ツインレイの裏切りと無条件の愛を手に入れることの解説

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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愛とは何か——。愛を実践することが出来たとき、その人は『愛ある人』となれる。だけど、私たちは愛を知らない。実のところ、私たちは愛を知らないのではないかと思っている。

愛してほしいと言葉にしても、実際「じゃあ、どうすれば愛されている状態なのか?」と考えてみても「自分の思い通りにしてくれること」として考えられないエゴイズム的な状態のとき、私たちはただの傲慢となる。

傲慢とは愛とは真逆に存在している慢心にあると考えている。慢心があるときの私たちに愛などない。自分の思い通りにならなければ、駄々をこねること。これが慢心であり愛がない。だけど、私たちは肉体を有しているからこそ、慢心へともなってしまう。

恐怖や不安を持つ理由は『私たちが生きているから』であり、その次に『恐怖や不安をしのぐために慢心が必要』となる。

私たちは先ず『死』の克服が大前提にある。時間の克服は次に、恐怖や不安という感覚はまやかしであることに気づき、なお、そこにある恐怖や不安に寄り添うようになる。

実は不安や恐怖に私たちの心が寄り添ったとき、ひょっこり現れるのが『愛』なんじゃないか? と私は思う。

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無条件の愛とは?

私たち自身は『無条件の愛』へと到達するらしい。特に私は『無条件の愛への到達』を目指していたわけではないけど、ただ「愛とは何か」という追求性のなかで、愛を体現することは私にとっての苦痛でもありながら新しい世界への突入である道しるべのひとつであった。

最終的に私は「愛とは」の定義を「心を受け取ること」として考えている。

相手の恐怖、不安、怒りなどを含めて、すべて相手の心を受け取ること。そして、それは同じように自分のなかに存在している心をすべて受け取ること。

だけど、私たちは否定をする。相手が怖がっていたら「怖くないよ」と言ってあげたくなる。これが共感性がないと言っている。相手がどのように思っているのか、どのように感じているのか。そのすべてを肯定してあげるとき、私たちは「怖いね、いっしょにいようね」と言葉にする。

愛とは共感にあるとも言える。だけど、HSPの人でさえも『人の感覚を否定する』ようになっている。HSPとは人の感覚を否定し続けているからこそ、HSPという気質にもなる。だって人が感じていることを否定し続けているからこそ、自分のなかにある感覚を最大化させ『感じることで苦しむ』ようなメカニズムをとっているのである。

愛とは『共感』にある。だけど、救いもしないところにある。私たちは手を差し伸べない。少なからず私は『手を差し伸べること』はしない。こういうことなんだろうと共感したとき、私たちはその心を共にするだけでよく、その人が持つ課題を奪っていい理由はないためだ。

 

無条件の愛へと到達するとき、私たちは『条件たる条件を満たさない存在を愛する』ことになる。

それは『恋人ではない人』『友人ではない人』、ほかにも『愛したくもない人』など、嫌悪たる存在も含め、私たちは愛することになる。

愛とは何か。そこに存在することを許すことにある。そこにいてもいいと思うこと。

それは『恐怖』や『不安』に対しても同じだ。恐怖の感情がそこにあってもいい、不安がそこにあってもいい。そこに『いることを受け入れること』が愛ではないか——と思っている。

私たちは感情ひとつにとっても、無条件に愛することがなかなか難しいものである。

無条件の愛の始まりは『裏切り』


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ツインレイの段階において私は既婚者の方との恋愛が『無条件の愛への道』となっていた。

私たちは『自分』『異性』『他者』の構造から、三人による争いを生じさせるようになる。私たちはどうしても『異性』を選びやすく、このとき、既婚者である相手と恋愛をすることにもなる。

このなかで私たちは『意識』を導き出すことになる。

つまり、自分のなかにある意識を持って行動をする、意識を持って生きる等のことができれば、私たちは不倫をしない。この不倫をしない意識を持つことが出来れば、2次元の学習は終わりとなる。引用:次元ごとによる視点の違いと次元の学習の解説(ツインレイはすべての次元学習に存在している話)

無条件の愛は『裏切り』に生まれる。

裏切られた存在を愛するとき、私たちは裏切りそのものを許すようになる。裏切られたと感じるのは『自分のなかにある期待がバサッと切られた』だけであり、当事者は裏切ったわけではないんだろう。

私たちは自分のなかに期待があればあるだけ、裏切りを経験する。

無条件の愛のなかに、期待は必要がない。私たちは常に他者に見返りを求め、期待をしている。自分を満たすための期待を求め続けているとき、私たちは無条件の愛のムの字にさえ到達していない。

