結合のまとめ|ツインレイの結合の流れについて

レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にどうぞ。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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元々ツインレイのふたりはサイレントに入るときに統合状態となっている——と考えてしかるべきかなと思います。
統合とは『一体化』であり、私自身は依存状態ともなりました。そもそもツインレイの相手に成り代わる状態です。
このとき、私は「ツインレイの相手そのもの」となり、ツインレイの相手が主となり、自分自身が従となりました。(というか、統合という一体化)
ツインレイの相手のために自分自身が存在している。
このような思想となるため、この状態から『自分自身を取り戻す』ためには、自分のなかに存在しているツインレイへの依存を全て切り離していく必要性があります。
依存を切り離していく経緯が一番に過酷かもしれません。
依存が切り離されきると『ツインレイを自分自身から排除される』という状態となるので、ツインレイとは分離状態になります。
分離している状態になるのが大前提となってツインレイの結合が成立します。
統合は依存により生じますが、これは取り込みに過ぎません。
統合している依存を切り離していくことにより意識が分離され、自分自身のなかにツインレイと自分——というふたつの人格が成立することになります。これにて『自分を主』とし『ツインレイを従』として成立させることができます。
管理人であるなとりが、ツインレイについて追及しているときに書き上げた記録と全データ。
最終的なツインレイの結論として、
- ツインレイの再会の記録はとらない
- ツインレイのデータはもう出さない
- 自分はツインレイではない
となりました。今後、このカテゴリの更新はありません。
長らくの御愛読をありがとうございました。引用:世明けのツインレイ
私はこのタイミングで、世明けのツインレイをカテゴリ化させました。
今まで副人格がツインレイを語っている状態で、副人格ツインレイが主人格を乗っ取っている(一体化している)状態から、副人格を分離させて「ツインレイを分離人格として成立させ御する」ことに成功させていきます。
ツインレイの闇と影の最終テストについて
次に、闇について終わらせていきます。
自分自身が抱えている闇についてを影とするのか、闇にするのかは自分自身によりけり違います。
闇と光というふたつは結ばれることはありません。相容れることがない真逆の気質となります。
しかし、自分自身が抱えている闇を『影』として認識するとき、私たちは実体である意志を持って影を統合させることになります。
この段階において、前段階における『ツインレイを副人格させて御すること』をさせていないとき、自分自身が光となり、己は神である——と語り始めることになります。
同時に闇を『闇』として定義しますので相容れることが出来ません。ゆえに、光と闇の状態で敵が敵であり続ける限りは、ツインレイを御することは出来ていない——と考えます。
自分自身のなかに存在している光も闇も、どちらも分離させておく必要性があります。
前もって、「自分は神ではない、すごい存在ではない」という意識を獲得しつつも分離していく必要性がありますが、光と一体化するとき、ツインレイたちは己が神であると誤認します。
次に闇に対しても「敵である」と認識します。そこには自分自身という実態がないために「神と一体化」「闇との分離」が起きてしまいます。
光が分離すれば、闇は影となります。しかし、分離しなければ闇は闇です。
光と闇は相容れることはありませんが、光—実体—影という関係性は、お互いの存在を尊重し合うようになります。
闇と言う概念の問題が解決される瞬間がやってきます。
次には光の概念であるハイヤーセルフへの到達が伺えます。
無条件の愛への到達
無条件の愛にもいくつか種類があります。
- いかなる自分の存在をもここに許可すること
- いかなる他者の存在をもここに許可すること
私は地上のツインレイの段階にて「いかなる自分の存在をも許可している」状態にありました。
多くの方に「ニートなのに自信に満ち溢れている人」と思われていますが、たぶん、自分自身を無条件の愛で受け入れているのもあって、自信があるように感じられるのかなと思います。
私はツインレイの出会いの大前提にて「自分への無条件の愛」を確立していました。
今回の私のツインレイの課題は「いかなる他者の存在をも許可をすること」でした。
私はツインレイの相手を無条件に愛しきり、サイレント期間に入りました。最後の感覚としては「全部愛することができた!」という実感が明確にありました。その後、離別です。
サイレント期間では、自分では認めることができない相手でも受け入れていかなければなりません。
ゆえにある種「迷惑をかけてくる相手」「自分を苦しめてくる相手」でさえも、愛し受け入れていくことが必要となります。
無条件の愛を他者に提供することがツインレイの課題に挙げられましたので、見返りはありません。
何かしらの見返りがないことを、もしくは、見返りが足りないほどの状態を常に維持し、そこには「感謝すらもとめない」というメンタリティーを求められていました。
たいていは信念でやり通すことが出来ます。
いかなる存在であれども、自分がここに存在することが許されているように、相手もここに存在することが許されている。
その許可を出していく必要性があります。
無条件の愛とは、母が子に苦しみしか与えられていない状態でありながらも、その苦しみを丸ごと受け入れいる姿勢にあります。
子供を育てるとは、このようなことなのだと思います。
まんま子供がやることです。
ママより先に自分( '֊’ )、自分が一番偉い( '֊’ )、手伝いという名の邪魔( '֊’ )デキルヨ
子供は迷惑しかかけませんが、その迷惑を喜んで受け取らなければなりません。
私の結論としましては、無条件の愛の見返りとは『成長』にあると思っています。
愛した分だけ、私が苦しみを受け取った分だけ、その分だけ人は成長するのではないか——と思いました。
いかなる存在であれども、私自身が苦しみを感じたとしても、その苦しみを引き受けてでも相手へ接し受け入れていくことが無条件の愛への到達でした。
