第一サイレント期間の覚醒*禅の悟りの境地|ツインレイの覚醒シリーズ①
ツインレイたちは覚醒を目指しているのではないか? ということで、では覚醒とは何か——。それは仏教の教えの悟りのことなんじゃないかと結論付けてきたが、その結果、じゃあ『悟り』ってなんだろうってことに行き着く。
悟りを得たという人たちは色々いて『的を得ない』というのも正直なところ。そして色々な段階やレベルというものがあるようなのだ。
だけど一般的に、悟りがどのような状態なのか? という書き纏め的な説明をすると、
- 自我の変化が起きる
- 思考が減る
- ネガティブ感情が減る
- 外からの刺激に対しての変化
- 過去の記憶が減る
ってところが特徴的な感じのようだ。
このなかで一番に面白いのが『自我の拡張と消滅』じゃないかなと思う。自分がすべての人と繋がっている意識になって、その後、自分がすべてと断絶される感覚である。ちなみになとりもこの経験はある。ツインレイの彼くんと出会った直ぐ後、自我が拡張され、その後、消滅した。
最終的には、自分の経験に対して確信を持つことになる——というのも、自我の拡張と消滅による結果。
私は、ツインレイの彼くんに出会ったとき『自分の人生のすべてが肯定された』と言葉にしているけど、同時に『自分の人生がどうしてこういう人生だったのかを理解した』というようなカタチでも言葉にしていた。
いわば『ツインレイの彼』という存在は、私にとって確実なる悟りのトリガーであった。
私自身が今、どの段階の悟りにいるのかについてを解明したいと思っている。そのために調べながらの記事執筆となる。
禅の悟りの境地は『安心立命』
禅の悟りやら、他にも儒教など、色々分類されているんですが、そのうちのひとつ『禅』。
禅で語られている悟りは『ひとつ』とされています。それが「安心立命 」の境地。
意味としては「天命に身を任せて心を動かさず、いかなる時でも心が落ち着いていること」です。
いわゆる、心配をしない、天から与えられた命を全うせよってこと。
この禅の悟りにいたった人で、スピリチュアル界隈の人がよく知っている『霊気』。私も最近習いに行くことにしましたが、こちらの思想の大元となる霊気の元祖たる人物、臼井 甕男先生。
断食修行に入って3週間目の真夜中頃、脳に落雷をうけたような衝撃を感じ、そのまま意識不明の状態となりましたが、
夜明けにふと気付くと、心身爽快な気分に満ちており、その衝撃のときに感じたエネルギーが心身を貫き、体内との共鳴、(宇宙との)一体感を達成していました。引用:臼井霊気の真の目的とは
ンッ・・・・・・? わたし、これ、経験したことがありますね。
ツインレイの彼くんと話していると、雷に打たれたかの大ショックを受けたことが何度かありました。反発するかのような物凄い衝撃を受けて、それが繰り返され、何度も繰り返されていくうちに、最初は『雷』、次は『フライパン』。次は『あんぱん』みたいな感じで衝撃が落ち着いていく。
『大ショックを受けた』感じで、フリーズしていました。ときに心身を貫いた感覚はありませんが、その後、息絶え絶え状態のような感覚が続いたりします。
ほぼ、衝撃でうつ状態って感じしょうか。ものすごいショックなので脳が停止しているような感じ。
それからして『世界の人たちと繋がっている一体感』を感じていました。すべての人と繋がっていると言うか。そのような感覚を持っている感じ。
で、ほどなくしてその感覚は1年ほどで消失しました。
あれ、私は『禅の悟りの境地』である『安心立命』を達成している感じなのかもしれないです。
ツインレイの彼くんと第二サイレント期間にはいるとき、私は「これから断食する。」と言いました。それから4日間程度の断食して『スッキリ』しました。何が起きていたのかはわかりません。
これは『先に覚醒』、次に『学習』というカタチだったのかなと思います。最後に『断食』となっていて、あれ? 臼井先生の経験と真逆コースをやっています。
断食⇒学習⇒覚醒が本来なのだと思います。私は逆。覚醒⇒学習⇒断食です。
よくわかりませんが、これ『断食』ってなにか必要なものなのでしょうか? 私が断食した理由は胃腸がやられてしまったからなんですけど。
