サイレント期間に『走り去る人』と『飛び去る人』が生じる経緯とツインレイとツインフレームの男女の認識の違い

2023-07-14

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私はサイレント期間に入る前に『鳳凰』と『馬(ペガサス)』の夢を見ている。

そのうちの馬は獬豸・白澤・ペガサス・ユニコーンと同類のものではないか——と考えています。

当記事ともうひとつの馬の見解についてをツインレイの誓約による審判者の神獣について(獬豸・白澤・ペガサス・ユニコーン)で説明をしています。

1回目、馬は私に対して三匹が私を見ていました。その他にも多くの馬が飛んでいるのをみました。

2回目、鳳凰は四匹がふわふわと飛んでいるのをみました。

 

この夢の見解です。

サイレント期間とは、馬となってツインレイ男性が逃げ出していくこと。

そして、鳳凰となってツインレイ女性が自由になること。

としての象意で私は夢を見ていたようです。

そのうち、ツインレイ男性は『三回逃げ出す』、ツインレイ女性は『四回自由になる』とも読めるんですが、どうにも脳裏に思い出されるのが、彼くんが「逃げたくない。」と言っていたような言葉です。(言っていたような気がする、どんなシーンかは思い出せないけど。)

そして、私は「束縛が欲しい。」と言っていました。

つまり、私と彼は、ランナーである『馬』ではないし、チェイサーである『鳳凰』ではないんですが、便宜上、私たちはランナーとチェイサーとなり、彼は走って逃げることになり、私は自由になる必要性がありました。

これは『便宜上』であり、関係性の保全のためであって別に逃げたかったわけでもないし、自由になりたかったわけでもないっていうところに本心があるってことですね。

しかし、彼は私を自由にしたかったし、彼を私は逃がしたかった。

 

私はこのサイレント期間で『三人逃げ出す男性』と出会い、『四人自由になる女性』と出会いました。

それは私から——であり、私を含めてです。

私は私から自由になったので、鳳凰のうちひとりが私です。

三人の男性が私から逃げ出しました。(うちひとりが彼)

四人の女性が私から逃げ出しました。(うちひとりが私)

こんな感じでしょうか。

これは私の精神領域の話でもある為、それを体現してくれた方々がいらっしゃるともいえます。が、同時に彼らは自分から逃げ出したってことでもあります。

それはツインレイから逃げ出したって感じです。私はみんなにとって『自分自身』だったので。

内訳の象意を説明します。

  • 男性・・・『優位意識』の所有者
  • 男性・・・『劣位意識』の所有者
  • 男性・・・彼『顕在意識』の所有者
  • 女性・・・『悪意』の所有者
  • 女性・・・『偽善』の所有者
  • 女性・・・『責任転嫁』の所有者
  • 女性・・・私『無意識』の所有者

って感じでしょうか。

ただ、これは代表的な意識格の象意であって、モメる根源となったり、去る理由となったトリガーです。

ちなみに私は無意識なので、無自覚に彼らの問題を浮き彫りにしていくことになります。

彼は顕在意識ですので、意識的に問題を浮き彫りにしていくことになったと思います。

ふたつのサイドからテーマを終わらせていくことになります。

この関係性を解消していく必要性がありました。それは従来の世界観であり、私たちにはいらないものだったからです。

ちなみにツインフレームのときのも『一匹の馬』を見ています。こちらは『理想』が逃げていきました。

で、馬は走り去っていなくなり、鳳凰は飛び去っていなくなります。

私自身の意識のなかに『優劣意識』はなくなり、『差別意識』も『責任転嫁』もなくなります。

このサイレント期間で『モメる』っていうことは、私自身がないものとは繋がれないという表明でもあります。

 

で。今回、私はツインレイの彼も走り去っているので『顕在意識』を失っています。つまり無意識で生きているんですよね。コレがポヤッとして無自覚のオンパレードを生み出していく。(なんで怒るんかがわからねえの連発が起きる、みんなのコンプレックスを刺激していただけですね。)

彼は逆に私から去っているので顕在意識で生きている。めちゃくちゃ生きている実感ありそうですが、大変そうですね。wwww

 

彼が戻ってくるってことは、私が『生きている実感が持てる』という感覚であり、彼のもとへ私が戻るということは、彼が『無意識にポヤッとすることができる』という感覚になります。

