ツインレイと『かごめかごめ』の童謡の歌詞の繋がり
2023年6月18日(日曜日) 新しい結論が出ています。
自分を、自分で管理することが出来たとき。自分という概念から脱出するときが出来たとき。後ろにある脱出先を見つけて出ていくことが出来たとき。
自分の成長を他人に依存することなく、心の成長をすることが出来るまでに至ったとき、自分のなかが空っぽになる。そのときに出会うふたりは『十(1と0・善悪二元論)』ではなく『一一(11・二元性)』である。
加護である仲の十理は、隠すよ。力を及ばなくさせるよ、隠すよ。
『かごめかごめ』の歌詞についての分析は少し前に終わっていました。
しかし、どうしてか記事を書き起こすには時期尚早とのことで温めていた内容のひとつが『かごめかごめ』の真相についてです。
ツインレイとかごめかごめについてを書くにあたって
私は、世明けのツインレイサイトに行き着くまでに何回かサイトを転々と作り変えてきました。
それは使命っていう項目上のことで必要だったことでした。
そのサイトたちは、二極化世界における『旧世界』『獣の世界』と、そして、今このサイトを構築している段階では『光の世界』として定義させてもらっています。
旧世界のサイトと獣の世界のサイトは、構築後に消去となりました。
理由は旧世界と獣の世界の概念を新しい世界に持ち込めなかったことと、その情報を持っていることで私自身が旧世界や獣の世界(当時は闇の世界をこのように呼んでいました。)に縛られてしまい、浮上することが出来なくなってしまうために捨ててきました。
新しく、ようやく腰を据えられるようになるまでに何回も情報を捨ててきました。
その経緯で『かごめかごめ』が、この世の理に近しい話をしているのだ——ということに気づいたのは獣の世界のタイミング、闇の世界のタイミングでした。
そして今回書かせてもらう記事での内容のかごめかごめとは違っています。
理由は『闇の世界での視点』と『光の世界での視点』では、かごめかごめの読み方は違う状態になっているからです。
今まで書けたのに書かずにいました。
その理由は、時期ではないということで、表に出していませんでした。
それが11/1の段階で表に出してよいとのゴーサインがでましたので、今回、このような形で世に出させていただくことになります。
それは『一一』の法則のもと、ツインレイとして私たちがツインフレームとして認識されるときが、11月とのことだからのようです。
他にも多くの神さんたちにご挨拶して回っていたのですが、最後のご挨拶回りが10月31日にて終わりますので、ゆえにかごめかごめを11月1日に公開しても良いとのことのようです。
かごめかごめの歌詞の訳
どうやら、江戸時代などでは違った訳などがあるようですが、今回訳していくのは、こちらの私たちがよく知っているバージョンのかごめかごめとなっています。
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
闇の世界のかごめかごめの訳 | 光の世界のかごめかごめの訳 |
---|---|
籠目(六芒星)籠目(六芒星) | 籠目(六芒星)籠目(六芒星) |
加護のなかの鳥は | 加護の『仲の十理』は |
逸々である | 一一である |
世明けの番に | 余空けの伴に |
鶴と亀が統べた | 蔓とか芽で統べた |
後ろの正面垂れ | 宇城の正面垂れ |
それぞれの世界によって、訳が変わってきています。
訳し方ですが、心に聞くと「これだよ」という形で漢字が浮かんできます。それを当てはめていくようにしてやりました。
闇のツインレイのかごめかごめの訳の詳細
『籠目(六芒星)籠目(六芒星)』
籠目紋というものがあります。それが六芒星の形をしています。
それが2回唱えられています。
これは江戸時代に形成された関西結界と関東結界のことを指しているようです。
『加護のなかの鳥は逸々である』
加護のなかの鳥とは、それぞれの六芒星のなかに『関西に鳥』『関東に鳥』というような形で、それぞれに鳥が存在している——ということ。
この鳥は『トリ』ともかけているらしく、『最後』という意味にも捉えているようです。
そして、それが『逸々である』とのことですが、逸々とは『一一』ということ。
