幻想から仮想現実を生み出す二元論のツインレイについて。

2023-06-14

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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二元論とは『否定と肯定』『正義と悪』というカタチで、どっちかが存在しなければ、成立しない関係性にある。

二元性のツインレイの肯定と否定・正義と悪の抗争はツインレイは幻想から『無(道徳)』『空(肯定)』を導き出し、ツインレイの存在の自立を促す。にて書き纏めています。

そして、このふたつの二元論は『仮想現実』を生み出すということだ。

この仮想現実とは何かというと、最近はVR(バーチャルリアリティー)の発達により、仮想現実をVRとして捉えることもできる。

今回、私が仮想現実として言うのは『幻想(妄想)から生み出される仮想現実』についてである。

図の説明:天使と悪魔による相関性

天使は先ず、実体の対象に対して『肯定』を行う。しかし、その対象に対して肯定をしているからこそ『自己の投影』が行われている。

いわば、自分が肯定されるべきと考えている部分を肯定しているに過ぎない。

次に、その肯定された存在(仮想現実)に対して、悪魔は否定をする。自己のなかで『できていない部分』を自己投影をし、仮想現実を消そうとしている。

だけど、肯定により仮想現実が生み出され、次に否定により仮想現実を消しているが、どっちにしたって『仮想』であり、思い込みの姿である。

いわば、現実的な実体である当人は「誰の話?」ってことになる。

肯定は『自己の肯定』であり、否定は『自己の否定』をしているだけであり、どちらも『自分の話をしている』のである。しかし、両者ともに自己の話をしているとは思わず、現実の実体の話をしていると思い込んでいる。

いわば、これが『仮想現実』により生み出される否定と肯定である。

 

二元論とは、こういった『仮想現実』により成立している。そしてこれがまかり通っているのがインターネット世界だ。

「人がこういっていた。」と言い、「だけど、自分は本当のことは知らない。」という人の裏側に隠れて自分の意見がない。

そんなことがまかり通っているのが、仮想現実であり、いわば、人の意見をそっくりそのまま自分の意見として『否定』『肯定』を行っている。

人の意見を肯定するのも、人の意見を否定するのも、どっちも『自己』のことしかやっていない。なぜならば、人のなかに自己の投影を行っているだけであって、その実体のことについて話していると思い込んでいるが、なにひとつその実体についてを理解しているわけではない。

なぜならば、彼らは『自己の投影』をし続け、その投影を『産むか』『消すか』だけ。だけど、うんでいるのも『仮想』だし、消しているのも『仮想』。

生み出したものも幻想だし、実体がない。消そうとしているそのものも幻想、実体がないから消せない。

つまり、無駄。意味がない。何やってんだかよくわかんないっていうのが現状である。実体からすれば「あ、なるほど。自分の話を私にしているんだな。」って感じにしかとらえられない。

図の説明:コンプレックスによる仮想現実

いわば、肯定と否定は、それぞれ自分を投影し、コンプレックスと戦っているのである。

天使は「自分にはコンプレックスはない。」と考えたいし、悪魔も同じように「自分にはコンプレックスはない。」と考えたい。

やり方や手段が違うだけである。天使は『自分の理想』を他者に投影することにより、自分のコンプレックスは無効化されるものだと思い、悪魔は『自分の理想』である他者を潰すことにより、自分のコンプレックスは無効化されるものだと思い込んでいる。

しかし、その対象者は無傷である。いわば当人たちは自分が持っている幻想と戦い、等身大の自分と向き合うことが出来ない幻想者ということだ。

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幻想によるツインレイの相手

仮想現実の『自分』を導き出すことにできた幻想者たちは、ツインレイの相手を『仮想現実のツインレイ』として導き出すことができる。

本来のツインレイが罪を押し付けられて、ツインレイと出会えていないよっていうとき、この『マウント』と『曲解』の被害にあっている。『真実のツインレイ』が影により罪を押し付けられて再会ができていない件について。(削除済み)
図の説明:加増現実によるツインレイ

自分自身が持っている罪を、本体であるツインレイが背負うとき、仮想現実によるツインレイたちが『理想的な自分を体現をすることができる』ようになり、反面、仮想現実により導きだされた虚像のツインレイと結ばれることができる。

これは本体のツインレイが『マウントを受け入れて自分に存在はない』とか『曲解が正しい自分だ』とか思いこむことにより、本体のツインレイは仮想現実を『自己の実体である』として捉えることになる。(いわば、天使と悪魔に打ち負かされた図である。)