私たちは裏切りを経験することにより、期待を捨てる。期待が消え去ったとき、私たちは人を愛する準備を始めているのである。

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無条件の愛の確立の知らせ

私はずっと夢日記をつけ続けてきたのだが、10年前のこのときにも既に夢日記をつけ始めていた。

2次元の学習段階における相手が既婚者だったと知れる前にもつけていたし、その日記は廃棄してしまったが、よく覚えている項目がある。

桜の木は裏切りに会う予知夢。

このときに私は『期待が桜の花びらにより散った』わけであり、それが『裏切り』へと繋がった。

 

またもや、この記憶がつい最近に何度もリフレインしてはイライラするような機会も多かったわけで、なんとも記事のなかにも珍しくなとりが感情的な文章書いているなァと思ったものである。

その矢先に再び『桜の木の夢』をみた。

夢の内容

川沿いを歩いていると、夜空には立派な天の川が流れている。
すると、世界が晴れ、川沿いの桜並木が咲き乱れ、桜の花びらがずっと風に流れつづけている。
太陽は光となり、白いエネルギーを放っている。その太陽と桜の花びらが重なるとき、桜の花びらが散るたびに、その花びらが桃色のエネルギーとなって見えている。

川沿いの天井が桜の花から大きなバラの五枚の花弁を持つ赤い花に切り替わっていく。

天の川の夢・・・報われない恋
桜の花が散る夢・・・裏切り
太陽の光の夢・・・心が晴れる大吉夢
桃色の夢・・・無条件の愛引用:報告│夢にアニムスがでてきました、それはツインレイではなく私でした。無条件の愛の獲得

同じ夢を見たが、此度は『無条件の愛』へと切り替わっているのである。

太陽の光によって期待は消え、無条件の愛へと切り替わっている。

ツインレイによる裏切り

ツインレイによる裏切りは、実のところ、何度も繰り返される。それはもう何度も、何度も繰り返される。私たちが苦しむ理由は、そこに無条件の愛がないからではない。そこに『期待している心がある』から裏切られるのである。

私たちは常に期待を裏切られた感覚を覚えるが、いつしか、その裏切られたことによりスッキリもする。

そして、期待をしないことも学ぶ。

ツインレイのサインレト期間に、何度も何度も『期待』をすることになるだろう。それは「連絡が来るんじゃないか」とか、相手が既婚者ならば「離婚してくれるんじゃないか、自分のために——」というエゴイズムにより期待である。

そして、その期待に沿うことのない内容が戻ってくるとき、私たちは『悲しむ』わけなんだが、元々をたどれば、私たちのなかに存在するその期待そのものが『無意味』なわけである。

期待した動機そのものが自分の為ならば、常にそれは裏切られ続づけ、私たちの期待とは裏腹な結果となるだろう。

何度も何度も期待が裏切られ続ける中で、実に『期待さえもしなくなる』瞬間がやってくる。そんなとき、私たちは無条件の愛へと到達していく——ということだ。

 

期待をするから悲しみが生まれる。相手に対しての思い込みである。

それがもしかしたら『相手はツインレイだから』という思い込みも含めてである。

その相手がツインレイではないならば、あなたはどうするのか——。ツインレイだからという動機そのものも裏切りの要因となり、ツインレイという存在であってほしい期待という形を成してしまう。

 

裏切られ続ける数だけ私たちは『無条件の愛ではない』のである。悲しみ続けていればいるだけ、私たちは『無条件からほど遠い存在』である。

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ツインレイではなく自分に裏切られ続けている

私たちは、勝手に思い込んでいるところがある。ツインレイの相手を『ツインレイという条件』に絞っている。それは私たち自身の『思い込み』であり、私たちの思い込みが期待を生んでいる。

ツインレイではなく、私たちが勝手に思い込んでいる未来に対して裏切られ続けているということ。

つまり、私たちは『未来の自分』という存在に裏切られ続けているのである。それは『思い込み』という存在で、思い込みは裏切られるのである。

常に『事実』と『空』の見分けをし続けていく必要性があり、『事実のみ』を受け取っていけばいいのである。

自分が持つ未来の予定があるわけですが、未来の予定を『自分のもの』は決めることが出来ますが、未来の予定を『他人のもの』を決めることは出来ない。この決定的な他人軸と自分軸の見誤りと支配が裏切りを経験するのである。

私たちは『他人の未来を決定する権利はない』のである。しかし、私たちは『自分の未来を決定する権利はある』。しかし、他人の未来を決定する権利があると思い込んでいるうちは『支配』という感覚を持ち、その支配と裏腹に存在する期待に対して『裏切り』を感じる。

