アカシックレコードとは何か|ツインレイの覚醒シリーズ⑦
アカシックレコードとは何か——です。
アカシックレコードには真実なんて何ひとつ書かれていないし、この世に真実はひとつもないよっていう話です。
アカシックレコード(英: akashic records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている[6]。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い。 引用:出典: アカシックレコード フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アカシックレコードには、情報が書き込まれている——となっていて、ここにアクセスすればなんでもわかるみたいに感じるかなと思います。
このアカシックレコードの構成の前に、私たちがどのようにしてアカシックレコードを構成しているのかについて書きます。
私たちの事実への追求
私たちは人として『欲求』⇒『感情』⇒『記憶』⇒『事実』というカタチで事実を見ています。
欲求を除去する、感情を除去する、記憶を除去することで『事実のみ』を受け取ることができるようになります。
しかし、その事実そのものは『欲求』『感情』『記憶』により構成されています。
つまり、凝縮すると、多くの人の記憶により事実が構成されているということです。
このなかで、じゃあねじ曲がった解釈をして記憶した人がいたならば? 自己都合的に解釈し、全然違う記憶をした場合、事実が捻じ曲げられるということがわかるかなと思います。
つまり、事実を追求しようとしても、記憶そのものを捻じ曲げてインプットしている人たちっているじゃないですか。そういう人たちがいる限り、本当の意味で『事実』は存在しないんです。
言葉でいえば、
「〇〇さんは、あのとき、靴箱から靴を出した。」
と記憶している人がいたとする。当人も「靴箱から靴を出しました。」と記憶をしている。
しかし、ひとりだけは「靴箱から猫を取り出しました。」と記憶違いをしていることがあったとする。
この時点で、もはや、靴=猫というインプットが事実に生じてきます。そして、そのように『記憶を変革できる人たちがいる』のだとしたならば?
一生のうち、ひとりぐらいは出会ったことがあるかと思います。行いと記憶が全然違う人。なんなら自己都合的に解釈をして、自分とはまるで違う解釈をしていて「はア!?」って思ったことがある人。
これが『事実の捻じ曲げ』として起こります。が、私たちも皆「事実の捻じ曲げ」は行っているんです。それが赤裸々に、その人の『欲求』『感情』がねじ曲がれば捻じ曲がるほど『記憶』が捻じ曲げられますので、真実なる究極的な現象そのものとは全然別のものへと変換されていくんです。
つまり『欲求』『感情』『記憶』がしっかりコントロールし、排除することができるようになれば、私たちは『より事実を知ることができる』し『アカシックレコードにも近づく』ことになるんです。
アカシックレコードは存在するけどしない件
アカシックレコードとは、上記の通り『個人が思っている記憶』により、構成された『事実』のことです。
そして、それは『空っぽ』なんです。つまり、何もないんですね。意味がないんです。
事実そのものに意味がない。だって、私たちは記憶により生きているので、その記憶が『どのようなものであったとしても、私たちは記憶のなかにある事実しかわからない』からです。
アカシックレコードにアクセスをして事実を引き出すことが出来たとしても、それが『事実かどうか』はまた別の問題なんです。
今、この時代に戦があるとして、戦そのものを『戦』だと思っている人もいれば『戦』ではなく、ただの『ケンカ』だと記憶している人もいる。
つまり、真実なんで『どこにもない』んです。だからアカシックレコードにもし、多くの記憶が保存されていたとしても、それが『真実』とは限らないのは『多くの人が自己主観的に捉え続けているから』なんですよね。
そして、そのなかの或る一定数は、その出来事に対して『欲求で解釈する』『感情で解釈する』『過去の記憶で解釈する』というように、事実に対しての脚色が入ります。
脚色が入る分だけ、アカシックレコードは『解釈の意味が違う』ことになるんです。
記憶の意味も、それぞれ皆違います。欲求の記憶、感情の記憶、過去の記憶の記憶。違います。だから事実が事実とも限らない。
で、これは『事実』=『空』ってことでもあるんです。
事実がそこにあるとき、必ずそれは事実ではないので『意味がない』んです。それが『空』です。
つまり、私の世明けのツインレイのサイトの内容を一時期「これは間違っている」ということを書くことがありました。言葉が悪かったような気がします。
これは『空』であり、この概念そのものも『空』であり、これは私の解釈であって、これが『事実』ではないんです。
