ツインレイを月と太陽と明かりにより解明
セフィロトの樹からツインレイは『皆既月食による関係性』ではないか——ということを言及しています。
セフィロトの樹の記事には続きのお話がありますが、やる気がでないので書いていません(このままお蔵入りにならないように気に留めていますが。)
そういえば——ではありますが、眞子さまの会見でも、ふたりは太陽と月という比喩を使って会見されておりましたし、たまにふたりはツインレイではないかという話も上がっていました。
残念ながらツインレイかどうかはふたりにしかわからないことであり、ふたりがツインレイであるかどうかは今後の動向にて分かるのではないでしょうか。
私自身もツインレイは『太陽と月の関係性』と思っていましたが、どうやら、このふたつの関係性は、奥深い意味合いが含まれているようです。太陽と月の関係性についてを言及していきたく思います。
月とは『明かり』の象徴だった
太陽と月について、先ずはじめに感じられることは、太陽が輝き、月が太陽の光を反射することにより月が輝いているということ。
親の七光りも同じことで、親が太陽であり、月である子が光ることを指しているのではないかと思います。
つまり、月は『太陽がなければ輝けない存在』とされています。
また、月は月齢が存在し、月が満ちていくか、かけていくかという形で月の形は三日月から満月へと切り替わっていきますし、また新月という私たちから目に見えなくなる瞬間があるのも月です。
そのとき、太陽の光を阻害している存在が『地球』にあたるんですね。
地球と太陽と、月の関係性が絶妙になりながら、月はいろんな形に変化している状態です。
では、私たちがみている月を何を意味してるのでしょうか。
それは『明かり』なんですね。
月と太陽が地球により形を変えられながら、明かりとなっている月を私たちは見ています。
漢字も『日』『月』の字を合わせて『明』となるように、月は『明かり』のことを意味しています。
私たちは『月』と思っているかもしれませんが、本当は『明かり』を月と思い込んでいたんです。
月 | 明かり |
---|---|
太陽のない月の姿は光ることのない姿 | 太陽のある月の姿は太陽により明かりをもって月となる |
今回のテーマは『月』と『明かり』がテーマです。
大前提に『月』と『明かり』の違いを理解することで月のツインレイと明かりのツインレイによる差を理解することができます。
月のツインレイと明かりのツインレイとは
月のツインレイと明かりのツインレイとさせてもらいましたが、もっとツインレイたちにわかりやすい言葉に書き替えてみると『本当のツインレイ』が月のツインレイであり、『偽ツインレイ』『トリプルレイ』が明かりのツインレイとなっています。
ふたつは自身にとって『ツインレイの相手』を象徴しています。
このふたつのツインレイは『月』と『明かり』のちがいがあります。
月とは『光輝くことのない姿』をしていますが、明かりとは『光り輝いている良し悪しのある姿』をしています。
月はそこにただ存在していますが、明かりは光っているときもあれば見えない時もあるような形で不安定な姿をしています。
『うつりかわっていく姿』としてタロットカードなどでも語られているように、明かりは不安定を象徴しています。そして『太陽』が存在し、ようやく明かりは認識されることになります。
もう少し、現実的に捉えていくと、月はそのまま存在することができますが、太陽がなければ存在することが出来ない明かりは存在価値について危ういところが存在しています。
太陽がなければ存在することが出来ない明かりの存在は『社会的な地位』『財産』『見栄え』といった表面的なことにこだわり、また、明かりとして輝くために必要なものを太陽から受け取る必要性があります。
それぞれ、この意味合いを月のツインレイ・明かりのツインレイへと当てはめて説明していきます。
月のツインレイは『本当のツインレイ』
ただ、存在しているツインレイです。存在していますが、光り輝いているわけではありません。
存在しているだけですので、ツインレイは本当の意味で『素朴な人』が多いのではないでしょうか。
なにかの名誉を持っているわけでも、財産を持っているわけでもありません。残念ながら本当の王子さまはイングランドの領土なんて持っていないんですね。