裏切られたとき、存在に対し『怒る』とき、私たちは「支配がない自分」に対して怒っているのである。

まわりまわってすべてにおいての感情は自分に向けられ、また、裏切られているのは『自分』である。ツインレイの相手は裏切っているのではない、他人である権利を実行し続けているに過ぎない。

ツインレイによる無条件の愛が成立するとき

無条件の愛が成立するとき、私たちは『存在を受け入れている』のである。ありとあらゆる存在を受け入れている。

そこに「いかなる存在が存在してもいい」のである。それは闇に対しても同じである。そこに存在してもいいのである。

闇とは『不安』『恐怖』『怒り』など、私たちのなかに存在する排除したい感情に起因する。『孤独感』や『悲しみ』も同じである。

すべての感情を自分のなかに存在する権利を与えること。これがまずは『自己愛に繋がる無条件の愛』なのではないかと思います。

すると、感情による裏切りがなくなっていく。不安だから期待したこと、怖い未来をなかったことにしようと期待したこと、孤独を無視したいから期待したこと——。

根源にあるのは『無視したい感情』にあり、自分のなかに存在している感情を無視しているからこそ裏切りが生じるのである。

そして、その感情は自らに生じているのであり、自らのなかにあるものに対し、他者は関係がない。

無条件の愛とは『自分のなかに存在するいかなるものと向き合えるのか』である。迎えなかった分だけ、未来への期待へと変換される。未来への期待は裏切られる。

ツインレイは、この自分の中に向き合えていない感情と向き合いきり期待を打ち消すことにより『無条件の愛』を確立していくことになる。

 

ツインレイは裏切ったわけじゃない、自分で自分を裏切った事実に気づき、自分で自分を裏切らない世界を構築していく過程で、私たちはすべての現象においてを受け入れることができるようになる。

自分の世界から期待を排除したとき、私たちは愛だけにある。

期待が排除されたとき、私たちは裏切られている。だけど、今回私もひとつ裏切られた気がするんだが「裏切られた」のではなく「当たり前だよな」という感覚のほうが強い。

それでいいのである。期待は裏切られる。それはエゴイズムによるものだからだ。

でも、期待は裏切られるものでもある。思ってたよりも成果を得ることがある。それは『期待』ではなく『努力』の賜物である。

今に生きるとは『期待を未来にすること』ではなく『今にできることをすること』なのだと思う。

 

無条件の愛が己のなかで成立していくと、ツインレイはこんな存在なんだ——と言う思い込みもなくなるし、ツインレイが戻ってこない、再会できないことにも特に気にならなくなる。

この段階までくると『ツインレイの相手』という個人的なものが『なとりさんのなかにいる男性性(アニムス)だった』という感覚になってきていて、ツインレイの相手の顔さえ思い出すことができないっていう無情な状態になりつつある。

彼くんを認識できなくなってきていて、それが徐々に徐々に悪化していっている。ツインレイという話も『概念化』されちゃってて(当初からそんな感じなんだけれども)、主観的な部分でツインレイの相手を捉えることは実に難しい。

私のなかでツインレイとはアニムスという概念であり、ツインレイの彼ではない。彼は『他者』であり、私のなかに存在するアニムスではないという感覚。

ツインレイ=アニムス≠彼くん

特に彼くんが気にならない構造になりつつある。たぶん、彼くんには彼くんの『世界』が存在し、その世界は「私とは違う世界」であるのは物凄く当たり前なんだと思う。

だからそこに干渉するためには、一回はアニムスと彼くんを切り離してしまい、自分の異性像と彼くんをイコールで結ばないことで『他者である彼くん』をちゃんと認識しなければならない。

無条件の愛っていうのは『アニムスではない彼くん』を愛する準備って感じ。

つまりね、私はずっと『無意識世界(霊的世界)を現実世界だと思っていた』っていう感じ。違うねんな、私の中のアニムスは彼くんじゃない。つまり、ツインレイは彼くんじゃない。

ツインレイは常に私の中にいた。この事実を実行してもなお、彼くんを愛している私がいる。

これが『無条件の愛』ってことなんだと思う。ツインレイという条件がない、理想ではない、自分の思い通りではない彼くん。そんな彼くんは私の世界からは外れているからこそ、繋がれないし、繋がらなくていい。わからないのも当たり前。

 

ああ、勘違い、勘違い。

私は人生のなかで失敗しかしていないって豪語できるぐらいには失敗しかしてないんだけど、そもそも『世界の見方』から勘違いしていたようである。

私は自分がバカである自覚はあるんだが、そもそも生まれたときから勘違いしていたんだなァと思うと、生来のすっとこどっこいかァ・・・。