ツインレイの闇の刺客と次元による解釈の解説

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイには闇の刺客が発生するわけだが、そもそも闇の刺客はどのような原理で発生しているのかである。

私たちは自分の意識を次元上昇させていく経緯で、裏側へアクセスしていくことになる。その結果、私たちは『自分の裏側の人たち』に出会い、その人たちを統合させることにより、私たちは新しい出会いを見つけることになる。

このメカニズムの本質には『私たちは私たちでしかない』ということだ。

私たちは自分の意識を分岐させることができるが、分岐させると同時に、それが闇の刺客化するということ。そして、その闇自体を拭い去り、新しい次元の意識を内包していくことにより、私たちの次元上昇は進むことになる。

 

闇の刺客とは、そもそも私たちのなかに存在していた分離した意識にある。その意識に出会ったとき、私は『影』と思った。その影こそ、ユングの唱えるシャドウの象意にあったわけだが、次元上昇を伴う影響により、私たちは闇の刺客として認識しているようである。

闇とは私たちのなかに存在していたのである。その闇を外へ捨てることにより闇を内包し、闇と光の融合を起こすことで次元上昇としている。

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闇の刺客はなぜ発生するのか

私たちは自分の次元上昇をするとき、意識を分岐させることになる。

たとえば、自分のなかにある強い殺意を始めとして、私たちは多くの知覚された自分の嫌いな部分を体現しないように自己のなかに抑圧していくことになる。

つまり理想の自分になるために、努力を積み重ねていく経緯が精神にも表れていることだ。

理想の自分を『自分で体現する』としたとき、私たちはその理想を『正義』とし、同時に自分のなかに存在するアイデンティティをかたわ『悪』として認識している。

たとえば、私たちが自分以外の人間に腹を立てるとき、大抵は、その人に腹を立てているのではなく己のなかに存在する相手と同じような自分に腹を立てているのである。もっと簡単に理解するには「なぜ腹は立つのか」を理解する必要性がある。

腹が立つには「相手が自分だから」である。相手が自分であり、自分であるからこそ腹が立つのである。私たちは常に自己投影の世界に存在している。つまり、相手に腹は立つ限り、自分は自分に腹を立てつづけているに過ぎない。

そして、相手に酷いことをされたと思うのであれば、それは常に自分が自分に酷いことを知つづけているに過ぎないし、自分で自分の首を絞めつづけているだけである。相手の行動にイチイチ勘に触るとき、それは『過去の自分ではないか』とか『自分は同じことをしていないか』として考えてみる必要性がある。

客観的にものを見て考える時、たいてい「誰かに自分がやっている」のである。その内容をそっくりそのままやり返されて腹が立つわけである。

いわば、こんな風に『理想』と『悪』による『悪』に対して意識を向けているとき、基本的には腹が立つことしかない。そして、ツインレイの闇の刺客とは基本的に「悪」である。

私たちが抑圧した悪こそが『闇の刺客』だからである。

次元をあげると闇は発生せざるを得ない

上記の通り、私たちは『正義』と『悪』を自らのなかで対峙させている。そのうち正義が勝つ瞬間がある。買った瞬間、悪はそとへ排除される。排除された悪は、外部から抑圧を始める。

私たちはよくわかっていないので『自分のなかに悪など存在せず、他人が悪なんだ』と思っている。他人が持っている要素はすべて自分が持っているから、そこに『悪という他者』が発生するのである。

図の説明:精神内にあるものを理性で抑圧し、外部の世界へポイ!
図の説明:精神内にあるものを理性で抑圧し、外部の世界へポイ!

これが精神構造と世界への転用にある。
引用:ツインレイの成長は善悪二元論から二元性へ概念をアップデートすること。

これが闇の刺客のメカニズムであり、またツインレイとは次元上昇とセットのように存在しているからか、闇の刺客はツインレイとセットで語られているのである。

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闇の刺客の次元とは

闇の刺客者たちの次元は『裏側』に存在している。

もし、私たちが『プラスの次元』へ進んでいるのだとしたならば、闇の刺客たちは『マイナスの次元』へと進んでいるのである。

次元ごとに違う学習の違いの一覧表
0 1.異性 2.他者 3.意識 4.無意識 5.無
1 異性 他者-異性 意識-異性 無意識-異性 無-異性
2 異性-他者 他者 意識-他者 無意識-他者 無-他者
3 異性-意識 他者-意識 意識 無意識-意識 無-意識
4 異性-無意識 他者-無意識 意識-無意識 無意識 無-無意識
5 異性-無 他者-無 意識-無 無意識-無

引用:次元ごとによる視点の違いと次元の学習の解説(ツインレイはすべての次元学習に存在している話)

