二極化世界と3種類のツインレイの種類の解説
二極化世界とツインレイは綿密な関係性があり、ツインレイは二極化世界を支えるために存在している状態でもあります。
二極化世界のうち、ポジティブ世界を構築していくのがポジティブツインレイ、ネガティブ世界を構築していくのがネガティブツインレイ。
そのどちらかをサポートしていくのが日和見主義ツインレイという形で私は三種類のツインレイを分類することにしました。
3種類のツインレイの解説
3種類のツインレイを
- ポジティブツインレイ
- ネガティブツインレイ
- 日和見主義ツインレイ(日和見ツインレイ)
という形で私は分類をしています。
それぞれの役割があり、それぞれの担当が存在しています。
それぞれについてを先ず、どんな感じの雰囲気のツインレイたちなのかを簡素に説明します。
二極化世界とツインレイの関係性については別記事にてまとめています。
光の使者ーポジティブツインレイとは
ツインレイのなかで一番の王道的な立場にいるのがポジティブツインレイです。
ステージについても王道的に進んでいくことになりますが、それは困難を極めることで、数年単位でポジティブツインレイたちは先に進んでいくことになります。
人間輪廻マップ(この世にある人間が輪廻している構造を私はこのように言っています)から脱出し、来世は神の世界に転生することになっています。もしくは違う世界——と定義するのが一番の正確性をもつ表現かもしれません。
輪廻の最終形態を持っているので、ツインレイの王道の道を進んでいきます。
判断力が強い方々が多く、自分の意見を作り出すことが出来ます。
自分のなかで自他における分離が起こっています。
『光の使者』と呼ばれているのがポジティブツインレイです。
闇の刺客ーネガティブツインレイとは
ポジティブツインレイと対峙した関係性にあるツインレイであり、ネガティブ世界を担当しています。
人間輪廻マップからも外れていくツインレイであり、ポジティブツインレイは上昇する代わりにネガティブツインレイは下へ落ちていくことになります。
性質的には自己のなかにおける分離が二極的になっており、感情重視・本能重視の気質を持っています。
ポジティブツインレイが自他における分離をしている事に対し、ネガティブツインレイは自己のなかで分離が起こっています。
当人はコンプレックスに苛まれていますが、コンプレックスと向き合うことが出来ずに人のせいにし続けた結果、ネガティブツインレイとして現世に生まれてくることになりました。
自分の意見はありませんが、自分には意見があるという主張をします。その点、日和見主義的なところと似通るところも見受けられます。
『闇の刺客』と呼ばれているのがネガティブツインレイです。
日和見主義ツインレイとは
日和見主義ツインレイは、ポジティブツインレイにもネガティブツインレイにもなりません。しかし染まります。
人の意見を聞き、自分はその意見に乗っかるか、乗っからないか——という考え方をしています。
日和見主義ツインレイは自身の考えを構築している段階であり、考え方の種類を学ぼうとしているところです。
行き着いた先がポジティブツインレイ・ネガティブツインレイのどちらかになりますが、現世ではポジティブツインレイ・ネガティブツインレイのサポートとして生まれてきていることが多いです。
また、人の意見を聞き、自分はどちらにするのか? を判断する為、正解・不正解という考え方をしており、正解よりの人たちをサポートしようとします。それがポジティブなのか、ネガティブなのかは日和見主義ですのでその時々に変わることになります。
ポジティブ寄りの日和見主義の方はポジティブツインレイをサポートし、ネガティブ寄りの日和見主義の方はネガティブツインレイをサポートします。
通常では日和見主義ツインレイであっても、悪魔の介入(外部の存在によるサポート)により、日和見主義ツインレイはネガティブツインレイをサポートしたり、ネガティブツインレイとしての活動を始めることがあります。
契約内容上の問題だとは思います。
3種類のツインレイの対比表
ポジティブツインレイ | ネガティブツインレイ | 日和見主義ツインレイ | |
---|---|---|---|
使者 | 光の使者 | 闇の刺客 | どちらへも転ずる |
分離 | 自他の分離 | 自己の分離 | 〃 |
