自分の性別が男性であることに戸惑いのある麒麟。
私は無性である。とはいえども、それは「麒麟的に」なのだと思われる。
だけども、あたいは彼くんを目の前にするとオスのスイッチがはいる。
恥を忍ばずに、オスのスイッチがはいるとはどのようなことなのかを説明しよう。
私は元々女性的である。というか、性別は女性だから女性的な作法を身に着けている人——とも言える。
だけれども、本質的には自分の性別がわからない感覚を持っているからこそ、私は性別がXなのである。
しかし、ツインレイの彼くんばかりはオスのスイッチがはいる。
面白いことに発情するのである。しかし、本来、男性の発情には股間にあるイチモツたる反応があると思うが、私にはない。
ないので、発情しているのに発情しきれない——というような感覚がある。
考えてみれば、過去これまで異性とのおせっせでもオーガズム的な感覚を得たことがない。満足したことが過去一度もない。
彼が「女の子みたいにかわいい」と思うと余計にやりきれない。鼻息荒くもなりそうな気持ちになるが、ないものはたたない、たたせようもない。
辛いかっていうと、辛い。ないものがないので辛い。どうしようもない気持ちになる。
今までにない感情である。あたいのオスはないものがないことにショックをいくばか感じると同様に、当時は混乱もした。
「抱かれたい」のではない。「抱きたい」のである。
そして「どっちなのかがわからない」のである。つまり混乱する。
あたいがネコなのか、それともタチなのか。どっちがしたいのかもわからない、彼を目の前にして私は性別が混乱するのである。
これは私の中にある麒麟である。とてつもなく、自分のお姫さまが可愛くて堪らないのである。
だけど、抱けないのである。抱くにも「ない」のである。この絶望を男性陣なら理解が出来るだろう。ないのである、目の前にギャンカワの自分好みの女の子がいて「抱けるシーン」にあるときに「ない」のである、大事なものがないのである。
そして、子供を産むということも実によくわからない。
今までも子供が欲しいとも思ったことがない。そういうことも想像できない。
たぶん、産みたいともないし、欲しいとかもないし、想像がつかないのは、たぶん、麒麟だからなんだろうなと思う。
性別がない意識で、もしあるとしたならば「男性寄り」なのだと思われる。
日月神示にも「男は女で、女は男」として書かれているが、その通りである。なとりの魂は男の魂なのである。男の子の麒麟なのである。そして、彼くんは女の子のお姫さまである。
だけども、ついている神さんは玉依さんである。母である。
本当に自分が子供を産むことが想像つかないし、これからも「産むのか」「産まないのか」は自由なんだろうなとは思う。
ここまで書いてきたが、たぶん、私は魂が「男性」であることを大前提に「肉体が女性であること」を受け入れている人でもあるんだろうなと思う。
だけど「女性の役割を担うことには混乱する」感じ。よくわからない。魂的に「?」だと思われる。女性って何だろうみたいな模索をしている。
そして、子供を産むことは女性の役割であり、それを行うことにも「?」という状態である。欲しいと言う意識がそもそもわかない。なんなら、彼くんがあたいの子を産んでくれるのであれば、全然種をあげるよって思える。
そもそもあたいが孕ませたいのである。
これについてどのように着地点を見せればいいのかわからないんだけれども、私は自分が持つ男性性の麒麟という魂の意識も、この人生で培ってきた人間の肉体による本能も肯定していきたいなと思っている。
この世の人間は、獣と神の橋渡しだとシュタイナーはいうが、私の獣の意識は「鴨」であり、神の意識は「麒麟」ということになる。