ツインレイ男性に必要な被写体&人生監督がツインレイ女性だった件。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイ男性たちは景色を見ているだけのようである。

たぶん、ツインレイ男性たちは心を通わせることができない。カメラの役割をしている感じ。

ツインレイ男性たちがどうしてツインレイ女性が重要なのか。

それはピントを合わせる為のようである。

ツインレイ女性たちは景色であって、ツインレイ男性にとってピントを地上に合わせるための役割を担っている。

ツインレイ男性たちは、ツインレイ女性を通してでしか「地上の世界」がみえないっぽい。

それでも景色になってしまうんだけれども、ツインレイ男性は女性を通してでしか地上に立てない。

そのときようやく「感じる」ことができるみたい。

 

ツインレイ女性たちは景観のひとつに徹する必要性がある。

それが「自分の人生を生きること」であり、ツインレイ男性たちはただツインレイ女性たちをカメラで追っているカメラマンのようである。そこから何かを感じているみたい。

彼らの人生はカメラ抱えてツインレイ女性を追いかけること。ツインレイ女性たちはウフフと笑いながら走り回っていかなきゃいけない。

ツインレイ男性たちの楽しみは、ツインレイ女性を追いかけてカメラを回し続けていくこと。

そこからツインレイ男性たちは「初めて理解すること」がたくさんある。初めて「感じる」のかも。

視線をどこに向けたらいいのかがツインレイ男性たちはわからないっぽい。

ツインレイ女性たちが「あそこをみて!」って言わないと、ツインレイ男性たちはどこ観たらいいのかわからない。

だからツインレイ女性たちは、ツインレイ男性たちの「監督」の役割がある。

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ドラマとっているときに、監督は「カメラをどこに向けて!」とかの指示するじゃないですか。この役割がツインレイ女性。

で、ツインレイ男性たちは暇があれば、ツインレイ女性たちにカメラ向けているから「こっちじゃない! こっち!」と視線を向ける方向性を指示しないといけない。

そうすると、ツインレイ男性たちは初めて「世界を知る」みたい。この地上における世界を。

ツインレイ女性たちはカメラをもっていない監督。

ツインレイ男性たちはピントがないカメラマン。

ふたりでこの地球の観察しに来ていて、いっしょに動いている感じ。

ツインレイ男性たちはツインレイ女性たちを被写体としても必要としているけれど、ドラマ監督としての役割も必要としている。

 

ツインレイ女性は「被写体」だし「監督」。

ツインレイ女性たちの横顔をツインレイ男性たちは写し続ければいいわけであって、正面を写さなければならないわけじゃない。

ツインレイ男性たちはツインレイ女性が興味があることに興味がある。彼女の視線に興味がある。そこにいいものがある、感じれる何かが。

ツインレイ男性たちはカメラを通してでしか「地上」がみえない。ツインレイ女性は地上における視線の指示役。

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だからツインレイ女性たちは「なにをみたいのか」「なにをしたいのか」「ありのまま」が求められている。

どこをカメラにうつしてほしいのか、何が重要なのかを考える役割。

だけど、男性たちにとって「景色」でしかないことは忘れちゃいけない。そこに愛がないわけじゃない。男性たちにとって自分の瞳のなかに写し続けていたいと思うことこそ、彼らにとっての愛だから。

ツインレイ男性にとってツインレイ女性が特別なのは「めちゃくちゃ気になる被写体」でツインレイ男性とは「被写体の写真とりまくりたいオタク」みたいな生き物なのだと思う・・・・・。

なんかわかってきたら「なるほど・・・・・・スン」って気分。

 

ツインレイ男性の本音は「彼女と同じものをみたい」のと「彼女を見ていたい」。根っこはこれなのかもな。

 

もし、ツインレイ男性がカメラマンならば、監督と自分好みの被写体探してる。そのドストライクがツインレイ女性。被写体なければ、どこにピント合わせたらいいのかわかんないし、人生が迷うことになる。

でもさ、ツインレイ女性にはカメラマンいてもいなくても構わないのよ。

だって困らない・・・・・・。

だって景色はそこにあり続けているし、カメラにうつらなくても存在しているから。