ツインレイの彼くんを経験した感想文

2024-05-27

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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彼と守護龍が交換され、私は「彼」を経験した。

彼はひとりだった。彼はずっとひとりだったと思う。その空間のなかで楽しかったんだと思う。思考実験も楽しかった。

ひとりでもよかったんだなと思った。だけれど、なにか物足りないなにかを感じていたんじゃないかとも思った。

何かが足りない、そんな感覚が付きまとっていた。

楽しい、だけれど、なにかが足りない感覚。

ひとりの空間で、ひとりの思想のなかで、繰り返される思考のなかで、私は「何か」が足りなく感じていた。

それは「さびしい」とか「だれか」でもなかったような気がする。

空虚のような、何かだったような。ふとしたときの空間がある。振り返っても誰もいない感じ。

でも、これを「さびしい」という枠に入れてしまってもいいんじゃないかって思った。

 

彼はひとりで歩いていたような気がする。誰もついてこないし、誰かについてきてほしいとも思っていない。

私は少なからずあのとき「誰も必要としていなかった」のである。少なからずあのとき「誰か」なんて必要がなくて、応援も賛美も、肯定も否定も、すべていらなかった。

だけれど、それを笑顔で受け取らなければならないことが、とてつもなく虚しかった。そしてわずらわしさを感じていた。

人と共に何かを感じることが煩わしく、共に何かを共有することもメンドクサイ。ただひとりでありたかったような気がする。

でも、周囲に人がまとわりついてくる。それをソツなく、笑顔で、めんどくさいなって思う気持ちを隠しては、人と一緒にいたような感じ。

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視点を持っていえば、常に客体性がある。私は自分に「感情の介入があれば、それは理論として成立しない」としての思想があったのも手伝ったような気がするけれど、彼の視点は常に、山の側面をみている。

彼はすべての山上ルートを把握している人。

彼は山を登っていたわけではなく、彼は山へのぼるルートを把握し、そののぼるルートをひとつひとつ検証し、その検証のなかで最善を探していく人って感じ。

だから、彼は山を登っているのかもしれないけれど、山を登っているのは想像のなかで、現実的に登っているわけではない。

彼は「全ルート」を想像で登り、山を制覇する。

これが思考実験のカタチなんだなと思った。

 

浮世離れしたような感覚もあった。

人とは常に「離れた」ような感覚があって「そこ」に安心があった。そして、その安心のなかで思考している。

とくに何か人に害をなそうとしているわけではないし、何かをしようとしているわけでもないし、ただ、考えているだけ。

そして、人と離れているところにいるほうが自分らしくいられるような感じ。

達観しているとか、そういうことも感じるけれど。もし、これが「人を見下しているのか」というのも違う。

人よりも広く把握できる位置から全方位を把握しては、様子をすべて把握しているだけ。ただ、人からすれば、リレーに参加しない選手がそこにいることは、ちょっと煙たがられるような感じ。

だからこそ、人に患われない。心が穏やかにいられる。そして、介入されずに落ち着いていられる。

人にとやかく言われても、ただ「そこ」に彼はいないと思う。

彼はたぶん、もっと違うところにいて、たぶん、その正体は私たちには把握できないんじゃないかな。

人がそこにいても、自分がそこにいるとは限らない。

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ずっとつまらなかったかな。私はね。

彼になっているとき、ずっと、つまらなかった。

彼が彼として開放されているとき、紙面上、パソコンの前。考えているとき。そのとき、彼は彼として開放されている。

そして、人にとやかく考えさせられるのも嫌。めんどくさいし、人のことで悩むのもあまり好きではない感じ。

解放されている知性の場はあったよ。

でも、なぜか「本当の意味」で解放されていたとは思わなかった。

それがなんなのかはよくわからないんだけれど、、抑圧された感情がものすごく大量に溜まっているような感覚もする。

頭の中で楽しくて、頭の中をぐるぐるさせているのに夢中になってしまうあまりに「人間であること」を忘れてしまっている。

そんな気がした。

私たちが「生物と言う人間」である部分が忘れられてしまっている感覚もした。

彼はいつも安心できる場所にいて、それが安住過ぎて、なんだか、とても生物としてはどうなのかなと思うほどに「人であること」を放棄しているように思えた。

 

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彼は私になれたかな。

私はどうだっただろうか。

きっと、泥水すすらされたんじゃないかな。

感情をかき乱されて、こんちくしょうって叫びたくなること、あったんじゃないかな。

こんなことあってたまるか、と泣きたくて、叫びたくなることはなかったかな。

怒りまかせにブチギレたくなるようなこと、あったんじゃないかな。

それに歯を食いしばってしまうとき、あったと思う。

いつだって、人のことだったよ。人のことで煩わされ、人の為に怒っていたのが私。

それじゃあ、あなたのためにならないと、私は伝えようとしてきた。

とてつもなく生きていた人が、私だったんじゃないかな。

人の為に怒って、人の為に泣いて、人の為に生きることが、凄まじくエネルギーがいることだった。

そのために自分の命を削ってた人。

 

彼と私が出会い、なぜ惹きあったのがわかった気がするよ。

だって、彼の視点と、私の視点はまるで違った。

彼の視点は「山全体を把握する視点」で、私の視点は「山の上からの視点」で、まるで違った。

私は彼は、下からのぼってくる人だと思っていた。違った。彼はもはや「天」から見ていたのだな、と。

彼からすれば、私は「人」なんだと思う。山のうえに立っている人。

彼は「神さま」だったんじゃないかな。天から私を眺めている人。

 

彼を私は人だと思ったよ。

彼は私を経験して「人」になれたかな。

 

彼が大きな感情の起伏がないのもわかったよ。

そりゃないよ。だって、ずっとあなたはそこにいなかった。

そろそろ降りてきたらいいのに。

天から私を見続けて楽しいのかな。