報告│ツインレイからの自立——ツインレイが別の魂の存在である事実を受け入れること。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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何度も繰り返してきた自立。

魂の父であるお父ちゃんからの自立、私の運命の軸となる母であるお母ちゃんからの自立。

そして、魂を別けた存在であるツインレイからの自立。

 

ツインレイの彼が私と違う運命を持っていることが嬉しい。

ツインレイの彼が私と違う使命を持っていることが嬉しい。

私と違う人生を生きていることが嬉しい。

この世に生まれ、彼が『彼の人生』を生きていることが嬉しい。

彼が私とは違う存在であることが嬉しい。

彼が私とは違う気質を持っていることが嬉しい。

彼が『自分の使命』を持ち、その使命の為に生きていることに喜びを感じている。

 

今まで、私は「彼は彼の人生を生きていること」を認めることが出来なかった。いや、しようとして自己破壊を起こし、その破壊による自分の卑しさが溢れてきたんだ。愛せない自分が溢れてきた。

だって私だって愛されたいから。でもダメね。それじゃァ親になんてなれない。

 

そこにある彼が育つ人生。そこにある彼が持つ人生により構成された性格。

そのすべてを丸ごとひっくるめて『彼』であることを認めたかった。

彼が彼一人だけで生きることを許したかった。

彼は私と違う存在である。彼は私と違う世界を生きている。彼は私とは魂は同じだったことがあったとしても、その存在は今やこの世では『別』なのである。

私は彼を愛していた。そのとき私は苦しかった、傷ついていた。

彼が彼の人生を生き、私と違った人生を歩み私と違うことが。そのひとつひとつが私を自己破壊した。

愛しきったとき、私は自分を全てを丸のみにした。私は愛したかった、そのために私を犠牲にするしかなかったけど、でも、やっぱりそれは愛だった。

後悔もあったけど、今ようやく優しい気持ちで彼の人生を愛することができる。

彼が持つ使命を、そしてこの世に生まれてきて、今まで生きてきた人生を、その性格を愛せる。そのすべてを想うことができる。

 

私は正しかったのだと思う。正しい分だけ私は自分を傷つけた。それが破壊である。

私は正しかった分だけ間違えていた。その分だけ私は自分を傷つけているだけである。そして傷口から愛が差し込むのである。

自分を犠牲にしたのではない。私は『自分が持つ正しさ』を犠牲にしたのである。

私のなかにある正論を犠牲にして愛したのである。その道徳性、その倫理性を犠牲にし、私は自分を否定し、自分を犠牲にし、愛したのである。

否、私は私を犠牲にしたのではない。私は偽りの私を構築し、その構築された偽りの自分を破壊したのである。その破壊は、ツインレイ。あなたへの愛があったからである。

愛の裏側には破壊が存在している。

愛しきると同時にやってくる破壊は、私だと思っていた『偽りの私』を破壊したのである。

それが愛である。それはツインレイの相手の人生を愛することにある。彼のすべてを愛したとき私は偽りの私を破壊した。

そして『心』だけになったのである。

 

そして、その愛は私をツインレイから自立させていく。

彼の人生を想う。そのとき、彼が成す使命を想い、彼が生きる人生を感じ、彼が持つ性格を理解する。

そこにある彼のすべてを受け入れるとき、私は心からの感謝を感じる。

生まれてきてくれてありがとう。

この世界で、この地球で為すべきことを為してくれ、と。

私と違う役割を持つ彼を、私は受け入れる。

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生まれ、育ち、生きる。人生で考えることで私たちは使命を為す。

私たちはいかなるときも使命を全うしている。生まれてきた時点で、それはもう全うすらされている。

愛おしいとはこのことか。

我が子に「生まれてきてくれてありがとう」と心から思える喜びを、すべての人に感じている。

この人は使命を為すのだなァと思う。それは大きなものでもないし、小さなものでもない。

その存在そのものが使命なのである。人生が使命である。

私たちは生きている、それだけで命を燃やし続け、命を使い果たす。

いかなる人生であれども、それだけ使命を全うしている。何かを為そうとしなくても、私たちは常に為している。

 