ツインレイの結合の条件
前回におけるツインレイを副人格として分離させていることがなければ、ツインレイの結合は出来ません。
そして、ツインレイの結合としては『無条件の愛への到達』は必須なのかなと感じました。その理由として、自分自身を無条件で受け入れていること、他者を無条件で受け入れていることにより、ツインレイの相手が持つ心の傷を無条件で受け入れることになるからです。
ツインレイの相手の心の傷を引き受けることは出来ても、ツインレイ以外の人の心の傷は受け入れたくないというワガママは通用しないようです。
つまり、ツインレイの相手はどうでもよくないけれど、それ以外の人がどうなってもいい――みたいな心理はアウトのようですね。
ツインレイの相手=他者という概念として定義するみたいですので、ツインレイの相手とはツインレイの相手以外の他者にも通用させることが出来なければ、それには意味がないみたい。理由は、それじゃ自分の子供はどうなってもいいわけ? って話になってくるからだと思います。
ツインレイの結合とは、相手の心の痛みに触れ、それを全受容することにあります。
ゆえに、先ずは自分自身の病理、他者の病理等、本来ならば受け入れることができないものを全受容していく必要性がありますが、これもまた無条件の愛の到達により獲得されていきます。
トラウマがあってもいい、カルマがあってもいい。もちろん、病気があってもいいし、相手に何かしらの問題があってもいい。
すべてを丸ごと受け入れて、相手を受容すること。これが無条件の愛です。
この無条件の愛がなければふたつは衝突し合います。相手を受け入れることが出来ていない部分が衝突を起こすんですね。
相手にどのような過去があってもいいんです。相手のことをすべて受け入れることがなければ、ツインレイのふたりは『結合』は出来ません。
なぜならば、ツインレイのふたりが生み出す結合とは『心の傷』をお互いに結びつけることで出来ているからです。
心の傷をお互いに結びつけ、その傷が結びつくためには、そこに『カルマ』『トラウマ』『病』など、多くのネガティブなものが存在していなければなりません。
精神領域に無意識は存在していないって話、知ってますか。最近の研究では無意識は存在していないっていうフロイトの思想を否定するようなかたちにもなっているんですが、もうちょい突っ込んだ話は割愛しておくとして——。
何が言いたいのかっていうと、どうして私たちが『潜在意識』とか『無意識』という話ができるのかといえば、そこには『ネガティブな分離しているもの』が存在しているから私たちは、そういった無意識的な話が通用します。
レイキ中にも認識できるものは『執着しているもの』『分離したトラウマや副人格』というネガティブなものです。それを愛で浄化していく作業をレイキで行っていますが「そこにある」というものは無意識領域ではネガティブなものだけです。
ポジティブないいものを認識したことはありません。ただ、根っこには「愛が溢れている」ことだけは知っていますが。
つまりなんですが、無意識領域や潜在意識など、そういった『無の領域』を結びつけるためにはカルマやトラウマなど、心のなかに存在しているネガティブなものが存在していなければなりません。
ネガティブなものがそこにあるから、ネガティブなものを結びつけることができる。
潜在意識で『愛』と『愛』で結びつけることは出来ないってことですね。
ネガティブな意識であれば、そこにトラウマがあるからこそ『あるもの』をふたつ結びつけることになります。
つまりなんですが、最終的に自分には問題がないと思っている光みたいな人たちには『結びつけるもの』が自覚されていないとも言えますので、ツインレイの結合が出来ません。
いわば、自分にはなにも問題がない人たちはツインレイの結合が出来ませんし、他者の問題を受け入れることがでいない人たちもツインレイの結合ができません。
これは、自分のカルマやトラウマを受け入れること。他者のカルマやトラウマを受け入れることのふたつが成立することによりツインレイの結合が成立すると言うことです。
このふたつが受け入れられるほどの無条件の愛が不成立の時、私たちはツインレイの結合を果たすことが出来ません。そう『できない』んです。
だから、無条件の愛への到達は必須になってくるってことみたいです。
この結合領域は『ハイヤーセルフの領域』です。つまり『恐怖』や『トラウマ』という肉体的な反射が起きる領域です。
PTSD症状が発症する領域で結合を起こしていきます。
ツインレイの結合が起きるときの症状
- 眠気
- 風邪の症状(微熱やのどの痛み、筋肉痛など)
- PTSDの症状
というように、基本的にはトラウマ治療において関係してくる症状が多いかなと思います。
ツインレイの結合は、ツインレイの相手の恐怖を受け入れることでもありますので、その恐怖を受け入れるとき、たいていPTSDに関係する症状がでてくるのと、同時に、浄化症状として風邪の症状がでてきます。
浄化の症状とは、今までトラウマで固まっていた筋肉が解放されることにより、なかに詰まってた毒素がいっぱいだらだら出てくれば、肝臓が処理しきれずに風邪の症状を起こすようなものかなと思っています。
おわりに
あんまりスピリチュアルすぎないように解釈するとこんな感じでしょうか。
理由がすべてあるみたいですね。その理由が明確に分かれば、どうすればいいのかは判断ができるかなと思います。
すべてはそこに『意志』『信念』があったのか。
愛とはあふれ出てくるものではありません。少なからず、愛を提供されて今ここに存在しているのであれば、私たちはツインレイなんてやっていません。
愛とは私たちにとって『意志がなければ全うできないもの』であるはず。
だからこそ、私たちは愛を通すだけの信念が必要でした。
愛とは何か、その探求をし、最終的な結論として、私は愛とは存在であり、愛とは成長である——と結論付けました。
私たちは、ここに存在している限り愛されているし、また愛がそこにあれば人は成長します。
その愛のある循環のなかで人は存在していることをゆめゆめ忘れてはならないのだと思いました。
そして、愛とは知性です。
自己犠牲が出来るということは、知性が高いということでもあります。
人は知的生命体です。
愛してください、自分のこと以上に他者を愛することが出来たとき、私たちは確かに地球人ですから。
愛の探求者より