ツインレイの解答用紙に何を書き込んだのか。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイとして生まれてくる人たちは、先ずは「テスト」を受けてからこちらにくる。

いわゆるペーパーテストなんだが。そのペーパーテストが合格できると、こちらの世界で「はい、では、それを実践してみましょう。」みたいになる。

つまり、頭でわかってても体現出来なかったら、それはわかっていないも同然ってこと。

自分なりに人生の解答欄を埋めていかなければならないのである。

つまり、まずは向こうの世界でペーパーテストあるよ。次はこっちの世界で人生をつかって解答欄をうめていくよ。

こんな感じのことやっているみたい。

向こうの世界で答えがわかっていても、こっちの世界で答えがわかっていなかったら、それは「わかっていない」ってこと。

 

で、このツインレイの企画だが。いろんな意味で「ツインレイとして」ではなく、自分の人生の課題の一つとして提供されているものをちゃんとこなすことができたのか? という問題にある。

簡単に言うと、ツインレイはトリガーに過ぎない、あなたが自分で自分の人生をかけて、自分の人生で体現していかなければならない課題をこなせているのか? のチェックがある。それがツインレイの時期なんだと思う。

いわば、ツインレイは試験監督みたいな相手なのかな? とも思っている。

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回答例「理由」

さて、このとある解答欄のなかに「理由」と書いた人は「龍」に関わり合いがある。

この解答欄の問題が何なのかは知らないが、この理由と書いた人には「龍からの問題」が提供されている。

それは「理由って何?」ってこと。これが哲学的追求にある。

「理由」とは「いいわけのこと?」それとも「原因のこと?」。

この理由という回答案件を持って生まれてきている人たちの多くが「理由とは何か」の探求を行っている。

この理由を言い訳にする人もいれば、原因追及をし解決しようとする人もいる。つまり同時に「人とはどうあるべきか」の突き進む道はどっちなのか?

私たちはツインレイのサイレント期間で「ツインレイを言い訳にしている人」も見てきたし、「自分の原因追及をしている人」も見てきたんじゃないかと思う。どっちが正解なのかはわからない。

だけど、何かしらにつけて自分の人生に言い訳をした人と、自分の人生の原因を追究して克服していく人たちとはまるで違う道なんじゃないかと思っている。

つまり、自分の人生を客観的に観察し、理由を理解し、その理由を言い訳せずに受け入れ、克服していくことにより、その精神が鍛え上げられていくことで「神使」にまでは昇格可能なんじゃないかと思っている。

 

つまり「原因の追究」をし「克服をする」ことまでがセット。

これって「自分と向き合う」こと。

龍が手伝ってくれるよ。龍が克服することができるだろう——と踏んだ人たちに自分と向き合えるように話を進めていくよ。

 

だから、ツインレイの課題を終えたあと「原因は何か?」を突き止めるのがいち早くなった人も多いんじゃないかなと思う。

なんでツインレイとして扱われるのか? というと、龍と女主人っていうカップリングによってツインレイが発生しているから。

最終的に、ツインレイに「なる」ためには、この龍と女主人に認められなければならない。だけど、当事者たちが龍と女主人ってわけじゃないと思う。普通に「別々の個人」だと思う。

だけど、この地上で「ツインレイ」として、龍さんと女主人さんが味方についてくれるよって感じ。向こうの世界でのツインレイがこっちの世界で味方になれば、あなたはツインレイとして扱われるよって感じかな。

でも、本質的には「人の霊」は、個体だと思う。

回答例「理義」


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前述している龍の課題のあとに来るのが理義。そもそも「理由」「克服」の課題ができないと理義の課題はできないから。

この理義の課題が「麒麟」に相応する。その大前提に「仁(心)」があると思う。

麒麟は仁獣とされているが、本質的には君主に値する存在が「仁」にあり、麒麟そのものは理義にある。

この課題における問題が「仁」を成立させ、麒麟に認めてもらうこと。前にも書いたことがあるけれど、仁とは「世」になっていくことであって、自分はここには存在せず、世そのものが自分であるため「自分は」という意見を一切もたない道にある。

