神人の精神構造とツインレイの関係性について

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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以下の記事を参考にしている。

キリストの意識への到達により、私たちは『神』と『人』を併せ持つことによる『神人』へと到達することになる。

このとき、私たちは先ずに『獣の意識』を抑圧する。

図の説明:人と獣の違い

私たちの意識の中にある『動物性』が抑制され『人の意識』のみになるとき、私たちは感情の抑制を行うことができる。

しかし、当初に、感情の抑制が出来ないとき、その人は『獣』なのである。

この人という分類のなかにも人類は2種類存在している。『超人』と『ロボット人間』ってことである。

図の説明:人の分類の中には『超人』と『ロボット人間』がいる

この2種類のうち、超人は自分で考え、自分で悩み、自分で自分のことを考える力を持っている。

しかし、ロボット人間は与えられた答えに対して『悩むこと』や『考えること』はない。それが「答え」だと思い受けとることになる。

ロボット人間の問題とは、私たちの中にある『知識から智恵への昇華』を行うことができないことにある。ロボット人間たちは「与えられたものをそのまま受け取ること」が出来るが、「それが『何』かはよくわかっていない状態」とも言える。

ロボット人間と超人は対峙した存在ともいえる。それは『知識』と『智恵』による対極である。

このうちの超人は『神』と紐づかれる。

図の説明:神人による精神構造

超人の意識は『智恵』により生み出されている。その智恵とは、人が持ち得る考える力により生み出される。

考える力により『神』が生み出され、その神と結びついたとき、その人は『神人』となるのである。

この精神構造のなかに『感情的な支配状態』となる象徴の獣は消されている段階にあり、『知識による支配状態』となる象徴のロボット人間は消されている状態にある。

ゆえに、残る精神構造の中には『神』と『人』であり、このとき『自ら生み出した信仰の神』と『人による智恵』が結びつく存在が『神人』となる。

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3種類の人種による『違い』である

獣に関してを「オス」と「メス」。ロボット人間も同じ、オスメス。

超人に関してを「男性」と「女性」。

神人に関してを「神さんとこの人」。

こんな風に分類を別けている。

神人による『神』とは何か

それは『獣』『ロボット人間』が願ったことである。

この地上に神人が生まれる理由は、この地上における苦しみがあるからである。その苦しみゆえに、私たちは『神の雫』をうみだし、その雫により生み出された小さな神を神人とする。

その願いは、獣が抱く本心、ロボット人間は抱く本心。そのすべてを受け取り、犠牲となった人が『神人』へと到達する。

私たちは私たちのなかに『誰かの為に』という考え方があるとき、神へと昇格する。そして、その願いをかなえることができる存在へと創り上げられていく雫のひとつである。

神人へと到達していく人たちの意識は、多くの人の悲しみ。ほかにも、暴力的な何かにより生み出されているものでもある。

その世界を変えたいと思うほどの強いなにかが、神人を生み出していく。

しかし、その意識は当人の水面下に存在している為に感じることはできない。感じることが出来ないからこそ、人はあるがままの暴力的な存在となってしまうのである。

 

神とは何か。それは多くの人の願いの集合により生み出されていく。

神人へと到達する人たちは、自分のなかに『多くの人の願い』を受け取り、その願いによる神を降臨させる。

 

神である意識の私たちは「神にはなりたくない」のである。それは死を意味する。

人である意識の私たちは「神になろうとする」のである。それは死を意味する。

この神の意識と、人の意識の両方が精神のなかに構築されたとき、私たちは『神人としての生』を生み出すことになる。

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神人によるツインレイという存在

神人という存在がふたり揃うことによるツインレイたち。このふたりは『相手を支配すること』が出来ない。

神人として、初めて出会う『神人』なのかもしれない。少なからず私は、彼を「支配すること」が出来なかった。

彼を『超人』として扱うことも出来ないし、彼を『獣』として扱うことも『ロボット人間』として扱うことも出来ない。

神の意識は、彼を『同じ対等な存在』として樹立させようとしていたのである。

図の説明:神人による関係図

サイレント期間では、ツインレイ男性に対し「逃がしてあげなきゃ」と思ったが、これは「支配しないこと」である。

神人として覚醒した段階により出会うツインレイの相手に対し、いっしょにいるために必要なことは支配ではなく、対等な関係性であることを理解するのである。

 

私たちは、神人として成立したとき。まずに必要なことが「ほかの神人たちと関わり合う対等な関係性の精神構造」を生み出していかなければならない。

神人の意識の中には『神としての支配』、または『神としての身代わり人形』としてのどちらかの意識しか生まれていない。

神人によるツインレイは「対等なる関係性」にある。

私たちは、自分の精神構造のなかに「神と神による対等性」を生み出していく必要性がある。

それは、私たち自身が『神になること』であり、同時に『人になること』である。

神になる覚悟を決め、人になる覚悟を決めていく必要性がある。どちらもを有する私たちは、神人になるのである。

ツインレイによる関係性に悩む神人

ちなみに私はこれ。ツインレイの関係性に悩んだ。

その関係性は、ツインレイの相手は「オスでもないしメスでもない」し、彼に対して『男性の意識』を感じられたため、ロボット人間、または超人として認識する。

最初は『超人』として認識したわけなんだが、そういうわけじゃなさそう。次には『ロボット人間』として認識したわけなんだが、、実際そういうわけではなさそうで「なんだこいつは?」と思うのである。