多くの争いは、使命のぶつかり合いなのだと思う。

私たちは生きているだけで『人を傷つけている』のである。だからこそ、傷つけている自分の人生を自信をもって生きていけなければならない。

だけど、想う心があるとき、私は傷ついただなんて言葉にできない。

人には人の人生がある。違って当たり前である。だけど、他人の人生に『傷ついた』なんて想いたくない。

その人が存在している理由と、その意味を想うことしかできないけれど、私はその人生を肯定することがあるときは出来ない。

私は私の人生を生きているとき、絶対的に誰かを否定するだろう。

そして、私の人生に否定された人たちが多くいるだろう。

そりゃそうだ、私は『正義』『仁義』のもとに生きている。そんな人生を誰かの人生を肯定することなんぞ、なかなか私の人生からは難しいよ。だって、めちゃくちゃ真っ当に、めちゃくちゃ優しい人生を送ってきた。

人のために尽くし、人のためにあり、人のために道を譲り、人のために犠牲になるような人生である。

その人生を生きた人が、自分のために生き、自分のために人の道を奪い、人を犠牲にしている人生を生きている人たちを肯定することはできない。

だけど、その人生を想うことはできる。その人生を肯定してあげることはできないよ、私の人生は私だけの人生だから。

でも、誰かの人生を想うことはできる。その人が生きてきた軌跡を想い、その人生を受け入れることはできる。それは人が持つ使命を受け入れることだ。

そのとき、私はきっと自分を破壊するだろう。自分のなかに正しさがある限り、私は自分を破壊するだろう。その分だけ、私はあなたを愛しているよ。

私は私を破壊し、破壊を受け入れた分だけ私はあなたを愛する。愛は感じる、この世に生まれてきてくれた感謝と世に生まれ全うするべき使命を想う。

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自立とは『愛しぬくこと』なのだな。

面白いものだな。人の普遍的な自立は『愛しぬくこと』により生まれる。

愛して、愛して、愛しぬいてこそ生まれる自立は、私たちの世界を拡大させる。

愛しぬいた人にしか見えない世を喩えるならば、冷めやらぬ百万年続く恋を毎朝に何度も繰り返し落ちていくことである。

私はあなたを肯定することはできないけれど、だけど想い感じるよ。繰り返し悲しみを感じながらも、想うことを繰り返し、きっとあなたの人生を想うよ。そして愛するよ。

愛し続ける覚悟など決められるわけがない。辛すぎる、悲しすぎる記憶しかない。

それでも、私は愛し続ける覚悟を決めなければならない。それは私の心に棲まう彼を感じられる為である。それは私が愛された経験である。

 

いつかの彼くん。愛してくれてありがとう。

この経験があるから私は使命を全うすることができる、ひとつの魂でも人生を生きていける。

自分のこと以上に人を愛した経験は私をひとつ大人にさせた。だけど何も残らなかった。残ったのは『本当の私』と『ありのままの心』だけ。

人生の冒頭に戻る。

何も持たず、心しか持っていない私は誰かを愛することしか出来ないでしょう。

私たちが世に生まれ落ちたとき、産声をあげるとともに自立をしたのである。

もうひとつに戻ることはできない。生まれてしまった時点で、私たちはひとつに戻ることはできない。

もう還れない、でも帰れるよ。

心のまま、おかえりって言ってあげられるよ。

二個になれてよかったね、もうさびしくない。

 

彼が彼でいてくれてよかった。

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

そして我が混沌よ、
人の成らざる果てに与えし恵みをありがとう。

私の孤独に呼応してくれてありがとう。

世界はいつだって私たちの為に存在し、その優しさに抱かれていること。

世界の優しさに気づくまでの道のりとしては悪くなかった。

 

多くの方々が呼ぶ宇宙とは、混沌のことなんだろう。

それは愛、それは心、それは神。それは私たち。

混沌を呼び起こせば、多くの辻褄合わせを求められる。

我が混沌が明ける。