この次元構造は『プラス側』に書いているので、これを『マイナス側』にも書いて見ようかなと思う。

次元ごとに違う学習の違いの一覧表
1.同性 2.個 3.自意識 4.顕在意識 5.有(自我)
-5
-4 無自覚 有-無自覚
-3 自意識 無自覚-他者意識 有-他者意識
-2 他者意識-個 無自覚-個 有-個
-1 同性 個-同性 他者意識-同性 無自覚-同性 有-同性
0 1.異性 2.他者 3.意識 4.無意識 5.無
1 異性 他者-異性 意識-異性 無意識-異性 無-異性
2 他者 意識-他者 無意識-他者 無-他者
3 意識 無意識-意識 無-意識
4 無意識 無-無意識
5

0次元は常に自分を意味している。

次元意識の違い
高次元 0次元
1次元意識 異性 同性
2次元意識 他者 自分
3次元意識 他者意識 自意識
4次元意識 無意識 無自覚
5次元意識 自我なし 自我あり

引用:次元上昇による『自分の次元』はどこにあるのかの解説(次元は上昇するんじゃなくて降りてくる件)

この図表からわかるように、私たちは常に『高次元へ向かう』ことを行っているが、真逆に『マイナス側へ向かう』人たちもいる。

ただ次元には『マイナス』なんてものはない。これは便宜上におけるマイナス次元にある。

このマイナスに次元を進めていくことは常に『0次元にとどまる』ということだ。闇の刺客とは0次元の存在なのである。

0次元としての意識は『同性』『自分(個)』『自意識』『無自覚』『自我あり』という意識であるが、これは間違いにある。少なからず0次元とは『無』にあり、プラスとマイナスを統合させると中庸化される。

つまり0次元は『無』なわけで、何もない存在で『空っぽ』なわけなんだが、当人の意識としては『自我がある』ので、自分を持っている感覚がある。だけど、根源には何もないものを見ようとしていないから取り繕っているに過ぎない。

闇の刺客の0次元には根本に『無』を持っているが自分を許さない為、『有』であろうと取り繕っている人たち。そして、光の使者側からすれば『捨てた自分』を模している。

いわば、マイナスに次元を進めていくとは『自我を構築する』ことであり『自分ばかりになる』ことでもある。

闇の刺客たちの精神について

闇の刺客側に立つ人たちは『自分』を主体として世界を見ている。

つまり自己中心的ともいえ、自分を主体としすぎているが為に、1次元による異性性を同性として認識する。ここで同性愛者という概念が生まれる。

2次元による他者を自分として認識する。ここで『憧れ』が生じ、また同様に『妬み』が生まれる。他者に対しての悪意が生じる。他者への悪意は他者へ向けられ、憧れへと転用することができない。他者の足を引っ張ることで憧れの席から外し、自分が憧れの座へ座ろうとする意識になる。

3次元による『自意識』と『他者意識』だが、相手の気持ちを想像したり考えることができない状態になるのももちろんではあるが、同時に自意識過剰の状態にも陥る。

この感覚は、好かれてもいない人に『好かれている』と思いこんだり、「自分は注目されている」と感じたりし、過剰に振舞うところがある。常に自分は注目されていることを大前提に動くため「自分は悪い人間ではない」と事実と異なる妄想をのたまうことを始めたり、自分が注目され、自分はすごい人間なんだと一般人が思い込むことになる。

4次元意識では『無意識を中心的』に動かすのではなく『無自覚を中心的』に動かしていくため、多くの問題は『自分が問題ではない』と感じられる。つまり自分に問題があるから怒られたりしても、無自覚に行動や発言をし人を傷つけている為「自分は何もしてないし、何もやっていない」と感じられる。

5次元意識では『ある』として認識される。それはなにかといえば『自我』である。当人はそれを『自分』だと思っているが、周囲の人からは『あなたらしくない』というような風貌にある。

 

また、この視点が『ひっくり返った高次元意識』にも影響を及ぼす。

『異性愛者』『他者』『他者意識』『無意識』『自我なし』という存在でもある。

自分は異性愛者なのか、同性愛者なのかがわからない。
他者と自分の区別がつかない。
他者意識と自意識の違いが分からない。
無意識と無自覚の違いも分からない。
自我が何なのかが分からない。

というようなアイデンティティが崩壊する事態になる。つまり『自分がよくわからない状態』になる。

闇の刺客側は『自分があると装っている風』だけど『自分がない』というのが定説になるかなと思う。光の使者側は『自分がないと装っている風』だけど『自分がある』という感じ。

なぜこのような事態になっているのかというと、闇側は他者を切り捨てつづけている状態にある。いわば『自分を捨てる』状態にあるため、最終的には自我がなくなってしまうということだ。