重視視点 | 他者・道徳・倫理重視 | 感情・本能重視 | 〃 |
自己愛 | 自己愛の喪失 | 自己愛の暴走 | 〃 |
ツインレイの再会 | 再会する | 再会しない | 応じて |
ツインレイへの対応 | 愛する | 拒絶する | 恋をする |
勝敗 | 負ける | 勝つ | ―― |
日和見主義ツインレイがツインレイと出会うまで
日和見主義の方々のなかでも、ツインレイと出会う人と出会わない人が存在しています。というにも、ツインレイと出会い、ツインレイだ! と直感的に得られる人もいれば、ツインレイだとわからない人もいる。そんな現状です。
日和見主義ツインレイたちは、人間輪廻マップのなかで中心に近い方へ存在しています。
図を描きましたが、これは一応、人間輪廻マップを平面図的に理解するとこんな感じになるのですが、もっと私の頭のなかに在る人間輪廻マップは複雑的でぐちゃぐちゃしているのと立体的です。
この図のなかで
- ピンクの丸がポジティブツインレイ。
- ブルーの丸がネガティブツインレイ。
- ブルーの枠組みのなかが、日和見主義のなかのネガティブツインレイ。
- ピンクの枠組みのなかが、日和見主義のなかのポジティブツインレイ。
という風に判断をします。
そのなかで、中心の灰色のゾーン。ここがツインレイと出会わない人たちです。
図からわかるように、ポジティブに行き着いた人たちがポジティブツインレイであり、ネガティブに行き着いた人たちがネガティブツインレイとして活動していきます。
それ以外にも、どっちかよりの日和見主義ツインレイが存在していますが、それ以前にツインレイと出会わない人たち——とはいえども、ツインレイは存在しているのですが出会ってもわからない人たちが存在しています。
ある一定のどちらかに寄っていくことにより、ツインレイとして出会う権利が得られるんですね。
それはポジティブであっても、ネガティブであっても権利があります。
つまり、人生のなかでポジティブに寄っていけばいくほど、ポジティブツインレイになる可能性があり、ネガティブに寄っていけばいくほどネガティブツインレイになっていく可能性があるんですね。
最近では悪魔と契約してネガティブツインレイ化している現象も起きており、これは由々しき事態だなァとは感じています。悪魔という存在も、闇の刺客よりの存在であり、ネガティブツインレイをサポートしている存在です。
とはいえども、悪魔は悪魔で仕事をしているので文句は言えません。
どの立ち位置に進んでいくのか? は、自分自身がポジティブ寄りか、ネガティブ寄りか? で変わってきます。
ツインレイと出会えない人たち
ツインレイと出会えない人たち——というのも、どこか言い方がおかしいような気がしますが、ツインレイと出会うことがあっても、ツインレイだと認識することはないです。
それは中心にいけばいくほど、認識することは難しいのです。
しかし、そのなかでもツインレイが繋がろうとすると、ツインレイは胸騒ぎなどを感じ、今はまだ出会う時期ではないと認識することもあるようです。
ツインレイたちのなかでも、出会う時期になるのは『日和見主義ツインレイ』の立ち位置になるまで、ツインレイと出会うことが出来ないようになっています。もし、出会うようなことがあったとしても、最終的には出会えない形になっていきます。または相手と結ばれようとはしません。
これはツインレイの二人が出会うことによる大きな強い力や、反動による問題を自身が解決する能力を持っていない場合です。
まだまだこれから学ばなければならない内容がツインレイたちに存在している場合、ツインレイの二人はツインレイと結ばれることよりも、ツインレイを受け入れる・拒絶するなどの力を持つまで関わることがなかなか難しいようです。なんだか嫌だなと感じることの方が多いようですね。
その関係性は、ツインレイで語られるランナーとチェイサーのような構造をとっており、片方が率先的でも片方が拒否をするような形で追いかけっこ状態となるために、二人は結ばれません。
本質的にツインレイは、どちらかが100%ならば、どちらかが0%になっている状態になります。
どちらかが追いかければ、どちらかが逃げる。そのような状態から脱するような力を持っていない状態のツインレイの二人はそもそも出会うことすらできないんですね・・・・。