それぞれ、『関西結界に一匹の鳥』『関東結界に一匹の鳥』という形で配属したようですね。
それぞれ結界が『籠』になって閉じ込めているような状態をイメージすることができます。縛られているようなイメージでしょうか。
『世明けの番に』
このサイトは世明けのツインレイとしていますが、このかごめかごめの歌詞を使って私がサイト名を決めました。
世明けとは、この世が反転する段階で世が明けていく様を意味しています。
そして、その『番』なんですが、その『つがい』とも捉えることが出来ますし、『順番』とも捉えられますが、トリとしているので『世明けの段階の最後に』と読むことが出来ます。
『鶴と亀が統べた後ろの正面垂れ』
鶴は夫婦仲、亀は長命という形で後ろになっている正面垂れ——。結界の出口が後ろにできあがるとのことです。
後ろになっているので反転し、鶴は夫婦が不仲であること。亀は短命であること。そのような形になって結界からでていくことになるということです。
まとめてみようかと思います。
闇の世界のかごめかごめの訳 | 詳細 |
---|---|
籠目(六芒星)籠目(六芒星) | 関西結界と関東結界に |
加護のなかの鳥は | いる籠の鳥たちはそれぞれ |
逸々である | 一匹ずつである |
世明けの番に | 世が切り替わっていくときの二匹の番は |
鶴と亀が統べた | 夫婦仲が不仲であること、短命であることによる |
後ろの正面垂れ | 入り口ができあがったよ |
ということになります。
私は闇の世界についてを『獣の世界』と呼んでいました。
かごめかごめのなかにでてくるのは『鳥』『鶴』『亀』という形で動物により描かれています。
本能に従ってしまう人たちを結界の中から取り出すことにしたよっという文面が出来上がります。
それぞれ籠のなかに閉じ込められているので、夫婦が仲良くなることもありませんし、いっしょにいることもできません。
これは私が話しているネガティブツインレイのことです。
ネガティブツインレイは関西と関東により分けられ、片方が短命となり、片方が夫婦仲が悪い(ツインレイに出会えない)ような形になっているということがわかります。
そして、それぞれが結界から抜け出していくことになりますので、これからは神の加護はないよねって話です。
光のツインレイのかごめかごめの訳の詳細
『籠目(六芒星)籠目(六芒星)』
ここでも同じように結界、結界! って話をしています。
『加護の『仲の十理』は一一である』
実は『仲の十理』という形で『なかのとり』と読ませているようです。
これは『夫婦仲に関することの理』の話をしているようで、それが十あるとのこと。
そして、それは『一一』であるとのことですが、これは11だよってことを教えてくれています。
つまり、『ツインレイは十理があるんだけど、本当は十一の理があるんだよ』ってことです。
次の三行では11個目の理について説明をしてくれています。
ほかにも十という字は、縦と横の1により形成されています。
つまり、片方が横ならば、片方が縦になる。
まったく違う方向性だけれども重なり合うことになることを意味しています。これがツインレイなんですね。
つまり『仲の十理』を『仲の一一理』へ書き替えていくこと。その必要性がある。
十がツインレイならば、一一はツインフレームということでしょうか。
十は一点のみで重なり合うことが出来ますが、一一ならば人生そのものがすべて重なり合うことができる。
私自身が提唱しているツインレイがツインフレームへ切り替わっていくという話をここでも理解していくことが出来ます。
こちらのほうが有力かもしれませんね。
日月神示もツインレイと関係性がかなり綿密にあるのでそちらも追々訳したいと思っています。
『余空けの伴に』
余りものだって空っぽになった伴い——。
ツインレイは自分自身がもっているものはすべて『余りもの』なんですよね。
ツインレイの相手が持たなかったものを自分が持つ、それはすべて余りもの——ということ。それをツインレイのふたりともが余りものを持つようにして生まれてきて、それさえも空っぽになってしまったとき。
そもそもツインレイの相手は自分にとって価値がないものとして生まれてきていますが、その価値がないものを持っていく、大事にする。一緒に生きていくと決めたときのことを指しています。それは愛を意味しています。
