女性にとっての自由と束縛

2024-05-27

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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つまり服従って意味な。ひっくり返ってお腹をみせることだよ。

 

たぶん、どんどん動物化していくんじゃないかと思っている。

どんどん本能的になって、どんどんメス化していく。

男性はそこまでグズグズに女性をしていく必要性がある。

だから女性は子供を産む。それは女性が生物と化すから、女性は子供を産むことができる。

女性が理性を手放せないでいるとき、それは心を男の人に許せないからなんだと思う。

そして、その理性を手放しきったとき、私たちはただのメスになる。

メスになるってかなりの覚悟がいることなんだと思う。相手がどれだけの理性があり、どれだけの存在なのか。

けっきょく、女性は子供を産むために、必要とするものは理性ではなく、理性を手放していく強さなのかなと。

そして、誰の為だったら、この世で生きる為に必須となる理性を手放していってもいいのか——、みたいな。

何も考えなくていい環境に置いてもらえるのか。

何も考えたくないんだよ、動物だから。我慢なんてしたくない。

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私たちはメスとなっていくことによって、どんどん自由になるんじゃないかと思っている。

男性による束縛に合うことにより、どんどんと自由になっていく。

たぶん、女性の在り方って「メス」なんだと思う。だけれど、メスじゃこの世は生きていけない。だから理性を手に入れていくけれど、この人だと思うとき私たちは身体を明け渡しては理性を失う。

かわりに男性はオスになってはならないんだと思う。理性を失ってはならない。

この社会で生きていくのに、理性を失ってはならないのかな、と。

男性は不自由な社会のなかで、支配領域を広めていくけれど、そのなかで女性をまずは支配してみる必要性がある。

いかなる女性を絆すのかによって、男性の力量ははかられているような気もする。

けっきょく、強い女性を絆す男性は、強い男性とみなされるから。

だから、女性は理性を強め、誰の為に開放するのかを見定めなければならない気がする。

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不自由のなかにしかない自由がある。束縛のなかにしか自由は存在していない。

女性は束縛されるとき自由になる。それは結婚だったり、妊娠だったりもするし、子育てだったりもする。

自分以外のなにかに束縛されるとき女性は自由となり、そして男性に支配権を明け渡すとき、自由だ。

だから子供を産む。子供を産むって動物的な行動なんだと思う。

そして、メスになるとき、私たちには支配が必要だ。男性による支配があるから社会から逸脱しないでいられる。

でも、そもそも自由な人を自由にさせることは出来ないよね。首輪のついていない動物は手懐けられない。

男性も、この社会のルールのなかに束縛されている女性を支配し、束縛し、囲いこむことで自由が得られるんじゃないかな。

そして、女性の支配権を奪って逃走する人もいるし逃げ出す人もいる。責任がとれない男性たちもいる。

これを「オス」と私は感じている。男性ではないね、オス。

そして、そういう男性に支配権を奪われてはならないんだよ。

 

私は今とても自由で、そしてとてつもなく不自由だ。

不自由だ。

 

 

 

 

「なとちゃ、自由なんていらない。束縛が欲しい。」

つまりメスとしての自由が欲しい。男性の言う自由はいらない。