さすれば、天使と悪魔によるツインレイは『支配と犠牲』によるツインレイの相手と結ばれることが可能である。

自分のせいではなく、人のせいにすることが成功したということ。

そのとき、ツインレイたちは『本来の自分』ではなく『理想的な自分を体現する・理想的なツインレイを体現する』ことになる。

これを息苦しい状態となり、ツインレイの間は二元性に縛られ『支配と犠牲』による関係となる。

ツインレイのふたりは『ありのまま』だからこそ、幸せになるためだ。そのために私たちは『欲望』を捨て去っていく必要性がある。

それが『承認欲求』にある。すべてがこの『存在に対しての承認欲求』にあるのだ。その承認欲求のおばけをツインレイの相手に押し付けた結果、このような二元性に縛られた関係性となる。

図の説明:ツインレイの相手は自分の存在意義のために必要である二元性

天使は『可哀想な存在』がいなければ、自分に存在意義がない。ツインレイの相手を犠牲者にしたてあげ、自分の存在を生み出す。

悪魔は『正義の存在』がいなければ、自分が被害者になれない。ツインレイの相手を正義者にしたてあげ、自分の問題をすべて相手へ擦り付ける算段をしている。

可哀想な存在は本当に存在するのか。自分を守ってくれる正義のヒーローなんて存在するのか、自分が悪事を働いているのに?

けっきょく、ご都合主義のツインレイは二元性により生じているということだ。

これは根源に『仮想現実』により自分を生み出し、そして、それが『実体である』と思い込んでいることにある。そして、その仮想現実である自分により見合う相手をツインレイだと思い込んでいる。

しかし、彼らは理解しているだろう。

天使は誰かを守れるほどに力量を持っていない、存在を持っていないこと。

悪魔は誰かに守られるほど素敵な人生を、そして価値のある存在ではないこと。

 

けっきょく『自分の価値』を高く見積もり過ぎた結果、生み出した仮想現実である。

現実にいる男性はリアリズムで、女性はたくましい。

被害者と加害者による二元性のツインレイ


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ツインレイの相手は自分の被害者意識の投影である。そして、自分は加害者である。

図の説明:ツインレイの被害者と加害者による二元性

いわば、天使はツインレイの相手へ加害を加える。そして、ツインレイの相手は『被害者だ』と思い込んでいる。ゆえ、ふたりは加害者と被害者によるカップリングが成立する。

悪魔は、他者へ加害を加え、自分を『被害者』として仕立て上げようとする。相手は自分を加害を加えていないと言うのにそこに『罪を生み出す』のである。そして、自分が可哀想な人間となる必要性がある。

そして、ツインレイはそんな可哀想な自分を迎えに来てくれる正義のヒーローとなる——。

というストーリーを組んでいる。

しかし、天使自身が抱えている問題は『被害者意識』である。自分が自分で可哀想だから、可哀想な存在が必要であり、その存在を守ることで可哀想な自分をなかったことにする。

悪魔自身が抱えている問題も、同じく『被害者意識』である。加害者がいれば可哀想な自分になれる。自己憐憫に浸り、加害者を悪者に仕立て上げ、こんなに自分は可哀想だから素敵な王子さまがやってくるってことらしい。

どちらも加害者であるが、自分は被害者だと訴えている状態である。この状態を私は言葉に尽くすことが出来ない。絶句。

ツインレイの関係性は中央に実体として書いている。想像力を働かせれば、もとい、正常な判断を下すことができるのであれば、異常であることはすぐに理解に足ることだ。

そんな異常がまかりとおっているのが幻想世界であり、また仮想現実たるアバターを自己として認識することができるインターネット世界なのかもしれない。

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二元性のツインレイは相手に存在を預ける

自分の存在は『自分により構築される』ということだ。しかし、アバターを持っている仮想現実に生きている彼らは、自分の存在をツインレイの相手に預けている。

自分の存在を生み出すために他者(ツインレイ)を利用しているということだ。

人に褒められたい、人に好かれたい。人に——。と、人に対してばかり期待を持って発言することもそうだが、何かしらにつけて『自分を隠す』行為も、基本的に自分を認めることが出来ていない。

つまり、自己認識なのである。自己認識とは過去にある。

自分がいかに生きてきたのか、いかなる人生だったのか。その人生を受け止め、その事実を受け取っていくことが人生である。

過去は消えない、しかし、彼らに過去はない。今もない、そして未来もない。

あるのは『幻想』である。その幻想世界で自身をアバター化させ死に続けている。そんな世界を私は垣間見て、振り返るとゾッとする。

けっきょく、幻想世界を生きている人たちは加害者である自分を無視し続け、被害者という自分と他者を生み出すことに余念がない。