ツインレイによる女性性の獲得について(自立と共存と依存のメカニズム)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイによる依存はずいぶん長く問題発起してきた。

最終地点は共存にある。そして、その共存とは自立した同士の人間による間により『依存』が生まれることにより成立する。

図の説明:ふたつの自立が揃うと「共存」が生まれる

ツインレイたちは、自分が自立するようにと向かう。

そのとき、私たち自身は自分の中にある依存心をバネにして『自立』へと向かうのである。

しかし、この自立が成立していないときの関係性は共依存と回避依存というカタチで依存のカタチをとってしまう。

図の説明:回避依存と共依存の関係性は依存である

依存による関係性は「ふたりでひとつ」なのである。

ツインレイは当初の出会いのなかで、お互いに支え合い、そして『ひとつ』になることが望まれている世界観のもとに出会う。

しかし、この関係性は片方が現実的負担を感じ、片方が精神的負担を感じている状態にある。

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私たちは元々『男性性』のもとに生まれてきている。

私たちは、生まれてこのかた『無意識は全員男性性』により構築されている。父神により生まれた私たちは『男』でしかなく、この地上では『男女』の概念は在れども、インナーチャイルドが女として存在することはない。

引用:ツインレイ男性とツインレイ女性の罪の浮き彫りとインナーチャイルドの構造

そのために、ふたりでひとつの男性性を構築する状態にある。

しかし、ツインレイたちはお互いが「ふたりでふたり」になろうとしていく。これがツインレイからの自立であり、ツインレイの相手をひとりの存在として認める経緯にある。

 

私たちは女性性を『依存』とするのか『共存』とするのかにより考え方が変わってくる。

依存とはツインレイたちの女性性が未熟だからである。だからこそ寄りかかれるような仕組みをお互いに構築している男性性優位なる世界観にある。

共存とはツインレイたちの女性性が成熟している段階により到達する。お互いにより寄りかからずとも、私たちはお互いでお互いを結びつけることができる。

それは『きくこと』『はなすこと』『伝えること』である。

 

ツインレイ男性の多くが、口下手で話すことが下手な人が多いかと思う。伝えることが出来ずに、ふたりの関係性を依存とさせるようになる。

ツインレイ男性たちが持つ女性性が未熟であり発達していないために共存的な視点を持つことができないのである。そして、伝えなきゃ伝わらないことが理解されていないためにある。

それはツインレイ女性たちにとっても同じことである。

ツインレイ女性たちは男性ではないために常に『自立』を迫られ、その自立から逃れるための結婚をしようと考えることもあるだろう。

ツインレイ女性たちは『ふたりの縁』を担う女性性を理解していかなければならない。

ツインレイ男性へ『きくこと』である。ツインレイ女性たちは「ツインレイ男性が伝えてくれない」「ツインレイ男性は教えてくれない」と不満を並べることにもなるが、本質的には私たち自身の女性性が未熟であるために『きくこと』が出来ないのである。

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ツインレイ男性の言い分は「聞いてくれれば答えるから自発的に聞いてほしい」ではあるが、ツインレイ女性の言い分は「言わなきゃわからないだから自発的に言ってほしい」である。

このふたつのすれ違いは『依存的な問題』にある。

私自身も、ツインレイの彼が「言わない」のである。試験があること、今何をしているのか。言わない、言わないから状況がわからない。そもそも私も聞かなかったのである。どうして? と突っ込むことは彼のプライドを損ねることだったからである。

ツインレイ男性にとって『言えない』状態から『言える』状態になるためには、プライドの問題を解消する必要性がある。

ツインレイ女性にとっては『きけない』状態から『きける』状態になるためには、聞くことは甘えではない・依存ではないことを理解する必要性がある。

このふたつによるすれ違いは、未熟さゆえにお互いが理解できないような仕組みとなっている。

それは、ツインレイ男性がプライドという男性性を守っているためである。ゆえにプライドはすべて粉砕するように向かう。

ツインレイ女性はといえば、女性として自立を求められ続けたが、その自立の在り方は「独りで生きていくこと」を求められていた。ゆえに、私たちは「誰かに相談すること」「誰かに聞くこと」が出来ない。それは『一人で生きていくことが出来ていないから』である。

私たちは『真実なる自立』への道を進むことでしか『共存という女性性』を手に入れることができないのである。

 

私たちは、ツインレイのふたりで『女性性』をこの世界に学び来たのである。

それは女性による支配ではない。女性による繋がり方がそもそも『共存』という繋がりにあり、その繋がりを得ていくことが女性性なのである。

それは『繋がること』である。そして、それは『言葉』である。

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この宇宙そのものは『女性性』をもとに創造されたのかもしれない。

独り神であるお父ちゃんも、宇宙という混沌という女性性から産み落とされたのかもしれない。

そして、この世のものすべてが『男性性』により生まれ、その男性性により生まれてきたものをひとつずつ繋げていくことにより『女性性』へとつなげていく。

男性性が『一』であるならば、女性性は『全という繋がり』である。

個としてバラバラになってしまっている存在をひとつずつ繋げていく作業を女性性は行っている。この愛おしい慈しみは子を産み落とす女性そのものの役割である。

私たちは常に『一』である。そして結ばれるように縁結びをしてくれているのが『母である女性性』である。

つまり、女性性とはセックスってことだな。それありきでこの世は存在している。なんてエロティシズムなんだろう。

男性性とはエロスである。そして、女性性はエロスに抱かれるプシュケーである。

女性性とは『共にあること』である。共に生きていきたい。その願いはツインレイ女性の願いである。

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また、依存と自立が結びつくと『共存』が生まれる。自立している人に質問してみたらいい、聞いてみたらいい。

きっと教えてくれるよ。わからないことは聞くことは、ひとつの自立のカタチなのである。依存もまた突き抜ければ自立へと繋がっている。私は今まで『誰かに聞く』が出来なかったがゆえに、世明けのツインレイを構築した。

これは私が持ち得ている突き抜けた自立でもあるが、同時に裏側には「誰かに聞いても誰も教えてもらえなかった経験」がある。

私はツインレイに関しての答えを誰にも与えてはもらえなかった。どこのサイトにも「ツインレイとは何か」についての私が求めている答えがなかったのである。

ないから開拓した。これこそ私の探求心にあり冒険譚であり、私の青年期である。

そして、その経験は『自立』のために必要な知的探求にあった。この経験は「誰かに聞かれた時に応えること」が出来たとき、私は『真の自立』へと向かう。

私は、多くの人と共存したいと思っている。私は世明けのツインレイによるテーマで男性性の自立を果たし、誰かに聞かれ、問われることで受動的な女性性の自立を果たしながらも、私自身が『誰かに聞く』ことでも、女性性は成立していく。

女性性は循環している。常に「誰かに聞くこと」により私たちは考える。そして提供し続けている。

この経験の循環を『女性性』とするのである。そして、それは『男性性の自立』により構築されている。

その自立がどのようなカタチなのかにより、女性性の循環や共存の形成は変わるだろう。

女性とは無形である。いかようにでも表情をくるくると変えてみせよう。

多様にわたる共存のカタチをツインレイたちは果たしていくだろう。

そのひとつのカタチを手に取ることがツインレイたちの在り方であり、私たちは誰かと比較することもなく、ありのままの共存生活を送ることができる。それが『共存という自立』である。