つまり、パワーバランスがふたりでとれるようになるということ。

そして、ふたりが再会したときに『顕在意識』と『無意識』の両方に、優劣意識と差別意識、責任転嫁の問題がなくなっているという算段です。

  • 優劣意識・・・アダムの問題(男性性)
  • 差別意識・・・リリスの問題(女性性)
  • 責任転嫁・・・イブの問題(男性により生まれる女性性、また女性の理想)

というような構造をしています。

そして私のツインフレーム男性の経験は女性による男性の理想です。同時に責任転嫁問題です。

つまり、ツインレイの彼は私が先にツインフレームを終わらせているのもあって、私とのツインレイの期間でツインフレームを終わらせる必要性があったって感じでしょうか。

図の説明:ツインレイとツインフレームのタイムライン

つまりなんですが、ツインレイ男性はツインレイ女性を対象にして『理想・差別・優劣』の問題を処理していくのに対し、ツインレイ女性はツインフレームを対象に『理想』を終わらせ、ツインレイ男性を対象に『差別・優劣』の問題を処理していきます。

ゆえ、ツインレイ女性は当初『ツインレイの相手とツインフレームの関係性を構築する』というカタチに着地します。んで、最後は『サイレント期間』です。

ツインレイの期間は『どちらもツインフレームを終わらせている』状態で始まります。これが第二サイレント期間です。

第一サイレント期間は、ツインフレームの関係性による理想をツインレイ男性に終わらせていく経緯です。

 

ゆえ、ツインレイの男女は『理想・差別・優劣』の三つが無い状態です。

このなかで取り戻したいものがあります。それが『理想』です。

従来のツインレイの男女が持っている理想は、親が影響していました。それは色々な親なんですが、自立できていない段階での親とは理想に過ぎません。

ゆえ、理想を追いかけない状態になるまでの必要性があり、親との対等になる必要性があります。

それが神からの自立を含め、両親・親という存在からの自立です。

自立した後にやってくる『理想(ツインフレーム)』を受け取る必要性があるということです。

ツインフレームと本当はどうしたかったのか。当時のツインフレーム(ツインレイ男性の場合はツインレイ)と、本当はどうしたかったのかを受け取り、そしてその理想を体現することが『ツインレイ』という形に着地するのではないかと思います。

ここで思い出さなければならないは『理想』です。

あのときのツインレイたちは、ツインフレームの相手に振り回されてしまい、本当はどうしたかったのかがわかっていない状態です。

ツインレイ男性はツインレイの女性に振り回されてしまう感じでしょうか。

それは『差別・優劣』というものが起因しているような気がします。

ツインレイの男女がツインフレームとして関わっているとき、片方のツインレイ女性は覚醒状態でもあり、ツインレイ男性は『差』と『優劣』を無自覚にも受け取っているような気もします。

この意識が具現化されることより、ツインレイたちはその意識を潰せばツインレイのふたりは結ばれるための弊害をなくすことができるという算段のようです。

意識とは『ふたりの間にある壁』です。ないものをあると感じているから心理的な距離が生まれてしまう、でも本当はないんですよ。

 

ツインレイ女性にとってツインフレームが最後の恋です。

ツインレイ男性にとってツインレイが最初の恋です。

今度は、ツインレイの男女がふたりで恋に落ちる状態になる必要性があります。

それが最初で最後の恋の統合です。

そのための準備期間が、第二サイレント期間のようです。

ひらたくすると従来の理想は『負があるから理想がある』っていうメカニズムです。いわば、善悪によるメカニズム構造をしていて、根源に『差別意識』と『優劣意識』によって理想が生まれている。

だけど、本当のツインレイの理想って誰かよりも幸せになるとか、誰かよりも優位にたつのがツインレイってわけじゃなくて。

「自分たちが幸せになる」ことに他人は関係がないよね? 自分たちのオリジナルの幸せがあるよねってことです。

その幸せを手に入れるために、ツインレイたちは差別と優劣を捨てる経緯を経て、ふたたび再会をするというカタチをとっているみたいです。

ツインレイは少なからず誰と比較したりして手に入るものを幸福とは捉えていないんだと思います。

一件、優劣により生じる不幸に見えるなかにある仲睦まじい姿がツインレイの幸福かもしれません。

その幸福が私たちにとってどれだけ欲しいものだったのか。