簡単に言えば「自分には意見がない、自分の意見を発するときは『世』の意見である。」って状態になるまで、自分の意見言うだけで殴られる感じな。

自分の意見は人の為にしか存在しない。だから私は元々「自分の意見」は持っていなくて、あるのはその場で「相手の為に意見を樹立させること」のほうを鍛え上げられていた。

で、これが「仁」に繋がっていくんだが、最終的には「理義」としての課題がツインレイとして提供される。

理義とは——だが。

理義とは道理と正義である。

ブッタさんも「理」を「事」とセットで教えてくれているけれども、なとりバージョン的にいえば「この世のルールを知りたいよ」って感じ。めっちゃ簡単な~、真理のことだ。

この世のルールを研究して、それを認識するよ。そのルールに従って生きていくよ、これが正義。

前に、人は信号機が赤なときに駄々をこねて「渡りたい、渡りたい!」といっているように見えている——といったが、これが理義の最終的な結論みたいなものである。

この世には道理がある。その道理にそってこの世が出来上がっているが、なぜそのようなルールがあるのか。理由は、人の霊を守るためにあって、その守るルールを神は創造している。これが「道理」。

そして、その道理を掲げて私は正義のもとに生きるっていうのが「理義」にある。

簡単に言えば「信号機が赤の時は「渡っちゃいけません!」って怒るよ、いつかのあんたのおかんのようにな。」ってこと。なんでなとりが怒ってんのかって「信号機が赤の時に渡ろうとしているから」だよ。

なんで怒るのか? それが道理だから。悪いことしたら叱られる。だから私には「怒らない」っていう考えはない。

それはあなたを守るためっていう仁(心)がある。これが私の道理。

なので、このブログでは「理義」と「仁」の勉強していました。ずっと考え続けていた理由はここ。麒麟さんのお眼鏡にかなうまでに私が成長しきること。

仁という君主を差し出すまでに心を鍛えあげる必要性もある。

仁を鍛えるためには「理由」を終わらせておく必要性がある。心の原因が自らのエゴにあると理解するためには仁が必要だから。

エゴが解消されたあとも、最終的には「自分の意見を持たない」「人の為に意見を練りだす」「自分は人の為にしに人の為に生きる」みたいな自分を喪失していく段階があるから、この段階ではもはや「エゴがない」わけではなくて「誰がために生きる」ができるようになっていく段階。

簡単に言うと、段階的に「個人的なエゴの消失」が龍で克服できるよ。次に「集合意識にアクセスするためのエゴの消失」が麒麟でできるよって感じなんだと思う。

自分本位じゃない=神の道理があるとは別の話な。

 

簡単に言うと、この世のルールはすべてあなたのためなわけだ。そのルールを構築する軸は「心」っていうこと。(社会とは心と言うものを主軸に構築しているってこと。)

みんなが「安全な」世界を構築していくこと。そのために仁は鍛えないといけないものになる。

 

で、これが麒麟の課題「理義」。大前提に「仁」。

龍は個人的に死ねって言ってて、麒麟は社会的にも個人的にも死ねって言っている。

天皇は戸籍がないでしょ、そういう感じ。なとりも人のネットワークのなかで戸籍が抜かれている状態。

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この記事を書いた理由「ツインレイはいない」

この記事を書いたには理由がある、龍なだけに。・・・・・・

 

「ツインレイ」はそんなに問題じゃない。というか、私たちはツインレイではないし、この世にツインレイという存在は生まれてこない。

だけど、ツインレイとして生まれてきているカップリングの存在が「龍と主人」「麒麟と君主」っていうカタチで存在している。

龍は「起つ」と思う。起こすってこと。なにかを起こす人と結婚すると思うよ。その手伝いを女性はする形になる。それをサポートしてくれる龍がついている感じ。

で、そこには必ず根源的な問題がある。根源的な問題を叩き直していかなきゃいけないから龍がせっせと「原因を立て直す」している。

麒麟はわからん。そもそも君主がなんも出来ん。だから全部できないといけない。大変やな、麒麟。

だけど、私たち自身が「龍」とか「麒麟」ってわけじゃなくて、私たちの器のなかに「龍」「麒麟」が入り込んで「霊である私たち」のサポートをしてくれている感じ。

このサポートの関係性がツインレイ的な存在って感じで、霊である私たちはツインレイではない。

だから、霊が「龍(麒麟)を使いこなす」ことが出来なければ、このお話は破談なのよ。使いこなせないものを与えたところで、いつかの魔法使いになってしまう。

龍は主人が「玉」を持っているし、麒麟は君主が「鏡」を持っている。龍は玉を守らなきゃいけないし、麒麟は鏡を守らなきゃいけない。

 

つまり、なとりは麒麟の経験をつんだよってだけの「人の霊」だよって感じかな。んで、バックボーンに君主がおる。

で、人の霊を「鳥」だと私は思っている。なとりは自分が鳥の霊だと思っていて、最終的には「なとり、鳥船さまみたいなちゅよくてかっこよくて、いっぱいの魂をのせられる大きい神さまになるんだァ~」って思っている。

道のりは長い。