桃太郎は鬼退治を終えたぜ。『かごめかごめ』のツインレイを回収かな。
ちょっくら桃太郎についてをかかねばならないと思った。
この6月は鬼門だと思っていた。桃太郎の話は鬼門の話でもある。
方位の話になるが、裏鬼門側に『申・酉・戌』であり、反対側の鬼門側に『丑・寅』。
「丑による角」と「寅のパンツ」で、鬼である。
そして、猿と鳥と犬が桃太郎の家来だ。
ちょっくら言葉遊びになるが、桃太郎の家来は『去ぬ(往ぬ)』『とり』『去る』ではないだろうか。
つまり、猿と犬は去った。犬猿の仲というが、どちらも鬼退治ではいない。
いわば、去ったのは不仲になる二人だよ。
トリは最後って意味のトリかな、と。
ツインレイのカップルは『去る片割れ』と『去ぬ(往ぬ)片割れ』によるカップリングは、犬猿の仲。
サイレント期間をむかえるツインレイのカップルのとき、ふたりは犬猿の仲だよ。
サイレント期間中に桃太郎がやってくる、丑と寅を退治しよう。
丑の角とは『怒りんぼ』と寅のパンツとは『赤ちゃんのオムツ』ではないだろうか。鬼って赤ちゃんみたいだもんね、姿が。
怒ってばかりの牛さんと、ひとりじゃ何にも行動できない赤ちゃん。これをサイレント期間中になんとかしようよって感じ。
最後に残るのが『とり』、かごめかごめの『十理』である。
闇の世界のかごめかごめの訳 光の世界のかごめかごめの訳 籠目(六芒星)籠目(六芒星) 籠目(六芒星)籠目(六芒星) 加護のなかの鳥は 加護の『仲の十理』は 逸々である 一一である 世明けの番に 余空けの伴に 鶴と亀が統べた 蔓とか芽で統べた 後ろの正面垂れ 宇城の正面垂れ
前回はこのように訳している。前回は違う感じで詳細を書いていると思うけど、今が思う詳細を以下の通りに。
以下、逆から読む。
自分を、自分で管理することが出来たとき。自分という概念から脱出するときが出来たとき。後ろにある脱出先を見つけて出ていくことが出来たとき。
自分の成長を他人に依存することなく、心の成長をすることが出来るまでに至ったとき、自分のなかが空っぽになる。そのときに出会うふたりは『十(1と0・善悪二元論)』ではなく『一一(11・二元性)』である。
加護である仲の十理は、隠すよ。力を及ばなくさせるよ、隠すよ。
もしかしたら、『籠目』じゃなくて『かこめ』かもしれない。囲め、囲め。
そうすると、仲の十理は囲むよ、と。
囲うの意味は、
外部の力が及ばないように、周囲をとりまく。 人目から隠しておく。
ってことらしい。
ツインレイの関係性が『十』という善悪二元論に縛られているときが『猿と犬(去る・居ぬ)』の関係性で、二元性に昇格すると『鳥(十理)』に至るのだと思われる。
善悪二元論のツインレイ | 二元性のツインレイ・囲 |
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片方が去り、片方がいない。サイレント期間をむかえる善悪二元論のツインレイ。 自立していないため、他者の影響を受ける。 | 善悪二元論から脱出し、一一となるため、空っぽになることができた二元性のツインレイ。 自立しているため、他者の影響を受けないように囲われている。 |
サイレント期間で私は去った。それまで彼はいなかった。このふたつを認めなければならないのか。
つまり『自分が去ったこと』を受け入れることは出来ていたのだが、『彼がいないこと』を受け入れていなかった。
彼は逆だ、私が去ったことを受け入れていなくて、自分がいないことは受け入れていた。
そうやって、心の芽をだし、蔓をのばして成長させる。それが自分の『空っぽ』に繋がる。なにもないっていうことに気づける。そんなときに生まれる『伴い』っていうのは、ツインレイの盟約だと思われる。十だと契約で、一一だと盟約になる。
そうしたらようやく囲われる。盟約を交わしたふたりでようやく囲われる。
鶴は夫婦が仲よし、亀はお金。どちらも相手に依存した形で成立しているのではない。
夫婦はうまくいかなくてもいい、お金がなくても大丈夫。それが幸せの形なんだと思う。
上手くいかせようとしても上手くいかない。
だけど、助け合うことは出来る。助け合って生きていくことが『ふたり』っていう他者と自己の概念であり、共存だ。