月のツインレイの相手は何も持っていない状態であらわれるかと思います。それは『価値がないツインレイ』なんですね。
価値がないのですが『存在』しています。ただ、それだけの存在がツインレイであり、そこに『月として存在している』ので、ツインレイたちにとっては月のツインレイを『存在=価値』として認識します。
月のツインレイは自分が輝くために人を利用しません。搾取をせず、人のエネルギーを奪いません。犠牲者をつくりません。
ゆえに『存在』となりますが、この地上における従来の法則性から『人のエネルギーを奪い、社会的成功を収める』ことができない状態ですので、私たちの本当の王子さまは『成功』というものを持っていないケースも多いです。
反面、当人の力のみで勝ち取ったものがあるかもしれませんが、それが社会的に認められるかといえば、難しいのが月のツインレイです。
明かりのツインレイは『偽物のツインレイ』
明かりのツインレイとして存在しているツインレイの相手は『偽ツインレイ』『トリプルレイ』『地上のツインレイ』です。
明かりですので、太陽のエネルギーを利用し、自身が輝く方法を知っています。
お金をたくさんもっている、財産がある、名誉がある、仕事ができる等の多くの人に認められているツインレイは『明かりのツインレイ』です。
しかし、明かりは流動性があります。それは地球によって月が輝くこともあれば輝くことがないタイミングが新月としてあるように、成功の両極端を行き来することになるのが『明かりのツインレイ』の特徴です。
なにかをもってはいるけれども、それは太陽の力を持っているから光ることができる親の七光りのような存在でもあります。
明かりのツインレイは、本当の意味で王子さまかもしれません。
私たちは理想を『明かり』という輝きのなかに見つけるきらいがある。輝きのなかに私たちは憧れを持ち、その憧れを持った相手が明かりのツインレイであり『偽ツインレイ』なんですね。
明かりのツインレイの価値は流動的です。いいときもあれば悪い時もあります。
お金を持っている人であれば、その後、お金を持っていない状態へと切り替わることもあります。
ここでは『価値』の問題であり、明かりのツインレイは『太陽の力をどれだけ受け取ることができるのか』という状態により価値が流動しており、存在そのものが価値を有しているわけではありません。
いわば、残像のような存在です。
明かりは残像ですので『つかみどころがない』ところもあり、明かりのツインレイたちを追いかける人たちはつかみどころがないものを追いかけることになります。
もう少し言及をしてみます。
明かりは自身の月を太陽という明かりによって輝かせている状態であり、明かりのツインレイたちは他者のエネルギーを搾取しながら成功をつかみ取っていきます。
その成功の裏側に『犠牲』が存在している場合、それは明かりのツインレイとなっています。
月のツインレイと明かりのツインレイの違い表
日 | エネルギーを持っている | 犠牲者 |
---|---|---|
月 | エネルギーを持っていない | 搾取者 |
日は太陽であり、エネルギーを持っています。
月はエネルギーを保有せず、太陽により輝き、明かりとなります。
ツインレイは『日』と『月』により生まれていますが、『明かり』となると、月は太陽によるエネルギーを受けてようやく輝くことになります。
つまり、太陽のエネルギーがなければ明かりのツインレイは存在することが出来ません。
月のツインレイ | 明かりのツインレイ | |
---|---|---|
ツインレイ | 日と月 | 日と日と月 |
カタチ | 存在 | 社会的成功 |
名称 | ツインレイ |
偽ツインレイ |
関係性 | 二人で完結する関係性 | 二人の間にもうひとつが存在し成立する関係性(子供・お金・社会的地位など) |
犠牲者 | 犠牲者をつくらない | 犠牲者をつくる |
搾取者 | 搾取をしない | 搾取をする |
成功 | 犠牲や搾取による成功を持たない | 犠牲や搾取による成功を持つ |
欲しいもの | 存在を望む | 社会的・人間的成功を望む |
