報告|四人による構成のウロボロスの続編
この龍に関することで情報が降りてくるとき、ものすごい頭痛がする。
今日、はーちゃんと江の島予定だった。私が体調不良なのもあっていけなかった。
そんな日に、龍の情報がおりてきたんだが、ものすごい頭痛と共に「書かなきゃ私は腹から爆死する」みたいな気分になってきた(腹に「書く」エネルギーがぐるぐる溜まってきて吐きそうになる)ので、書き示す。
前回は四人が揃った件についてを書いた。続編である。
日本列島は龍体だと言われている。で、四人の住所(とツインレイの相手)をすべて地図に乗せたところ、レイラインを形成した。
このようになっていたと思う。んで、それぞれ私もケアする部分があって、それぞれ対応させてもらったよ。
どうやら、本来? はこっちみたいである。逆どころが3D的にズラして理解していくみたい。これは「ひとつの視点において」がこの視点を持って理解せねばならない地図になるっぽい。
- 足先の役割・・・方向性を示す(示す)
- 足の役割・・・足るを知る(足る)
- 腹の役割・・・満たし合う(感情が合う)
- 心の役割・・・合わせる心(心が合う)
- 首の役割・・・人に伺う(伺う)
- 頭の役割・・・——不在
わからないことは人に伺いましょう。(人に聞くようにすること)
人と心を合わせましょう。(人といっしょに泣くこと)
人と感情を分かち合いましょう。(人といっしょに笑い合うこと)
今に満足を覚えましょう。(満足を知ること)
自分の人生を歩みましょう。(いかなる険しい道でも自分の道を歩くこと)←これは上の四つが出来ていれば、自ずと足先は正しい道を示して生きていけるよ。
頭が知るべきことは「満足」である。それ以外は「妄想」「幻想」だよ。満足だけが知れる世界だよ。
頭の使い方を「間違った方向性」に使うと「不満」「不足」「嫉妬」などのことへ流されてしまうよ。
そして、知性を自分の人生が今、正しい道の上にあるのかどうかを判断することが必要にある。欲に負けていやしないか、苦しみから逃れるための選択をしていないのか——考えてみる必要性がある。
人のことを考えるのではない、自分で自分の心を知り、判断をしていく必要性がある。
それぞれ2Dの理解があって、2D的な理解の上にウロボロス的な3D理解をしていくと、上記のような視点に落ち着くのだと思われる。
3Dにいくとき、逆鱗を得る。
ウロボロスの構造にすると、どこがどうなるのかがまだわからないから、タブンまだ「落ち着いていない」のだと思われる。
だけど、ひとつ言えるのは、頭の中で考えるべきことは「満足について気づくこと」である。
人は皆、自分の人生を一生懸命生きている。それがいかなる人生であれども——。でも、そのなかで「苦しみ」から逃れようとする人たちが生まれてきた。
自分の苦しみを人に押し付けるような人たちである。
それによってウロボロス的な3D理解が出来なくなってしまった。
2D的理解と3D的理解の両方によって、人は「徳を得る」のだと思う。それは苦しみのなかにしかないものだけれど、人が目指すべき道にある。
多くの人が道を外していると思っている道の人の方が、案外正しい自分の道に堪え、踏ん張っている現実がある。
みんな「自分の人生」を生きている。
私の、この理解の為に、多くの方が協力してくれたように思います。
ありがとうございました。
頭が痛すぎてコメントに返事を書かせてもらえておりませぬ、明日ゆっくり書くね。