この『禅の悟り』は、胃腸系の第三チャクラに関係している悟りを『禅の悟り』としているかもしれません。
それが『安心立命』です。
つまり、私と同じツインレイの経験をしている人は、霊気ヒーリングがめっちゃ本能的にできる人たちなんじゃない? と思いました。
ちなみに私は今朝がた、生理痛が酷くて手を身体に無意識に当てていました。生理痛だからといって腹部に手を当てるわけではなく、左胸上とか関係がなさそうな場所に手を当て続けたら、生理痛がよくなってきました。
なんで私は『霊気』がわかっているんだろう? と思いました。そしてなぜか寝るときは必ずどこかに手を当てて寝ています。最近は脇腹に片手を入れて、もう片方を脇腹に入れるのが好きみたいなんですよね。
この禅の悟りの最終地点は『すべてにおいて同一である』という思想になります。
『不二』でもあるのかな、二つは一つです。他者は自分である。自分は他者である。
すべてにおいての境目がないことに至るので、霊気は『遠隔』などが出来ます。それを禅の悟りの境地ではダイレクトに知ることができると言うことですね。
それで私は霊気を習いに行くことにしたのか・・・・・・と、今は少々納得です。
禅の悟り「あなたはわたし、わたしはあなた」
禅の悟りで私が学習した内容ですが、私がツインレイに関して言葉にしていたことです。
あなたはわたし、わたしはあなた。
私はツインレイの相手を『自分』だと思っていました。それはすでに雷のショックを受けていたのもあるかとは思いますが、彼を私だと思っていたのです。そして、彼を飲み込み、すべてを同一させ、愛しました。
これが『他者を愛することは自己を愛することである』というカタチにあります。
他者を愛するとき。それは、ツインレイの彼を究極に愛しぬいたとき、それは私自身をも愛しているときである——ということ。
ツインレイの彼を愛するとは『相手のすべてを受け入れること』です。相手のすべてを受け入れると、すべてがバキバキと壊れていく自我が存在しています。
自分が破壊されていくなかで、彼を愛するためには『自分を破壊するしかない』ことなのだということ。
たびたび無償の愛とは「見知らぬ相手の為に自分が死ぬこと。」と書いてきましたが、これが究極であり、ツインレイに限っては『自分を一切通さず、相手の意見を全て通してあげること』です。
自己犠牲ですが、これが愛でした。
最終的には、それが自己愛なのです。ツインレイの関係性のなかで私は苦しかった。苦しかったから『サイレント期間』がやってきました。つまり、ツインレイの彼と離れるサイレント期間は『他者愛』であり『自己愛』です。
つまり、あなたはわたし、わたしはあなた。あなたを愛しているとき、私は私を愛しています。それがふたりの道を別つことであろうとも。
これが私のツインレイのサイレント期間の始まりに行った『覚醒』であって、実は、私は覚醒終わっていたんですね。
これが『自他統合』による意識です。相手を愛しているとき、自分を愛しています。自分を愛しているとき、相手を愛しています。
それは自分を愛するとき人を傷つけません。人を愛するとき自分を傷つけません。という誰も傷つけることがない視点を得ることがツインレイの私が持つ『第二サイレント』の始まりでした。
実は、私はあんまりツインレイの彼くんに対して強い執着を持っておりません。理由ですが、あのとき、私は『自分のために』という意味もあったのです。
サイレント期間の始まりは『彼を愛している』のと同時に『自分を愛している』ことでもあったのです。
仏教でいう『不二』です。
二つに見えて実は一つであること。ただ一つであること。
仏語。二つの相対するものが実は二つに区別され、対立するわけではないこと。絶対平等であること。
ふたつに見える『あなた』と『わたし』です。ですが、どちらも『愛』という存在からは『自己愛』と『他者愛』と分類されるものではなく『自他愛』へと到達していくこと。
ちなみに、霊気は勉強しましたら、サイトで提供できたらいいなと思っています。せっかく、悟って境界線がなくなった状態にあるので、霊気やりたいですね。