占星術と七つの大罪を繋げて解釈する—占星術⑨

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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それぞれの管轄が理解でき始めたので、七つの大罪と占星術による関係性を理解していく。

七つの大罪と占星術
四神 七つの大罪 精神
ASC 青龍 地平線 怠惰 自分軸
DEC 青龍 地平線 傲慢 他人軸
ドラゴンヘッド 玄武 白道 嫉妬 幸福感
ドラゴンテイル 玄武 白道 絶望
(悲嘆)
自由
IC 鳳凰 子午線 憤怒 自己肯定感
MC 鳳凰 子午線 強欲 信頼感
(社会)
バーテックス 白虎 卯酉線 色欲 欲求
アンチバーテックス 白虎 卯酉線 暴食 生活

この表から、どの罪を克服すれば、どの精神が得られるのかがわかってくる。

ドラゴンテイルについては七つの大罪から外れ『絶望』としたが『悲嘆』でもいいんじゃないかと思っている。

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対峙しているツインレイの七つの大罪

大罪 大罪
青龍 怠惰 傲慢
玄武 嫉妬 絶望(悲嘆)
鳳凰 憤怒 強欲
白虎 色欲 暴食

ツインレイの場合、片方が『怠惰』の状態になっているとき、もう片方は『傲慢』の状態になっていると考える。ツインレイがサイレント期間に入る前である。

自分が嫉妬しているとき、もう片方は悲嘆し、絶望している。

片方が憤怒し、怒り心頭になっているとき、強欲になる。

片方が色欲に溺れるとき、片方は暴食へ偏る。

大罪 美徳 大罪 美徳
青龍 怠惰 勤勉
(自分軸)
傲慢 謙虚
(他人軸)
玄武 嫉妬 感謝・人徳
(幸福)
悲嘆 希望
(自由)
鳳凰 憤怒 忍耐
(肯定感)
強欲 慈善・寛容
(信頼感)
白虎 色欲 純潔
(欲求)
暴食 節制
(生活)

こちらは美徳を追加したケースにあり、美徳の括弧のなかは得られる精神性にある。

自分が怠惰を勤勉により自分軸を構築させるとき、相手は傲慢を謙虚により他人軸を構築させている。

自分が嫉妬を感謝や人徳により幸福を構築させるとき、相手は悲嘆を希望により自由を得る。

自分が憤怒を忍耐により自己肯定感を構築するとき、相手は強欲を寛容により信頼を得る。

自分が色欲を純潔をにより守り欲求をコントロールするとき、相手は暴食を節制により守り生活をコントロールする。

 

このなかで『嫉妬』と『強欲』もツインレイたちのテーマで、ツインレイ女性が嫉妬のテーマを抱え、ツインレイ男性が強欲のテーマを大きく抱えているようにも感じられる。

つまり、ツインレイ女性は『玄武』のテーマであり、ツインレイ男性は『鳳凰』のテーマ。

ツインレイ女性が悲嘆という絶望から感謝と祈りへの道を切り開き、ツインレイ男性は強欲から忍耐により自己肯定感の道を切り開いていく。

第二サイレント期間の開始の時点では、ツインレイ女性が『悲嘆』になり、ツインレイ男性が『憤怒』になっている? のかも。

最終的にツインレイ女性は『祈り』にたどり着き、ツインレイ男性は『自分』にたどり着くような気がする。

ツインレイ女性が祈っているのは、ツインレイ男性がツインレイ女性の幸福を願った分だけ。

ツインレイ男性の自己肯定感は、ツインレイ女性がツインレイ男性を肯定した分だけ。

それぞれお互いがお互いに差し出したかったものを、お互いが持っているような気がする。

 

罪の解消については仮説を立てているが、複合過ぎてよくわからんので、とりあえず、そういう状態になっている可能性があるから、よく観察してみて分析の土台につかえる表だと思いますので、参考にどうぞ。

ASCとDECによる『傲慢』と『怠惰』

ASCは『自己』を意味し、DCは『他者』として定義する。
上記の図では、私たちは赤子のとき『純粋な自分』を持っている。そして、反対側に『自分からみえる他者(親)』という概念が存在していることがわかる。
これは親子の関係性を模している。

引用:アセンダント(ASC)とディセンダント(DC)とツインレイの関係性—占星術①

ASCとは、太陽の昇る場所であり、DECとは、太陽の沈む場所である。

それぞれ、ASCは生まれたままの自分を意味し、DECでは自分からみえる他者としている。

私はこれを『自分』と『他者』として定義した。

  • ASC・・・自己(怠惰)
  • DEC・・・他者(傲慢)

私たちは、自己たるそのものが『怠惰』により生まれている。私たちは何かをしようとしなければ何もしないし、何も成さない。怠惰に対応する美徳は『勤勉』となっているが、私たちはありのままの自分ではならない。

私たちは成長をしなければならない。成長をするとき、私たちは必ず学ぼうとする意志がある。学ぶことこそがASCを活性化させ、ASCを活かすことに繋がっている。

怠惰に対応する幻獣は不死鳥である。不死鳥は『朝日』の場所に生じる象徴のようである。

 

