鬼と悪は違う。「鬼の霊(鬼)」と「鬼と化した人の霊(悪)」は違う。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちが知っている鬼と、この世の「悪い者」とはイコールではないような気がしているので、その件について書き上げようと思っている。

一番の悪い者は、この世の「人」だと思っている。この世の霊とも言える。この世に生まれてきた人間の霊である。

つまり鬼は「悪い物」ではなく、人が「悪い者」ではないか——ということだ。

図の説明:鬼は善、人は悪

人のなかには「鬼のような人(魂)」になっている人たちもいるが、それは「鬼モドキになった人」であり、鬼とは一線をひく。

つまり、人が退化した魂になっていくと、どんどん鬼のような魂に変化していってしまうが、それは鬼ではない。

では、鬼とは何か——である。鬼とはこの世で生きていくには心許ないピュア魂の守りを担当している存在なのではないかと考えた。

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此度の鬼門で、いくつかの鬼がやってきた。それは「当人の魂が鬼化している」のではないかと考える。

門番を出し抜こうとする鬼(騙す、罵詈、馬だね)、門番を押しのけようとする鬼(抑制させる・我慢させる、卯だね)、門番に咬みつこうとする鬼(つつしみがない、かな)——。

引用:報告|ツインレイの守護龍の交代制 & 鬼門の門番お役目のお話

人であるならば、まず人を唆したり騙そうとは思わない。人に悪意を向けることもない。人を自分の思い通りにさせようとも考えない。

つまり「人であるならば」。人ではないから、人に食って掛かっては悪いことをするのである。

鬼はピュアな魂を守りに来ている存在だと言うのであれば、こうした騙してくる人や我慢させてくる人、噛みついてくる人に対しての防衛を持っているのが鬼とも考えられる。

 

ただし、鬼がはいるということは、鬼による悪も善も体現されるなか、私たちは鬼による悪を考えなければならない。

それは私のなかにいた暗鬼という鬼が「すべての人を疑う」になるのか「騙してくるやつにブチギレる」のか。すべての人を疑うことが鬼の悪ならば、騙してくるやつを打ちのめすのが鬼の善ではないだろうか。

私たちはこの地上における「地獄の善悪」について考えなければならないのかもしれない。

この地獄の善悪とは、鬼を通してでしか学ぶことができないのである。

しかし、暗鬼を「常にすべての人を疑うこと」へと傾倒するとき、騙してくるやつに気づかないことにもなる。いわば、鬼も主人である己の霊によって鬼の活躍も変わってくる。

 

じゃあ、ここで「鬼とは何か——」である。

一番悪いヤツって誰なのか。騙してくるやつじゃない? ってこと。

つまり、悪は「騙してくる人間」であり暗鬼ではない。騙す心が悪であり、騙す心を持っているのは暗鬼ではない。疑う鬼は騙す心により生まれ、これ受動性により生じている。

騙す心を持つのは、鬼ではなく人である。

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これは子供の頃から周囲の人に騙されてきた人たちは、自分のなかに「鬼」が生じる。暗鬼という鬼である。

だけどこの鬼は味方である。騙されないようにするために必要な味方。本当の悪は騙す人たちのこと。

しかし、人を騙し続けている人たちは、そのうち「暗鬼モドキ」にある。騙しているからこそ、今度は自分が騙されるのではないかという「鬼の心」となっていく。

人の心は鬼である暗鬼モドキとなっていくのだ。その人たちは「常に人を疑う」ことになる。人が鬼になるとはこのこと。

図の説明:騙されない鬼、人を常に疑う人

この世の純粋な鬼は、常に、この世の悪人から守ってくれている。

しかし、この世の生粋なる悪人は、自分の魂を鬼へと変化させていく。

暗鬼をかっている人に対して騙すことあらばブチギレられるし、なんなら、自分が暗鬼へとなってしまう。人を騙すということは自分を騙しているに相応しいこと。

自分を信用できなくなるから、他人も信用できなくなっていく。

純粋であればあるだけ、人は人のなかに「鬼」を飼い、自分を守ってもらうことになる。

だからこそ、私たちがするべきは「鬼は内」「鬼は福」なわけである。

 

馬は暗鬼が担当していると思うが、馬は「赤色」が識別できない。つまり危険がわからない。

危険な人とかも実は全く見抜けない。わからないんだよな。わからないんだけれども、だからこそ、暗鬼がよくブチギレてた。

論理性の破綻を感じると、脳がぐるぐるしてぶっ倒れたりとか。翌日には離人していたりするんだけれども「騙されそうになってた」んだと思う。いつも騙されそうになってた、たしかに後で知ることになるが、宗教勧誘だったとかな。

騙されるのデフォルト人生。

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鬼がちゃんと守ってくれていたなと振り返っても思う。

この地獄の神は「鬼」なんだと思う。この鬼を味方につけるには「人に悪いことをしないこと」なんだと思う。人を騙している人は自分が暗鬼(根暗になっていくと思われる)になっていくが、人に騙されてきた人は暗鬼が味方に付いて備わる。

暗鬼がいると、逆に人を騙すことに罪悪感を覚えると思うし、騙すなんてことを考えもよぎりすらしない。

だけど、あるとき、鬼が必要なくなるときがやってくる。

それが「真」という概念なんだと思う。騙そうが、騙されようが、あんまり関係がない感じ。

どっちにしたって「真」に切り替えられちゃうから、あんまり意味がない。

この鬼門の期間、私は暗鬼とさよならをしていたような気がする。やっぱり「鬼にも感謝」なんだろうな。

すべてにおいて自己責任なんだけれども、騙されていることにすら気づけない魂は「暗鬼」がセットにされる。そうやって騙されていることから身を守る鬼が見守ってくれている。

だけど、すべてにおいて自己責任を背負えるだけの成長したあと、暗鬼はさよならをする。経験を残して。

 

悪と鬼は別ものなんだと思う。

悪とは、この世の輪廻のなかでどんどん「悪の魂」へと変貌し、人の魂が鬼となることなんだと思う。

だけど、もともと鬼として生まれた霊は「鬼としての道理」があり、それは「弱きを助ける」なんだなァと思う。

思ってたんと、この世の知識はなかなか違う。悪とは何か、鬼とは何か。考えさせれてしまった。

 

般若は「ろくでない男性」から守ってくれていたかもしれない。

 

ま、なとちゃは足早いけどね。