そういうメカニズムになっています。
私たちの原点はここでした。そして、外側へ行けばいくほど、ツインレイたちは相手と出会い、向き合う力・拒絶する力を持っていくことになります。
ネガティブツインレイとポジティブツインレイの違い
性質的な問題として、ポジティブツインレイとネガティブツインレイの違いについてを説明していこうと思います。
最終ツインレイ図 ツインレイの自己
私はツインレイと闇の刺客による鏡の世界(空間)のメカニズムの記事にてこのような図を起こしました。
このように、ネガティブツインレイとポジティブツインレイは対極的な存在であり、本質的な違いが生じています。
ポジティブツインレイは、自分を捨てていくことにより他者を愛する能力を身に着けていくことになりましたが、ネガティブツインレイは自分を捨てることが出来ずに他者を愛さず自分を愛し続けた存在ということになります。
最終的に、捨てた自分を持ったネガティブツインレイと遭遇することになるのが闇の刺客のステージとなります。
自己と自他の分離がツインレイと関係する
ポジティブツインレイは自他における分離を起こしていますが、ネガティブツインレイは自己における分離を起こしている状態です。
自他分離 | 自己分離 |
---|
青枠が他者であり、赤枠が自己を表現しています。
ネガティブツインレイは、自己のなかが分離している状態であるが為に、他者を自己のなかに生み出します。これは他者は自分であるという認識です。
しかし他者は自分ではありません。ゆえに、ネガティブツインレイは『ツインレイは自分の思い通りになる存在』と認識しているところがあります。
また、自分が好きである限り、ツインレイの相手は自己のなかに在る嫌いの場所に位置します。この状態におけるネガティブツインレイはツインレイの相手が嫌いになってきます。
ポジティブツインレイは自他の分離を起こしているので、ツインレイの相手は自分とは別の存在だと明確に認識しています。
自分の思い通りにいかせてはならない、支配してはならないと自制心を持ってツインレイの相手と関わります。これが愛になるんですね。
ツインレイの相手は自分とそっくりであるからこそ、自分の思い通りにさせたいという意識が働きやすいです。
自身のなかに自己分離の場所があれば、その場所を強く刺激する存在がツインレイということでもあります。つまり支配したい感覚を感じるような存在がツインレイの相手であり、それは自己分離による感覚です。
しかし、その支配したい感覚を乗り越えていくのがポジティブツインレイです。
図からもわかるように、ネガティブツインレイはツインレイの相手を拒絶します。他者が存在していないので、ツインレイの相手の座席がありません。
ポジティブツインレイは、ツインレイの相手を個の存在として認め受け入れます。ツインレイの相手の座席を持つことが出来ます。
ここからネガティブツインレイは『自己のなかに起きている分離症状』として、自己愛による問題を抱えやすく、二極化思考・善悪思想になっている状態です。
何が正しく、何が悪いのか——というどちらかのジャッジメントを多くの人が行いやすいことになりますが、ネガティブツインレイは『自分が正しく・相手が間違っている』という視点を持ち続けることになります。
対峙しているポジティブツインレイは『相手が正しく・自分が間違っている』という視点を持っていることになります。
ツインレイとの再会
ツインレイとの再会ができるのか、どうか——ですが。
相手の座席を用意することができるのかどうかによって、ツインレイの再会が決まってきます。
自身とツインレイの相手は別の存在である自覚があるのか。自分の思い通りにさせようとしていないのか。共存できるような状態になれているのか。
ツインレイとの再会は、自身のなかに『相手の存在を認めることができていればいるほど再会できる』ということにもなります。
もし、自己分離のような状態が起こっていれば、ツインレイとの再会をしてもうまくやっていくことは叶わないでしょう。それはツインレイの相手を認めることが出来ないから。
だけど、自他分離に陥っている状態が起こっていれば、ツインレイとの再会はあります。
しかし、ここで『自己分離をしている状態でも再会できる』のが日和見主義ツインレイです。
理由は、ツインレイの二人が『それぞれが向きあわないこと』により、ツインレイはともに存在することができるからです。
