、最悪な関係性だったと考えられます。
少なからず経験不足過ぎるふたりは、関係性が最悪な状態になります。相手の気持ちを理解することも出来ず、お互いの悪い側面ばかりをあぶりだしてくるような関係性になっています。
しかし、転生を繰り返していくうちに自身の立ち位置を変えていくことになります。
新しい角度と長さでお互いの最良の立ち位置を探しているような線を加えました。
お互いがお互いで、自身が一番シックリと来るような立ち位置を輪廻のなかで探し続けていきます。これがツインレイの魂の輪廻における修行ともいえることです。
そして、最終的には、
このように立場が逆転するような構図をとっていきます。
私たちは関係性が反転してしまっている状態なんですね。これが魂の輪廻の結果となります。
この立ち位置になるまで私たちはずいぶんと長い間、魂というつながりのなかで相手と自分の立ち位置を相談し続けているのです。
さて、この構図になってようやくツインレイの二人は『出会いなおし』が出来るようになり、ツインレイの二人は現世という今の時代で再会することができるようになります。
それまでの私たちの経験は『相手を愛する』ことにより、自身のなかに相手を取り込んでいく必要性がありました。
相手を愛した分だけ、受け入れた分だけ。それだけ私たちは真逆に座すことが出来ました。そしてようやく『相手の立場』を魂の輪廻を超えて理解することができるようになったということです。
しかし、このとき私たちは反転してしまっているが為に、肉体の中に入っている魂と肉体は、反転しているような性別となっています。つまり、男女とは元来、男のなかに女が入っており、女のなかに男の魂が入っている状態になってしまっているのです。
魂と肉体が反転している性別である気質が完成したとき、ツインレイの相手と共にあることになれます。
最後の最後に総仕上げとなるところでは、ツインレイの二人で真逆にズレている分(SNSでどれだけ人を介したのかの数など・・・)を調整するようなことが行われます。
これにてツインレイの相手と自分は反転しており、相手は自分であり、自分は相手であるという方程式が成立します。
つまり、これにて鏡が成立していきます。
ツインレイの鏡の法則性による問題性
ツインレイの二人が鏡のなかで出会うことにより、ツインレイの二人は男女が反転してしまっている状態です。
そこに至るまで続けることになった輪廻の結果がでているということです。
本当になりたい自分、本当にほしいものをツインレイの相手が持っている。そんな状態になるのがツインレイの状態です。なぜならば、自身が本来保有したい性における性質を相手が持っているのです。
反転した状態でツインレイは出会い、そこには多くの問題が生じます。
自身のなかに『多大なる葛藤』を生み出すと言うことです。
最終的に真逆性になるために、お互いに残っている葛藤は大きなものになります。
相手を受け入れることは『自分が持っていないもの』でありながら『自分がほしいもの』であったり、『自分のなかでは絶対的に許せないもの』でもあるんです。
ツインレイの葛藤におきましては、ツインレイの自己統合(4次元統合)による原理が関係しています。詳しくはツインレイの4次元統合という分離の解説の記事で説明しています。
ほかにもツインレイ男性と女性の心と罪の関係性(4次元統合や自立)の記事が参考になります。
ツインレイの相手は人生のなかで一番の刺激を与えてくれる最悪的な相性の相手となって現れますが、もし、ポジティブツインレイとして真っ当に突き進んできた場合には、ツインレイの相手を受け入れることになります。
反面、ネガティブツインレイ(闇の刺客)として先に進むことのない魂の場合、ツインレイの相手を受け入れることが出来ずに離別を迎えることになります。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)・闇の刺客は動いていない
ポジティブツインレイは相手と相談し続け、自分自身の立ち位置を決め続けてきました。
相手を愛するためにはどうしても、相手を愛し、受け入れることが必要でした。
そして、それはツインレイの相手ではない相手を愛し受け入れ続けることにより、自身の立ち位置をツインレイのほうへと位置を変えていくことになりました。
つまりポジティブツインレイは成長し続けることをしていました。
それはツインレイの相手を魂では愛していたからとも言えます。それは自分自身ではありませんでした。
しかし、ネガティブツインレイ(闇の刺客)は当初の立ち位置から動くことがありませんでした。
なにか一つでも学ぶことが出来たのか——というと自分を愛していたがゆえに自分の思い通りにさせようとして生きてきました。
つまり、ネガティブツインレイ(闇の刺客)の人たちは前世で何一つ学ばなかった人たちともいえ、表面的なこの世の物質的な——お金や権威、自身が愛されることばかりに目が向き、相手を受け入れたりすることをしたわけではありません。
してきたことといえば、相手を利用したり、自分が優位に立つことばかりを考えてきた人たちともいえます。
よくツインレイではエゴイズムを捨てよという話がありますが、ネガティブツインレイ(闇の刺客)たちはエゴイズムを捨てることがまったく出来ないまま、魂の輪廻を繰り返してきたということです。
また、この世の法則から『人に罪を擦り付けること』ができました。自分の不幸を人のせいにし続けることにより、人を貶めることはあっても自身が成長することはありませんでした。