つまり、これは『私からみえている事実』であって、この事実に対して別の角度からみえる事実もあるんです。
そして、闇と私の対決とは『事実』と『事実』の争いでもあったように感じました。
アカシックレコードを競っての光と闇
闇とは『欲求』『感情』『記憶』により構成された『事実』を持っている人たちのことです。
私とは、おかげさまの修行で『欲求の排除』『感情の排除』『記憶の排除』により構成された『事実』をみている人です。
これがぶつかり合っていました。そうすると『空』が出現するんです。
欲求と感情、記憶を自己主観的過ぎる人たちの視ている『事実』と、欲求と感情、記憶の排除をしたカタチの主観的に視えている『事実』は『真逆』なんですね。
ですが、これで『事実』が成立するのでぶつかり合って混乱します。というか、混沌としてしまい、型を成しません。何が真実なのかわからなくなるってことです。
私にとって相手は嘘を吐いていますが、欲求や感情、記憶によって構成されている彼らは『嘘を吐いているわけではない』んです。ただ、欲求に振り増され、感情的になり、それによって記憶を構成するので『自分にとって都合のいい記憶を構成している』んです。
どっちが悪いってわけじゃないんです。向こうからすれば私が『嘘つき』なんです。これが混沌です。
そして、その混沌が『アカシックレコード』なのだと思います。ここにアクセスをした仏陀さんも「言葉にできない」と言っているけど、そりゃ言葉にできないかと思います。
だって『人それぞれ解釈が違うものを集合体させたもの』ですから。事実と事実がぶつかり合いますが、そのとき、嘘が発生します。それが『自ら』のなかに発生するのです。
私は嘘を吐きませんでした。もしかしたら闇は嘘を吐いたかもしれません。しかし、それは『私たち』には浮き彫りへとなりません。『記憶』のなかに『嘘を吐いた記憶』が残ります。
その記憶が再び『事実』を見るようになるので事実が捻じ曲げられていくんですね。
私がしたことは『闇を迎い入れて、自他分離をした』わけなんですが、同時に『混沌』というアカシックレコードをみたんです。なので、ものすごく混乱しました。
辻褄性が合わないような現象をつじつまを合わせていかなければならない状態になるんですが、そりゃ『パニック』だし、そりゃ『意味わからない話をしだす』し『辻褄合わないものを辻褄わせるために幻想を生み出す』しかないんですよね。
真っ白な空間にい続けると、人は数週間で幻覚や幻聴を始めるようになります。
反対に情報過多状態——。なんなら対立している意味のわからないぶつかり合いをすることで妄言を言い始めるようになります。だって『言葉にできないものを言葉にする』ことになるので、もはやこれは妄言なんですよね。
ちなみに私はちゃんと妄言もすべてストックしてありますが、もはやただの『混乱状態による妄言』が始まります。
この妄言がアカシックレコードでもあるんですよね。世界の辻褄が合わない部分をつじつま合わせをするために生み出した『存在』がいるんです。
辻褄が合わない部分をアカシックレコードは辻褄を合わせていくので、中身はほぼ『ぐちゃぐちゃ』なんだと思います。
このアカシックレコードの辻褄合わせをしなくなるのがいつなのか、そのときようやく地球は『落ち着いた世界』へとなります。だけど、そのとき、地球の役割は終わると思いますので、滅亡かなと感じています。ドーンと破壊されるかなと思います。
完成したら破壊しますので。それ以上に先がないと思えば、破壊がやってきます。それが世の理かなと思います。完成は破壊と同類語なんですよね。
何も問題がない件について
ここまでわかって『何も問題がないんだな』と思います。この世はうまく回り、循環している。
つまり、闇が存在しなければ光と対立せず混沌もしない。混沌せず、すべてが『同一化』されたとき、私たちの地球は完成します。完成したら『終わり』ですので、光と闇は対立し続けることに、そうたいして問題はないのだと思います。
私たちは欲求や感情、記憶を自分のなかに保存しています。
そのなかで『記憶』をどのように保存するのかが『私たち』となります。
人を悪意ある存在として記憶を保存するのか、人を善意ある存在として記憶を保存するのかで、随分と『自分の記憶』が変わります。
私たちの本質は変わりません。覚醒しても『何も変わらない』んです。
ただ、覚醒すれば人として自分を上手くかじ取りすることが出来ます。右にも左にも舵がとれる。覚醒しないでいれば、自分で自分をかじ取りすることが難しい状態だということ。
このままでいいんだと思います。覚醒しなければと私は思ったことがありません。
だけど、覚醒ってなんだろう? と考えたことは何度もありました。が、特に覚醒したいとかも思ったことがありません。
このままでいいんだと思うんですけどね。問題など、どこにもないのに。問題があると思っていたこともあったんだなァ。