向き合わなければ、ツインレイの二人は共存できるようになります。自分のなかに在る問題に向き合わず、相手のなかにある問題にも向き合わない。
これによりツインレイの二人は共存が可能です。
さて、これを本当にツインレイと呼ぶべきなのかについてを私は語りたくはありません。
ネガティブツインレイの本質
この図からわかるように、ネガティブツインレイはひとつのナナメの線が入っています。
ネガティブツインレイの本質的部分は『自己愛性』のみで形成されています。
自分を愛するゆえに、他者を好きになるためには自分を嫌いにならなければならないような状態になっています。
これを自己の分離と、私は呼んでいます。
ネガティブツインレイのなかには常に『好き』『嫌い』が共存している状態ですが、正しく言えば、他者を好きになる=自分を嫌いになるという方程式が成立している状態です。
そして、自分を優先できないことや他者を優先しなければならないことに強いストレスを感じている状態です。
つまり、自己のなかに存在している光と闇が共存できずに、バラバラに分離してしまったような状態ですね。
ネガティブツインレイは、人を愛するということをしてこなかった最後の極致となります。
ネガティブツインレイはツインレイと再会が・・・
ネガティブツインレイはツインレイと結ばれることはありません。
なぜならば、ネガティブツインレイはツインレイを拒絶した状態になります。
ツインレイとは元来『自分とは対峙した存在』であり、自分にはもっていないものを持っている存在——。自分とは真逆にあり、愛する以外にどのように接すればいいのかがわからないような存在です。
つまり、ネガティブツインレイの二人が関われば「なんだこいつ、すげー嫌なやつ。」としか感じられません。
自分自身が嫌だと思っているものを克服していくことが愛ならば、嫌だと思っているものを常に抱え続けているネガティブツインレイにとって、ツインレイの相手は『大嫌いな存在』でしかありません。
ツインレイを愛することが求められている。
ツインレイは自分のなかに同じ気質を魂的には100%持っているからこそ、現実面での表面的な部分では0%の一致となるがゆえに接点がないんですね。
ネガティブツインレイは『自分と同質なもの』しか好きになれません。
しかも、ネガティブツインレイが行き着いているところは、魂に近づくのではなく、現実的な側面のみによる判断しかできないので、『現実的に自分と似通ったものがある人しか受け入れられない』状態になっています。
ゆえに、ツインレイとは破局の道を進んでいってしまう仕組みになっています。
出会うと一触即発状態であり、最悪刃物がたってもおかしくはない関係性ではないか——と感じられます。
ネガティブツインレイの闇の刺客としての働き
ネガティブツインレイは、闇の刺客としてポジティブツインレイへと近づいていきます。
それはひとつの好意のようなものではありますが、同時に心理のなかで自己否定が働きます。
ポジティブツインレイの存在そのものがネガティブツインレイからすればコンプレックスですので、何をしようがポジティブツインレイは嫌われます。
しかし、ポジティブツインレイからすれば、それはいつかの自分が捨てたものです。ゆえにポジティブツインレイはネガティブツインレイから学び、自分を取り戻すことをしていかねばなりません。
この世のメカニズムとして『自分に足りないもの』と出会い続ける仕組みがあります。
恋愛においても、自分に足りない部分があるからこそ人は恋に落ちることになる。
自分に足りないものが、闇の刺客の『自分』としてかえってくることになるんです。
ポジティブツインレイの本質
ネガティブツインレイが感情的な分離を起こしているのだとしたならば、ポジティブツインレイは自他における分離を起こしている状態です。
人を愛し続けることをしたポジティブツインレイは『自分を捨てる』をすることにより、『人を愛する』ことをし続けた人たちでした。
自己愛というものは、他者を愛することにより自分を愛しているも同然だという感覚を持っている方々が多いでしょう。
そして、他者を愛すること——。他者と同化し、自分の事のように喜びを感じるという感覚は、HSPやエンパスの感覚と似ているかと思います。