伴とは『連れ立っていく』の意味があります。
『蔓とか芽で統べた宇城の正面垂れ』
そのとき、蔓や芽で統べることになる蔓や芽ですが、これはスサノオさんのことを意味しているようです。
スサノオは木の神なのですが、根津という穢れの世界で穢れを全て引き受けている存在です。
つまり、スサノオさんが穢れという存在を使って宇城の正面垂れを上げてくれるのだそうな。
これが闇の刺客におけるターンです。
そして、宇城とは、どうやら神さんたちのいる世界のことのようです。宇宙の城ってことかもしれません。(また、3番目の城という意味でもあるようで「宇」は数字の3の意味らしいが、三元論の話だろうか。)
その世界への入り口がスサノオによって開かれていくよってことです。
光の世界のかごめかごめの訳 | 詳細 |
---|---|
籠目(六芒星)籠目(六芒星) | 関東結界と関西結界による |
加護の『仲の十理』は | 加護を与えたツインレイたちは十ですが |
一一である | 本当は一一となっています |
余空けの伴に | 自分たちにとって価値がないものを受け入れたとき |
蔓とか芽で統べた | スサノオによる力によって |
宇城の正面垂れ | 神さんの世界への入り口が開かれていくよ。 |
ポジティブツインレイとかごめかごめの訳をまとめながら
最後に長文になりますが、かごめかごめについてを説明していきます。
江戸時代に作りあげることになった関東結界と関西結界により、生まれるように設定された加護を持った人たちがいます。
それを『仲の十理』といい英語ではツインレイと言います。ツインレイを『東』と『西』にわけました。
ふたつをわけたことにより、それぞれが安泰して存在することができるようになりました。
だけど、ツインレイは『十』ではなく『一一』という形で存在しています。
十になっている状態がおかしいのであって、一一となっている状態が正しいのです。
一一になれずに、十のままでいるツインレイたちはそのまま東と西にわけたままにしていますが、ひっくり返った状態になっています。
ツインレイたちは一一という対等の立場となり、同じ視点でモノを見て、同じ視点でモノを考えることができるのが普通なんです。だけど、東と西にわけてしまう結界が原因でツインレイたちは離れ離れとなって縦と横になっています。
だけど、今回、自分のなかに或るものをすべて捨て、相手に差し出すほどの愛情を持ち、自分自身が価値がないと思ったり、相手はなにも持っていないと思っても、その相手を愛し、一緒に生きていくと決意することが出来たツインレイのふたりは、スサノオが手助けします。
そして、ふたりを隔てている存在を蔓や芽など、エネルギーによって援助をして、ツインレイを再会へと導くようにします。
そのとき、ツインレイのふたりは『一一』という存在になれています。
さいごに
かごめかごめは、ツインレイについて教えてくれていました。
まさか関西結界と関東結界が出来上がっていたことでツインレイのふたりが出会うことが出来ていなかった——ということとは思いもよりませんでした。
最終的にネガティブツインレイは誰がツインレイなのかがわからなくなっていきます。ツインレイの相手はたったひとりなのですが、自分自身の欲求に見合う相手が『運命の相手』となっていきますので、コロコロとツインレイの相手が変わっていくことになります。
反面、ポジティブツインレイはツインレイの相手が揺らぐことはありません。そこには、ツインレイの相手がまるで何も持っていないからこそ愛するという意識が働いてしまい、そこから離れられなくなっていくためです。
さて、これ、神さんがこの世に遺した理の話だったんだ・・・っということに少々驚いています。ほかにも江戸時代では別の歌詞だったり地方に寄ったり違うようです。
…が現代ではこのような形に仕上がっているのは、ツインレイのことを示唆するためかもしれません。
たいてい神さんが書いてくる内容——例えば、日月神示などもそうですがジョークが連発します。神、好きだよね・・・・・・こういうのって思いながら読解させてもらいました。
神は何重にも説明を重ねてくるような言葉遊びをしますので、何通りにも解釈することができるかと思います。
では、これにてツインレイの再会のターンが始まっていきます。