DSCとは他者という概念のもとに生じ、また、結婚相手などもこの位置に座すことが多いと言う。七つの大罪を『傲慢』として定義している。

傲慢へ対応する美徳は『謙虚』である。私たちは他者に対して謙虚であり、また謙虚ゆえに私たち自身のなかに存在する傲慢が抑制されるのである。

地上のツインレイの相手が私の場合『傲慢』だったと思われる。それは私のなかに存在する結婚相手の星が罪深き傲慢のままだったためにある。しかし、地上のツインレイの課題を終わらせていくことにより、結婚相手という他者性から傲慢が解き放たれる。また、私自身のなかに存在する傲慢の意識も、地上のツインレイと離れた後にやってくる。

 

このASCとDSCの課題は、地上のツインレイの相手が謙虚になるとき、私たちは勤勉となり、学ぶようになる。

この勤勉は『自分軸』を形成していく時期ともなるため、モラトリアムの期間となる。モラトリアムの期間では『自分を構築する』ことがテーマになるため、私たちは勉学に励むために基本的にはニートになる状態のことを意味している。

そして、個人的アイデンティティを拡散させ、社会的アイデンティティも拡散していく状態になるため、無価値なる自分を構築していくことになる。

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ICとMCによる『憤怒』と『強欲』

  • IC・・・プライベート(憤怒)
  • MC・・・社会(強欲)

ICとはプライベートや家庭、そして支えなどを意味し、MCは社会性を意味している。

憤怒は家庭を壊していくし、強欲は社会を壊していくことになる。ゆえに七つの大罪は憤怒と強欲なのである。

私たちは自分のなかに怒りを抱えているとき、女性は特にヒステリーを抱えるようになる。それは私たちが私たちのなかに『思い通りにいかないことに腹を立てている未熟さ』がくすぶっている。社会では強欲だが、いわゆる慈善活動などにより社会は支えられている側面と、自分の私腹を肥やすことに余念がないとき、私たちは強欲となり社会を破壊する。

家庭のなかで怒りをくすぶらせていると、社会では強欲になるとも言えるし、社会で強欲な人は家庭のなかで怒りを抱えている状態にある。

ドラゴンヘッドとドラゴンテイルによる『嫉妬』と『絶望』

  • ドラゴンヘッド・・・未来(嫉妬)
  • ドラゴンテイル・・・過去生・ツインレイの相手(絶望・悲嘆)

ドラゴンヘッドとドラゴンテイルは『ウロボロス』ではないかという話を書いている。

地上のツインレイが二匹のウロボロス(他者破壊と自己再生)であるならば、楽園のツインレイの段階では『二匹のウロボロス(自己破壊と自己再生)』を意味する。

引用:ウロボロスと四神の関係性(玄武と麒麟)—錬金術⑦大いなる作業

ウロボロスは頭が尻尾を追いかけているが、地上のツインレイの段階では『他者であるツインレイの相手の尾を追いかける』とも言え、DECによる傲慢を追いかけるとも言える。

傲慢とは「自分は偉いと思っている」という意識でもあり、支配の意識でもある。他者の傲慢を追いかけ続けているのが地上のツインレイであり、自分の傲慢を追いかけるのが楽園のツインレイなのかもしれない。

地上のツインレイの場合、「相手は偉い」という意識を破壊する。それは奴隷意識を破壊することにある。(他者破壊)

楽園のツインレイの場合、「自分は偉い」という意識を破壊する。それは支配意識を破壊することにある。(自己破壊)

地上のツインレイは、他者にこらしめられるような感覚があるが、楽園のツインレイの場合は自分で自分が苦しむことにより傲慢を手放していくことになる。

そのとき、なぜ苦しむのかの理由がドラゴンヘッドによる嫉妬とドラゴンテイルによる絶望と悲嘆にある。

私たちは他者が持つ何かが羨ましいと感じている。その羨ましいと感じているからこその相手が地上のツインレイにある。しかし、手に入れて関わってみれば、そこに欲しいものが存在していないことに気づくことになる。

私たちは『地上のツインレイと結ばれたかったわけじゃない、誰かよりも優れた存在になりたいから地上のツインレイを求めていた』のだと気づくことになる。そして、私たちは「自分が持つ嫉妬に支配されないようになる」わけである。

 

また、私たちがずっと追いかけていたものは『絶望』にあり『悲嘆』にあることにも気づいていかなければならない。

エゴの手放しと呼ばれているが、私たちは自分のなかに存在するエゴを追いかけている限り、自分の罪により生じた縁に固執している限り、その先にあるのは絶望と悲嘆である。

けっきょく、幸福とは『妬み』の上には成立しないのである。誰かよりも幸せになりたいと言う他人軸のうえに存在する幸福は、自分の為にも相手の為にもならないと言うことだろう。それはただの復讐である。

復讐のための人生により掴んだ尻尾は『絶望』なのである。そこにあるはずだった希望は絶望であり、私たちは悪魔により希望だと誤解させられていたように感じられる。

 

このグルグルと回り続けるドラゴンヘッドとドラゴンテイルのウロボロスの関係性は、自分のなかに存在している罪が解消され切るまで自己破壊をし続けていくことになる。自分のなかに存在する自分ではない嫉妬により生じた縁は破壊されていく。

誰かよりも幸せになりたいと言う妬みにより生じた復讐のような未来は常に『絶望』である。そこに期待し、また希望のない世界が広がっていることを忘れてはならない。復讐による人生が幸せになれない理由はここにあるんだろう。

ゆえに、嫉妬ではなく『他者の幸福』を願うような人生を生きる必要性がある。また、絶望したとき、私たちはエゴという罪が手放されていくのである。