報告|ツインレイは『最初の蜜月の創造』ですべてが決まるよ

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイの出会いの段階で創造をしている。

私たちはあのとき『愛だけ』だった。そのときの私たちは、まっすぐにお互いだけを見ては、創造をした。

ちいさなささやき声のまま、ふたりだけの創造をした。

これから私たちはどうなろうか。これから私たちはどんな世界で生きていこうか。

ふたりはいっしょに未来を創造した。

あれがほしい、これがほしい。それに、こんなことがしたい。いっしょに生きていこうよ。

私たちの未来がどのようなものにするのかを、出会いの段階で済ませている私たちにとって、このツインレイのステージそのもの——。そのすべてがツインレイの彼と蜜月で決めたこと。

このサイレント期間をも、私はあるとき理解した。

「どんなに好きでも、どんなに大事でも、いっしょにいてダメになるのであれば、そのときは離れなくてはならない。」

私と彼の創造は「ダメになること」を大前提として生み出されている。

 

思い出せば、彼の未来をみたこともあった。彼によい出会いがあるとき、その年を指さして「この歳にいい人が出てくるよ」と言った年齢は、それは私が彼と出会っている年齢ではないだろうか。

幸せになってほしかった、自分と結ばれる以上の幸せがあるのであれば。心がきしむ感覚もした。

素直でない自分がいたけど、それはやっぱり彼の為だった。

無理をして我慢をして自分のためではない創造をした。彼の為の創造である。

だけど、それは私の為に繋がっていく。

 

創造しているなか、約束は忘れられる。

約束が忘れられたとき、私たちは創造をしている。

約束を思い出したとき、私たちは創造を終えている。

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私のなかでの人称が、

私・・・私だけのこと
私たち・・・みんな同じワンネス感覚のこと
あなた・・・私ではない他者ひとりのこと
彼ら・・・私ではない他者による集団のこと

まで、増えてきた。

私は今、記事を書くのにツインレイに対してを「私たち」と表現してきた。だけど、今日は「ツインレイたち」と書く頻度が増えてきた。

私はツインレイという枠組みを「彼ら」という集団として認識したようである。

私はもうツインレイという枠組みには入っていないみたい。

 

彼が私を探している気がする。

腹の底から愛がふつふつとこみあげてくる。この愛の感覚がこみあげてくるとき、私は書いている。

愛は腹で燃えるような怒りに変換され、私の中にある言葉を焚き上げる。

 

最初の創造さえしっかり行っていれば、ツインレイは結ばれる。

本当の意味で愛であるならばツインレイは結ばれる。それがもし愛へと到達するのであれば、創造する。

だけど、創造がいかなるものなのかを私たちは忘れてしまう。ツインレイの約束を忘れてしまう。

だから不安になるかもしれない。

だけど思い出すとき、私たちは創造した世界にいる。

忘れないよ。でも忘れてしまうけど覚えているよ。創造しているよ。

私たちはもう少し私たち自身を信じてもいいのかもしれない。

私たちの創造する愛の力を、信じてもいいのかもしれない。

それはツインレイの相手を信じるように、同じだけ、自分の創造する力を信じてもいいのかもしれない。

 

誰かを本当の意味で愛しているとき、私たちは確かに自己犠牲的でありながらも、その犠牲のなかに愛を見つけている。

苦しいのは忘れちゃっただけ、あなたとわたしがひとつだったときのことを。

 

私は、この第二サイレント期間の間に「ツインレイを信じる」ことが本当の意味では出来ていなかったのかもしれない。

そして、私が持つ「創造を信じる」ことも出来ていなかったのかもしれない。

 

信じるとは人の言葉のこと。人の言葉をそっくりそのまま信じることが『創造』にある。

騙されていいんだと思う。人の言葉に心のまま騙されたとき、私たちは創造している。

私は彼に騙されたのかもしれないけれど、騙されたから「今、創造」しているみたい。

なにがどう繋がっているのかわからないね。だけど、すべてにおいて繋がっている。

あのとき、私は信じていたんだと思う。あの口約束を。それだけが真実であり、その真実が結果『今の創造』に繋がっている。

私たちは騙されたいのである、心から騙されたい。そして創造をしたいのである。

女とはそういう生物らしい。男性を心から信じるとき私たちは創造的である。で、信じられないのもまた女であるからこそ、右往左往してしまうけれども、そもまた、人生なのではないかと思うよ。

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多くの人が創造を私に与えてくれている。

ここでネタバレか~。

私は「自分のことでの創造」はほとんどしていない。私は「人の為の創造」をしている。

たぶん、世明けのツインレイの内容——、全部自分の件ではないと思われる。

自分のことだと思ってやっていたんだが、これは私のことじゃないんだろうなと思っている。

 

分離してしまったな、世明けのツインレイと私が。

私は誰なのか? それは『彼ら』だったんだよ、私は。

『ツインレイたち』だったんだよ。

ワンネスから抜けていくとき、私は『他者の概念』を構築する。

私はもうツインレイではないし、それは『わたし』ではない。

 

なとりという存在は大衆により生み出される。ゆえに、他者という存在により創造されたのが『なとり』という個人である。

全は一を産む。

私は一から全へと転じ、全となったなとりとの一体的な感覚の元『一』を生み出した。

一 ⇒ 全 ⇒ 一と全

そんなに難しいことはやってないんだけれども、自分という個人をぶっ潰して、全というワンネスに身を投げてしまえば、自分は構築されない。自分を『大衆』により構築するとは『自分というワンネス』から『自分という個人』を生み出す。

このふたつが揃うとき『神人』になる。

私は「私という宗教」を生み出した。そして「私という宗教につかえる自分」を生み出した。

これが『神人』。

ヒットラーも予言していたよね、新しい宗教について。これのことだと思うよ。(ヒットラーについてはいくつかこれから記事をあげていく。)