いらないもの | 成功 | 自分の足手まとい |
ツインレイのケースで対比させていただこうかなと思います。
月のツインレイたちは、存在しているだけですのでツインレイと出会っていることをおおっぴろげにすることはありませんが、明かりのツインレイは『ツインレイと出会っている』ということ自体がステータスとなりますので、ツインレイと出会っていることを人に話したり、説明したりすることが多いかと思います。
明かりのツインレイは、ふたりの関係性を継続させるためには『第三の存在』が必要となってきます。
それは『子供』『お金』『地位』など、ツインレイの相手に何かを望み、提供してもらうことによりふたりの関係は成立しています。
月のツインレイは、二人の関係性の間に『なにかの理由』『なにかのきっかけ』『なにかの存在』という第三の存在を介入させません。お互いの存在を尊重し合うことによる関係性ゆえに、あいだに何かを架け橋にすることもなく、ふたりは繋がっています。
明かりのツインレイは、第三の存在がなくなってしまうと脆い関係性にあります。子供がいないから離婚をする、お金がないから離婚をする、相手が与えてくれるものやふたりの間をつなぎとめている存在がなくなった瞬間に破綻することになります。
そういう面で月のツインレイは、ふたりの関係性にほかの異物を介入することがありませんので何があっても安定したふたりの関係性を構築していきます。
愛というテーマにおいては、月のツインレイはツインレイの相手の存在を愛しているかと思いますが、明かりのツインレイは相手の持っているものを愛しています。愛の定義が違います。
ツインレイによる月と明かりとツインレイステージ
明かりは『残像』となっています。いわば、月のツインレイの『表面を輝かせた存在』が明かりのツインレイ。
月のツインレイの成功例が明かりのツインレイであり、明かりのツインレイの存在そのものは月のツインレイが握っているということです。
代わりに本物のツインレイとなる月のツインレイは『成功が出来ない状態』なんですね。
いわば、明かりのツインレイが『日』を奪っている状態ですので、月のツインレイは成功することが出来ない。存在そのもので光り輝くことが出来ない月は明かりのツインレイへすべてを奪われています。
このような状態はツインレイの男女、どちらにも言えることでした。
必ず、月のツインレイ(自分)にとって明かりという存在が表面的な部分の役割を担っていますので『社会的な成功者』と『存在者』となりました。
社会的な成功者は明かりのツインレイで、存在者は月のツインレイです。
分が悪い。そんな風に思われるのが存在でしかない月のツインレイ。ツインレイの相手と出会ったとき、不成功状態となっている理由は明かりのツインレイへ多くの成功エネルギーを渡している状態ゆえでした。
私たちがツインレイステージをあがっていく段階で『偽ツインレイステージ』『ツインレイの7段階ステージ』へと進んでいくのは、まずツインレイの相手の『明かり』を見つけるためです。
つまり、本当のツインレイを『表面的な存在である明かりのツインレイ』が覆い隠してしまっている状態になっているんですね。
そして、明かりのツインレイの『存在』を見つけたとき、本当のツインレイである月のツインレイのステージへと切り替わっていくことになります。
日月神示とツインレイ
日月神示はツインレイについて書かれていると私は言っていますが、ここで既に出ている『日』と『月』を合わせた『明かり』の話からなら分かりやすいかと思いますので、どうしてツインレイに関係しているのか——についてを日月神示のタイトルからご説明します。
日月神示では『日』と『月』の話をしており、ひつぐとみつぐとしてツインレイが描かれています。
みつぐは神のエネルギーを受け取ることが出来ていないことや外国にいることなども書かれています。
みつぐは『水つぐ』なのですが、月そのものなんですね。そして、『日つぐ』とは太陽のこと。
ツインレイの片方は神のエネルギーを保有していますが、片方は神のエネルギーを保有することが出来ていません。
それは『明かり』となっている表面的な月を私たちは『ツインレイ』だと誤解しているからです。