つまり、ツインレイの相手と一緒に自分の立ち位置をまるで変える必要がなく、ずっと『自分のまま』に存在していました。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)は自身のなかに愛という心を育てることもなく、心を喪失していくこととなりました。
心は流動性のもとにあり、いかようにでも形を変えていくことができる柔軟性が必要ですが、それは繰り返される輪廻と魂による相手を受容した数の分だけ、心に柔軟性を持つことが出来るのです。
ポジティブツインレイは自身の立ち位置を変え続けましたが、ネガティブツインレイ(闇の刺客)は自身の立ち位置を変えてこなかった存在と捉えることが出来ます。
このネガティブツインレイ(闇の刺客)は、ポジティブツインレイの対峙となり鏡の法則性が適用されることになります。
二極化した二組ツインレイカップルによる鏡の法則性
ネガティブツインレイ(闇の刺客)とポジティブツインレイのそれぞれは、魂の成長をしたのか、魂の成長をしなかったのか? という違いがあることが前述にてわかってもらえたかなと思います。
では、この二つのツインレイカップルの鏡の法則性についてを書かせてもらいます。
私は別記事にてこのように図を転回させました。
プラスがネガティブツインレイ(闇の刺客)であり、マイナスがポジティブツインレイです。立場が逆なのだということがわかってもらえればいいかなと思います。
間違ってはいないのですが、少々立ち位置がおかしいので、組み替えようかと思います。
最初のツインレイ図 | 最後のツインレイ図 |
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これが正解というような形でしょうか。
最初のツインレイ図とは、二人が生まれて直ぐに対峙している関係性と言えます。
そこから反転していくので最後のツインレイ図では男女の立ち位置が反転しています。
また、自身のなかで切り離していった自己というものが、『ネガティブツインレイ(闇の刺客)』のなかに保有されている状態です。
最終ツインレイ図 | ツインレイの自己 |
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赤の三角がツインレイ女性がツインレイ男性の為に捨てたものであり、
青の三角がツインレイ男性がツインレイ女性のために捨てたものです。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)たちは、ポジティブツインレイたちが持っていながらも、それぞれが相手を受容するために不必要として捨ててきたものを全て持っているような状態として存在しています。
ツインレイの闇の刺客の成立させるには
ツインレイたちは最終的に闇の刺客に遭遇すると言われています。
闇の定義はまた別においておくとして、ネガティブツインレイ(闇の刺客)はそれぞれがツインレイの相手を愛しているが為に捨てたものにより形成されており、自身がいらないと判断した自分自身としてネガティブツインレイ(闇の刺客)としてあらわれます。
つまり、ネガティブツインレイ(闇の刺客)はポジティブツインレイたちに形成されている存在であり、ポジティブツインレイはネガティブツインレイ(闇の刺客)を生み出したとも言えます。
関係性として、ネガティブツインレイ(闇の刺客)はポジティブツインレイの足引っ張りをし続け、自己愛故に問題を押しつけ続けてきた存在であり、ポジティブツインレイがツインレイの相手を愛しているがゆえに捨てたものを、ネガティブツインレイ(闇の刺客)が持っているという状態です。
なんとも複雑な関係性をしており、闇の刺客とは『自分自身が捨てたものが返ってきただけ』の話でもあります。
正しく言えば、その立ち位置に成立するような人生を送ってきたということです。
本当は捨てているというよりも、認識しないまでになってしまったととらえるのが精神分析的には正解かと思います。
闇の刺客が持っているものとは?
闇の刺客となるネガティブツインレイ(闇の刺客)はポジティブツインレイが、ツインレイを愛しているがゆえに捨てたものを持っています。
さて、ツインレイは何を捨てたのでしょうか。
それは『自分』です。
ツインレイにとって相手を愛するために一番邪魔になるものは『自分』でした。
その自分を捨ててしまったポジティブツインレイは、自分というモノがなくなっている状態です。
ゆえにツインレイは『人にはとてもやさしい存在』であり、『自分を明け渡してしまいやすいHSP』というような現象が起こっています。
人を愛するために自分を削っていくことをし続けたのがポジティブツインレイであり、自分を愛するために己を強化していったのがネガティブツインレイ(闇の刺客)であり闇の刺客です。
つまり、ネガティブツインレイ(闇の刺客)は二倍の感情と自己を持っており、ポジティブツインレイはその分自分が存在していません。
このような関係性となり、ツインレイの立ち位置の法則と同様に『関係性が対峙した立ち位置として成立』したときに、出会うメカニズムとなっています。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)たちはポジティブツインレイたちに脅威となる——ましてや闇の刺客とまで言われるような形でツインレイの前に現れますが、その存在はツインレイたちに『自分』を返しにやってきてくれる存在でもあります。
究極なる自己を目前にして、それはいつかの自分であり、そろそろ自分のところに戻ってきてもいい状態にまでツインレイが精神の成長を遂げた証拠でもあります。