ポジティブツインレイの本質は、他者における視点を重要視し、自分における視点を放棄するきらいがあります。
このとき、自分の意思を持って自分を捨てたのか。はたまた人に流されて自分を捨てたのか(ネガティブな感じで、人に嫌われたくないから等)によって、ポジティブツインレイかどうかもわかります。
ポジティブツインレイは自分の意思を持っていますが、日和見主義やネガティブツインレイよりの方々は『自分の意思とは関係ないところで』他者を重要視しており、他者に流され、反発をするようなことがあるのがネガティブツインレイとなってきます。
光の使者としての働き
この世で起きている二極化世界のパワーバランスのなかに含まれている闇による問題を暴き出していく必要性があります。
たとえば、このサイトですが『本当はどうなのか』の本質的な話を心がけています。
残念ながら私は自身をポジティブだよ! と定義する必要性はさらさらありませんが、じゃあこの情報をだすことによって対峙している存在を追いやる効果があるよね? ってことは重々理解しています。
今までの情報のなかに「それは本当に光の内容でしたか」ということが問題視されてきます。
光の使者としてポジティブツインレイたちは『闇の存在たちとケンカする』ような立場にあります。
これは表だってケンカをするわけではありません。
本当はどうなのか——という本質を提示していくところがポジティブツインレイにはあるんです。
光の使者としての働きは、闇の刺客のように人の心に寄り添って「やり方はこうだよ」という方法を提示することではありません。
そして「サポートするよ」とささやき、自分の思い通りのツインレイを量産することでもありません。支配者ではないんです。
誰がツインレイだ、誰はツインレイではない——とツインレイの定義をここに当てはめてく作業をすることでもありません。ジャッジメンターではないんです。
真実の情報を発信し続けることがポジティブツインレイの光の使者としての役割です。
光の使者と闇の刺客が遭遇する理由
光の使者と闇の刺客として、ポジティブツインレイとネガティブツインレイは遭遇することになりますが、出会う理由を私は『自分を取り戻すために』と書いています。
同様にそれは『ツインレイの相手を取り戻すために』ということと同類語のような言葉にも聞こえます。
ポジティブツインレイが闇の刺客に遭遇するとき、サイレント期間中でありツインレイのふたりは離れ離れとなっています。
そのとき、ポジティブツインレイにとってのツインレイの相手はネガティブツインレイとしてやってきて、ネガティブツインレイにとってのツインレイの相手はポジティブツインレイとして現れます。
つまり、闇の刺客は自分のツインレイの相手——ということでもあるんです。そして、ツインレイの相手のなかに存在している自己と同様に、ツインレイの相手が捨てた自己を内包している状態です。
ツインレイにとって、闇の刺客は『自分にとってのツインレイの相手の闇の部分』も保有しているわけであり、そんな相手を丸ごと受け入れられる? という問いかけもそこに存在しています。
日月神示には『負けることにより勝つこと』について書かれていますが、ツインレイも同様に『闇の刺客に負けること』が重要であり、それが九分九厘の次にやってくる一厘を指しています。
つまり、闇の刺客が『勝とうとしてくる』のと違い、光の使者は『負けていく必要性』があります。
負けることにより、神にすくいあげてもらえる状況ですので、闇の刺客に勝とうとしてはいけないということがわかります。
自身のなかに『勝ちたい』という意識がすべての人に芽生えるかと思います。もちろん私にも芽生えますが、絶対的に自分が間違っていない場所で負けることが出来ますか? ということを重点的に考えてみる必要性があります。
ポジティブツインレイと共にいる闇の刺客は、自身のなかに在る闇を具現化していくことになりますので心中穏やかではない状態になっていきます。
最終的には大きな問題が勃発することになるかと思いますが、自分が一歩引くことができるのかどうか——がかかってきます。
相手にボロクソにいわれようとも、我慢することができるのか。道徳や倫理を超えての悪さに耐えられることができるのか——ということです。
最終的に負けたほうがツインレイの相手との再会を勝ち取ることができ、勝ったほうがツインレイの相手との再会を断念することになります。