私たちは『存在価値』を『社会的価値』として見誤り、月のありかを忘れてしまい、月が本当はどのような形をしているのかを忘れました。
日月神示は、日と月のツインレイの話であり、社会的価値を持たせた『日』と『明かり』のツインレイの話ではありません。自身にとって存在でしかない相手をみつけるために必要なことを教えてくれています。
それが本当のツインレイである——ということです。ゆえに日月神示は『日明神示』ではないのです。
また、明かりのツインレイのふたりは『三人』必要です。それが子供なのか、お金なのかわかりませんが、ふたりの関係性のあいだには『もうひとつの存在』がなければふたつを結びつけることが出来ません。
元来のツインレイです。
世明けのツインレイと夜明けのツインレイ
Azさんにお願いしていた世明けのツインレイのロゴが完成しました。こちらのロゴが此度の月と明かりの理解に役立ちました。
こちらの説明を最後に加えようかと思います。
世明けは、世が明けることです。
しかし、元来は夜明け。
夜のなかで必要なものは『明かり』ですね。
夜を『常闇』と称し、常闇のツインレイのサイトを作っていますが、こちらでは『悪』と『偽善』を主体としたアクや悪魔についてをテーマにしています。
夜のなかでは明かりが必要です。ゆえに、常闇のなかにいるツインレイたちは『明かりのツインレイ』をつかまされることになります。
なぜならば、月のツインレイは存在ですので視えません。
常闇のなかにいる人——。いわば、悪や偽善寄りの人たちは、ツインレイの相手を『明かりのツインレイ』のことだと思っています。だって、常闇のなかで見つけることができる相手は明かりの人でなければ見つけることが出来ないから。
しかし、私は夜明けではなく、世明けとしました。
世明けのツインレイは暗闇ではなく、世が明けていく様であり、世が明けたとき、月だと思っていたものが『明かりだった』と認識することができる。そして、その向こう側に『本物の月が存在している』ということがわかるようになります。
そして、世明けとなるツインレイたちの集う場所になればいいなと思います。
さて、これからのことを説明していこうかなと思います。
今、常闇に明かりが照らされ、これから世明けがすすみます。
世明けでは、常闇のなかで悪さをするような人たちが浮き彫りになりますし、地位や名誉、お金などを主体としてモノをみることになっていた人たち——もっとわかりやすく恋愛的に説明してみますと、自分の名誉や安泰の為、ほかにも結婚相手をお金とみなして結婚した方々。
そして、その相手を『ツインレイ』だと思っていた人たちもいらっしゃるようですが、その相手が『明かりのツインレイ』として認識されるようになっていきます。
それは世が明け、暗闇がなくなるがゆえに赤裸々になりバレてしまうんですね。
今までは暗闇であったからこそ隠すことが出来たことも、世が明ければ、明かりは消えてしまうし、月が堂々と存在することができるようになる。もう明かりはいらなくなります。
これは、明かりのツインレイを掴んでいた人たちにも同じことで「え、残像じゃん・・・・・」と理解することになります。
明かりが消えるとは、地位や名誉、財産に始まり、太陽によるエネルギーにより生まれていた過剰な社会的成功(搾取による成功)がすべて打ち砕かれていきます。
そして『存在』となった相手を受け入れるのか、受け入れないのか——。
この違いによって明かりの関係性か、月の関係性かを知ることになります。
また、夜明けの状態で日の入りとなり、ツインレイの再会を待ち望んでいる方もいらっしゃるかと思いますが、夜明け後の月は空に融け輝きません。
常闇に存在しているツインレイたちは『夜明け』となり、再会が出来ないのか。はたまた、世明けによる明かりの消失によりすべてを失い、離別をするのか。
世に存在し、世が明けることを待ったツインレイたちは、再会と出会いを果たしていくことになります。
離別の道へ進むことになるのが明かりのツインレイであり、世が明けることにより再会の道、出会いの道へと進むことになるのが月のツインレイたちなんですね。
これがツインレイの『二極化世界の基盤』となります。
このような形で今現在(2022.11月)に転換期となっています。
順当に三年ほどをかけて話は進みます。