闇の刺客とツインレイの反転の経緯
ツインレイの最初の図 | |
ツインレイが反転し、自己が闇の刺客のもとにある図 | |
ネガティブツインレイ(闇の刺客)なかで反転する図 | |
ツインレイの二人がそれぞれの自己を取り戻す |
図にて説明を先にさせていただきましたが、闇の刺客の人たちのなかにあるツインレイの二人の自己が、拮抗している状態となっているものを反転させることになります。
その引き金はツインレイにより引かれていくことになります。
引き金をひかれると、闇の刺客であるネガティブツインレイ(闇の刺客)たちは本性を出さざるを得なくなります。
そして、その本性たるものからツインレイは自分自身にとって、とても大事なものである『自分の感覚』を取り戻していくことになります。
それは究極に傷つくことです。
そして、自身の胸を痛めることです。自身の胸を痛め、自身の失った感情を取り戻していくために、失ってしまっている『怒り』や『悲しみ』、本当はどうしたかったのか。
本当は傷ついていたことなど。
とてつもなく自分自身に鈍感状態になっているツインレイたちは、ここでHSPとして他者に共感し、その共感が自己である認識から、自分で自分の心を取り戻していきます。
それは『究極に傷つくこと』でしか取り戻せません。
もともと自分がそこにいたはずですが、その自分を取り戻すには『自分に傷つけられる』必要性があります。その自分がネガティブツインレイ(闇の刺客)として現れているということです。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)はポジティブツインレイを傷つけるにはもってこいの存在です。それだけの威力を持っていますので、闇の刺客として現れるのです。
闇の刺客が必要な理由『魂の自立』
私たちは、生きていくなかで『光』を求め『闇』を捨ててはきませんでしたか。
自身のなかに在る暗闇を捨てることは、とても楽なことだったように思います。
もし、自分のなかに『自分』があれば、ツインレイの相手を愛することが出来ない世界観のなかで私たちは存在していたのも事実でした。
それは『愛』とは『犠牲』である世界だったからです。
ポジティブツインレイは常に犠牲をしながら徳を積み続けてきました。ネガティブツインレイ(闇の刺客)は常に誰かを犠牲にして人に罪を擦り付けることが出来ました。
このような相関性を持っていた鏡の世界のなかで私たちは生きており、そしてそれは『魂がつながっているから』行われていることでした。
つまり、ネガティブツインレイ(闇の刺客)もポジティブツインレイも魂的には繋がっており、繋がっているからこそ自分で自分の責任を負うことが魂上ではできないような構造になっています。
これは元来、人の魂を成長させるために必要なメカニズムだったのです。
しかし、ツインレイが反転することにより、均衡が反転し、元来ある『本質』がでてきやすい状態になります。
先ほど『男は女で、女は男』と書きました。
自身のなかにある性別が反転している状態であるからこそ、自身の隠している本質が隠せられている状態でもありましたが、男は男となり、女は女となるような精神状態になるがために、それぞれの本質が丸出し状態になり、隠しているものが隠せなくなっていきます。
隠しているものが赤裸々になっていく時代としていくために、ツインレイたちは魂による反転をしていくことが求められているんですね。
そして、ネガティブツインレイ(闇の刺客)たちはポジティブツインレイたちに擦り付けていた罪を、一心で背負っていくことになります。
また、これは『魂の自立』でもあります。
魂の自立をすることにより、それぞれが自己責任で徳と罪を使うことができるようになります。罪を人に擦り付けることが出来なくなるんですね。
魂の自立をして困る人と、困らない人が存在している——ということです。
魂は戦をしている
魂は戦をしています。
闇の刺客による戦いは、ツインレイたちにとって『魂の消滅』をかけた戦いになります。
もし、ネガティブツインレイ(闇の刺客)が勝ち、ポジティブツインレイが負けた場合、ポジティブツインレイは魂が消滅することになります。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)は魂の消滅となるために、ポジティブツインレイをなんとしてでも負かせたいようにしかけてきます。
ネガティブツインレイ(闇の刺客)は勝つか負けるか。ただそれだけの視点でしかありません。
自己のなかで拮抗している感情は上下により分離しているがゆえに、二極化した思想しか持ち得ていません。
勝つことしか考えていないので、負けることが出来ないのがネガティブツインレイ(闇の刺客)です。
そして、ポジティブツインレイには絶対的に負けたくないのがネガティブツインレイ(闇の刺客)でもあります。
しかし、本当のところは両手をあげて完敗していくことが、最後の一厘を生み出すことになります。(日月神示にて書かれています)
負けることが勝つことであること。それがこの世の法則でした。
丸腰で逃げることも大事ですし、すべてを捨て、兜を捨てて逃げていくことは本当に大事なことです。
大変な事態になるかもしれません、きっと自分が培ってきたものすべてを失うことになるかもしれません。
しかし、魂が消滅するかどうかでいえば、この人生で一度きり、すべてを丸裸にされたほうがまだマシという視点を持つことが大事なときなのです。
魂による戦は『消滅』をかけて行われています。
それは『ツインレイによる闇の刺客のステージ』で明確となっていきます。