自分の精神構造のなかに「他者という神人」が存在していないために、ツインレイの彼を自分の精神構造のなかに組み込めない状態となってしまうのである。

私たちは、自分の精神構造の中に相手を当てはめることでしか「関係性」を持つことはできない。ゆえに、従来の思想ではツインレイの関係性が保てない為「ツインレイの相手」を構築しなければならないわけである。

 

いかなる努力をしようとも相手を支配することができない。だからこそ別れがやってくる。それは私の精神がはやり未熟だったからである。

そして第二サイレント期間では「ツインレイの相手という神人」を私の精神構造のなかに組み上げる必要性がある。

それは、私のなかに存在しているアニムスの存在を『神人』にまで構築していく必要性がある。そして並行して、私自身が『神』と『人』の意識を統合させ、神人として存在するように切り替えていく必要性がある。

つまり、従来の精神構造による神人と、サイレント後による神人による精神構造では違う構造となっている。

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ヒットラーによる神人と、私の話す神人の違い

ヒットラーは『神人は支配による存在だ』と書いているように思うんだが、私自身は『神人と神人による対等性』の話をしている。

つっても、事実上支配である。

少なからず支配するつもりはないし、なんなら支配にはあんまり興味がない。

また、多くの人が現実創造による『支配』の話をしているかと思う。

ツインレイによる現実創造ができました——っていうのは、これ支配の話なのである。

自分は、ツインレイの相手を支配できるという話であって、それは『神人による対等性』はとれておらず、もし、当人が神人だったとしてもそれは『支配は出来ていない』とも言える。

支配が出来る人は支配などしない。現実創造もしない。

もっかい、書くよ。支配が出来る人は支配などしないのである。現実創造などしようともしない、そもそも『息をするようにやっている』ことを『やろう』とも感じない。

やろうとも感じないし、やりたいとも思わない。息をしたいと思って息はしない。ずっとしている。

 

これがツインレイによるテーマでもあって『神人としての対等性』にまで至れたのか、はたまた『自ら神を創造するにまで至れたのか』の話でもある。

創造により『自分と対等の生き物』を自らのなかに創造すること。これが「神は、神を模して人を創った」に由来する。

自分と対等の、同じだけの心を産み落とすことが自らのなかに出来たのだろうか。

 

そして、ヒットラーの『神人』の話は、この話に通じていく。

だけど、これは『支配』ではないよ。そもそも、支配するつもりはないけど、人が勝手に支配されていっているだけ——っていう現状が生まれ続けていく。

私は「神は人を神を模して創造する」に到達する人種の話をしている。これが『創造』なのである。

ツインレイの相手は『自分の力量』である

  • 神人
  • 超人
  • ロボット人間

こんな感じで私たちは精神の成長をしている。

そして、私たちの『神の意識』がどれぐらい高いのか——という話でもある。

神の意識とは『他者』における意識が、どれぐらいの領域にまで達することが出来たのかによるのである。

獣の状態の神の意識は『犠牲者』である。
ロボット人間の神の意識は『無関心者』である。
超人の神の意識は『愛の概念が生まれている状態』である。

そして、神人の神の意識は『他者そのもの』であり、他者を犠牲にしない思想は『神』への到達性にある。

このレベルの違いにより、ツインレイの相手が『どのベクトルに存在しているのか』を理解することができる。

それは、私たちが私たちのなかに存在している『神のレベル』でもある。

 

私はよく「ツインレイの相手の力量は自分の力量である」ということも書いているけれども、同じように、自分の精神構造のなかにどれだけのアニムス・アニマが成立させることができるのかにより、自分の力量が決まるのである。

本当に神の意識にまで到達している人は『神を産む』し、超人の意識にまで到達している人は『超人を産む』のである。それは自分自身の力量に他ならないのである。

引用:ツインレイ男性を精神のなかに創造するアニムス思想(孤独から生まれるツインレイについて)

  • お人形であるツインレイの段階・・・獣
  • お人形から自立しているツインレイの段階・・・ロボット人間
  • お人形にツインレイの命がある『ツインレイ』の段階・・・超人(ツインレイのこと)
  • 他者という概念がある段階・・・神人

私はこのように定義したようである。

神人の世界の『成立』について

「ちゃんと準備ができた段階でお迎えしたいの。」

あたいの彼くんが、そんなことを言っていたことを今思い出した。同じようなことを、ついさっき私も言葉にしていた。

「なとちゃの世界が出来上がったら、安全な状態で彼くんを呼びたいの。」

私は、私の世界を創造している。そして、第二サイレント期間に入る前、私は

「断食する。」

と言っていた。私は、私の世界のなかに、自分を害するような存在までもを迎い入れていたのである。

そして、自分を害する存在を断捨離していかなければならなかった。

 

私は、彼くんを私の世界に呼ぶまでの間に「自分のなかに存在している、いらないものを捨てる」必要性があり、私は多くのものを捨てたのである。

少しでも、彼が幸せに過ごせるように準備を進めていたようなのである。

 

この新しい世界の創造においては、常に『ひとり』で行う必要性があるようだ。

新しい世界へ向かうとき、私たちは『ひとり』である。私は『ひとり』になろうとしていた理由はここにあるようだ。

そして、私にくっついてきていた人たちは、私にくっついて新しい世界に入り込もうとしていた人たちのようである。

それを切り捨てていくのは、私にとって『余分な人』を捨てることだったようである。

 

まァ、まだ、もう少し「自分の世界の創造」には時間がかかるかもしれない。