これは法則性がそのようになっています。
また、ツインレイの相手の持つ本質——もとい、自己たる闇を闇の刺客がもっていることも含め、その対象をすべて丸ごと愛すということが負けるということです。
ツインレイの相手とは本来自分を害する存在となっています。
0%か100%のどちらかでしか存在することが出来ませんので、ツインレイの相手との関係性が0か100かに行き着いたとき、ツインレイは生きるか死ぬかの選択をするようになっています。
そんな風に自分を害してくるような存在を愛せますか——ということ。
そして、もし、自分のことをツインレイの相手が憎んでいたとしても、あなたはツインレイの相手を愛することができるのかについても問いかけられているように思います。
光の使者と闇の刺客は立場の逆転をする
光の使者は闇の刺客と立場の逆転をすることにより、ツインレイの相手との0か100%かの関係性を現実面にて、どちらも100%と100%という形にすり替えることが出来ます。
ポジティブツインレイは、闇の刺客によりツインレイの相手を取り戻す仕組みは、立場の逆転を起こさなければならなく、闇の刺客に負けることによりポジティブツインレイは自身の立場を逆転させることになります。
どんなに成功している人でも、どんなに地位がある人でも、闇の刺客のステージでは『負ける』ことにポジティブツインレイはなりますので、立場が闇の刺客とは反転することになります。
とはいえども、しばらくすれば、回復します。なぜならば、ポジティブツインレイは持っているものをすべて捨てたとしても、『自分』を取り戻すことにも成功し、『ツインレイ』を取り戻すことにも成功しました。
なにより、ポジティブツインレイは出来ることが多くあり、再生する能力に長けています。
再生力を持ち、ポジティブツインレイたちは再び立ち上がっていくことになるので、そんなに問題はないかと思いますが、一時期はどん底を味わうことになるのが闇の刺客と光の使者による絡み合いです。
日和見主義ツインレイはそのとき何をしているのかというと・・・・・・
傍観者として見守る立場にあります。
特になにもせずに「えー!」みたいな感じで傍観していることになります。
私の場合も、傍観している方々が多数いらっしゃいましたのでそのような状態になるのかなと思っています。
また、この闇のシーンにおけるタイミングで、周囲の人たちは触れることがありません。
問題に対して介入することをしません。
これは、神によるセーブがはいっているのか? どうなのかはわかりませんが、日和見主義ツインレイたちはただの傍観者となり、見守る一方となります。
3種類のツインレイを踏まえて
とくに日和見主義ツインレイという項目を世に出していいものかと思いましたが、このような形にして表に出すことになりました。
これは差別化というよりも、自分自身がどの立ち位置に存在しているのか——を把握するために使用していただきたい知識です。
また、ポジティブツインレイの人たちは、その後情報発信をすることになりますが、悪魔の介入がある日和見主義による発信なども多く見受けられ、こりゃ問題だな・・・と頭を悩ませているのが神たちとも言えます。
とはいえども、この闇と光の争いは決着が既についており、光が勝つことは決まっています。
理由はポジティブツインレイが生まれれば、ネガティブツインレイが成立し、両方ともが地上の輪廻を抜けていくことになるからです。それが上なのか、下なのかは別ではありますが。
ツインレイと遭遇するとき、私たちは神に審判をかけられているんですね。
どのような魂なのかはツインレイに対してや生き方などが赤裸々に出てくることになるのがツインレイステージです。
そのジャッジメントがツインレイによって行われている、これが神の現実でしょうか。
だけど、自分自身が『どこに存在しているのか』についてを理解してみる必要性はあり、また日和見主義ツインレイがこれからポジティブかネガティブかの二極にわかれていくゆえ、そのどちらのサイドに自分がついているのか? を考えてみるよき機会になるかと思います。
まずは、どのような性質なのか等を吟味してみてほしいと思います。
なぜならば、日月神示にて改心すれば拾い上げると仰せです。
いつだって見捨てられているわけではありません。しかし、神が示す改心がなにかは考えてみなければなりません。