そうすると、高次元にある5次元意識は『自己が無い』となっている。他者とは自分であるからだ。

代わりに0次元は『自我が在る』となっている。いわば、反転しているのである。

高次元 0次元
光の使者 自我がない・自己がある 自我がある・自己がない
闇の刺客 自我がある・自己がない 自我がない・自己がある

自己とは『個性とかアイデンティティ』でいいかもしれない。

闇の刺客たちは、本能に従うとき『人のためになる』し、本能に従わないとき『誰の為にもならない』わけである。

つまり、承認欲求を満たそうと「人に教える」をして「すごいねー」と言われるために生きる感じ。本能に従わないと『自我』がでてくるから、その自我そのものが悪さをする感じ。

常に『人に褒められるために生きる』ようになり『人に認められるために生きる』ようになる。これが『他人軸の究極』にあるなんだが、闇の使者側は自分軸の喪失にもあるから、人に褒められなきゃ何もしたくないしし、人に認められなきゃ何もしたくないっていう感じになっている。

んで、光側は『自分がやりたいことをやる』し『自分を認めながら生きる』ようになる。だから光と闇は相反するところがあるのである。光は闇を褒めないし認めない。闇は褒められたいし認められたい状態にある。

そして、光が『自分を認める』『自分を褒める』として自分を受け入れ始めると、闇が去ると言う構造にある。今まで他者を認めてきた分だけ自分に目を向けるようなってようやく——である。

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次元ごとに違う闇の刺客

闇の刺客は次元ごとに違っている。

1次元では『異性』によるテーマが発生するが闇は『自分』にある。闇の刺客とは0次元から1次元にいけないでいる人たちってこと。それはいつかの自分であるとして捉えるべきである。

2次元では『他者』によるテーマが発生する、他者を受け入れよということだ。そのとき、闇は『異性』と『自分』により発生する。人の結婚や人が結ばれていることを喜べるのか? ということ。ツインソウルのテーマ。

3次元では『意識』によるテーマが発生し、自分が意識的に生きることができることを受け入れよということ。そのとき、闇は『自分』『異性』『他者(同性)』の三つにより生じる。ツインフレームのテーマ。

4次元では『無意識』によるテーマであり、自分に存在する無意識を受け入れることになる。このときの闇は『自分』『異性』『他者』『意識』の四つにより生じる。驚くべきことは、今まで『意識的にやってきたこと・道徳・愛』という存在が闇であることに気づくと言うこと。これがツインレイのテーマにある。

5次元では『無』によるテーマであり、自分は空っぽであることを受け入れることにある。闇は『自分』『異性』『他者』『意識』『無意識』の五つにより生じる。無意識による闇とは、もはやただの魔境である——。

次元ごとのテーマは自分に帰す

すべてにおいて自分のなかに存在している『精神構造』が関係をしている。

自分のなかに存在している異性性が、徐々に次元をあげるごとにランクアップしていくし、他者に関すること、意識のこと。無意識のことなどが5次元ではすべてひっくり返ることになる。

すべてが『無』という自分に帰してしまう状態になるためだ。

闇の刺客はそれぞれのテーマによって増えていくし、その闇と向き合うたびに私たちは「自分は間違っていたのか?」と何度も考え直すことになる。もちろん間違えている。闇が正しいとも言える、否、私たちは間違いを犯さなければ正しさを理解することはない。

間違えたことがない人の言葉を誰が信じ、誰が理解し、誰が共感をするのだろうか。

ただ口先だけで何もしていない人の言葉を、誰が受け入れるのだろうか。

私たちは間違え続けていることに気づき続けることしかできない。そしてその間違いを次元ごとに正していく経緯で、私たちは「自分の間違い」を他者を通して見つけ、その他者を受け入れることにより『自分の間違いと正しさ』が融合され、次元を統合していくことになる。

闇と光を統合させながら存在へと切り替えていく

私たちは闇を切り離し、光だけとなる。次に外部に発生した闇を見て「自分」を振り返り、その闇を抱き寄せる。

私たちはそのとき『存在』へとも昇華するが、私たちのキャパシティーはひとつ大きくもなる。

なぜ私たちは『闇を切り離す必要性』があったのか——ということだ。

私たちは、自分の中を善悪に分離し、精神構造を分断させていたのである。精神構造を分断させると『悪』と『正義』という項目により自己分離を起こすことになるが、再び悪を受け入れることにより、その悪が存在していたスペースに新しい思想が入り込むのである。

図の説明:二極化のスペースを生み出すためには善悪二元論による分岐が必要

このとき、二極化が生じる際では『正義』と『悪』による統合を必要とする(光と闇の統合)し、新しいスペースに新しい思想が入り込むとき、二元性が成立するようになるのである。